第佰弐拾捌閑 彼女の辞書に「自重」の文字はない。
「それで、まおーさま。まおーさまはどうしてこんなところに? まさかネネネに会いに来てくださったんですの?」
ネネネはようやく、本当にようやく、まともに話を先に進めた。
「エメラダに頼まれたんだよ。この花の種を採って来てって、この花の絵を描いて来てって」
「ではネネネも」
まともに話を進め始めたのも束の間、本当に束の間、ネネネは俺の下半身に手を伸ばし始めた。
「何がでは、だ、何をしている」
「いえ、ネネネもまおーさまのお花から、種を採ろうかと思いまして」
「……採らなくていいの。これは花じゃないの」
俺は彼女の手を取り、その動きを制止する。
「せいし……ぽっ」
「……」
さて、ネネネのことは、ひとまず放っておいて。
種は中にあるだろうとふんで、ここに来てみたはいいが、目標の種はどこだ?
辺りを見渡すもそれらしきものは見当たらない。
視界に映る種は、花の種ではなく、悩みの種だけだ。
と言うか、花の種って、こんなまだ花が生き生きしている時期に、採るものなのか? 採れるものなのか?
もっと花が枯れてしまって、茶色くなって、カラカラのカリカリになってから採るものだと、採れるものだと思っていたんだけど。
実際小学生のときに育てたアサガオは、そうして種を採った思い出があるし。
いや、まあエメラダが採って来いと言うんだから、採れるんだろうけど。
こんなデタラメな大きさの、見たこともないような種類の花に、地球の常識が通じるとも思えないし。
だから採れるんだろうけど。
ただそれならば……種は、どこだ?
「なぁネネネ、この花の中で、種っぽいもの見なかったか?」
「たねっぽいものですの? ……う~ん、見てないですの。たまっぽいものなら見ましたけど」
たまっぽいもの?
何だそれは。
「ちょっと待って下さいですの。えっと確かここに……」
そう言いつつ、胸の谷間に手を突っ込むネネネ。
「んっ……あっ、あんっ……」
「……」
「あぁ、ありましたの。これですの」
彼女が差し出したその手の平の上に転がっていたのは、二つの、飴玉ほどの大きさの、金色の玉だった。
たまっぽいもの。玉っぽいもの。
なるほど玉っぽい。ぽいと言うか、玉だ。
「まおーさまの金玉みたいだったので、拾っておいたんですの、おほほのほ」
「金玉とか言うな」
それに俺の下半身はこんなに輝きを放ってはいない。
「なら睾丸ですの?」
「たとえ“こうがん”だったとしても、漢字は『黄丸』こっちだ」
「金玉じゃなくて、黄丸ですのね」
まぁ読み方は黄丸でも黄丸でも、どっちでもいいけど……。
「それで、それ、どこで拾ったんだ?」
「拾ったと言うか、オスベとメスベのエッチの手助けをしていたら、急にメスベが光り出して、そしたらこれが出てきたんですのよ」
ふむ……オスベとメスベ、もといオシベとメシベのエッチの手助けをしていたら出てきた、か。
「ネネネ、エッチの手助けって、受粉の手助けってことでいいんだよな?」
「まあそうとも言いますの」
となると……。
「あの玉が、種なんではないでしょうか、魔王さん」
俺と同じ答えを出したヴァイオレット。
「ああ、まあ多分だけど、そうだろうな」
玉ではなく、種。
「あら、ではこれがまおーさまのお探しの品ですの?」
「うん、多分な。偶然とは言え、ネネネが拾ってくれていて助かったよ」
種を探す手間が省けたおかげで、随分と時間短縮になった。
これで絵を描く方に時間を割ける。
と言うか、そもそも俺だけなら、どれだけ時間をかけても、種を手に入れられなかったかもしれない。
受粉をさせようだなんて、思いもしなかっただろうから。
いやぁ、そう思うと、ネネネがここにいてくれて本当によかった。
こいつの奇行もたまには役に立つ。
今回の奇行の奇は“奇抜”の奇ではなく、“奇跡”の奇だ。
「たまたま手に入れた玉々(たまたま)だなんて、シャレてますわねまおーさま」
シャレてるんじゃない、それはただの駄洒落だ。
「そんな駄洒落はラヴにでも……」
いや、下ネタはラヴには厳禁か。
確実に切りつけられる。
それも俺が。
「まぁとにかく、ありがとうなネネネ」
今度は俺が、ネネネに向かって手の平を差し出した。
すると彼女は一瞬キョトンと目を丸くしたかと思うと、ワザとらしく体をくねらせ、俺の手の平の上に自分の手の平を重ねた。
「いやいやネネネ、お前は何をしているんだ?」
どうしてこんな『お嬢さん、僕と一曲踊ってくださいませんか?』『はい』みたいになってるんだよ。
「俺が欲しいのは、置いて欲しいのは、お前の手じゃなくて手の中にある種だよ?」
「ベッドの中で一曲踊りましょう?」
「踊りません。種を俺にください」
「嫌ですの」
なん……だと!?
