第佰漆拾壱閑 エスメラルダ・エバー・グリーンの場合 乙
「今でこそ、私たちエルフや妖精が住むこの森は平和だが、少し前まではそうではなく、争いの絶えない場所だった」
「争い」
「ああ。十数年前、君のお父さんがまだ王座にいた、玉座に座っていた頃のことだ」
「……」
「お父さんが魔物達に、“人間を襲ってはいけない”という命令を出したことは、もちろん知っているね?」
「はい」
そんな命令を出していたことを直接誰かから聞いたわけではないけど、ラヴが『アンタが魔王になるまでは、人間と魔物はそれなりにうまくいっていた』みたいなことを言っていたから、予想はしていたことだ。
「それによって魔物は人を襲えなくなった。だから人は少しずつ魔物を恐れなくなった。そのおかげでゆっくりとだが両者は関係を築いていき、交流を持つようなっていった。いいことだらけだった」
ただ、とお父さん。
「いいことだらけだったけど、いいことだけではなかった」
まあ、物事には、メリットがあればデメリットもある。
それは、それがどんな物であれ、どんな事であれ。
「魔物の中にはこんな奴らがいた」
――人間を襲うことで、己の欲を満たしている。
「そいつらからしてみればどうだ? 人間を襲えない、だから欲が満たせない。満たされない。その抑圧された欲望がやがてどうなったか、君には分かるかい?」
そんなことは、考えるまでもない簡単なことだ。
吐き出す場所がなくなり溜まっていく欲望。
捌け口がなくなり堪らなくなっていく欲望。
ただ“捌け口”“吐き出す場所”それらがなくなったと言っても、それは今までの場所がなくなっただけ。
今までの場所がなくなったのなら、新しく作ればいい。
そんなものは、選り好みをしなければいくらでもある。
人間を襲えなくなったのなら、他のものを襲えばいいだけ。
つまり――
「君の考えていることは、間違いなく変態だ」
「いえお父さん。さすがにこんな場面で、いかがわしいことを考えたりは……」
「すまない言い間違いだ。君の考えていることは、間違いなく正解だ、とそう言いたかったんだよ」
「凄い言い間違いですね」
「凄いイイ目合い? やはり変なことを考えているじゃないか。まさか娘と目合って!?」
「ませんって……」
「はは、まあ冗談はさて置き。そう、その欲望はやがて、全て魔物側に向けられた」
まあ、人間が襲えないのなら魔物を襲えばいい。
人間も、同じ人間を襲うし、動物だって同じ動物を襲う。
それなら、魔物が同じ魔物を襲っても、なんらおかしくはない。
いや、おかしいけど。
「魔物が人間を襲わなくなった代わりに、魔物が魔物を襲うことが一気に増えた」
そもそも目の前にいる彼はエルフであり魔物ではあるのだろうけど、見た目は人間と大して変わりない。
耳が少し、長いだけ。
エルフだけじゃない。
夢魔であるネネネも、黒い矢印型しっぽが生えている以外は、いたって人間的で。
吸血鬼であるルージュだって、牙が生えているけど、あれも八重歯だといえば通るレベルだし、口を閉じていれば気付かれもしない。
一番分かりやすいのが、三角お耳とモフモフしっぽの生えている、ケルベロスのクゥだ。
しかし彼女にしたって、見た目の九割方は人間である。
ラヴは勇者と言えど人間、多分人間だから、何もついていない。胸でさえ、ついていない。
その代わりに、いつも剣を腰につけているけど。
そんな感じでまあ、注視しなければ変わらない、言われなければ分からない。
魔物と言うよりは、魔者と呼ぶべき存在。
だから人間の代わりにするには、丁度よかったことだろう。
「その中でもこの森は特にターゲットにされていたみたいでね。さっきも言ったが、森のあちらこちらで争いが絶えなかったんだよ」
俺も今魔物に“人間を襲うな”という命令を出しているけど、果たしてそこら辺はどうなっているんだろうか。
人間とは、町の人たちとはうまくいき始めているけど。
何か、どこかに悪影響がなければいいけど。
「まあ、私たち元々この森に住んでいる者からすれば、争っていたんではなく、襲われていただけなんだがね。攻撃に対して、防御をしていただけだ」
「はあ」
「そんな中、妻が死んだ」
え、え?
