第佰肆拾捌閑 ブラッドレッド・ボルドー・ルージュの場合 丁
それからルージュと二人、何気ない、他愛ない会話をしていると、自然とクゥの話になった。
するとやっぱり噂をすれば何とやらなのか何なのか、タイミングを見計らったように巨大な書庫の扉が開き、そこから顔を覗かせるクゥ。
嗅覚や聴覚といった五感もそうだけど、それ以外の第六感も優れているのかもしれない。
彼女はさっきとは違い、顔だけではなく全身を書庫の中に入れた。
そして後ろ手ではなくお尻で。
お尻についた尻尾で、器用に扉を閉めると、彼女はそこから叫ぶ。
「あしゅた~、本当にルージュねーさん知らないのだ~?」
その声には、少し疲れが混じっているような気がした。
「ルージュ? ルージュは……」
ルージュもルージュで、クゥの訪れをいち早く察知したのだろう。
彼女は既に俺の腹の辺り、服の中に隠れている。
そしてそこから小さな声。
「知らんと言えよ」
ハイハイ……まったく。
「知らないよ? ここにはいないんじゃないかな? あははははー」
「う~ん……でも他のところは全部探したのだ~」
言って、フニャフニャとその場にへたり込む。
やっぱり、城中探し回って疲れているらしい。
「なあルージュ、そろそろ潮時だろ。見つかってやれよ」
「何を言っとる、まだまだ書き入れ時じゃ」
かくれんぼで隠れることで、一体何の利益が生じていると言うんだ。
「それに、この部屋からルージュねーさんの匂いがするのだ」
クンクンと鼻をひくつかせるクゥ。
こそこそと話しているのと、距離がそこそこ離れているので、俺とルージュの会話はクゥには届いてないようだ。
でも部屋の中に漂っている匂いまでは、どうしたって消せない。
「もう無理だってルージュ」
「何とか誤魔化すのじゃ」
何とかったてなぁ……仕方ない。
「クゥ、上は?」
「上?」
「そうこの上だよ。書庫の上。もう探したのか?」
「そう言えばまだ探してなかったのだ!」
「なら上にいるのかもしれないぞ?」
実際には上は上でも膝の上にいるのだけど。
「探してきたら?」
「分かったのだ! 探してくるのだ!」
言うが早いか彼女は立ち上がり、お得意のデタラメジャンプは使わず。
入り口のすぐ横から壁を伝うように付けられた、設けられた、螺旋階段を使い、書庫の上階へと登って行く。
ただジャンプはしなかったが、スキップはしていた。
階段で……恐ろしい身体能力だ。
「もう出てきても大丈夫だぞ」
クゥの姿が見えなくなったのをルージュに伝えると、彼女はごそごそと服の中から這い出てきて、また俺の膝の上に、腹に抱きつくように座るのだった。
「これでよろしいですか?」
「うむ、よいよい。よきかな~じゃ」
それは…………まあいいや。
「そうだルージュ、クゥを見て思い出したんだけどさ」
「はて、ワシには空など見えんがの。見上げて見えるのは、黒い闇だけじゃ」
誰が空と言った、勝手に変換するな。変化させるな。
「空じゃなくてクゥ。クゥニャのことだよ」
黒い闇ではなく、黒い髪。
「ああ、毛のことじゃったか」
んー……まあ、そう。
ケェロベロスのこと。
「それで、何じゃ?」
「あぁうん。吸血鬼と狼って、どんな関係なのかなって」
吸血鬼と狼は味方なのか、それとも敵なのか。
今のルージュとクゥの関係はいいとして、そもそもの吸血鬼と狼の関係はどういうものなのか。
ただルージュの答えは
「さぁの知らん」
だった。
「またかよ……知らないことばかりじゃないか」
今のここといい、さっきの“吸血鬼になるかどうか”のことといい。
「そうじゃ、知らないことばかりじゃよ。ワシは吸血鬼についての知識を、ほとんど持っとらんからの」
「自分のことなのにか?」
「自分のことじゃからと言うて、何でも知っとるわけではあるまい?」
「そうだけど、でもさ」
「なら聞くがアスタ、おぬしは自分がどういう生き物か、詳しく知っておるか?」
「いや……」
魔王のことはひとまず置いておくとして、俺も十八年ほど人間をやってきた。
だけど人間というのがどういう生き物かなんて、学校の授業で習ったこと以外のことは、以上のことは、ほとんど……。
「知らない」
俺は首を横に振った。
「じゃろう? それと同じじゃ。ワシも吸血鬼になりもう随分経つが、その間誰かに吸血鬼についての知識を与えられたわけでもなければ、自ら得ようとしたこともない。じゃからワシは吸血鬼のことなど知らん。知らんったら知らん」
そうか……なら、仕方がないか。
「まあ普通に生きていて、生きてきて、勝手に耳に入ってくるような軽い知識くらいなら持っておるがの」
軽い知識。
それはなんだ。
血を吸うだとか。
影に潜めるだとか。
夜行性だとか。
