第佰肆拾参閑 『吸血姫~ヴァンパイア プリンセス~』
「イテテテテ……」
やれやれラヴに貰ったのが結局スキでもキスでもなくキズとは……。
頬のキス痕。
ではなく。
ただのキズ痕をさすりながら、両開きの、華美な彫刻と過度な装飾のなされた、やたらめったら巨大な扉を開け書庫へと入る。
そこは、しんと静かできんと冷たい、初夏とはまったくかけ離れた、雪の降る夜のような空気が広がっていた。
「何度来ても凄い場所だな……」
「まあ、そうね」
ラヴと二人して上を見上げる。
見上げたところで天井など見えないのだけど。
見えるのは闇だけ。
バカみたいに広い円形の部屋。
その壁に沿うように、壁を覆うように備え付けられた棚に、びっしりと並べられた本。
それが果てしなく、どこまでも上へと続いているのである。
どこまでもどこまでも。
まったく、この城は一体全体どうなっているというんだ。
この書庫のことも、そして倉庫のこともそうだけど。
外から見た城の形と、内部の構造が違いすぎる。
「あれ、どこまで続いてるんだろうな……」
「さぁ、行ってみれば?」
「嫌だよ」
どれだけ階段を上らないといけないのか、分かったもんじゃない。
グルグルグルグル、目を回すよ。
それに上まで行けたとしても、きっとそこにあるのは天井や屋根なんかではなく、やっぱりただの闇だろう。
「にしても書庫……じゃなかった、ここ、料理のレシピまで置いてあるんだな」
莫大で膨大な種類の本が置いてあるとは聞いていたが、まさかそんな料理のレシピまであるとは。
「そうね。子供向けの絵本や一般的な書籍、そして学術書や歴史的価値のある書物、更には魔道書、あげくの果てには禁書まで。本当に何でもあるわね……」
まあ全てが本物かどうかは、私は本に詳しくないから分からないけど、とラヴ。
「ってここアンタの城でしょ?」
「……そうだけどね」
ネバネバですし、多分永遠にネバネバですし。
「そうだ、最近気付いたんだけど。ここの本、今もなお増え続けているのよ。しかも自動的に。何なのここ?」
「さぁ……」
移動図書館ならぬ、自動図書館ってか?
「さぁって……まったく。で、アンタはどうしてここに来たの? 何か読みたい本でもあるの?」
「いやぁ……」
特に無いんだよな……ここに来た目的も、そして読みたい本も。
ただ暇だから付いてきただけだし。
「な、何だったらその本、一緒に探してあげても、良いわよ? 一応種類別に並んではいるけど、これだけの本の中から見つけるのは、大変だろうし」
「……」
「そ、それにアンタはバカだし!」
バカは余計だバカは。
「うーん」
読みたい本ねぇ、特にないんだけど……でもせっかくのラヴの気持ちを、無下にするのも嫌だし。
「そうだラヴ、ここには絵本もあるんだよな?」
「ええ、そうね」
「じゃあ、ルージュのことが書いてある絵本もあるかな? ほら、ルージュが初めてこの城にやって来て自己紹介をしたとき、お前、ルージュのこと『子どもの頃読んだ童話の絵本に出てきた』とか言ってただろ?」
ルージュの過去も少し気になるところだし、丁度良いだろう。
まあ絵本じゃなくとも、伝承とかにもなってたと言っていたけど。
伝承が記されたような本なんて難しそうだし……今は絵本で十分だ。
「ああ、あると思うわよ。絵本の棚は……えーっと、あっちね」
ラヴは辺りを少し見渡すと、迷うことなく歩いていく。
「これね」
本は、すぐに見つかった。
「『吸血姫~ヴァンパイア プリンセス~』、はい」
ラヴはそう言いながら本を棚から出すと、俺に手渡した。
「ありがと」
その本の表紙には、黒いこうもりのようなマントを着た牙の生えた男と、それに襲われそうになって怯えている、綺麗な白いドレスを着た髪の赤い女の子が描かれていた。
「にしてもどうしてそれなの?」
「いや、特に理由はないんだけど」
ただ、咄嗟に思い浮かんだだけだ。
「まあいいわ。じゃあ私はレシピを見に行ってくるから」
「んー」
背を向けるラヴに軽く手を上げた後、俺は床にあぐらをかき、そして本を開いた。
「なになに」
それはどこにでもよくあるような『むかしむかし』から始まる、普通の絵本だった。
「むかしむかしあるところに――」
「ワシがおった」
「うぉっ!?」
本の下を潜り突然にゅっと現れたのは、今読んでいる絵本『吸血姫~ヴァンパイア プリンセス~』の主人公であるところの幼女。
ミニスカモノクロドレスを纏ったゴスロリのロリ。
深紅の髪を腰まで垂らしたロリロリのロリ。
ルージュだった。
「びっくりさせるなよルージュ」
「どっきりじゃよ」
「なら大成功だ」
どっこいしょ。
と、あぐらをかいた俺の脚にすっぽりはまり、小さな背中でもたれかかってくるルージュ。
彼女の真っ赤な髪が俺の下半身に垂れ下がる様子は、まるで自分が流血をしているかのようだった。
「してアスタ、こんなところに座って、何を読んでおるのじゃ?」
「何をって、知ってたんじゃないのか?」
「ん?」
「いや、だって『ワシがおった』って、今言ってたじゃないか」
それはつまり自分が出ている物語だと、知っていたということじゃ?
