第佰拾伍閑 そ、そんな大きいの、無理だよぉ……。
エメラダ伝授、ラヴ特製のオリジナルブレッドを頬張り、口いっぱいに薬草の爽やかさを感じながら、考える。
男をつかむなら胃袋をつかめ、みたいなセリフを何度も聞いたことがあるけど、アレは間違いじゃないな、と。
オリジナルブレッドを食べてるから言うわけだけど、胃に弾を撃たれたみたいな衝撃が走った。
確実に上手くなっている、美味くなっている。
こんなにおいしい料理を作れる女性なら、妻にしたいと思う男はたくさんいるだろう。
まぁラヴの場合、性格的に妻じゃなくて、稲妻なのが問題かもしれないけど。
カミさんじゃなくて、カミナリさんだな。
ああ、そうなると、撃たれたのは弾じゃなくて、雷か。雷に打たれたのか。
ブレッドでもブレットでもなく、ビリッと、だな。
「で、一体なんだったのよ」
と、そんなことを考えている俺にラヴ。
「何が?」
「何がって……叫んでたじゃない」
「ん? ああ! そうだ!! そうだった!!!」
落ち着き過ぎて忘れていた。あんなことを忘れるなんて。
今度は頭に雷が落ちたような衝撃が走った。
「変態なんだ!」
「アンタが?」
「そう! ……いや、そうじゃなくて!」
「そうでしょ?」
「まぁそうだけど、確かに俺は変態かもしれないけど」
今言いたいのはそんなことではない、今のはただの言い間違いだ。
「大変なんだ! 朝、窓から外を眺めたら、庭に大きな木が!」
雲を突き抜けるほどの大きな木が。
日の光を遮るほどの大きな木が。
ネネネの喜びそうな大きな木が。
生えていた。
城の庭から。
「知ってるわよ。ネリッサなんて朝からそれを見て、おっきいだのおっきだのぼっ……」
「ん? どうしたラヴ」
「な、何でもないわよ、とにかくお祭り騒ぎだったの!!」
やっぱりか……。
「知ってるって、そんな落ち着いてていいのかよ。アレはなんなんだ? 昨日まではあんなところにあんなものなかったよな!?」
今日、今朝、突然現れた。
そもそもアレは木なのか? あの、雲を突き刺すかのように伸びる、緑色の巨大な塔は。
木じゃなくて巨大なきゅうりだと言われれば、信じざるを得ない。
「アスタロウ忘れた……?」
エメラダが静かに口を開く。
「あそこに、花、植え替えた……」
「鼻? ……ああ、花か。そういえば植え変えたな。移し変えたな」
窓際の小さな鉢植えから、広い庭の広い花壇へ。
いつかエメラダに貰った緑の目ならぬ、緑の芽を。
大きくなったら綺麗な花が咲くと言われて、とても大切に育ててはいたけど、それは花どころか、蕾すらつけなかった。
困った俺はエメラダにアドバイスを貰い、そして庭にせっせと花壇を作り、そこに花を植えたのだ。
それが数日前のこと。
「え……? ちょっと待って」
あそこってそう言えば花壇があった場所じゃないか……てことは。
「まさか……!?」
「そのまさかりよ」
「金太郎!!」
「あ、ごめんなさい、間違えたわ。そのまさかよ。あ…………まさかのまさかり……ぶふっ」
「……」
相変わらずくだらない駄洒落で腹を抱えて笑うラヴのことは、置いといて。
嘘だろ!? 昨日水をやったときは、鼻水じゃなくて水をやったときは、あんなに大きくなかったぞ!?
大きくなってきてはいたけど、せいぜい膝の辺りくらい、膝に当たるくらいの大きさだった。
それがどうしたら一晩であんなに育つんだ、そびえ立つんだ。
トト○か!? トト○のせいか!?
