9:囚われの十三人
(……畜生、……畜生、……畜生!!)
荒れた気分を収めることもできないまま、笠原統護は廊下へと出ると、ほとんど無意識に自分に割り当てられた部屋へと向かっていた。
笠原のここでの生活は、生憎というべきか収容所にいる人間の中でも相当に長い。自分たちの前にここにいた人間がどれほどここで過ごしていたかまではわからないが、彼らがどこに行ったにせよ、自分はそれをいずれ当の本人たちに聞くことになるだろうと、笠原はもう当然のように覚悟していた。
それが覚悟ではなく諦観なのだと、あの少女に自覚させられるまでは。
(ああ……、畜生。酒、置いてきちまった……)
向こうも抵抗の意思をそぐために供給しているのだろう、食堂に行くとなぜか普通に支給される酒の瓶を置いてきてしまったことに、笠原はようやく気が付いた。
だが当然のことながら、今更あの場所に戻る気には到底なれない。二十歳になったばかりで味もろくにわからず、ただ現実から逃避するためだけに飲んでいた酒だったが、今ほど手元にないことを悔やんだこともなかった。酔いはすっかり覚めてしまって感情の荒波は一向に収まる様子を見せない。再び浴びるようにあの液体を煽って、そのまま眠りにでも落ちてしまえば少しはましな気分になるかもしれないとは思うものの、すでに失ったと思っていたプライドがあの場に戻ることを許さなかった。
あるいは、プライドが許せなかったのはあの場に戻ることよりも、酒に逃避することだったのかもしれない。
と、笠原が苛立ちを押し殺したまま廊下の角を曲がろうとしたちょうどそのとき。
「あう」
笠原のちょうど腹のあたりに何かがぶつかり、ちょうど同じ場所から小さな悲鳴が聞こえてきた。
見ると、身長が笠原の胸のあたりまでしかない、ふわふわとしたウェーブのかかった金髪を肩位まで伸ばした少女が、鼻の頭を押さえて笠原から少し距離をとるところだった。
「ルシア、か」
ルシア・アスコート。この収容所内に四人いる魔術を使うというオズ人の中で、唯一フラリアの政府関係者ではない完全な一般人であるという少女。
そしてこの収容所内で、ある意味では最も過酷な特性を持ってしまっているのがこの少女だった。
彼女に比べれば、ある意味では笠原が置かれている状況などまだましな方かもしれない。
「あー、大丈夫か?」
「あ……、はい。……だい、じょぶ」
鼻を押さえながらもわずかに迷うようなそぶりを見せ、やがてルシアはたどたどしい日本語でそう答える。
彼女の持つ、他の異世界人たちにはないハンディキャップは、否応なしにほかの者達との間に溝を作る代物だ。いかにほかの異世界人たちが彼女に親しく接したとしても、そのハンディキャップ自体は一朝一夕では埋められない。
彼女の抱える孤独を、笠原には想像することしかできない。まだ今年で十二歳になったばかりというこの少女が、親からいきなり引き離されて、見知らぬ土地で一人、そのハンデを抱えたままで閉じ込められ続けるということに、いったい何を感じているのかを、笠原が理解できるなどというのはあまりにも思い上がった言い方だ。
(こいつからしたらいい大人だろう俺だって、酒に逃げて腐ってるってのに……)
痛みが引いてきたのか鼻から手を放してこちらを不思議そうに見上げてくる少女の姿に、笠原は今まで覚えなかった罪悪感を感じ取る。
自分ではわからないが、今自分の体から匂っているだろう酒臭さが、今更のように急にひどい悪臭に思えてきた。
「……悪い」
ポン、と、ルシアの頭に軽く手のひらを乗せ、笠原はそのまますれ違って自身の部屋を目指す。
部屋に入り、扉を閉めると、いよいよみじめな気分に歯止めが利かなくなってきた。ベッドに倒れ込み、そのまま枕に顔をうずめて目を閉じる。
失ってしまった親友が、今の自分を見たらなんというのか。
その問いかけが答えのないままいつまでも笠原の脳裏で反響し、最大の逃避先であるはずの眠りへは、いつまでたってもたどり着けなかった。
「んじゃんじゃ、とりあえずまずは自己紹介から始めましょうかね」
『って言っても二人の名前とかはさっき聞けちゃってるんですけどね』と、ミシオの前に現れた目の細い女性が、やたらと陽気にそう切り出した。
