第佰参閑 うぉいっ!!
魚から手を離した。リリースした。リバースした。
弱々しくも、体をくねらせ泳いでいく魚。
「おお、魚が逃げて行きよったわい」
「おいおい! 逃げて行きよったわい、じゃねえ! ワザとだろ!? 故意だろ!?」
「ふむ、あれは鯉ではないぞアスタよ。それにしても淡水魚の癖して濃いとは、鯉も面白いネーミングじゃのう」
「んなこと言ってる場合か!」
何てことをしてくれるんだ……ただでさえ魚が釣れないっていうのに……。
「ルージュさん、ボクのお魚さん逃がしちゃったのだ?」
川に糸を垂らしながら、クゥ。
「逃がしたんじゃないわい。故意でもなければ鯉でもないと言うておるじゃろう。来い来いと呼んでも、逃げて行くのじゃから、仕方ないじゃろう」
そりゃ鯉じゃないんだから、鯉、鯉と呼んだところで、魚は帰って来ないだろうな。
と言うかそもそも来い来いと呼んだところで、魚は来ない。
そんなことで魚がやって来るのなら、俺は、俺達は苦労をしていない。
「なら仕方ないのだ」
「仕方なくないよ!」
仕方あるよ! 他にも色々やり方はあったよ!
「まぁ落ち着けアスタよ」
「もちつくのだアシュタ!」
ため息を吐きたい気分だよ。
「あの魚は、鯉だけに、川に里帰りをしよったんじゃ」
鯉じゃないんじゃなかったのか……?
「はっはっはっは、とにかく! 心配せんでも、釣り名人のワシが魚ぐらいぱぱっと釣ってやるわい!」
ビシッ、と腰に手を当て胸をそらすルージュ。
その言葉が一番心配だ。
今まで釣れていない奴が、よく言えるよ。
「よっこらせっと」
そんな掛け声と共に岩の上に座り、再び竿を握った幼女。
がしかし案の定、それからはいくら経っても魚はまったく釣れなかった。
幸運を棚の上に上げてしまったのだから、当然かもしれない。
まあルージュどころか、俺を含めた他のみんなも、たったの一匹でさえ釣れてはいないけど。
川の中に垂れ下がった糸を、ただ座ってボーっと見つめる俺たち四人。
釣れた魚は通算一匹。一匹の『一』を縦にして『1』にして、『匹』の右側に持って来てくっつけて、『四』にしたい気分だ。
「はぁ~」
誰からというわけでもなく、自然にため息が出る。
「はぁ~」
「はぁ~」
「はぁ~」
「「「「はぁ~」」」」
ハモリ方が、とうとう芸術の域を超えてしまっていた。
芸術も行き過ぎれば、域過ぎれば、素人にはそれが本当に芸術なのか分からなくなる。
「ババア、あなたって人は、あなたって名人は、いつになったら魚が釣れますの!?」
「じゃから言うとるじゃろうが年増猿、名人にも失敗はあると。おぬしも木から落ちることはあるじゃろう?」
今度は『猿も木から落ちる』か。
このことわざも、それって手を滑らしたりして落ちたわけじゃなくて、猿がゆっくり降りるのを面倒くさがって、わざと手を放しただけなんじゃないの? って思うんだよな。
そうなってくるとこのことわざの意味は、『名人にも失敗はある』じゃなくて『面倒』になるわけだ。
まあ確かに釣りも大分面倒になってきたから、これもこれで間違いではないのかもしれない。
『猿も木から落ちるな~(意:面倒だな~)』的な。
「何を言ってますのババア。ネネネはまおーさまの木からは落ちませんのよ」
猿であることは、認めるんだ……と言うか。
「俺には木なんて生えてない」
「まぁまおーさまったらご冗談を。まおーさまには立派な木が生えていらっしゃるではないですの。しかも木にはたわわに実った果実が二つも」
「はぁ……」
もう、ツッコむ気さえ起きない。
