第佰拾玖閑 『ウラヤマシイ』略して『ウマ』
「よっこらしょっと」
魔王城の庭。
の。
巨大な花の根元。
ここに来る前に倉庫から取ってきた、絵を描くための道具や、登るための道具、そしてラヴの作ってくれたお弁当が詰まったカバンを一度地面に置き、あらためて俺はそれを見上げた。
「首が痛い……」
高さもさることながら、茎の太さも半端ではない。
顔を動かさずに、目だけで端から端までを見渡そうなどという、無謀で無駄なことに挑戦すれば、今度は――
「目が痛い……」
更にそんな茎の元から、豪華客船のような葉が左右一枚ずつの計二枚、分かれて伸びている。
アレだけの大きさがあれば、海に浮かべて航海くらい余裕で出来そうだ。
いや、まああんな葉っぱで大海原に漕ぎ出せば、するのは航海ではなくて、確実に後悔なんだろうけど。
まあとにかく、上下左右ともに、視界には収まらないほどの大きさの花だ。
「さて」
目指すは、この矛のように雲を突き刺す茎の先に咲き誇る花。
その花の絵を描いて、種を取ってこればミッションコンプリート、と。
「はて」
だがどうやって登ろうか。
昇った方が正直早いんじゃないかとさえ、思えるんだけど……。
まぁ幸い、茎の表面は結構ごつごつしているし、何だか薄い毛のようなものも生えていて、掴むものには困らなそうだ。
と、茎の表面を真剣に観察していると。
「……?」
何やらそこに矢印のようなものが書かれているのに気付く。
上向きに『↑』と。
何だろう、登りやすいルートを誰かが刻んでくれてたのだろうか、それならばありがたい。
そう思い茎に近づいてみると、それは矢印ではなかった。
「……」
書いてあったのは、相合傘。
「……」
そして名前が。
『まおーさま』『ネネネ』
「はぁ……」
全然、全く、ありがたくなかった。
そんな気持ちは、有り難かった。
何をしているんだあいつは。
やれやれ、そんな上手い具合に、登りやすいルートが書いてあるわけもないか。
仕方ない、地道に登っていこう。
地道にと言うか、目指す場所を考えると、地道と言うよりは天道って感じだけど。
「よっと」
地面に置いたカバンを手に取り、背負う。
そしていざ、と、茎に手を伸ばしたところで
「これはこれは、バカさん」
と、どこからともなく声が聞こえて来た。
その声は
「どこからと問われれば、まぁ下からなんですけどね、真下からなんですけどね。舌からと言っても過言ではありませんが、実際はのどからです」
などと続ける。
この声は聞いたことがある。
「よう、ヴァイオレット」
言われたとおり真下を見ると、俺の足元には、紫色の髪の毛をポニーテイルに結わえた小人、ヴァイオレットが立っていた。
俺と同じように、大きなカバンを背負って。
俺が花を見上げるのと同じように、俺を見上げて。
「相変わらず読心術を使いやがって」
俺はいったん登るのをやめ、その場にしゃがみ込む。
「私は魔王さんへの愛変わらず、独身を貫いておりますよ? いい加減、そろそろヒモにして欲しいものです」
「紐じゃなくて、綱にならなってもらいたい状況だけどな」
命綱なら、欲しい。
「妻にならなりますけど」
「丁重にお断りいたします。それにしても、久しぶりだな」
毒キノコ事件の後、謝りに来てくれたときに一回会って以来か。
少し見ないうちに、随分大きく……は、なっていなかった。
こちらも相変わらず、小さな手乗りサイズだ。
「ま、元気そうで、何よりだよ」
「はい、お日様ぶりです、バカさん。そちらこそ、能天気そうで何よりです。バカさん」
「さっきから……バカバカ言うな」
「あれ? 魔王さんってバカじゃありませんでした?」
「違うよ、むしろ逆だよ」
天才。
「あぁあぁ、そうでしたそうでした、カバでしたねカバ。カバさんヒポポタマスさん」
「その逆じゃねぇ! 俺はあんな鯨偶蹄目カバ科の動物じゃない!」
いや、まあ確かにさっき、魔王タマだのアスタマだの、タマタマタマタマ言われたけど。
「かバカ! いえねしかし下位隅底目カバ科のアスタマスさん――」
「……」
ツッコミどころが多過ぎて、さすがに対応しきれなくなってきた。
「カバって『川』と『馬』でカバと書かれたりしてるじゃないですか?」
まあ『河』でも何でもいいですけど、とヴァイオレット。
それについては初耳だった。
「それがどうした?」
「馬ですよ? 馬。 バカの馬鹿の『馬』ですよ? どこの馬鹿の骨とも知れないバカさんには、ぴったりじゃないですか!」
「かバカ! 全然ぴったりじゃないわ!」
大体なんだ、どこの馬鹿の骨とも知れない、って。
「あのなヴァイオレット、俺もたまには、気付かずにアリを踏んでしまうことだってあるんだぞ?」
「あわわわわ、ナシですナシ! 今のは全て冗談です! 魔王さんは、天災――じゃなくて、天才です!」
「久しぶりの、小人ジョークなのか?」
「イェス! イッツ! 小人ジョーク!」
「「HAHAHA!!」」
ヴァイオレットは、人の忠告を聞き入れられる子だった。
「私の耳は、馬鹿の耳ではありませんからね」
「馬だ」