「だってネネネがせっかく手に入れた金玉ですもの」
「そうかもしれないけどさ」
だ・か・ら。
そう言って、ネネネは悪戯っぽく、悪魔っぽく微笑む。
「ただで差し上げるのは、嫌ですの。交換しましょう?」
「交換? 何と?」
「まおーさまのき・ん・た・ま。つまり、睾丸と交換ですの。ねっ?」
「ねっ、て出来るか!!」
「……で切る、ですの。剣で切る、ですのよまおーさま」
ひぃっ!?
ニッコリだった。
その笑顔が怖い、可愛くない怖いい。
何だこいつ、急に逸花みたいになりやがって。
いやまあ、逸花に比べたら、まだまだ可愛いものだけど。
あれ? そう言えば、逸花にも去勢されそうになってたんだっけ?
「あのなあネネネ、そんなの無理に決まって――」
「まおーさま……逸花って、誰のことですの?」
「――っ!?」
ネネネのピンク色の目は、突如として真っ黒に、真っ暗になった。
それはもう、それこそ、あの遊佐逸花のように。
「や、やめろネネネ。おお、お前までヤンデレ化するな、お前はいやんデレくらいでいてくれ」
もしネネネが逸花化してしまったら……。
そんなこと、考えるだけでも恐ろしい。
つまり両手に花ならぬ、両手に逸花と言うことだ。
そんなもの、俺にはもうどうしようもない。
逸花は、一人でさえも対処しきれないのだから。
「いやんいやんですのっ、もう、冗談ですのよまおーさま」
ニッコリ。
今度の笑顔は怖くなかった、可愛かった。
「ネネネはまおーさまの貞操は奪っても、精巣までは奪いませんの」
これも、差し上げますの。
と、ネネネは俺の手の平の上に、ポンと金の種を置いた。
「あ、ありがとうネネネ」
「その代わり、今夜、ベッドの中で一曲踊ってくださいですの」
「生憎ダンスは得意じゃないどころか、やったこともないんだけど」
「大丈夫ですの、ただ腰を前後に動かすだけですもの。必要とあらば、ネネネがリードいたしますし」
腰を前後に?
足を前後に、の聞き間違いか言い間違いならいいのだけど。
まあ、今夜のことは、今夜考えよう。
今は花のことだ。
早く下に下りて、花の絵を描かないと。
せっかく時間短縮が出来たんだから、こんな所で無駄には出来ない。
ラヴのお弁当も、食べないとだし。
「ネネネ、俺は下に下りて花の絵を描くけど、お前も行くか?」
「ええ、イキますの」
ヴァイオレットはもうここには用はないだろ、降りるぞ?
そう声をかけようと思って頭の上へと意識をやると、かすかにだが『すーすー』と寝息のようなものが聞こえた。
「あらあらヴァイオレットちゃん、眠ってしまってますのね」
こいつ……静かだと思ったら……。
まあ小人からすれば、魔王城の庭に来るだけでも大冒険だったんだろうから、仕方ないか。
「よし、それじゃ、下りますか」
入ってきたのと同じように、真っ白な花びらを押しのけながら、花の外へ出る。
「ねぇまおーさま、まおーさまは、花の絵をお描きになるんですのよね?」
「うん、そうだよ。よいしょっと」
「ネネネも、まおーさまのまおーさまをスケッチしても――」
「しなくていい」
「ならエッチを」
「しなくていい」
「ならワンタッチ」
「しなくていい」
「ぶーですの。ならまおーさまが花を写生なさっている間に、ネネネはまおーさまのまおーさまを射せ――」
「しなくていい!!」
そんな会話をしつつ、茎を下りて行き。
未だに花の絵を描いているキューピーちゃんと、報告を兼ねた会話を交わしながら
「よっと」
雲の上に、着地した瞬間だった。
「うおっ――!?」
ズボッと。
ゴボッと。
突然、足が雲に突き刺さってしまったかような、足が雲を突き抜けてしまったかような感覚にとらわれる。
そしてそのまま、足は、足どころか体も、雲の中に引き摺り込まれる。
って、引きずり込まれると言うよりこの感じは――
「お、落ちる!?」




