第佰伍閑 泣き虫の幼虫
突然のことで、驚いて逃げてしまったんだろう。
「ティア」
そう思って、優しく彼女の名前を呼ぶ。
「出ておいで、俺だよ。魔王だよ、アスタだよ」
おじょうちゃ~ん、でぇ~てお~いでぇ~……グヘヘ。
とは言わない。決して言わない。
あくまでも優しく。魔王でも優しく。
「まおう、さん?」
木に体を隠しながら、恐る恐る顔を覗かせるティア。
「そうだよ」
魔王ですよ。魔王アスタですよ。
「うあぁぁぁぁんまおーさーん」
彼女は俺の姿を確認すると、木の陰から飛び出し、泣きながら俺の顔に飛びついた。
「やっと出会えましたぁぁぁぁ」
本当によく泣く子だな……。
まるでゲリラ豪雨みたいだ。
ラヴが妖精のことを、ティアのことを、虫だ虫だと言いそうになってたけど、泣き虫という点ではあながちそれも間違いじゃないのかもしれない。
「やっと出会えたって?」
「魔王さんのおっ家目指し、て、もう何日も……っ森の中を旅、してたんっです……」
ひっくひっく、と肩を揺らす彼女。
旅って……川に沿ってそのまま山を下れば、結構すぐ着くはずなんだけどな。
本当によく迷子になる子だな、方向音痴にもほどがある。
「そっしたら……川に、落ちちゃって……うあぁぁぁぁん」
川に落ちた……?
ヴァイオレットもそうだったけど、この世界の小さいのは、どうしてこうも川にやられるのか。
それにティアには羽があるんだから、飛べるだろうに。
「そっか大変だったね。ところで体は大丈夫?」
見た感じ、診た感じ、どこも異常なさそうだけど。
「はい……大丈夫です」
少し落ち着いてきた様子のティア。
「そう、よかった」
「助けていただき、ありがとうございました」
ティアは俺の手の平上に立つと、ペコリと頭を下げた。
「ああ、助けたのは俺じゃないんだよ」
結局人工呼吸も、人へ呼吸も出来なかったし。
「君を川から助けたのは、こっちのこの子だよ」
ティアにクゥを紹介する。
「そうでしたか。本当にありがとうございました」
と、ティアはクゥの方を向くと、もう一度深く頭を下げた。
「いいのだ、このくらい朝飯前なのだ!」
まあ結果的に助けた形にはなったけど、実際のところは助けたわけじゃなくて、食べようとしていたんだけどねクゥちゃん。
朝飯ではないけど、晩飯にしようとしてたからねクゥちゃん。
そうなると、『こっちの子』じゃなくて、『こっちの虎』と紹介するべきだっただろうか。
肉食獣。
いや、やっぱり『こっちの仔』だろうか。
幼い故の残酷さ。
いやいや、見た目は幼い子どもって感じじゃないから『こっちの娘』の方だろうか。
……どれでもいいか。
そんなことはさて置き。さって置き。
「ティア。俺の家、城を目指してって、何か用があったのか?」
クゥから俺に視線を戻し、一呼吸置いて
「あ、そっそうでした!」
と、何かを思い出した様子のティア。
「てっ手紙、お便りを、ビンは?」
そして俺の手から飛び上がり、何やら慌てふためき始める。
「ビンはどこですか? ま、まさか、流されて……うわぁぁぁぁん、ごめんなさぁい」
目に涙をいっぱい浮かべて。
「ティア、どうしたんだよ」
「ビンが、便が、うわ~ん」
泣いていて、よく分からない。
「ビン? 便? それがどうしたんだ?」
「なくなりました……ひくっくひっ……」
無くなった? ビンだか便だか知らないけど……。
「ビンならクゥが持ってるぞ?」
まぁティアが探しているビンかも知らないけど。
「え? 本当ですか……?」
「本当なのだ幼虫さ――」
「クゥ、幼虫さんじゃなくて妖精さんね」
何度も言うけど、ティアは泣き虫ではあっても、虫ではない。
泣き虫という名の虫の、幼虫だったりはしない。
彼女は妖精だ。
「妖精さん? 幼虫さん? 妖精さん! ビンならここにあるのだ。これなのだ?」
クゥが、持っていた透明のビンをティアに見せる。
「そっ、それです、それです!」
それを見て、よかったです、と胸を撫で下ろすティア。
鳴き止んでくれて、いや、泣き止んでくれて、こちらとしてもよかった。
それにしても“撫でる”という漢字には“無”という漢字も入ってるのか。
そう考えると“胸を撫で下ろす”ってラヴにぴったりの言葉だな。
無ねを撫で下ろす、にすればもう完璧だ。完全に壁だ。
なんて、背中に悪寒を感じながら考える。
「本当によかったです、拾っていただいてありがとうございました」
ティアは再びクゥに向かってぺこりと頭を下げた。
「いいのだ! このくらい昼飯前なのだ!」
ちゃっかり朝食摂ってるじゃないか。
それに時間的には、晩飯前なんだけどね。
「で、ティア。そのビンはいったい何なんだ?」