「もしかして……こ、殺されたんですか?」
「ああ」
そんな……。
「病気にね」
「病気? 敵ではなく?」
「ああ。妻は昔から難病におかされていてね」
「つまり奥さんを殺したのは、魔は魔でも魔物ではなく病魔と?」
コクリと頷くお父さん。
何だよかった、殺されたんじゃなくて。
それでも、エメラダのお母さんが死んでしまったことに変わりはないけど。
「まったく、私以外の何かが妻をおかすなど、けしからんことだ!」
「そこですか!?」
「はははは、冗談でも挟まないと、こんな話聞いていられないだろう?」
「そうですけど」
気丈だなぁ、と思う。
「まあ妻が亡くなって、いなくなって、私も娘も大いに悲しんだよ。妻にべったりだった娘は特にね」
「……」
「彼女は家に閉じこもり、三日三晩泣き腫らし……髪の毛もあんなに白銀になって」
「えっ、エメラダの髪の色ってもとから銀色なんじゃないんですか?」
それこそ、昔からああなんだと思っていたんだけど。
まさか、ショックで髪の毛が全て真っ白になったという逸話を聞いたことはあるけど、それで。
「冗談に決まっているだろう。娘の髪は産まれつきキレイな銀髪だ」
冗談とそうでない部分くらい、しっかりと読み取ってくれ、とお父さん。
「紛らわしいですよ!」
「目合うらしい? またそんなことを考えているのか、誰と誰がだ? まさか娘と君か!?」
「違います!」
「血が出ます。そうだな、娘はまだ――」
「お父さん!」
「義息子!」
「気が早い!」
「じゃあ婿!」
あまり変らない!
「あのですね、お父さん……」
「ああすまない、オチャメな私を許してくれ」
オチャメと言うか、もうハチャメチャですよ。
「まあ髪については冗談だが、悲しんだことは本当だ」
そこまで冗談だとは、誰も思っていない……。
「それでだ、そんな悲しむ娘を見て私は思った。妻は戻ってこないけど、娘をこれ以上悲しませないよう、せめてこの森を元の平和な森に戻してやりたいと」
亡くなった者は取り戻せないけど、無くなった森の平和は取り戻せる。
「だから私は立ち上がった」
言って、腰掛けていた切り株からスッと立ち上がった。
ギャグのつもりなのだろうか。
立ち上がるという言葉と、立ち上がるという行動を掛けているのだろうか。
「森の、娘の平和を脅かす輩を森から排除することを……決意した!」
言って、お尻を少し突き出す。
ギャグなのだろう。
決意と、お尻を掛けているのだろう。
まったく、言ってることはカッコいいのに、やっていることが何とも……。
オチャメだしハチャメチャだし。
初めて出会ったときと今とのギャップが激しすぎて、もはや誰なのか分からない。
あの怖かったお父さんはどこへやら、本当に双子の弟なのかもしれない。
ただ何にしろ、こんな人がお父さんだったら、さぞ笑顔の絶えない明るい家庭だったことだろう。
一家の大黒柱というのは、なにも亭主関白を地でいくような厳格な人のことばかりを差す言葉ではない。
こんな風に自分からバカなことをして、家族を笑わせる人もまたそうなのだ。
そして俺は、後者の方が素敵だと思う。
「素敵ですねお父さん」
「私のお尻がか? まさか君は娘ではなく私と――」
「冗談キツイですよ!?」
「冗談決意? 私の決意は冗談ではないぞ?」
「あーそれは分かってます。何だか話を止めてごめんなさい、続きをどうぞ」
うむ、と頷くと、お父さんは話の続きを語り始める。
「それから私は森の民を集め、このまま防御をしているだけではいけないと、積極的に攻撃をし、敵を森から排除しようと呼びかけ」
「……」
「そしてその呼びかけに応じてくれた民たちの先頭に立ち、先導し、森中を奔走した。母を亡くし悲しみに暮れ、恐怖に駆られ、行かないでくれと泣いて私の足にすがりつく娘を無理矢理引き剥がし、引き離してね」
娘のためを思い。娘のことを思い。
そう繰り返すお父さんは、続けて『しかし』と呟いた後、突き出していたお尻を引っ込め、そして切り株へと腰を下ろした。
「しばらくして敵のほとんどを排除し、森に平和が訪れ始め、ようやく娘の元へ帰ってみると」
――あの子はああなっていた。
「どうして、ですか?」
お父さんがエメラダの傍を離れている間に、彼女の身に何かが?
「さあ、理由はよく分からない」
「分からない?」
「ああ、特に何かあったわけではないんだよ。私が居ない間に襲われたとか、そういったことはない」
じゃあなぜ?
「はっきりとした理由は分かっていないんだ。ただ予想は出来る。何せその当時娘はまだ小さな子ども、精神もまだまだ幼かったからね。いつどこから襲われるか分からないという恐怖の中、母が逝き、唯一頼れる父も自分を置いてどこかへ行ってしまった。これだけでも、ああなるには十分な理由だと思わないか?」
十分な、十二分な、理由だ。
幼い子どもにとって親とは、世界の全てだと、世界そのものだと言っても過言ではないだろう。
自分と、父と母と、そしてその他少しの周りしか、まだ世界を知らないのだから。
ならその幼い子どもにとって、親が目の前からいなくなることが、どれだけ大変なことなのか。どれだけ大事なのか。
それがたとえ一瞬であったとしても、精神に及ぼす影響は、計り知れないものだろう。
ましてや、エメラダの場合は置かれていた状況が状況だ。
「それであんな風に」
あんな風に、感情が表に出辛く、表情が表に出辛くなったと。
「娘のためにとやったことだったが、彼女はそんなことは望んでいなかったんだろうね。ただ傍にいて欲しかったことだろうと、今になって思うよ」
「……」
今日も読んでいただき、ありがとうございました。