「大きくなったら花が咲くってあんなにかよ……そりゃ部屋の中で育てられてるうちは蕾の一つすら拝めないわけだ……」
そんな俺の呟きに
「キンタロウ……それは違う」
と、エメラダも呟いた。
「え? ちょっと待って、色々気になるけど、まず、俺の名前はキンタロウでもないからね?」
まさかり担いで、クマの上にまたがってたりしない。
真っ赤ロリを担いで、クゥの上にはまたがってたかもしれないけど。
「……あの花は、あんなに大きくならない」
しかしエメラダは、俺のツッコミなど気にも留めず、話も止めない。
まあいいや……。
「へ、へぇ……そうなのか」
「そう……」
「ならどうしてあんなに大きくなってしまったんだ?」
「……畑にいる、妖精のいたずら」
「はい?」
妖精のいたずらって……やっぱりトト○的な何かの仕業なんじゃねえか……。
そんなこと要請もしていないのに、勝手なことをしやがって。
というか、いつの間に畑にそんな妖精が住み着いているんだ?
仕方ない、今度挨拶にでも行くか。
「アスタロウ、登って、行ってきて……」
と、エメラダは言ってくる。相変わらず、眠たそうに。
「どこへ?」
「……雲の上」
「死ねと!?」
昇れと!? 逝ってこいと!? そう言うことですか!?
「違う……花、雲――」
「鼻くそ!?」
「……アスタロウ、汚い、めっ…………違う……」
違う、と首を振る彼女。
「……滅」
「ひいっ――!?」
真顔だから、マジで怖い。
「ごめんなさい」
アスタロウ、反省、猛省。
「で、登れって、行けって、どうして?」
つまりエメラダが言いたいのは、木の幹ならぬ花の茎を登って、雲の上に行けと、そういうことだろう。
でもなぜ。
「……花が咲いてる、そこから種採ってきて……来年も植える」
なるほど、そういうことか……。
「いやいや、さすがに無理でしょ? 無茶でしょ?」
あんなもの登れるわけがない。そんな体力は、精神力は、俺にはない。
それにもし登れたとしても、落ちたりしたら本当に逝っちゃうよ?
落ちてるのに、登れてないのに、昇っちゃうよ? 昇天だよ。
あの花は文字どおり衝天、天を衝くほどに、高く大きいんだから。
「無理でも無茶でもないわよ。あの三バカトリオは、喜んで登って行ったもの。お弁当持ってね」
朝から大変だったわ、と笑い過ぎて目じりに涙を浮かべながら、ラヴ。
三バカトリオ、ネネネ、ルージュ、クゥ。
静かだと、気配がないと思ったら、あいつら……一体全体何をやっているんだ。
「おいおいラヴ、俺をあいつらと一緒にするなよ? 俺はあんなもん、登れな――」
「アンタの分のお弁当も用意してあるから」
え? ちょっと待って、どうして行く前提なの? 行く体なの?
「ちなみに中身は?」
「最後の昼餐よ?」
「死ぬのも決定か!」
そんな愛妻弁当ならぬ、愛稲妻弁当は嫌だよ!
「……アスタロウ」
「はい」
「ついでに絵、描いてきて……」
「え? 絵? 何の?」
「花……」
鼻……? ああ、花か。
「どうして?」
「……見えない」
確かにね、空には雲がかかっている。
いや、空にかかっているというか、まるで花にひっかかっているかのように、不自然に花の近くにだけ雲がある。
そのせいで下からは、城からは、綺麗だというその花は見えない。
「見たいのに見えない、だから花の絵を描いてこいと? 描いてこいと?」
「……」
彼女はもちろんと言わんばかりに、無言で大きく頷いた。。
「あの、エメラダさん? ついでって言うけど、まず俺、行きませんよ? 行けませんよ?」
「……行く」
「行かない!」
「行く……」
「行かない!」
行かないと言う俺に、引かないエメラダ。
「……行ける」
「行けない!」
「行ける……」
「行けない!」
そんな花占いのような言い合いを彼女としていると、さっき直したばかりの食事の間の扉が、バンと、朝なのにバンと開いた。




