第佰肆拾玖閑 ケルベロスト
二月。
月が二つしか出ない二月。
少し前の俺なら二つ“も”と言っていたところだろうけど、既に十二個も月が浮かんでいる状況の空を、状態の空を見てしまった後なので、二つではなんだか少なく感じてしまう。
さてこの二月だが、この月の四日頃を立春と呼び、そこからは春の始まりとされているらしい。
ただ春の始まりだとか言ったところでまだ二月、気分はバリバリ冬である。
そんな二月某日のお昼過ぎ。多分、お昼過ぎ。
昼食を食べた後、俺とラヴとエメラダとクゥは、城の庭にやって来ていた。
目的は花見などではない。
桜の花なんて咲き誇っていない。
まあ一応花は咲いているけど。
花は花でも雪の花が。枯れ木残らず。
そう、俺が今立っている魔王城の庭を含めた、城の周り一帯は。
森も。草原も。山も。
全てが雪に覆われ。
白、白、白、白。
自が混じっていても、気付かないほどの白。
いや、意味が分からないけど。
とにかく、一面銀世界になっているのだった。
気分どころか、気候もバリバリ冬である。
「にゃっはっはっはっはー!」
そんな、世界も銀々《ギンギン》なっている、気温もギンギンに冷えている中、今日も今日とてあの歌のとおり、銀目の犬が、嬉しそうに庭を駆け回っている。
四つん這いで。
雪にまみれ、雪に埋もれながら。
ただひたすらに可愛い。
「にゃははぁ~」
思わず俺も声が漏れる。
この犬は俺を萌え殺すつもりだろうか。
「ちょっと魔王、アンタなに鼻の下伸ばしてるのよ」
「安心しろラヴ。俺が伸ばしてるのは鼻の下じゃなくて手だ」
「もっとだめよ!」
「ラヴもクゥみたいにはしゃいでみたら?」
性格はともかく、名前だけは多少犬みたいなのだし。
ラブラドール・レトリバー。
こんなことを言ったら『“ブ”じゃなくて“ヴ”よ』とか言われそうだし、それにゴールデン・レトリバーの方が見た目的には合ってるけど。
「そんにゃ……」
「にゃ?」
「うぅ、うるさい! そんなことやってる場合じゃないでしょ! クゥニャも、遊んでないでこっちに来て。お手伝いするんでしょ?」
ラヴにそう言われると、クゥは立ち止まり、そして立ち上がり、腰に手を当て頬を膨らます。
「ラブねーちゃん、ボクはお手はしないのだ! ボクは犬じゃないのだ!」
「“ブ”じゃなくて“ヴ”よ。それと、お手とは言ってないんだけど」
やれやれと呆れ顔のラヴ。
「…………」
そんなラヴの横を無言ですり抜けたのはエメラダ。
彼女の癖の強い銀髪は、雪で反射した太陽の光に照らされ、眩しいくらいに輝いている。
「お手……」
エメラダはクゥの目の前まで歩いくと、そう言いながらスッと片手を出した。
「ポンなのだ!」
するとすかさず差し出された手の平の上に、自分の手の平を重ねるクゥ。
「おかわり……」
「ポンなのだ!」
お手はしないと言っておきながら、しっかりおかわりにまで反応を示す始末……。
「……犬」
「犬じゃないのだ! ケルベロスなのだ!」
これじゃあいくら犬じゃないと、ケルベロスだと主張したところで説得力がない。
彼女からはケルベロス性が、一切ロストしてしまっているのだから。
まあそもそもケルベロスらしさを失う前の彼女を、知らないけど。
「……でも、ケルベロスは関所の番犬。つまり犬」
「惜しいのだエメラダねーちゃん。ボクは番犬じゃなくて、番ケルなのだ」
「そう……」
「そうなのだ!」
どうだ参ったかと言わんばかりのケモ耳、ケル耳クゥだったが――
「……ワン犬」
「そうじゃないのだ!」
――ただエメラダには到底敵わない。敵うはずがない。
「それだともっと犬っぽくなってるのだ! ボクはケルベロスなのだ! 間違えるにしても、犬じゃなくてせめて狼にして欲しいのだ!」
エメラダもそして周りも、別に間違えているわけじゃないと思うけど……。
「……ケ狼ベロス?」
「ケロウベロス。それはなかなかいい名なのだ!」
「……違う」
縦に首を振るクゥに反し、エメラダは横に首を振る。
「あなたは犬ベロス……」
ケンベロス。
それはなかなか言いえて妙だ。
「ちーがーうーのーだー!」
じたばたと地団太を踏むクゥに背を向け、こちらに歩いてくるエメラダ。
その顔は相変わらずの無表情だったがしかし、どことなく満足げにも見えた。
前から薄々思っていたけど、エメラダはSだ。
それも迷惑なことに、マイペースが高じてと言うか、転じて出来てしまった、本人の意図しない天然のS。
何だ、エスメラルダのエスは、サドのエスだとでも言うのか……。
「アスタロウ……ハヤクヤロウ」
「ん……う、うん、そうだな」
事態はそれなりに急を要するらしい。
何がかと言うと、畑だ。エメラダの畑。
城の大切な食料源である畑の野菜が、この雪で埋もれてしまっているのである。
もちろんエメラダのこと、対策をしていなかったわけではない。
雪対策が必要な野菜の畝には支柱を立て、そこにビニールを張り、トンネルを作っていた。
がしかし、小さなビニールトンネルでは積もった雪の重さに耐えられなかったのだろう、今ではぺしゃんこになってしまっている。
この様子では、守るはずが余計に野菜を痛めつける結果となっているだろう。
と、そんなわけで、これではいけないと、積もった雪をどけトンネルを立て直すために、庭へ、庭の畑へやって来たのだった。
ちなみに今回の作業は、久しぶりにエメラダから要請されてのことだ。行動だ。
昨晩いつものように俺が風呂に入っていると、エメラダが、女湯と男湯を隔てる壁を飛び越え男湯にやって来て。
そして俺の横に座り。それが当たり前かのように普通に湯船に浸かり。
『アスタロウ……明日、雪どけ手伝って……』
とお願いしてきたのだ。
もちろん即答でOKしたのだけど、正直俺はそんなお願いより、彼女の胸のことでいっぱいいっぱいだった。
即答するよりも前に、卒倒しそうだった。
OKするより先に、KOされそうだった。
いや、もうホント、おっぱいおっぱいだった。
聞きしに勝るあの隠れ巨乳っぷりと言ったらもう。
「魔王、アンタまた鼻の下が伸びてるわよ」
鼻の下と言うより股の下が……いや、何でもない……。
「よーし、早く作業を始めよう! クゥおいで、手伝いするんだろう?」
「ワンなのだ!」
「違う、点が足りない」
「もうアシュタってばー、テンじゃなくてワンなのだ」
「もうじゃなくてね、そうじゃなくてね……」
テンでもワンでもなく、ウンなのだけど。
まあウンもウンで、ポルトガル語で『1』を意味する言葉だったと思うけど、今はそれは関係なくて。
「ワの上に、点が足りないってこと」
「ワ?」
「惜しいけど、ちょっと違う……」
とりあえずクゥには、犬だと言われないだけの努力が必要だと思った。
今日も読んでいただき、本当にありがとうございました。




