第佰陸拾漆閑 ぜっちょうのおじさん
そんなわけで翌日、俺とエメラダとクゥの三人は、しゃっくりを止める薬を作ってもらうべく、エメラダのお父さんを訪ねることとなった。
幸い昨日の雨空とは違い、今日は青空が広がっている。
目指すは町の東辺りにあるエルフの森、その森の奥地のエルフの集落。エメラダの実家である。
クゥは昨晩、しゃっくりのせいで一睡も出来なかったそうだ。
そのせいで大人しくなって、
「にゃっはっはっはっはー!!」
くれれば少しは楽だったのだが、どうにも変なテンションになっているらしく、逆に普段より騒がしかった。
エメラダを肩車し、庭を駆け回っている。
城に置いて行くという選択肢ももちろんあるんだけど、薬を作ってもらうなら、直接症状を見せた方がいいらしい。
ふむ、途中で力尽きなければいいけど。いや力尽きてくれた方が、運びやすくていいのか。
まあとにかく。
「じゃあラヴ、留守番よろしく」
「ええ」
ラヴ、それとネネネとルージュはお留守番。
ラヴはいいとして、ネネネとルージュが来ると色々ややこしいことになる。
もちろん二人とも最初は行きたいと言っていたのだが、あまりに騒ぎ過ぎたためにエメラダに怒られ、あえなくお留守番と相成った。
「あいつらのお守りもな」
お守りと言うか、子守と言うべきか。
「まあ、あいつらは放っておけば勝手に何かしてるでしょ」
「その勝手の部分を制御しておいてくれ」
「分かったわ」
「それじゃま、行って来ます」
「い、いってらっしゃい」
ラヴに、城に背を向け、歩き出す。
「ほらクゥ、行くぞ!」
「ガウなっのだー!」
まるでハイキングでもするかのごとく、軽い足取りで林を突きぬけ、町を通り抜ける。
町の中は以前来たとき、確かヴァイオレットとだったか、そのときよりもかなり変化していた。進化していた。
「何だか凄いな!」
それはもう、テンションが上がるほどに。
ゲイルから報告は受けていたけど、それと、直に見るのとではやはり全然違う。
百聞は一見に如かず、とはこのことか。
と言うかそもそもあの報告は、とてつもなくアバウトなものだったし……。
「これは……綺麗、キラキラしてる」
「キレイキレイしてっるのだ!」
色とりどりのレンガが町の道一面に敷き詰められ、その道の両サイドには立派な民家が立ち並んでいる。
もちろん家だけじゃなく、店だってある。
パンや野菜、肉や魚といった食品を売る店。
シャツやズボン、スカートや下着といった衣類を売る店。
家具や食器、その他消耗品などを売っている店。
人もたくさん増えた。
立って雑談をする人、椅子に座ってのんびりしてる人。
買い物をする人、洗濯物を干してる人。
商売をする人、走り回る子ども。
いやあ本当に驚いた。
昔の村のことを考えると、どれだけ凄く見えようが、やっと普通の環境になっただけなのだろうけど。
それでもこの町、絶町……は、輝きと笑顔で満ち満ちていた。
町をもう少し見て回りたいなと後ろ髪を引かれつつも、町から出ようとしたとき、
「おう兄ちゃん」
まだ泥の付いた野菜を乗せたリアカーを引く、細くて肌の浅黒いおじさんに声をかけられた。
「え、あ、はい?」
いきなりのことだったので、微妙な返事になる。
「あんた、魔王だね」
「え……あ……はい」
これは、さっき以上に微妙な返事になってしまった。
隠してるわけじゃないから、魔王だとばれても驚きはしないけど。
まさか魔王だと知って、分かって、声をかけてくる人間がいるなんて。
一体何を言われるのか……文句でも言われるのだろうか……。
「ありがとな」
しかし予想に反して、おじさんはそう言った。
「へ?」
「町長から聞いたが、あんた、俺達人間のために色々頑張ってくれているらしいじゃねえか」
町長。ドラゴン退治のときに一度だけ会った、白髪で腰の曲がったあの人か。
「まぁ……」
まぁ確かに、色々した。
税の引き下げと、魔物に人間を襲わないようにと命令したのは当たり前として。
一応村人の要請を受けて、吸血鬼の問題を解決したり、原因不明の病気の問題を解決したり、畑を荒らすドラゴンの問題を解決したり。
巨大花の問題は、あれも一応要請は受けたけど、そもそのも原因がこちら側にあるので、ちょっと違うかもしれないけど。
「でも、あれは皆さんに迷惑をかけた罪滅ぼしですし。お礼なんて、とんでもありません」
「そうか、あれはまぼろしか」
「いえ、まぼろしではないですけど……」
実際、やったことにはやった。
恩着せがましく、それを押し付けることはしないけど。
「だろう? まぼろしじゃねえだろ? 事実だろう?」
「ええ、まあ」
「だから、だ。確かにあんたのしてることは罪滅ぼしかも知れねえ、だが理由が何であれ、事実俺はそれに助けられた。村に病気がはやったとき、畑をドラゴンが襲ったとき、あんたが動いてくれなけりゃ、俺は今こうやって生きて畑仕事を出来てなかったかも知れねえからな。だから、礼くらい言うさ」
「…………」
「俺はこの土地が、町が、村だったときからの住人だがよ。あんときは重税と魔物への恐怖とに悩まされた――」
「それは、ごめんなさい」
「おう。まあだから、あんたは俺にとっちゃ怨念を向ける対象であり、恩人でもある」
ややこしいな。
言って、おじさんは大口を開け、ガラガラな声で笑う。
「ただ俺はどちらかと言うと恩人だと思ってる。だから礼を言った。それだけだ、難しく考えるな。おおそうだ、これ、食ってくれや」
おじさんはリヤカーから野菜を一つ掴むと、俺に向かって投げてきた。
「お、おっと」
「うちの畑で取れた野菜だ」
それは丸々と太った、キャベツだった。
「ありがとうございます」
「……立派」
そのキャベツを見て、野菜については一家言あるであろうエメラダが、そう呟いた。
「カッパなのだ」
いや、カッパではないよクゥちゃん。
確かにキャベツは緑だけど。
「ほう、お嬢ちゃんはカッパなのか」
いやいや、違いますけど。
「生憎キュウリはねえな。代わりと言っちゃ何だが、このしいたけをやろう」
今のクゥにキノコか……。
「ありっがとうなのだ!」
そしてお前はそれを受け取るのか……。
「お嬢ちゃん、念のために言っておくが、野菜でいかがわしいことをしちゃいけねえぜ。はっはっはっは」
このおじさんは、急に何を言い出すんだ!