「鷲がおった?」
「いや鳥はいないから」
「足を折った」
「大変だ! 助けないと!」
「鷲は言った」
「何と!?」
「足を折った」
「聞いたよ!」
「鷲は行った」
「あれ行っちゃったの? 足は?」
「足治った」
「回復力!」
「ああ、ワシがおった、じゃったの」
「何だよそれ、もうええわ」
「「どうも、ありがとうございましたー!」」
伝説のコンビ、書庫での迷惑ライブだった……。
「そう言えばそんなことを言ったの、鷲がおった、と」
「だから鷲じゃなくてワシだ」
それともお前は本当に鷲なのか? 鳥なのか? 鳥頭なのか?
物忘れが激しすぎる、早すぎる。
「ああそうじゃそうじゃ、ワシ、じゃな」
「そ」
まあ、言葉にすればどちらも同じだけど。
「お前はトリじゃなくてロリだろ」
「ロリじゃの。そしてトリと言うよりは、吸血鬼はモリじゃの」
「モリ?」
「コウモリじゃよ」
トリとは似て非なるものじゃ。
と彼女は言う。
ふむ……そう言えばコウモリは空を飛ぶけど、鳥類じゃなくて哺乳類なのだっけ。
蝙蝠も鳥のうち、なんて言葉があるけど、あれはまた違うか。
「それで、結局何の本を読んでおるのじゃ?」
「何だよ、本当に知らなかったのかよ」
『ワシがおった』って言ったのは、ただのでたらめのでまかせでか。
ま、何でもいいけどね。
「タイトルは『吸血姫~ヴァンパイア プリンセス~』内容は、知ってるんだろ?」
多分。
「吸血姫……ああ、知っておるとも。読んだことはないが、嫌と言うほどな」
しばらく沈黙した後、ルージュは首だけで反り返るように俺を見上げる。
そして笑った。
「何じゃアスタ、ワシに興味でもあるのかの?」
その笑顔はロリに出来るようなものではなかった。
それこそトリが獲物を捕るときのような、鷲が獲物を狩るときのような目つきだった。
「えーっと、ルージュさん」
怖くなるほどに蠱惑的なその笑みに、俺は困惑する。
「怒ってらっしゃいます?」
「なぜじゃ? なぜそう思う?」
「いやーだってほら、勝手に過去を探るような真似をしてですね」
ルージュはフンッと鼻を鳴らす。
「そんなことで怒るわけなかろう。おぬしらになら、何を知られても嫌では無いわい」
ら。
ね。
「そうではなく、嬉しいのじゃよ。ワシに興味を抱いてくれての」
何なら興味だけでなく、このまま、ここでワシを抱いてくれてもよいのじゃぞ?
彼女は言いながら、健全ではなく嫣然と、唇を舌でなぞる。
「何とんでもないことを口走ってるんだよ!」
「嘴?」
「まさかお前は本当にロリじゃなくてトリなの?」
「ふっ冗談じゃよ。ワシはロリじゃ。じゃから『抱いて』じゃなくこう言えばいいんじゃろ?」
相変わらずの首の痛そうな態勢で彼女は言う。
「抱っこしてっ!」
今度はロリロリな笑顔だった。
「かっ……」
可愛いぃぃぃぃっ!
結局どちらにしろ魅力的で魅惑的じゃないか!
このまま抱きしめて、法律に引っ掛かるようなことをしたい!
「ぬぉぉぉぉ!!」
っておい……落ち着け、俺……。
「ふぅ……」
深呼吸深呼吸。
何だか凄く弄ばれてしまった感があるな。




