第佰肆拾陸閑 ブラッドレッド・ボルドー・ルージュの場合 乙
「そんな鬼になってしまったワシじゃったが、それでもしばらくはそのまま、普通の人間として、幸せに暮らしておった」
「そうなのか」
「うむ、一年程じゃったかの。まあ今のワシからすれば、一年など、しばらくと言うよりしばたくと言った感じじゃが」
ふむ……やっぱり九百年以上も生きていると、一年なんて瞬きほどの一瞬の早さに感じるんだろうか。
「その間誰もワシが吸血鬼になったことに、吸血鬼なことに、気付かんかったのじゃ。家族や周りの人間だけでなく、自分自身でさえもな」
「分からないものなんだな」
周りだけでなく、本人でさえもって。
「何か特徴とか現れなかったのか?」
「そうじゃの……」
吸血衝動とかはなかったのかと尋ねる。
「自分は人間であると思い込んどったおかげか、血を吸いたいとは思わんかったの」
じゃあ、牙が出てきたりはと今度はそう尋ねる。
「やたらと突出した歯が数本あることには気付いとったが、何せ成長途中、そういうこともあるかと思うたの」
じゃあじゃあ、ニンニクは嫌いにならなかったのかと今度はそう尋ねる。
「少々苦手にはなったが、それも好き嫌いのうちかと思うとった」
じゃあじゃあじゃあ、太陽の光が嫌いになったり夜行性になったりはと今度はそう尋ねる。
「昼間深くて暗い森で遊ぶのを好むようになったり、夜遊びまわることが増えたが、元々おてんばじゃったゆえの」
「自分も周りも、おてんば娘が森や夜遊びを気に入った程度にしか思わなかったと」
ルージュはコクリと頷いた。
「いやこれ完全に吸血鬼だろ……よくバレなかったな」
最初の吸血衝動は省くとして、その他のやつ。その他の三つ。
一つ一つだけならまだそういう解釈も分からなくないけど、全部繋ぎ合わせたらもう……。
「はっはっはっは、確かに今聞けば完全に吸血鬼じゃの」
「今聞かなくても完全に吸血鬼じゃないか」
「いやいや昔は吸血鬼の定義など曖昧じゃった。普通の人間でさえ、吸血鬼だ何だのといちゃもんをつけられ、迫害されることもあったくらいじゃしの」
そうか、まあ九百年以上も昔なら、そうなのか。
「それに、仮にもワシは王家の人間。ワシのことを吸血鬼かもしれんと思うた人間がいたとしても、それを口にする者はおらんかったじゃろうよ」
なるほどね。
「そんな何やかんやが重なって出来た、約一年間の幸せだったと」
「まあとは言え、その約一年間の幸せは、薄氷の上の幸せと言った感じじゃったがの」
「確かに……今にも氷を踏み抜いて、池にでも落ちてしまいそうだな」
いつばれてしまうかも分からない。
ただそれでも、薄幸でもなければ不幸でもなく、多幸だったのだろうけど。
「それで、氷を踏み抜いて、池に落ちてしまった原因は?」
つまり、吸血鬼だと判明した、ばれてしまった原因は?
「文字どおり、落ちたからじゃ」
「池にか?」
「いやいや、影にじゃよ」
影に……?
「あれは何じゃ、確か何かの式典の時じゃったかの。家族や従者、それと大勢の国民の前で、突然影の中に落ちてしまったのじゃ。歩いていたら、こう、シャドーっとな」
何だよシャドーっとって……何の擬音語だ……。
「あの時はビックリしたのう。『あれ? ワタシこんなところに落とし穴作ったかしら』と思うたわい」
さすがおてんば娘、それ以外の場所には作ってあったのか。
と言うか、当たり前のことだけど、ルージュにもワシじゃなくてワタシと言っていた時代が、かしらとか女の子っぽい喋り方をしていた時代があったんだな。
いや、それはいいとして。
「さすがにそれは気付くな」
影に落ちるなんて、普通ではない。ありえない。
しかも大勢の観衆の中でとのこと、言い逃れや、もみ消すことも出来まい。
「うむ。こうして周りもワシも、ブラッドレッド・ボルドー・ルージュが吸血鬼じゃと気付いた」
その日からワシの吸血鬼生活の、そして不幸の始まりじゃったわい。
彼女は両手を上げグーッと伸びをしながら、少し投げやりな風にそう言った。
「不幸の始まり……」
「そうじゃ。まあ国民や従者の目は正直どうでもよかった。きつかったのは家族の目じゃ」
家族、父と母と兄。
「あやつらはワシが吸血鬼じゃと分かった瞬間、手の平を返したようにワシに恐怖し、影に落ち助けを請うワシの手を拒んだ」
あれだけ優しかったのに。と。
「それだけでなく、あやつらはやがてワシを嫌悪し、軽蔑するようになり」
あれだけ愛してくれたのに。と。
「それらは怨み、憎悪といった怒りに変わり」
あれだけ仲が良かったのに。と。
「あらゆる負の感情となり。拒み拒み拒み拒み。コバンザメかというくらいに拒み――」
「いや、コバンザメは拒んじゃいない」
「ほう、そうなのか?」
「うん。むしろ積極的に他者と関わっているよ」
積極的に他の海の仲間たちに吸い付いている。
吸うという意味では、むしろルージュの方が近い。
「まあ何でもよいが。とにかく、大人げのない奴らじゃったわい」
大人気ないとか、そんな感じで済ましてしまっていいものなのだろうか、いい問題なのだろうか……。
「しかもあげくの果てに、城の一室に監禁までしおったのじゃぞ」
「監禁!?」
「そうじゃ。おとぎ話のお姫様よろしく、城の塔のてっぺんにの」
愚痴でもこぼすかのようにそう吐き捨てたルージュは、いまいち何も言うことの出来ない俺を気にすることなく続ける。
更新遅くなってごめんなさい。
今日も読んでいただき、ありがとうございました。