ニンニクや十字架、日の光や火が苦手だとか。
そんな感じの、俺でも知っているような情報をさしているのだろうか。
「と言うかルージュ、話は変わるんだけどさ」
「何じゃ」
「お前って、お前の生活って、全然吸血鬼らしくないよな」
今の俺が挙げた情報に照らし合わせれば、たまーに血を吸ったり、たまーに影に入ったりすることを除いて。
夜寝て朝起きるし。
ニンニクの入った料理も普通に食べるし。
初めて会ったの教会だし。
日の光も普通に浴びてるし。
何か自分から火とか炎の技なんて使い始めるし……。
「まあの、それはあれじゃ」
「混血の吸血鬼だから、吸血鬼としての本能が薄いとか?」
「ふむ……それもあるかも知れんの。じゃがワシが、ワシの生活が吸血鬼らしくない一番の理由は、ワシ自身が吸血鬼らしい生活をしたくなかったからじゃ」
吸血鬼らしい生活をしたくなかった。
「人間らしい生活をしたかったと?」
「そうじゃ。ワシが吸血鬼の知識をほとんど持たんのも、本当はそれが理由じゃ。持たんのじゃのうて、持ちとうなかった。吸血鬼らしい生活をしとうなかったから、知りとうなかった」
彼女は言う。
知れば意識をしてしまう。
意識をしてしまえばそれになってしまう。
と。
――自分は人間であると思い込んどったおかげか、血を吸いたいとは思わんかったの。
彼女の言葉が脳裏によぎる。
なるほど、そういうことか。
それと知らなければ……それを意識しなければ……。
「ワシはのアスタ……」
「ん?」
「人間になりたかった。人間に戻りたかった」
吸血鬼になったことなど、なかったことにしたかった。
だから吸血鬼であることを否定し、吸血鬼を知ることを拒否した。
そんなことを、ルージュは小さく呟いた。
「吸血鬼になって、閉じ込められ、家族を失い」
悲しかった。
寂しかった。
苦しかった。
辛かった。
「ワシを襲った鬼を怨んだこともあった。ワシを見つけてくれなんだ兄を憎んだこともあった。もちろん自分自身もじゃ」
「……」
「……」
じゃがの。
少し間を置いて彼女はそう言うと、俺の膝から立ち上がり、俺をまっすぐに見つめる。
その彼女の目には、茜色の夕日のような哀愁は一切漂っておらず。
いつものように、赤い火のように、力強く輝いている。
そして破顔一笑。
「今は吸血鬼になって、本当に良かったと思っておる」
その笑みは、年齢に見合う大人っぽい笑みでも、外見に似合う子どもっぽい笑みでもなかった。
とても曖昧な、でも、とてつもなく何かに満ち足りた。
きっとこれが、彼女の心からの笑顔なんだろうと、ふとそう思った。
「ワシを襲った鬼にも、ワシを見つけてくれなんだ兄にも、感謝をするくらいじゃ」
「……」
「確かに吸血鬼になって、悲しい思いも、寂しい思いも、苦しい思いも、辛い思いもたーくさんした。じゃが吸血鬼になったおかげで、ワシは今、本当の家族を手に入れることが出来た」
「本当の?」
「ああそうじゃ」
彼女はまるで宝物を自慢するかのように語る。
「ワシをその腕に抱いてくれる。ワシに美味い手料理を作ってくれる。ワシに鬱陶しいくらいに関わってくれる。ワシを本気で叱りつけてくれる。ワシをいつまでも探してくれる。まあ、そんな、本当の家族じゃ」
家族。
本当の家族。
「そうか」
「あー! ルージュねーさん見っけー! なのだっ!」
突然上から落ちてきた、いや、降りてきたクゥ。
「ワンちゃんまだ見つけられませんの~?」
扉を開け、書庫に入ってきたネネネ。
ルージュはそんな二人を一瞥すると、再び俺の方に視線を向ける。
「なら、もう大丈夫だな」
悲しくも。寂しくも。苦しくも。辛くも。
「当たり前じゃ、おぬしらがおるからの」
言って、彼女はもう一度笑顔を見せた。
「ルージュねーさん、何の話をしてるのだ?」
「毛玉には関係ない話じゃ」
「ずるいのだ! ボクにも教えて欲しいのだ!」
「あぁあぁ分かった分かった。教えてやるから、そう騒ぐでない。ほれ、あれじゃ、皆でかくれんぼをしようという話じゃ」
「みんな? みんなってみんななのだ?」
「そうじゃ、城の全員じゃ」
「賛成なのだー! 上にラブねーちゃんがいたから、ボク呼んでくるのだ!」
クゥは嬉しそうに、デタラメジャンプで上階へと跳んで行く。
「全員って、エメラダいないぞ?」
「あらまおーさま、エメラダちゃんならつい先ほど帰ってきましたわよ?」
とネネネ。
「ああ、そうなんだ」
ナイスタイミング。
「ふむふむ、ようし。それじゃあ第一回魔王城かくれんぼ大会を始めるとするかの!」
ルージュは今日も遊ぶ。
まるで吸血鬼になって失った何かを。
吸血鬼になって失った何もかもを、取り戻すかのように。
今日も読んでいただき、本当にありがとうございました。