「まぁ、まおーさまの木が起きないですの!?」
「やめろ!」
まったくもうまったくもう。
「うにゃ~ボクはもう無理なのだ~」
とうとう飽きてしまったのか、釣竿をポイと放り投げ、ついでに手足も放り出して、岩の上に寝転ぶクゥ。
「やっぱり手で捕ってくるのだ!」
彼女はそう言うと、寝転んだまま脚を上げ、それを振り下ろした反動でパッと立ち上がる。
「ちょ、ク――」
そして止める間もなく、川の中へジャブジャブと入って行ってしまった。
「あぁあぁ、また行っちゃったよ……また入っちゃったよ」
よくもまあこうも息つく暇なく、落ち着く暇なく次から次へと問題が起こるな。
「まおーさまネネネももう飽きて来てしまいましたの」
「ワシもじゃアスタ、夏なのに飽きが来たわい」
「うん……俺も……」
どうしよう、このまま、一匹しか釣れないまま帰ることになるんだろうか。
そうなったらラヴに怒られるかもしれないな……。
怒られるだけならまだしも、ボコられるかもしれない……。
いや、いくら雨とムチのラヴでも、(剣で)ツンデレのラヴでも、魚が釣れなかったくらいでそこまで怒るまい。
そんなに小さな奴じゃない。胸以外は。
せいぜい『ホント使えない』と言われるくらいだろう。
まあ、今晩の食事に支えが出るのはちょっと申し訳ないけど。
仕方ない。
日も大分傾いて来た、いくらここが暗い重々しい森じゃなくて、明るく軽々しい漏りだからといって、夜はさすがに見通しが悪くなって、危ない……かもしれない。
そうとなればもう。
「帰りますかぁ~」
俺は大きく息を吐きながら、ため息気味にそう提案した。
「そうですわね」
「そうじゃの」
と、ネネネもルージュも特に反論するわけでもなく、立ち上がり、帰る準備をし始めたので、俺も立ち上がって荷物をまとめる。
荷物をまとめると言っても、大した荷物もない。
釣り竿四本に、釣り道具の入った小さなカゴと、魚を入れる用の大きめのカゴが一つずつ。
だから帰る仕度はすぐに終わった。
「ようし、忘れ物はないの」
そう言って、俺の手を引き、早々に、足早に帰ろうとするルージュ。
「いやちょっと待てルージュ、クゥを忘れてる」
忘れ物ならぬ、忘れ者。
彼女はまだ川の中だ。
「ふん、あんなお荷物置いていけばよかろう」
「ダメだ、荷物ならなおさら持って帰らないと」
持ってきたものは、全て持って帰らないといけない。
マナーは守らないといけない。
守れなければ、遊びに行けない。行ってはいけない。
と言うか、クゥに持ってきて貰った俺達の方が、俺とルージュの方が、荷物のような気もしないでもないけど。
「ふん、まあ仕方あるまい。ゴミも、要らなくともきちんと持ち帰らねばいかんからのぉ」
ルージュはチラッとネネネの方を向く。
「何ですのババア、ネネネがゴミだとでも言いたいんですの!?」
「いいやそんなことはないぞ、ゴミ年増」
「キィィィィ! 言ってるではないですの! 大体、ゴミって言った方がゴミなんですのよ! ゴミババア!」
「はっ? ゴミって言った方がゴミって言った方がゴミなんじゃ! ゴミドシマ!」
「……はぁ」
そんな小学生並みの、いや、小学生以下の喧嘩をしている二人は放っておいて、置いておいて、放置して。
川に入っているクゥを呼びに行く。
呼びに行こうとする。
がしかし、呼びに行くまでもなく
「見て見てアシュター!」
と、クゥは川から上がり、こっちに向かって走ってくる。
手に何かを持って、嬉しそうに。
「変なお魚さん捕まえたのだ!」
まじか!?




