第佰弐拾玖閑 死んだらしいんだ
目を覚ましたら……とか、久々に言いたいところだったけど、そもそも俺は意識を失ったという記憶がなかった。
あるのは、雲の中に引きずり込まれた、という所までの記憶。
何だ、そのショックで、衝撃でブラックアウトしてしまったのだろうか。
いや、ブラックアウトと言うべきなのか、ホワイトインと言うべきなのか。
この真っ白な空間はなんだ? どこだ?
雲の中だろうか。
ここが雲の中? どこまでも続いていそうな、この宇宙のような空間が?
そんな馬鹿な。
だいたい雲に向かって、地表に向かって引っ張られたにもかかわらず、宇宙のようないうのも、おかしな話だけど。
でも雲の中と考えるのが、妥当なんだよなぁ。
ん? ちょっと待てよ?
俺の最後の記憶は、『雲の中に引きずり込まれた』じゃないじゃないか。
引きずり込まれて、そして――『まるで落ちるときのような独特の浮遊感に襲われた』
それが俺の最後の記憶だ。
おいおいおいおい、そうなってきたら、ホワイトインとか言ってる場合じゃない。
ブラックアウトでもない。
もしも雲の中に引きずり込まれたんじゃなくて、雲をを突き抜けて、地面に向かって落ちたのだとしたら……あの高さから地面に直撃したのだとしたら……。
アウトと言うより、デッド。
そしてレッド。
真っ赤になって、死亡。
ふむふむ……となると、ここがどこなのか。
分かってきた。
いや、分かっていた、なのかな。
ここは雲の中でもなければ、宇宙でもない。
この真っ白な空間、『宇宙』じゃなくて『空白』と呼ぶべきこの場所は。
突拍子もない展開だけど、いつものあの天界だ。
その証拠に、目の前にはいつの間にか神と、女神様みたいなナース天使さんが立っていた。
やれやれだ。
結局天界に来てしまった。
「おいおい桜満明日太よ、天使にはさんをつけて、ワシは呼び捨てか?」
お神さんと女神様?
「確かにちょっと丁寧になりはしたが……それはちょいと違うじゃろう」
何だ、様も付けて欲しいのか?
それならお神様?
ああ、男神様か。
とにかく、今目の前には、男神様と女神様が立っていた。
「やあ男神様と女神様、お久しぶり」
「桜満明日太さま、私は女神では、神ではありません」
ミカではありますけど、と、女神様のような天使さんは言う。
「ミカ?」
「はい。私の名は、ミカエルですから」
見返る? うん、確かに見返してしまうほどの美人だ。美天使だ。
って、ミカエル!? ミカエルって言ったら、あの大天使の?
天使に特に詳しくない俺でも知っている。
このナース服の天使さん、そんなに凄い人だったのか……。
「まあ、ミカエルというのは私の個人名ではなく、該当する大天使の総称と言うか、称号と言うか、地位名みたいなものですが」
「へぇ、そうなんですか」
「はい。だからミカエルと呼ばれる天使は、結構たくさんいるのですよ」
そんな俺と天使さんの会話に、ごほん、と咳払いをして割って入ってきたのは、男神様。
「お主ら何をわけの分からん会話をしとるんじゃ? と言うか、ワシのことを忘れてやせんかの?」
「何ですか神様。何の用ですか神様。大体さ神様、神様は神様なのに、俺ばっかりに構ってていいのか?」
「構ってていいのか、じゃと……」
誰のせいじゃと思うとるんじゃ、と渋い顔で白い髭を撫で下ろす神様。
何だか俺のせいみたいな流れになっているけど、元はと言えば神様のせいなのだけど。
自分が間違えたせいではないのか。
「むぅ……それにの桜満明日太よ、ワシとてお前にばかり時間を割いているわけではないわい」
こう見えてワシも色々と忙しいのじゃぞ。
言って、神は再び髭を撫でた。
まぁ、神なのだから、忙しくて当たり前だろう。
俺だって神が暇だとは思っていない。
「それでもこうしてお主に会う時間が取れるのは、神と呼ばれる存在が、ワシ一人ではないからじゃ」
「か、神様、そんなに必死に弁解しなくとも、神様が暇だとは思ってないって……。それより神様、神様は一人じゃないんだな」
いや、一柱と言うべきなのか?
