第佰拾捌閑 イエスかキリストかで答えなさい。
「種を取れば……明日には萎む……縮む」
「……?」
一瞬エメラダが何を言っているのか、何が萎むのか、縮むのか分からなかったが、種を取ると言えば一つしかない、鼻ではなく花のことだろう。
俺は、鼻の種と言えば鼻くそなのか、いや、鼻くそは“鼻の種”ではなく“鼻のきたねぇ”なのか、とか、そんなエメラダに怒られそうなことを考えながら
「そうなんだ」
と、答えた。
「……そう」
その言葉を聞いて立ち上がったのは、俺ではなくラヴだった。
この『立ち上がる』が、『決起する』的な意味合いならよかったのだがしかし、この『立ち上がる』は文字どおり、ただ椅子から体を浮かしただけだ。
そして無言のまま彼女は食事の間の先の厨房へ向かい、そこから何やら籐のカゴを持ち出して来たなと思ったら
「んっ」
それを俺に突きつけた。
「ん?」
「お弁当よ。これ持って、行ってきなさい。ピクニックに」
クリニックの間違いじゃないだろうか……?
「登ってこいと?」
「そう、のぼってきなさい」
「それは登るなのか? 昇るなのか?」
なぜ平仮名なんだ。
「それはアンタの返事次第。YESが登るで、NOが昇るよ」
「酷い!」
拒否権がない!
「ごちゃごちゃ言ってないで、いってきなさいよ」
「また平仮名だ!」
「YESなら行く、NOなら逝くよ」
「アスタロウ……のぼる? いく?」
エメラダも、平仮名だった。
俺をじっと見つめる、碧い瞳と、翠の瞳。
「う……わ、わかったわかったよ。YESだ。登るよ、行くよ」
まったく、しょうがないな。
カスタマーサービスならぬアスタマーサービスが、お客様、エメラダと町民のご要望を承りましょう。
「それで全部解決するんだろ?」
エメラダのお願いの件も、町民の不安の件も。
「そうよ。それにいいこともたくさんあるじゃない。師匠に喜んで貰える……かもしれないし。町の人との関係性をよくできる……かもしれないし。そ、それに、私のおいしいお弁当を食べられる……かもしれないし」
他の二つはいいとして、お弁当を食べられないという可能性があるのか……。
「ただラヴ、登るのは、行くのはいいとして、少しだけ条件がある」
条件……? と揃って首を傾げる、ラヴとエメラダ。
「そ、条件。何たって命を賭けるんだからな」
落ちることに定評のある俺でも、さすがにあの高さから落下すれば、命が欠ける。
死亡する。脂肪を撒き散らし。
一溜まりもなく、血溜まりになる。
まぁ町の人との関係性については、これは償いみたいなものだから置いとくとして、だ。
「その報酬がエメラダに喜んで貰える、ラヴのお弁当が食べられるじゃあ……」
「何? 足りないってわけ?」
頷く。
「ちょっとね」
エメラダが喜んでくれる+ラヴのお弁当が食べられる=俺の命
の式は、まだ成り立たない。
『≠』じゃなくて『≒』かもしれないけど、少し足りない。
これでは士気も奮い立たない。
だからそれを満たすための条件。
ラヴはそれを聞くと何だか微妙な表情になった。
文句を言いたいが、命がけのところに行かそうとしてる側だからと、抑えているのか。
それともどんな条件を出されるのかが、不安なのか。
「まぁそんな無茶な条件は出さないよ。何も必要じゃないし、時間もかからない。今ここですぐに、簡単に出来ることだ」
「な、あ、あんた! 何か変なことを考えてるんじゃないでしょうね!?」
ラヴは顔を赤くして、両手で自分の体を隠すように抱く。
「むっ胸は揉ませないわよ!?」
何を言い出すかと思えば……変なことを考えているのはお前だラヴ。
俺はそんなこと、微塵も考えてはいない。
そんなことをすれば、俺はお前にみじん切りにされてしまうではないか。
大体何だ? コイツは俺を変態か何かと勘違いしてるのか?
まったく、失礼なやつだ。
「じゃあいいよ、エメラダに揉ませて貰うから」
「……別にいい」
と、エメラダ。
い、いいんですかエメラダさん。
「ほ、ほらみろラヴ。エメラダはこう言ってるぜ? これくらいの度胸がないから、胸もないんじゃないのか?」
「なっ……くっ……」
ラヴは悔しそうに歯噛みをして数秒、
「わ、分かったわよ揉めばいいじゃない!」
と、突き出てない胸を、突き出した。
「勘違いしないでよね! ちょ、ちょうど後で胸を揉もうと思ってたから、手間が省けると思って言ってるだけよ!」
ちょうど後で胸を揉もうと思ってた奴なんて、始めて見た……。
ラヴは胸を突き出したまま、恨みがましそうに目を鋭く尖らせ、俺を睨む。
このままではその視線だけでみじん切りにされそうだ。
「う、嘘だよ嘘。そんな条件は出しません」
真に受けちゃって。
これは条件じゃなくて、冗談だ。
「知ってた……アスタロウはヘタレ」
エメラダが、何気に酷いことを呟いている気がした、囁いている気がした。
「ヘタレのヘタロウ……」
気のせいではなかった……。
今度心に効く薬でも処方して貰おうかと、そんなことを思いつつ話を続ける。
「本当の条件はこっち。まずはエメラダ、採ってきた花の種は、来年も俺に育てさせて欲しい」
「分かった……」
エメラダは迷うことなく、頷く。
「ん、ありがと」
次にラヴ。
「ラヴは行ってきなさいじゃなくて、行ってらっしゃいって言って」
「なっ…………わ、分かったわよ」
ラヴは少し迷った後、俯いた。
そして言う。
「い、行って……、ラッシャイ!」
な、何だか『ヘイラッシャイ!』みたいになってるけど、まあいいか。
「ん、よしっ! それじゃあいっちょ、行くとしますか!」
『=俺の命』の計算式が成り立ったところで、士気が奮い立ったところで、椅子から立ち上がる。
そして、ラヴからお弁当の入った籐のカゴを受け取って、
「行ってきます!」
俺は食事の間を後にした。
「魔王様、私は? このゲイルめへのお願いは? 脱いだ方がよろしいでしょうか?」
「お前はいいんだよ!」
せっかくの式も、士気も、そして雰囲気も台無しだ。
とまれかくまれ、ひとまず、庭に咲いた巨大花の根元を目指す。




