第佰肆拾漆閑 ブラッドレッド・ボルドー・ルージュの場合 丙
「まあ監禁と言っても、衣食住はそれなりにしっかりしておったから、そこら辺はよかったのじゃ。じゃが、それでも精神的にきつかったのぉ」
その声からは、いまいち悲しみを読み取ることは出来ない。
「大好きだった家族と会うことはおろか、話すことも叶わず」
まあ……拒まれていたみたいだしな。
「大好きだった森を駆け回ることはおろか、外に出ることさえ許されず」
まあ……監禁されていたみたいだしな。
「何年も……何十年も……何百年も……」
「何百年も監禁されていたのか」
それは……。
「いや、何百年はちと盛ったかの」
「何だよそれ」
「じゃがまあ百年程じゃ。ここで本当のおとぎ話のように、塔の上に監禁されているお姫様を助け出してくれる、王子様でも現れてくれればよかったのじゃがの。現実はそうはいかん。王子様どころか、おじ様さえ助けには来てくれんかったよ」
「おじ様って、だからル○ンかって」
「ショパンじゃの」
「ショパンなの!?」
確かにボルドーと言ったらフランスの地名で、ショパンと言ったら後半生のほとんどをフランスで過ごしたとされているけど、ここ異世界だよね? 関係ないよね!? 冗談だよね!?
「未来少年さえも来てくれんかった」
今度は名探偵じゃなくて、そっちのコ○ンなの?
「ワシの名前が悪かったのかの? “ク○リス”とか“ラ○”ならあるいわ助けて貰えたかもしれんの」
「いや、名前の問題ではないと思うけど」
大体何繋がりなの? 宮○駿?
と言うか、やっぱりこのネタ、お前がやっちゃいけないネタだよ……。
「まあ何でもよいか」
困ったら何でもいいかのルージュちゃんである。
「そんなこんなでワシが部屋を出られたのは、監禁されてから約百年後。そのときには既に父が死に母が死に、兄も死に。ボルドー王国は完全に崩壊しておったとさ、じゃ」
何なのだろう、とんでもく壮絶な話をされているはずなのに、この緊張感のなさは。
「それからのことは、外に出てからのことは、いまいち覚えておらん。まあ、生きるために仕方なく人のものを盗んだり、人を襲ったりして暮らしておったかの」
年増が逃避行生活なら、ワシは非行生活と言ったところか。
と彼女。
生きるために仕方がなかったのなら、それは非行と書くより、悲行と書いた方がいいんじゃないだろうか。
「後はそうじゃの、前にも言ったとおりこの地に訪れて、ケルベロスに弄ばれ、やっとの思いで教会に辿り着き、そして眠り、何だかんだで起きたらアスタに出会った。これくらいがワシの昔話じゃの」
言い終わるとルージュは立ち上がり、今度は対面するように俺の膝に座ると、俺を見上げる。
「さて、どうじゃったアスタ。これが本には載っていない、ワシの本当の物語じゃ」
どうじゃったと問われてもね……。
「おおそうじゃアスタ!」
「何だよいきなり大きな声出して」
「さっきの名前のネタがきっかけで、一つ、とんでもないことを思い出した……」
「とんでもないこと?」
「ワシの……本当の名じゃ」
「え!? 本当の名って、お前の本名は“ブラッドレッド・ボルドー・ルージュ”じゃないのか?」
俺がそう尋ねると、もったいぶったように、大げさに首を横に振る。
と言うか、本名とかそんな重大な事を、あんなネタで思い出すのはやめろよ……。
「ワシの、いや、ワタシの本当の名は、ミギハヤ○コハクヌシ」
「凄い! 神様みたい! とでも言うと思ったか!」
今度は○と千尋か!
いつまでやるんだよ、その宮○駿ネタ!
「はっはっはっは、冗談じゃよ冗談」
「どこからが冗談でどこからが冗談じゃないのか、もう分からないよ。結局本当の名前とか、思い出したの? そもそもあるの?」
「安心せい、そこら辺はネタではない。本当の名はあるし、それを思い出しもした」
これはアスタにだけ特別教えてやろう。
俺を見上げたまま彼女は言う。
「ワシの本当の名は、スカーレット・ボルドー・ルージュ」
「スカーレット……?」
「うむ、ブラッドレッドではなく、スカーレット。血色ではなく、緋色じゃ」
スカーレットなのかボルドーなのか、何だか色がごちゃごちゃしてるな。
いや、この場合のボルドーは、色ではなく地名なのか?
この世界の名前については、よく分からないけど。
「“ちひろ”ではないぞ?」
「まだ引っ張るの!?」
もしかしてお前はかくれんぼをしてるから探されてるんじゃなくて、神隠しにあって失踪してるから探されてるの?
「まあもっと言えば、ワシの人生は、緋色と言うより悲色じゃったがの。はっはっはっは」
いやいや……笑い事ではないくらいに、悲色で悲行な人生だと思うけど……。
「でもそれじゃあ、ブラッドレッドってのは何なんだ? 間違い?」
ラヴのか、それとも絵本や伝承の。
「それとも異名的なものとかか?」
「さての、そのどちらも可能性はある。伝承やおとぎ話として広まっていくうちに、どこかで誰かが間違えたか、それとも意図的に変えたか」
何だっけ?
こういう書物には、伝承やおとぎ話の書かれた書物には、嘘が書かれていることが多い。
それが故意であろうとなかろうと。
だったっけ?
これも、その一つということか?
「まあ何であれ、今となっては“ブラッドレッド”が本名になってしもうとるがの」
「何だよ、じゃあこれからはスカーレットでいくか?」
「嫌じゃ、ブラッドレッドでよい」
「どうして? いい名前だと思うぞ、スカーレット」
「そうかの? ワシはブラッドレッドの方が、吸血鬼っぽくて最近は気に入っとるのじゃが」
確かに、吸血鬼っぽさで言うと“スカーレット”より“ブラッドレッド”の方が上だ。
「それにアスタ、おぬしはどちらにせよワシを“ルージュ”と呼ぶのであろう?」
「ん? ああ、そうだな」
「なら変えるだけ無駄じゃ。大体、おぬしだけに特別に教えてやると言ったじゃろう、内緒にしておけ」
「そうだったな、内緒にしておくよ」
俺がそう言うと、ルージュは俺に向かって握りこぶしを差し出す、小指だけを立てて。
「何だ? 指きりでもしようってか?」
「そうじゃ」
そんなことをしなくても、内緒にしておくんだけど。
まあいいか。
差し出された彼女の小さな小指に、自分の小指を重ねる。
「ゆーびきーりげーんまん、うーそつーいたーらワシに血をのーます。ゆーびきった」
何それ……針千本飲まされるより怖い……。
「約束じゃぞ」
「分かったよ。これからも名前はブラッドレッド・ボルドー・ルージュ。ルージュのままだ」
ポンポンと頭を撫でてやると、ルージュは満足気に
「うむ」
と頷いた。
今日も読んでくださり、本当にありがとうございました。




