第佰漆拾弐閑 エスメラルダ・エバー・グリーンの場合 丙
「いやぁしかしあれだな」
と、苦笑するお父さん。
「何ですか?」
「娘に何があったのか、娘がなぜああなったのか話すと言っておきながら、“なぜああなったのか”の部分は結局よく分かってないとは、まったく。本当に私は、娘のことを何も分かっていない。今も昔も。これでは父親失格だな」
「そんなことは」
「まあ娘は、自分を置いてどこかへ行ってしまった私のことなんて、父親と思ってはいないかもしれないが」
「そんなことはありません!」
気付けば、いつの間にか立ち上がっていた。
「エメラダは、彼女はしっかり、あなたのことをお父さんだと思ってます!」
前のめりになって、目の前に火がなければ、今にもお父さんに掴みかかってしまいそうな状態だった。
「……」
驚いたように口をポカンと開き、俺を見上げるお父さん。
「あ、えっと……」
俺は少し気まずくなって、苦し紛れにお父さんを真似て『しっかり』と『尻』を掛け、お尻を突き出したりしてみる。
が、全然掛かっていなかったし、全然紛れてもいなかった。
なのでもうどうにでもなれと、勢いに任せて言いたいことを叫んでしまうことにした。
真夜中だというのに。
周りには布数枚だけで作られたような家がたくさんあるというのに。
近所迷惑もはなはだしい。
でもそんなの知らない。
尻はあるが、知らない。
「彼女は、薬が作れなくて困ったとき、頼るべき相手として迷うことなくあなたを! 他の誰でもないあなたを選びました!」
今思えば、別にお父さんに頼らずとも、ラヴが『どこかに行けばある』と言っていたのだから、薬のある場所を探すのでもよかった。
城の書庫に、薬の作り方が書いてある本がある可能性だってあった。
薬を作ってもらうにしても、別にお父さんじゃなくて、他のエルフでもよかったわけだ。
でもエメラダは、そんなあれやこれは一切考えず、真っ先に頼る場所としてお父さんを選んだ。
何のためらいもなく『私のお父さんなら』と、彼女はそう言った。
「僕達にあなたを紹介するときも、彼女は迷うことなくあなたを! 私のお父さんと言いました!」
彼女は自分の村を、『私の村』ではなく『私の“住んでる”村』と、そう言った。言い直した。
まあ村はまだいい。
でも彼女は自分の家でさえ、『私の家』ではなく『私の“住んでる”家』と言った。言い直した。
どこか自分のものではないと、そんな風に。
でも自分の父のことは、自分の父を紹介するときだけは、彼女は『私のお父さん』とそう言ったのだ。
言い直しはしない。
『私に住む場所を与えてくれたお父さん』だとか『私に食べ物を与えてくれたお父さん』だとか。
そんな、余計なものはつけない。
はっきりと、自分のものだと、自分の所有権を主張するかのように。
何のためらいもなく『私のお父さん』と、彼女はそう言った。
「これでもまだあなたは、娘が自分のことを父親だと思っていないかもしれない、だなんて思いますか!?」
「お、おぃ――」
「思うんですね!? 分かりました」
ならまだ続けましょう。
「少し前、彼女がここに帰ってきましたね!?」
確か年が明けてしばらくした頃だったか。
「新年の挨拶をしに」
他にも目的はあったのかもしれないけど。
とにかく、ここに帰ってきた。
雪の止み間を縫って。
「父親だと思っていないような人の場所に、わざわざ帰ってこようと思いますか!?」
こんな森の深くまで。
「そんなわけないでしょう!?」
そんなわけが、ない。
「それでもまだあなたは、娘が自分のことを父親だと思っていないかもしれない、だなんて思いますか!?」
「分かった、分かったから落ちつケツ……間違えた、落ち着け」
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
「とりあえずお尻を引っ込めて、引っ込めたらそれを切り株に」
言われるがままに、そうする。
