第佰参拾参閑 絵をください
「見て見てアスタお兄ちゃん、ヴァイオレットお姉ちゃん」
キューピーちゃんがそう言うので、寝転んだままではさすがに失礼かと思い、俺は腰を上げ。
そして絵を見上げた。
「おぉ」
「どう? 上手い? それとも美味い?」
「いやぁ……これは、上手いよ」
美味くはない、俺は絵を食ったりはしない。
してもせいぜい捲るくらいだ。
「そうなんですか? シカは紙を食べると聞きましたが」
「俺はシカじゃない」
「ああそうでした、バカでしたね。しかしバカも紙を――」
「食べないよ!」
まぁとにかく、絵を描くのが好きだと言っていただけのことはある。
お世辞抜きで、相当に上手い。
それも“子どもにしては”と言う意味では決してなく。
「確かに上手いですね」
ヴァイオレットも、うなるほどだ。
ふむ……巨大な紙に描かれているということもあるのかもしれないが、この、まるで本物を見ているかのような、圧倒的な存在感。
「ほんとに? ……エヘヘ。実はここに花を登ってるお兄ちゃんも描いたんだ」
「お、本当だ」
絵の中の花の茎には、花を登っている俺の姿が描かれていた。
ただ、ほぼただの黒い点なので、俺かどうかはよく分からないけど……。
それでも、こんな綺麗な絵に自分も入れてもらったというのは、なかなか嬉しいことだった。
「何だか花にしがみ付くアブラムシみたいですね、魔王さん」
「お前それ絶対エメラダの前で言うなよ?」
またぞろ、アスタムシだのアブタロウだの言われること間違いなしだ。
「ま、アブラムシみたいなのは魔王さんが悪いとして、細かいところまで描かれていて、凄くステキですよキューピーさん」
「ありがとうお姉ちゃん。でもなぁ……」
いまいち納得の行かないような表情をする、キューピーちゃん。
「失敗したって言うけど、どこを失敗したんだ?」
絵の素人である俺から見れば、言われなければどこが失敗なのか、よく分からない。
「ここがちょっと」
キューピーちゃんが指したところをよく見てみるが、それでもそれが失敗なのかよく分からなかった。
確かに線が少しうにゃっとなってるけど、俺から見れば、それもまた味があるように見える。
「いや、それでも十分だと思うよ?」
「う~ん…………やっぱりもう一枚描き直す!」
「描き直すの?」
「うん、ダメかな?」
「いいや、それは全然構わないけど」
描くなと言う権利も、そして理由もないし。
どうせ俺も絵を描かないといけないし。
「ただキューピーちゃん、その前に一つだけ。お父さんはここに来た?」
茎を下りて来たときには、まだ来ていなかったみたいだけど。
俺が気を失っている間に、来たかどうか。
花の件は、どうなったのか。
「ううん、まだ来てないよ」
まだか。
なかなか時間がかかってるな。
「家ってそんなに遠くないよね?」
「うん。どうしたんだろう、何か他の事をしてるのかもしれない」
「そっか。まあいいや」
最終、倒されなければそれでいいのだ。
早くお父さんに了承を得て、安心したいという気持ちはあるけど。
「それじゃあ俺も絵を描くよ、キューピーちゃん」
「うん。わたしももう一枚頑張るぞ!」
言って、キューピーちゃんは失敗した絵を投げ捨て、再び絵を描く準備を始めた。
それを真似するように、俺も近くに置いてあった、落ちてあったカバンの中から、絵を描く道具を取り出す。
「あのですね、魔王さん」
と、絵を描く準備をしている俺の頭の上から、ヴァイオレット。
「どうした?」
「その失敗したキューピーさんの絵、貰ったらどうです?」
「え? 絵?」
「はい。だって、魔王さんが描くよりも、絶対上手じゃないですか」
それにせっかく描いたのに、もったいないですし。
後、少し案がありまして。
と彼女は言う。
「案?」
「はい、名案です。ですがまぁそれはまた後で、今は絵を貰うかどうかです」
「う~ん」
名案とやらも気になるけど……迷案でなければいいけど……。
そんな気持ちはひとまずしまって、俺は、無造作に雲の上に置かれたキューピーちゃんの絵を見つめた。
「確かに」
ヴァイオレットの言うとおり、俺がどれだけ本気で描いても、どれだけ会心の出来だったとしても、あの絵には遠く及ぶまい。
この絵を貰って帰った方が、持って帰った方が、花の大きさも、そして綺麗さもエメラダに伝えることが出来るだろう。
それにこれまたヴァイオレットの言うとおり、こんなに上手な絵を、多少ミスしたからといって捨ててしまったりするのは何だかもったいない。
それならば絵を貰えば、それで全て解決だ。
「何ですか魔王さん、まさか『この綺麗な絵より、俺の心の籠もった汚い絵の方が喜んで貰える』とか考えてるんですか?」
「いやいや、そんなことは考えていないけど……」
心の中が読めるくせに。
「ちなみにそのセリフは、死ぬまでに言ってみたいセリフランキング外です」
ランキング外かよ。
「俺的にはそんなに悪いセリフじゃないと言うか、考え方ではないと思うぞ?」
俺は言わないけど。
「まぁ私もその考え方は悪くないとは思いますが。魔王さん、問題はあなたです。あなた、絵に心とか込められるんですか?」
「いや、俺にだって心は込められるよ?」
絵心があるかどうかは別として。
「心って言っても、どうせ下心とかでしょう?」
「し、下心だって立派な心だ!」
「それから後は出来心ですかね?」
「で、出来心だって立派な心だ!」
「下心に出来心が立派な心ですか。さすが魔王さん、さすが天馬さん。言うことが違います」
天馬って……。
確か、天を駆ける馬は『天馬』と書いて『ペガサス』と読むけど、迷惑をかける馬鹿は『天馬』と書いて『マガサス』と読むんだっけか?
「関係ないけどさヴァイオレット。『天魔』の方が『マガサス』っぽくないか?」
「そうですね。それにそっちの方が魔王さんぽいですし。検討します」
検討はしなくてもいいんだけど……。
さてと。
まぁ絵をプレゼントするのが目的なら、ヘタでも俺が心を込めて描いた絵をエメラダに贈るけど、今回彼女に届けばいいのは俺の気持ちではなく花の綺麗さだ。
おとなしく絵を貰おう。
いや、その前に貰っていいのか、キューピーちゃんに聞かないと。
絵を描いてるところ悪いんだけど、と、俺はキューピーちゃんに声をかける。
「なぁに? お兄ちゃん」
「この絵、貰っちゃダメかな?」
「これ? 別にいいけど、失敗してるよ? そんなのでいいの? それとも、そんなのがいいの?」
「どっちもだよ、これで十分だし、これがいい」
この程度の歪みで失敗と呼ぶならば、俺が人生で描いてきた絵など、どれも大失敗作だ。
「それならいいよ。あげる」
「ありがとうキューピーちゃん」
「どーいたしまして」
そんな短いやり取りを交わし、彼女は再び筆に意識を集中させた。