「いかやらしいことって何なのだ?」
「いかでやらしい、ほう、お嬢ちゃんは野菜より触手がお好みかい?」
やめてくださいやめてください!
「話を戻すがよ、魔王の兄ちゃん。俺だけじゃねえぜ?」
おじさんは、急に俺の方を向く。
「え?」
「俺以外の元村人も、まあ恩人だとまではいかないかも知れねえが、恨んでいるやつはもう一人もいねえ」
「そう、ですか」
「おう。まあ人を一人も殺さなかったのが、幸いしたな」
人を一人も殺さなかった。
そうか、そうだったのか。
何だかホッとした。
村人、か。
そう言えばあの子はどうしただろうか。
女の子。
俺がまだ異世界に来たばかりのとき、始めてこの村に来たときにぶつかってしまった女の子。
彼女はまだ、この場所にいるのだろうか。
ふとそれが気になって、おじさんに尋ねてみた。
「女の子、ねえ。そうかそうか、あんたがロリコンってのは本当だったか」
「ロリ……そ、それは誰が?」
「ゲイル副町長だよ」
ゲイルめっ!!
「何だ? その子見つけてペロリンコするのか?」
ペロリンコて……。
「いえ、そうじゃなくてですね。ただ気になっただけですよ、どうしてるのかなーって。俺がこの世界に来て、初めて出会った人間ですから」
いや、人間と言えば、ラヴも人間なのか?
「その子は元村人なんだろ? だったらまだこの町にいる、間違いねえ。何せ村に女の子は一人しかいなかったからな」
「そうですか」
「今ではたくさんいるがな。手を出しちゃだめだぜ?」
出しませんよ……俺はロリコンじゃないんだから。
もしもゲイルが、ルージュのことをさして俺をロリコンだと言ってるのなら、それは間違いだ。
彼女は幼女ではなく、少女でもなく、老女なのだから。
「にしても兄ちゃん面白いことを言うな」
「面白いこと?」
俺は今何か笑えるようなことを言っただろうか?
「“この世界に来て~”なんて、まるで別の世界から来たような物言いだ」
ああそれか、何も考えずに思わず口にしてしまったけど。
確かにおかしな話だ。
「まさかあんたが噂の勇者様だったりしてな」
勇者様?
「まあそんなわけはないか、あんたは魔王だ。はっはっはっは! おっといけねえ、つい長話をしちまった。野菜が傷んじまう。じゃあな魔王の兄ちゃん、これからも人間のこと頼んだぜ」
そう言って、リアカーを引き、慌てるように町の中へと入って行くおじさん。
俺はそんなおじさんを引き止めた。
「ん? どうしたよ?」
「いえ、今のどういう意味ですか?」
「どういうって?」
「どうして“別の世界”で、“勇者”に話が繋がるんですか?」
「何だあんた、ゲイル副町長から聞いてないのか?」
聞いていない? 一体何を? 前回報告を受けたときゲイルはそれに関係しそうなことを言ってたか?
「勇者召喚計画ってやつの話だが」
勇者召喚計画……いや、聞いた覚えがない。
勇者育成計画なら、ラヴに聞いたことがあるけど。
「いえ、知りません。よかったら、簡単でいいので教えて貰っていいですか?」
「ああ、いいけどよ。今言ったが、王都が新たに勇者召喚計画ってーのを企ててるらしい。何でも別の世界から強い人間の魂や、魂だけじゃなく体まで召喚するとか何とか。で、召喚したそれに、あんたを倒させるんだと」
別の世界から、強い人間の魂や体を召喚する?
そして俺を倒させる?
「まあ別の世界とか、いまいち信用の出来ん話だが。一応用心しといた方がいいんじゃないか?」
もしそれが本当なら、もしそれが可能なら。
ゲイルめ、そんな大切なことをなぜ報告しない。
「俺が知ってるのはこれくらいだが」
と、おじさん。
「あ、はい。引き止めてごめんなさい。ありがとうございました」
「はっはっはっは。何だか別人になったみたいだなあんたは」
いや、実際別人ですから。
「じゃあな、勇者に殺されんよう頑張れや」
「はい。おじさんも、お仕事頑張ってください」
おう、と軽く手を上げると、おじさんは俺達に背を向け、町の中へとリアカーを引いて行ってしまった。
何だか凄くいい人、心の広い人だった。
それにしても気になるのは勇者召喚計画。
勇者が俺を倒しにやってくる、か。
何だか面倒なことになりそうだけど……。
今はそれよりも。
「ひっく、ひっく」
こっちか。
「よし、エメラダ、クゥ、森へ行こう」
「……ゴウ」
「ガウなのだ!」
今日も読んでくださって、ありがとうございました。




