第佰肆拾弐閑 魔王VS勇者
食事の間を出て、城にある書庫へと、書架へと向かう俺とラヴ。
石造りの廊下は、息が白くなるまでではないが、とても寒かった。
これから向かうのが書架ではなく初夏ならいいのにと思うほどには、寒かった。
まぁこれでも、エメラダ特製のお茶を飲んだおかげで、少しは和らいでいるのだろうけど。
「そう言えばラヴ」
「ん? 何?」
隣に並んで歩く彼女は、こちらを見ることなく返事をする。
「エメラダはどうした?」
今日はまだ一度も、かのエルフを見ていない。
いつもなら、俺が起きたら必ずと言っていいほど食事の間にいるのに。
珍しく今日はいなかった。
エルフの代わりに、エロ婦ならいたけど。
「まさかまだ寝てるのか?」
「そんなわけないでしょう!? 師匠をアンタと一緒にしないで」
一緒にしないでって……俺はそんなに寝てばかりいないのだけど。
どちらかと言うと俺よりエメラダの方が寝ていると言うか、いつも眠たそうにしているイメージがあるのだけど。
半眼・半目だし、無表情で静かにぼーっとしてるし。
「なら畑か」
「いいえ。家に帰ったの」
「家?」
そうよ、自宅に帰ったの、帰宅したの。
と、彼女は言う。
「何言ってるんだラヴ、エメラダの家はここだろう?」
この城だろう?
「それは分かってるけど。そうじゃなくて。えーっと、実家? つまり帰省したのよ」
「実家……ああなるほど、実家ね」
森の住み家か。
何だか実家とか言うと、エメラダがここに嫁いだみたいだな。
正確には嫁いだんじゃなくて居ついたんだけど。
帰省ならぬ、寄生したんだけど。
いや、寄生はしてないか。
「ほら、今日良い天気でしょ? 雪が降ったりして身動きがとれなくなる前に、新年の挨拶とか色々兼ねていったん戻るって。それがすんだら、すぐこっちに帰ってくるって言ってたわ」
「そっか」
そう言えばエメラダ、城に住むことについては今度親に言うって言ってたけど、ちゃんと言ったんだろうか……。
ま、エメラダのことだから心配は要らないか。
この城で、一番しっかりしているし。
一番しっかりしているのが、見た目中学生くらいの少女っていうのもどうかと思うけど。
と言うかそうなんだよな。
クゥがルージュのことを“ねーさん”と呼ぶのを聞いていると、高校生が幼女に向かって姉と呼んでいるようで違和感があるけど。
ラヴがエメラダのことを“師匠”と呼ぶことについても、高校生が中学生を師としているようで、少しばかり違和感があるんだよな。
まあ姉妹関係ならまだしも、師弟関係なら年上が年下にっていうのはそうおかしくもないのか。
それにエメラダは少女に見えるけど、そう見えるだけであって、実際はいくつか分からないし。
魔の者のことは、俺には分からない。
ルージュが九百年以上も生きているのに見た目は幼女であるように、エメラダだって数十年、あるいは数百年生きているけど見た目は少女、という可能性だってあるのだ。
その点については、ネネネやクゥも同じ。
ただラヴはどうなんだろう……こいつ、肩書きは勇者だけど、種族的には多分人間だよな。
そんなことを考えていると、その問題のラヴが突然
「あっ」
と言って、立ち止まった。
「どうした?」
それに釣られて俺も立ち止まる。
「戻す本、忘れた……」
今更気付いたのかよ……。
「ちょっと待ってて、すぐに取ってくるから」
俺に背中を向け、足早に来た道を戻ろうとする彼女。
「ちょっと待つのはお前だラヴ。その本なら、俺が持ってきてるから」
「え、本当に?」
振り向くラヴに向かって、俺は抱えていた本を頭に乗せて見せた。
「本頭に、ってね」
「……くだらない」
「ひどっ……。ほら、早く行くぞ」
俺は本を頭に乗せフラフラとバランスを取りながら、再び書架を目指して歩き出す。
ラヴはそんな俺にすぐに追いつくと
「ぁりがと……ぅ」
小さくごにょごにょとお礼を言った。
そして隣で、ずーっと、じーっと俺の顔を見つめてくる。
「な、何だよラヴ、俺の顔に何か付いてるのか?」
目か? 鼻か? それとも口か?
「違う」
「なら何だよ、まさかお礼にキスでも――」
「だ、だからキスはしないって!」
「ならスキに――」
「それもならないって言ってるでしょ!?」
「じゃあ一体何をしてくれるって言うんだ!?」
ってこれはさっきやったな……。
「し、心配を、してあげるわよ」
「心配?」
「耳よ耳。ほら……さっき剣を当てたとき、切れてなかったかなって」
ああ、そう言えばさっき、剣ですっぱりいかれそうになったっけ?
そんなこと、すっかり忘れていた。
「何だよ、気にしてたのか?」
まったく、どこのいい奴だよお前は。
「か、勘違いしないで、別にそう言うわけじゃないわよ。それに切れてたとしても、それはアンタの自業自得だし」
まあ確かに俺の自業自得だな……身から出た錆だ。
身から出たと言うか、口を衝いて出たと言うか。
「いやいやでも待てよ? あれは俺の身から出た錆びと言うより、ラヴの胸が出てなかったせいで、って……おっと」
「……アンタってほんっとーに学習しないのね!」
「あは、あはははは」
「いいわ、私がその体にしっかり教えてあげる」
「て、手取り足取りかな……?」
「討ち取り首取りよ!!」
「せめて書き取りでぇぇぇぇ!」
「切り取りよっ!」
「白刃取りぃぃぃぃ!」
――――魔王と勇者の壮絶な戦いが、今始まる!?
ただこの戦いを語るのに、多くの言葉は必要ない。
勇者の堪忍袋の緒が切れた、魔王の頬も切れた。
ただそれだけのことである。
「ひぃぃぃぃえぇぇぇぇ!!」