そうしたところで、お父さんは俺に言う。
「君は本当にバカだな」
「バ――」
「こんな夜中に大声で叫んだら近所迷惑になるだろう」
「あ、いや、ごめんなさい」
一応考えはしたんですけど……。
「まったく、魔王は本当にバカだ」
呆れたように腕を組むお父さんの顔にはしかし、怒りの色など微塵もなく。
どころか、どこか喜んでいるようにも見えた。
「知ってるか? バカにも種類が二つある」
――一つは頭のいいバカ。
――もう一つは頭の悪いバカだ。
「キミは頭のいいバカではない」
「はい」
それは、自分でも重々承知です。
「でも、あたたかいバカだ」
「あたたかい、バカ?」
「ああそうだ」
ありがとう、と彼は言う。
「もう娘が私のことを父親だと思っていないかもしれないだなんて、思うことはやめる」
「そう、ですか。それはよかったです。でもなんだかすみません、僕みたいな子どもが生意気に説教してしまって」
子どもだし、子を持つ父親でもないのに。
「いいや、いいよ。間違ったことを正すのに、年齢や立場なんて関係ない。感謝しているよ」
「……はい」
「娘のことについても、感謝している」
「……はい?」
娘のことについても? はてさて、何のことだ?
俺はエメラダのことで、何かお父さんから感謝されるようなことをしただろうか。
怒られるようなことなら、したような、しなかったような。
そんな俺の胸中を察してか、お父さんは続ける。
「娘の傍にいてくれて、ありがとう」
「はあ」
「少し前、娘がここに帰ってきたと君は今言ったね? そのときのことなんだが。あの子、ちょっと変っていたんだ」
変わっていた?
いつもちょっと変った子だけど……そういう意味ではないのだろう。
「顔色や声色は相変わらずのままだったけどね。君のところに行く前より、凄く口数が多かった」
「そうだったんですか」
「そしてその内容の全てが君の、君達のことだったよ」
「僕達の」
「ああ。バカな魔王がいると。バカな勇者がいると。バカな夢魔がいると。バカな吸血鬼がいると。バカな犬がいると」
感想が全員バカ!?
「皆バカだと。でも皆バカだけど、皆大切な、なくてはならない、いなくなってはならない大切な家族だと、娘はそう言っていたよ」
「そう、ですか」
それはとても嬉しいことだった。とてつもなく嬉しい言葉だった。
ラヴが同じようなことを言ってくれたときも、ネネネが同じようなことを言ってくれたときも、ルージュが同じようなことを言ってくれたときも、もちろん嬉しかったけど。
エメラダの場合、普段が普段。
いまいち何を考えているのか、俺達のことをどう思っているのか、読みきれないところがある。
はっきり語らないどころか、はっきり悟らせない。
そんな彼女が俺達のことを俺達と同じく、そんな風に思っていてくれていたというのは、だから、いつにも増して嬉しいことだった。
「まあ最初魔王城に住んでいると聞かされたときは、正直ゾッとしたけどね。でもそこに良い出会いがあって、大切なものが出来たと言うのなら、それはそれでいいのかなと思った」
そして今日君と出会って、君と喋って、それでいいと確信した!
と、お父さんは近所迷惑も考えずに、笑顔で叫ぶ。
「君になら、君のところになら、娘を預けられる」
「え、本当ですか? 僕みたいな奴のところに?」
お父さんの目を疑うわけではないけど、どこを見て判断したんだろう……。
自分で言うことでもないけど、ろくでもないですよ? 俺……。
ななでもないし、はちでもない。きゅうでもなければじゅうでもない。
「と言うか、傍にいてくれてありがとうってお父さん言いましたけど、僕、何もしてませんよ?」
「いいんだよ何もしなくて。傍にいてくれるだけで、それだけで」
「そうですか……?」
「そうだ。だからありがとう。そしてこれからも娘を頼むよ」
「は、はい」
どうやら俺は、無事圧迫面接を乗り越えたらしい。
読んでいただき、ありがとうございました。




