第佰参拾漆閑 アリガタロウ
「何とかなりそうですね、魔王さん」
本当にパラシュートとして機能するのかという問題は、どうやらクリアされたらしい。
視界は良好だ。
紙で作った翼は風を掴み、落ちる速度をかなり軽減してくれている。
それでもそこそこの速さはあるけど、まあこれくらいなら大丈夫だろう。
「ギリギリな」
速度についてはまだいい、操縦については、もう本当にギリギリだ。
何たって俺はパラシュートを一度も使ったことがないどころか、一度も見たことがないような、“ど”が十回以上も付くような素人だ。
ヴァイオレットに教えて貰いながらの操縦ではあるが、そんな付け焼刃が通用するような技術ではない。
何とか大それた方向に行かず、一応城の方に向かってるのが奇跡である。
「目標はお城の庭です、頑張ってください魔王さん」
「ああ」
果たして到着できるだろうか。
まあ、例え城の庭とはかけ離れたところに着地してしまったとしても、無事であればそれでいいのだ。
どこであろうが、生きていれば歩いて帰れるのだから。
だからとりあえずその二点は置いておくとして。
目下の悩みは――
「あなたたちのせいですのよ!」
「ワシは知らん! 毛玉のせいじゃ!」
「ボクは毛玉じゃないのだ!」
――この三人娘である。
爆弾を三つ抱えている気分だ……。
「おいお前ら暴れるな、落ちるぞ」
バランスが崩れるというのもあるが、紙にあまり負担をかけたくない。
破れたら、色々終わりだ。
「で? 今回は何をしたんだお前たち」
「ネネネじゃありませんの」
ネネネじゃない、じゃあ。
「ルージュ?」
「ワシでもないわい」
ルージュでもない、じゃあ、え?
「まさかク――」
「ボクなのだ!」
「お前か!!」
まったくもうまったくもう。
「それで、クゥちゃんは何をしたのかな?」
「ボクはご挨拶をしたのだ!」
「ご挨拶?」
挨拶をしたくらいで、どうしてあんなにキレると言うんだ。
「アレのどこが挨拶じゃ」
ため息をつき、仕方がないからワシが話してやろう、とルージュ。
「まあ色々あっての、そこの毛玉とワシと、二人で雲の上を散策しておったんじゃ」
「うん」
その色々と言うのは、ネネネから聞いた。
「いわゆる雲策じゃの」
「うん?」
雲策?
それはよく分からないけど……。
「そうしたらあの巨人がおっての。ワシは興味がなかったから、素通りしようとしたんじゃ。じゃがしかしそこの毛玉が挨拶をすると言い出しての。止めたのじゃが聞くわけもあるまい」
「それで、挨拶をしたと?」
「そうじゃ」
いやいや、この話のどこにキレる要素が?
「そうなのじゃがの? その挨拶が酷くての。そこの毛玉、背後から突然、肩を思いっきり叩きよったんじゃ」
そりゃ、随分なご挨拶だな……。
怒らせるには、十分なご挨拶だな……。
巨人は地面に凄い勢いで叩き付けられておった、と、ルージュでさえ呆れた風である。
「思いっきり叩いてないのだ! ボクは少しポンしただけなのだ!」
ポンしたのクゥちゃん……あの巨大な蛇を一撃でノックアウトするほどの威力があるポンを……。
「クゥ、後ろから突然人を叩いちゃダメだよ」
「カメなのだ?」
「カメじゃなくてダメだ」
確かにかの有名な『ウサギとカメ』の童謡みたいに、“もしもし”ってな具合で話しかけてればよかったんだろうけど。
「ダメだのだ?」
「そうだよ」
「分かったのだ。ごめんなさいなのだ」
シュン、と耳でお辞儀をするクゥ。
「まあ人を呼ぶときに肩を叩く事はあるかもしれないけど、そのときは威力を考えようね?」
「ハイなのだ。次はポンじゃなくて、チョンにするのだ」
反省してるようだからいいけど。
本当にチョンで済むのか心配だ。
チョンパにならなければいいけど……。
そんな、雲の上でのそれぞれの出来事を話しつつ。
風にあおられたり、時には烏にあほーと言われながら、それでも何とか城に向かって降下して行く。
「もう少しですよ魔王さん」
「おう」
地面までの高さ的にも、城の庭までの距離的にも、目算で二十メートルを切った辺りだろうか。
ふと目を畑の方にやると、そこで何やら作業をしているエメラダの姿が目に入った。
俺は我慢できなくなって、思わず叫ぶ。
「おーいエメラダー!」
作業の手を止め、ゆっくりとした動きでキョロキョロと辺りを見渡す彼女。
「こっちだよー! こっちー!」
しばらくしてようやく気付き、エメラダはこちらを見上げた。
「どうだー!? はなー! 綺麗だろー!?」
俺がそう言って上の絵を指さすと、相変わらず無言で絵をしばらく見つめ。
そしてニコッと。
「……笑った?」
ような気がした。
気がしただけかもしれない。
元々感情は表に出さない、表情を変えない彼女である。
それに距離だってまだある。
だから俺の気のせい、見間違えかもしれない。
でも、それでも俺には笑ったように見えたのだった。
ニコッと、フワッと。
「ブチッ」
そう、そうしてブチッと。
ん?
ブチッと?
「もう許しませんの! ワンちゃんGOですの!」
「ガゥなのだ!」
「こっちはジャックンで対抗じゃ!」
「おいお前ら、こんな所で暴れるなって言ってるだろ! 切れるぞ!?」
と言うか切れてるぞ!?
俺の堪忍袋の緒が、ではない。
俺と紙を繋ぐ糸が。
糸と言うかロープが。
ブチッと。
ただ俺が何を言おうと、コイツらが止まらないのはいつものことで……。
「今こそワシとジャッ君の合体技を見せてやる! 装着! くらえ! ジャッ君アタック!」
「痛い! 痛いですの!」
「硬い! 硬いのだ!」
彼女たちが暴れるたびにロープは一本、また一本と切れていく。
「ちょ、お前ら――」
ただでさえギリギリのところで、綱渡り状態で保たれていたバランスだ。
「あっ……」
数十本のうちの、たった数本のロープが切れただけでも、そのバランスは一気に崩れてしまった。
空気を上手く均等に掴めなくなった紙がどうなってしまうかなど、目をつむって想像しなくとも分かる話だ。
「おぉぉぉぉちぃぃぃぃるぅぅぅぅ!」
「落ちだけにですか?」
「言ってる場合かぁぁぁぁうわぁぁぁぁ!!」
結局無事に降りることはできなかったけど、こうして、俺の空の旅の幕は、無事に下りたのだった。
『アスタロウ……アリガタロウ』
あの時エメラダが本当に笑ったのかどうかの証明になるわけではないが、これが、後の彼女の言葉である。
それに対して俺が『ドウイタロウ』なんて返事をして、変な空気になったのは、また別のお話。
名前いじりも、なかなか難しい。
まあ色々あったけど、種も絵も渡せたし、花を切り倒されることもなかったし。
「めでたしめでたし」
「……メデタロウメデタロウ」
珍しくエメラダさんが乱入ですか……と言うか。
「エメラダ、もう名前いじり何でもよくなってない? 『メデタロウ』とか、全然上手くないよ?」
俺の『ドウイタロウ』と同じレベルだよ?
「アスタロウ……ダマロウ」
「……はい」