さすがに面食らったものの、ミシオとしては助かったと思う部分もあった。やらなければよかったとは流石に思っていないものの、先ほどのカサハラという男と予定外の衝突をしてしまったせいか、いまだに食堂の中には重い沈黙が立ち込めていた。これからここにいる者達に話を聞かなくてはいけないミシオとしては正直言ってあまりよくない状況だったのである。
そんな中現れたのがこの女性である。見れば、先ほどまで話していたグレンも少しだけこちらに話しかけようというそぶりこそ見せたものの、すぐに後ろからメガネをかけた長身のオズ人らしき男に止められ、すぐにこちらから離れていく。どうやらここからの話は、今目の前にいる女性に任せるつもりらしい。
「さてさて、グレンのおじさまも私に譲ってくれたようだし、それじゃまず私の名前から行こうかね。私の名前は中州川芽吹。年齢はそろそろ秘密にしときたいイデア人だ。呼び方はメブキって呼んで……、ってあれあれ、そういえば二人って『イデア人』って言って通じる人でいいんだよね?」
「あ、それはだいじょぶ」
「あたしら自分の世界で異世界人のグループと付き合いがあったから、多少の前知識はあるんだよ」
ミシオの答えに志士谷が補足を入れ、それに対して芽吹と名乗る女性は『ほうほう』と口に出して頷く。
「それはそれは。なかなか話が早いね。助かるよ。正直どの世界の人にもここを説明するのが大変なんだ。みんな『は?』って顔した後『えぇ?』って顔して、大抵最後には『げぇ!?』って顔するんだよねぇ。まあ、控えめに言ってだけど」
「むしろあたしは今の状況を『げぇ!?』の一言で済ませられる人間に会ってみたいんだけど」
へらへらとした芽吹のその態度に、わずかにではあるが志士谷の様子に覇気が戻ってくる。芽吹の方も志士谷のその様子に気を良くしたようで、張りきった様子で会話を続けてきた。
「んでんで、まあ来たばっかの二人とはいろいろ話したいこともあるんだけど、その前にまずここにいる人たちの名前と顔だけ教えておくね。一応さ、これから毎日のように顔を合わせるわけだし、ね」
芽吹の言葉に頷きながら、つられるようにミシオは周囲の、部屋の中にいる人々の様子をうかがってみる。どうやら彼ら彼女らは、こちらの様子こそ気にしているものの、ひとまずは静観を決め込む姿勢のようだった。部屋の中にはミシオたち以外にも何人かのグループができていて、それぞれお酒らしきものを飲んだり、トランプのような何らかのカードゲームに興じたりしている。
「えとえと、まず二人ともグレンのおっちゃんはわかるよね。さっきのあのライオンみたいな髪型のあの人」
「ああ。グレン、苗字はゴールディンだったか?」
「そそ。一応補足しとくと、オズって魔術の世界の軍人さんなんだって。本人は由緒正しき騎士の家柄なんだって自慢してたよ。
そんで、グレンのおっちゃんと一緒に酒飲んでる三人のうち、もう一人耳の長いメガネかけてるのが、さっきグレンのおっちゃんを連れてった同じオズの軍人さんのクルーズ・マットロックさん。性格は見た目通り真面目で杓子定規。表情もほとんど変わらなくて笑ったところとか見たことないね。あ、でもでも一度だけ、この世界のタバコが口に合わないってぼやいてた時だけは少し表情が変わってた」
言われて、ミシオがクルーズの表情を観察してみると、確かにその表情はほか二人のそれと違い、完全なる無表情だった。少し見ていても、彼の表情が変わる様子を想像できないほどである。その彼が表情を変えるというのは、そのタバコがよっぽどまずかったのだろうか。
「でで、その二人と一緒に酒飲んでるのがこの中で最高齢の御年七十七歳、徳岳林将のおじいちゃん。まあ、見ればわかるけど頭真っ白な方ね。そんで、もう一人の細っこいおじさんがアサガワタケノリさん。こっちは四十そこそこって言ってたかな。あ、ちなみにリン爺はあたしと同じイデア人で、武則さんはアースの人ね。さっきミシオちゃんと喧嘩になってたアース人のカサハラトウゴ君も、気が向いたときはこの四人と飲んでるかな」
「イデア人……、ってことは、あんたやあのおじいさんって超能力とかある人なのか?」
思いついたように放たれたその言葉に、ミシオは顔に出ないように注意しながらも、知りたかったことを質問してくれた志士谷に感謝する。
先ほどの二人のオズ人が軍人だというのも、ミシオが求める戦力の問題をかんがみればかなり重要な情報だが、ある程度鍛えているのが目に見え、職業を予測しやすい二人と違い、イデアの能力者の情報は実際に聞かなければ分からない情報だ。正直ミシオは自分の口がうまいとは思っていないため、うまく聞き出してくれる他人がいるというのは本人にその気がなくても心強い。
「ああ、残念。私やリン爺には能力とか無いんだよ。常々欲しいとは思ってたりするんだけどね。
能力があるのはあっちの二人、フミトキ君とセイリちゃんの方さ」
そう言うと、芽吹は今度は先ほどとは別のグループに視線を向ける。
そこでは先ほどの余人よりも明らかに一世代分ほど若い三人が、先ほど見た時と同じカードゲームに興じていた。
「えっとねえっとね、まずあの三人の中で一人だけ耳が長いのがオズ人のパトリシア・ノックスさん。年は私よりちょっと上くらいかな、まあ聞いてないけど。ちなみにほかの二人のオズ人と違ってあの人だけは外交関係の人なんだって。かっこいいよねぇ」
言われて観察すると、確かに最初に注視した二人とともに、耳の長いオズ人らしき、栗色の髪をした凛々しい顔立ちの女性が座っているのが見える。確かに芽吹と年のころは近そうで、見たところ二人とも二十代後半から三十代前半といったところだった。
「そんでそんで、問題の能力者なのが残る二人、私よりちょっと若そうな男の方が七鹿文説君。イデアにいたころには従業員六人くらいの、小さな会社に勤めてたって言ってたね。
んでんで、もう一人の三つ編みにメガネの女の子が多田宮星理ちゃん。こっちは十八歳の学生だって。あ、ちなみに二人っていくつ?」
「あたしは二十歳」
「十五、あ、えっと、この前十六になった」
「そっかそっか、二人ともセイリちゃんとは二歳差かぁ。いいなぁ。若いなぁ」
唇を尖らせてぼやく芽吹をしり目に、ミシオは件の二人を横目で観察する。
現状、自分とオズの軍人だという二人を除けば、唯一即戦力になる可能性があるのがこの二人だ。
たった十人少々しかいないこの場に、二人も能力者がいたというのは望外の奇跡だったともいえるが、しかし彼らの能力がどんなものかがわからなければ戦力として数えることも難しい。
最悪二人が二人とも戦力として活用できない、直接的な物理干渉性のない能力だったとしても、それはそれで何らかの活用手段が見いだせる可能性もある。であるならば、ここでできうる限り二人の能力に目星をつけておきたいところだった。
だが、そんなミシオの思惑が見抜かれたのか、それとも単に好奇心を持っていると判断されたのか、つい先ほどまで話を脱線させていた芽吹がこんなことを言い出した。
「ああ、そうだそうだ。言い忘れてたけど能力に関してはあんまり詮索しないであげてね」
「ん? どうしてだ?」
「いやいや、ほかの世界の人にはあんまりピンとこない感覚かもだけど、うちの世界には自分の能力をあんまり知られたくないって人が多いんだよ。防犯的な意味合いも有るにはあるんだけど、能力者って数少ないから、劣等感みたいなのを抱えてる人も多くてさ」
芽吹に指摘され、ようやくミシオも自身の生まれた世界の常識を思い出す。自分の能力をむやみにしゃべるべきではないというのは、ミシオ自身智弘に注意を促したこともある事柄だが、それは質問する側にも言えるエチケットだ。他人の能力をむやみに詮索することは、イデアにおいては最大級とまでは言わないまでも、それなりに失礼な行為にあたる。
「まあまあ、見たところ、フミトキ君のほうは今のところ劣等感みたいなのは見られないかな。どちらかというとそういう葛藤はもう終わってる感じ? でもでも、セイリちゃんの方はまだその段階には行ってなさそうなんだよね。開き直ろうとして開き直り切れてないかんじというか」
「よくわかるなあんた」
「なになに、自分の世界では先生やってたからね。若人の悩みには敏感なのだよ」
相も変わらずへらへらと笑う芽吹に二人が密かに感心していると、当の芽吹が『あ、そうだ』と何やら思い出したような表情をする。
「そいえばそいえば、魔術に関してもオズの人たちあんま見せてくれないんだよね。こっちはどちらかというとこの世界の人たちに気を使ってる感じで。
私も今のところ見られたのはルシアちゃんの魔術だけだし」
「ルシアちゃん?」
「うんうん。四人いるオズの人達の最後の一人でね。キラキラしててすごく綺麗な魔術を使う子なんだよ。ってああ、ちょうどいいところに来た。ルシアちゃーん」
声につられてミシオが芽吹の呼びかける先を見ると、視線の先の部屋の入り口では、今まさにこの部屋に入ってきたらしき金髪の少女の存在があった。
背丈はこの中では小柄なミシオよりもさらに小柄。見るからにミシオより三つ四つ年下の少女が、自分の名前を呼ばれたことに反応してこちらを見つめている。その耳の形は明らかにオズ人特有のエルフ耳で、先ほどの魔術の話を考えてもオズ人であることは確実だろう。
「ではではご紹介するね。こちらルシア・アスコートちゃん。年はこの中でも最年少の十二歳」
「……驚いた。こんな小さな子までこっちに来てるの?」
「まあまあ、そうなんだよねぇ……。ってああ、一応言っとくけどルシアちゃんはグレンのおじさんたちみたいに目的持ってこっちきてる人たちとは別口で、普通の遭難者だよ。
ルシアちゃん。ミシオと、ショウコ。挨拶ね」
「はじめ、まして。ルシア・アスコート、です」
「よーしよし、よくできた。ちゃんと合ってたよルシアちゃん!!」
たどたどしい言葉であいさつを終えたルシアに対し、芽吹は肩を叩き、頭をなで、最後には抱きしめるという過剰なほどのスキンシップでそれを称賛する。ミシオと志士谷がそれを唖然とした表情で眺めていると、それに気づいた芽吹が両腕でルシアを拘束しながらその訳を話してくれる。
「いやいやぁ、ルシアちゃん外国の子らしくて私等の言葉通じないからさ、好意とか称賛はきっちり表情や態度で示してあげた方がいいかと思ってね」
「言葉が、通じない……? まったく?」
「いやいや、最近は今みたいに簡単な会話くらいなら交わせるようになったよ。一応パトリシアさんとかは少しならこの子の言葉もわかるみたいだしね。
……ただ、完全に意思の疎通ができているとは、流石に言い切れないかな。今だってこの子、たぶん会話の内容の半分も理解できてないだろうし」
腕の中の少女に気遣うような視線を向けながら、芽吹は自身の無力をかみしめるようにそう語る。おそらく彼女としても不本意極まりないのだろう。こんな状況で、一番年下の少女が一人だけ、会話に加われないというこの状況は。
「ところでいいのか? その子、だんだん動きが鈍ってぐったりしてきてるんだが」
「いやいや、そんな今にも死にそうみたいな言い方――、ってルシアちゃん!? どうしたの!? 誰にやられたの!? 私かぁっ!!」
言われてルシアの様子を確認し、慌てて謝り始める芽吹の様子を見ながら、ミシオは少しだけ今芽吹が語った話について考える。
言葉に関しては、同じオズ人であるほかの三人が解決できていない以上、自分たちにはどうしようもないだろう。それは【通念能力】という、言葉によらない意思疎通能力を持つミシオにとっても同様だ。
まれに例外もあるにはあるが、基本的に【通念能力】で行う会話も、その内容は使い手の扱える言語に依存する。一般的には【通念能力】を言葉によらない意思疎通能力と表現したが、それは言ってしまえば口から発する“音”に頼らないという意味であり、“言語”に頼らないという意味ではない。【通念能力】によって伝わる言葉は、文字通りの意味での“言葉”であり、耳で聞いてわからない言葉を【通念能力】で聞いたとしても、それが理解できないことは変わりはないのだ。
ただ、その一方で【通念能力】によってやり取りできる情報は、言葉だけではないという側面もある。
特にミシオの場合、もともと送信系の能力の方が強いがゆえに送れる情報の量やバリエーションは相当に多い。それこそ感情の機微から五感情報、イメージや記憶など、言葉によらない情報を多くやり取りできるミシオならば、今よりもはるかに高いレベルでの意思疎通が可能になるはずだ。
ただ、この監視されているだろう状況下で、決して露見してはならない自身の能力を軽はずみに行使するわけにもいかない。
(ごめんね、もう少しだけ我慢して……)
目の前の二人も、ここにいるほかの者達も、決して残すことなく連れ出そう。
そう決意しながら、ミシオは自分たちの脱出の要である三人に思いをはせる。
智弘たちは今、どこで何をしているのだろうかと。
ご意見、ご感想、ポイント評価等お待ちしています。