よく知らないけど。
「まぁの。確かにあらゆる物を超越した力を持ってはおるが、それでも出来ることと出来ぬことがあるからの。だから、天使も言っておったじゃろうミカエルはたくさんおると。それと同じようなものじゃ、神もたくさんおる」
ふむ……全知全能ではないと。
「ほれ、お前の国の言葉にちょうどよい言葉があったじゃろう……ほれ、なんじゃったかの……あのぉ……」
遠い目をする神様。
全知全能と言うより、認知症って感じだな。
「誰が認知症じゃ。あぁあぁ思い出したわい“八百万の神”じゃ。知っとるじゃろう? たくさんの神がいて、皆それぞれの役割を担っとるんじゃよ」
「八百万の神? 知らないな。嘘八百の神なら知ってるけど」
嘘八百の神。
それは目の前にいた。
「ワシがいつ嘘を吐いたと言うんじゃ」
さて、いつだったか。
「そんなことより、その八百屋の神様は――」
「いや桜満明日太、ワシは野菜など売っとらん」
「八菜?」
「それは、無理矢理過ぎやせんかの?」
神様は困ったように眉毛を八の字に歪めた。
「無理八理?」
「……」
まあ無理矢理になってしまうこともあるだろう、十八年も生きてるんだ。
「いやいやお主死んどるし。まあ、よう分からんが――」
「八分からんが?」
「…………」
とうとう口を閉ざし、泣きそうな顔になる神様。
これぞ泣きっ面に八。
見たかバカめ、いや、バカミ。
八八八八と、いや、パチパチパチパチと手を叩いたのは、ナース服の天使さん。
「桜満様、神を半泣きにさせたのは評価しますが――」
評価してくれるのか……。
「そろそろ神の話を聞きなさい」
「八なし、ですか?」
「……」
神様と違って、天使さんは俺のボケなどスルーする。
「そして神もさっさと用件を伝えなさい」
「す、すまんのぉ」
八件、ですか?
そう言おうと思って声を出そうとしたが、その前に天使さんの視線が鋭く俺に突き刺さる。
「ひ、ひぃ」
殺気立った天使さんの目。
相変わらずの殺気だった。
「桜満様、黙ってて貰えますか?」
「八、いや間違えましたごめんなさい、はい」
「……やれやれ」
ごめんなさいをする俺を見て、ため息を吐いた神様。
「桜満明日太、お主はよくそんな余裕をかましておれるの、この状況で」
「ん?」
似たようなセリフを、俺はヴァイオレットに向かって言ったような気がするけど。
ただあの時はそう言うべきときだった。
巨人に、今まさに食べられそうになっていると思っていたのだから。
でも今はどうだ? 余裕をかましていられないような状況か?
そんな切羽詰ってるとも思えないけど。
「この状況って、いったいどんな状況だよ神様」
「お主、どうして天界に来たのか、自分でどういう風に予想した?」
「えーっと」
前のときもこんなやり取りがあったような、なかったような。
「雲を突き抜けて、雲から落ちて、地面に叩きつけられて、死んだから。だと思ったんだけど、それが何か?」
「いやいやお主、それ焦れよ……」
「焦れって、確かに死んでしまったことについては焦りたいところだけど、神様が何とかしてくれるんだろう?」
神様は、簡単に言ってくれるのぉ、お主が今日手に入れた金の玉は花の種であって、願いを叶えてくれる玉などではないぞ、と言った後、あれ、と首を傾げた。
「何だよ神様」
「おかしいの、ワシ、お主に言っておらんかったかの?」
「何をだよ神様」
「異世界で死んだら、どうしようもない、と」
「え……?」
「もう生き返ることは不可能じゃぞ、と」
「えぇ……?」
そんなの関係ねぇ、と。
間違えた。
そんなの聞いてねぇ、と叫びたいところだったけど、口から出るのは
「えぇぇぇぇ!?」
そんな言葉だけだった。
「神、あなたは言い忘れたことまで忘れたのですか、本当に……」
「ああ、そうじゃ、言い忘れたのじゃったか。テヘッ」
「キモイです」
「むぅ」
俺をよそに、そんな軽いやり取りをしている神様と天使さん。
「え、えぇ? ちょ、神様、え? えぇ?」
「まぁまぁ落ち着け桜満明日太よ」
焦れと言ったのは、どこのどいつだ。
「今言ったとおり、異世界で死んだらもう生き返ることは出来ぬ、かと言って元の世界に帰ることも出来ぬ」
「出来ぬって、神様だろ?」
「言ったじゃろう、ワシにも出来ることと出来ぬことがあると。まぁじゃから、異世界での死は、お主にとって最悪の状況じゃな」
「ちょっと待ってくれよ、じゃあ俺の異世界生活は、いや異世界生活どころか人生は……?」
ここで終了なのか……?
嘘だろ……?
なんだよ、この唐突なシリアスパートは……。




