第佰拾肆閑 実ってない秋の朝
朝。目を覚ましたら、部屋は暗かった。
真っ暗とまではいかないにしても、いつもよりも大分暗かった。
いや、それならそれで、それは朝じゃなくて夜なんじゃないかということになってくるんだろうけど。
違う、今は朝だ。
隣に彼女たちがいない。
ネネネがルージュがクゥが、いない。
だから朝だ。
それに俺の体も、朝だと言っている。
ならなぜ暗いんだろう。
今日は天気が悪いんだろうか。
天候の確認でもしようか、とベッドから這い出し、寝ぼけ眼を擦りながら、おぼつかない足取りで窓に向かい
「ふ、あぁ~」
欠伸を、伸びをしながら外を眺める。
「……」
そして突然目に飛び込んできた、飛び込んできたと言っても目に入りきりはしない“それ”を見て。
「……?」
見上げて。
見下ろして。
もう一度見上げて。
「――――っ!?」
一目散に走り出した、駆け出した。
いや、逃げ出したの方が正しかったかもしれない。
部屋を飛び出し、廊下を爆走する、暴走する。
食事の間に向かって。
そして食事の間のスライドしても開かないはずの扉を、無理やりスライドして開き、中に人が、ラヴとエメラダがいることを確認して……。
「なんじゃありゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
叫んだ。
絶叫だった。
「五月蝿いわね! なんなのよ朝っぱらからいきなり!」
案の定ラヴに怒られた。
ボコられもかけている。
「ラ、ラヴさん落ち着いて……悪かった、謝るから、剣は収めてくれ、な?」
「黙りなさい、落ち着くのはアンタよ。まったく、五月蝿いのは、蝿だけにして欲しいわ」
「ハエでもハチでもいいけど、聞いてくれよラヴ! 窓の外に巨――」
「だから落ち着きなさいって。私はいいとして、朝師匠に出会ったら、おはようくらい言いなさいよ」
「あ、ああ、そうだなごめん。おはようエメラダ」
「……」
エメラダは艶やかに輝く銀の髪を少し揺らし、こちらに顔を向け、俺を数秒見つめると。
「……」
深くて静かな緑色の目で、俺を数十秒見つめると。
「……おはよう」
と言った。
随分迷ったあげく、何とか一応早いと認めてくれたみたいだ。
「ラヴもおはよう」
「まったくアンタは……おはよう」
睨みながらもしっかりと挨拶を返してくれるラヴに、久しぶりに思春期をこじらせそうになった。
どうにかして、『ン』の上の『点』と『ノ』を引っ付けて『フ』にして、下に『、』を付けて『ス』にして、『アンタ』じゃなくて、『アスタ』と呼ばすことは出来ないだろうか。
「あ、そうだ」
何よ、と首を傾げるラヴ。
「あのさ、今のセリフ、アンタの“ン”を“ス”に変えてもう一度言ってみてくれよ」
今度は、どうしてよ、と眉を傾ける彼女。
「まあいいからさ、さんはい」
「まったくアス――っ!! このっ……もうその手には引っかからないわよ! クソ魔王!」
くそっ! 後ちょっとだったのに。『ン』じゃなくて『ソ』を使ってきやがった。
さすが勇者、やってくれる。
ちょっと待て、こんなことをしている場合じゃないんだ。
それにそもそも思春期とか言ってるけど、今は春じゃなくて秋だし、十月だし、月が十個も出る十月だし、思春期じゃなくて思秋期だし。
「はっくしゅぅっ!」
「アンタロウ風邪……? 薬、いる……?」
「いや、アンタロウって……」
「……? アソタロウ?」
「アソタロウでもないんだ」
そんな日本の歴代総理大臣みたいな名前じゃない。俺は総理大臣じゃなくて、魔王なんだから。
「……そう」
「そう。とにかく大丈夫だよエメラダ、ありがとう」
それにしてもくしゃみなんて、こじらせそうなのは思春期じゃなくて、思秋期でもなくて、風邪か?
十月に入って大分寒くなってきたから、気をつけないと。
「そんなことよりLOVE! じゃなかった、ラヴ! 庭に――」
「だーかーらー、落ち着きなさいって」
「落ち着け落ち着けって、どれくらいだよ。ラヴの胸くらいか?」
「そうそう私の胸くらい――って誰の胸が落ち着いてるですって!?」
剣を構え、おまけに机の上に置いてあったナイフまで構えるラヴ。
どうやら新しい能力『二刀流』を習得したみたいだ。
「お、落ち着けってラヴ、自分で言ったことを忘れたのか?」
「座りなさい」
「はい……」
俺がストンと、ラヴの胸くらいストンと木の椅子に座ると、それと同時にラヴは言う。
「朝食をとりなさい」
「はい……」
いただきます、と、口だけで言って、カゴの中に積まれた、ラヴの胸よりもふっくらとしたパンに手を伸ばす。
「アンタなんかさっきから失礼なこと考えてない?」
「滅相もございません」
ラヴの胸も、ございません。
「そう、気のせいかしら……? あ、ちょっと、ちゃんと手を合わせないさいよ」
「え~じゃあお母ちゃん、掛け声やってくれよ」
「は、はぁ!? 意味が分からない。と言うか、誰がお母ちゃんよ!」
「え? お祖母ちゃんなの?」
「違います。どっちでもないし……」
「えぇ? じゃあお父ちゃん? それともお祖父ちゃん?」
「違うってば! わ、私には、な、ないしっ!」
「胸が?」
それならなおさらお父ちゃんか、お祖父ちゃんだ。
「――っ!? 胸はあるの! よく見なさいよ!」
「よく見ないと分からないよ!」
よく見ても、分からないよ!?
「死ねっ!」
ラヴは、何のためらいもなく、剣を俺に振り下ろす。
「ひぃっ――生きるっ!」
そして見切るっ!
パンッと、パシンッと振り下ろされた剣の刀身を、両手の手の平で挟み込むようにキャッチ。
自分でも驚くほどに、見事なまでの真剣白刃取りだった。
ラヴも、まさかの出来事に、あっけに取られていた。
と言うか、見方を変えれば、食事前に手を合わせているかのようじゃないか。
「ラ、ラヴちゃん? お母ちゃんでもお祖母ちゃんでも、お父ちゃんでもお祖父ちゃんでもなくて、ラヴちゃん? ほら、手、手を合わせたから、掛け声してくれよ。な?」
「くっ……もう、まったく…………。はぁ……手を合わせましょ、いただきます」
「いただきます」
何だかんだでやってくれる、ラヴちゃんだった。




