6:思わぬ同行者
最後に案内された場所は、食堂のような場所だった。広く明るい部屋の中にいくつかのテーブルやソファーが並べられ、そのいくつかには人が座り、食事をとるもの、雑談をするもの、何やらボードゲームらしきもので対戦している者もいる。
現在ミシオがいる建物はどうやらかなり至れり尽くせりの設備が整えられているらしい。案内された部屋の数々にはこの世界のものとはいえ映画などが見られる部屋や、トレーニングが可能なジムなど、機械嫌いのミシオにとっては悪い意味で鳥肌が立つようなハイテクな設備が完備されていた。
ただし、どの部屋にも一切窓がない。
「ここが食堂だ。食事は一日三回、奥の窓口でパネルに手をかざすと受け取れる。基本的に今まで見せた場所は自由に出入りして結構だ。いや――」
と、相も変わらず淡々と話をしていた女の声が、案内を初めてに十分くらいしたこのときわずかに変わった。
ただしより冷たく、硬い刃物のような声に。
「どうやら異世界人連中の中には言わなければ分からない者がいるようなので言っておこう。今案内した場所以外は立ち入り禁止だ。破るようならそれ相応の処罰を覚悟してもらう。
何か質問はあるか?」
「……」
本当は聞きたいことは山ほどあったが、どれもまともな答えが返ってくるとは思えずミシオは無言を貫いた。女もそのあたりは心得ているようで、出会った時以来ミシオにまったく視線を向けぬまま、『結構』と短く口にして話をあっさり打ち切った。
そのままミシオの方に見向きもせずに歩き出すと、ミシオをその部屋に置いたまま扉へと向かい、そのまま部屋から出て行ってしまう。
その瞬間、明らかに室内に安堵に似た空気が流れ、部屋の中で小さくはあるが会話が聞こえだした。
(……やっぱり、ここにいるのはみんな私と同じ……)
先ほどは案内役の女に意識が向いていたせいか、改めて周囲を見渡すといろいろと気づくことがあった。
おそらくこの部屋にいるのは、みなミシオと同じ異世界人なのだろう。今室内にいる十人ほどの中には肌に鱗模様があるエデン人こそ見当たらないが、ミシオと同じような顔つきのイデアもしくはアース達に交じって、一部に西洋系の顔付をした耳の長いオズ人らしきものたちが見て取れる。どうやら皆の意識は出ていった女からミシオへと移ったらしく、彼らは皆一様に自分たちと同じ哀れな新入りへと注目していた。
と、そんな異世界人たちの中に、ミシオは見知った顔を一人見つけ出す。
「志士谷さん?」
「ミシオちゃん、無事だったか……」
ミシオがソファの一つに一人座り込んでいた志士谷に気づき、声をかけると、志士谷はアースにいたころには聞いたこともないような弱々しい声でそう答えた。どうやらさすがの彼女もこの状況では堪えるものがあったらしい。
「志士谷さん、リンヨウさんは?」
「……わかんねぇ。さっきあたしも今のミシオちゃんみたいにここに案内されたばっかで……。なあ、ここってやっぱり異世界なのか?」
「多分……。人とか、物の感じから見てウートガルズだと思う。私も来たことのある世界じゃないからわからないけど……」
覗いてきた部屋に置いてあった機械などを見ても文明レベルはアースのそれと比べても進んで見えるし、それらが魔術で動いているようにも思えない。ここまでミシオを案内してきた軍人風の女は西洋系の顔立ちではあったものの耳はミシオたちと同じく短かったため、この世界がオズである可能性は低そうだった。消去法による予想ではあるが、この世界は第四世界ウートガルズであるとみて間違いないだろう。
「そうか……。ウートガルズ。ウートガルズ、ねぇ。やっぱあたしらってさらわれたのかねぇ?」
「……うん。それも間違いないと思う。志士谷は、今が何時頃かわかる?」
「……いや。あたしも気絶させられててさっき起きたところだし。服とかまでいじられた形跡はないけど、携帯とか荷物は全部取り上げられたか置いてきたかしたみたいだし……」
「異世界で携帯は使えないよ?」
「いや、携帯電話の時計を見たかったんだけどね……。って、ああでもそうか。考えてみれば異世界では地球の携帯が使えるわけもないんだね。改めて言われるまで普通に使えそうな気でいたよ」
異世界に対する知識をほとんど持たない志士谷の言葉は、しかし相変わらず普段のような張りがなく、どこか思考もまとまりに欠けて見える。考えてみれば世界もこれで四つ目、異世界渡航も三回経験し、危機的状況にも慣れているミシオの方が異常なのだ。アースでならあまりなかった話だが、今はミシオが彼女をリードしなければいけない立場にある。
「それでさっきの話だけど」
「さっきのって、時間の話かい?」
「うん。正確な時刻は分からないけど、たぶん今の時間は私たちがさらわれてからそこまで経ってないと思う」
「どうしてわかる?」
「おなかの空き具合とか、ほかにもいろいろな体内時計の感覚で。たぶん半日もたってない、気絶させられてから数時間くらいだと思う。もしそうならここも、まだウートガルズのレキハか、それに近い場所だと思う」
「えっと、五つの世界はレキハって土地同士でつながってるって話だから、ここはそのウートガルズのレキハってことか? レキハの外の遠くまで移動できるような時間は経ってないと?」
「うん」
おそらく教えてくれはしないだろうが、もしここがウートガルズのレキハならば状況はその分良い方向に傾いてくる。なにしろ、ここがレキハなら元の世界に帰るうえで大規模な移動を行わなくていいのだ。難しい問題であることは疑う余地もないが、それでも異世界行きの転移魔方陣を探すのはぐっと楽になってくる。
と、ミシオが内心逃げ出す気満々でそんな思考をしていると、目の前の志士谷が驚いたような目でミシオを見ているのに気が付いた。その視線の意味が分からずミシオが首をかしげると、志士谷は自分がミシオを直視し続けていたことに気づき少しうろたえる。
「ああ、いや。なんか普段と違ってずいぶんたくましいなと思ってさ」
「……そう?」
「そうだよ。いきなり攫われて異世界に連れてこられたっていうのに、なんか冷静に現状を把握しようと努めてるし。……あたしなんか、頭ん中ぐちゃぐちゃで話をするのだって精一杯なのに」
力なく笑う志士他人の言葉に、ミシオは改めて自分の心情に思考を向ける。
確かに言われてみれば、今の自分は随分と冷静だ。もちろんまったくの平常心というわけではないが、自分が今何を考えるべきかを考えられる程度には思考能力も残っている。
どうしてだろうかと考えて、ミシオはすぐに理由に思い至る。
危険な状況に慣れている、というのはあるだろう。攫われるのが二回目で、しかも前回は今よりはるかに状況が悪かったという経験もミシオを助けている。
だが一番の要因は、そんな負の経験に基づくものではない。
「……多分、助けに来てくれるのが分かってるからかな」
「ミシオちゃん?」
言葉の内容とは裏腹に声の調子を下げたミシオに、志士谷が隣で怪訝そうな声を漏らす。
結局のところ、ミシオには自分の危険に際して突破口が開けるだろうという確かな確信があったから希望をもって冷静でいられたのだ。
そのことがうれしくもあると同時に、ミシオには少し情けなく、悔しく思える。
「きっと、助けが来るんだよ。どこの世界で危ない目にあってもそうだった。私がどうにもできない状況になった時、いつもトモヒロが助けてくれてた」
「……ミシオちゃん?」
必ず助けに来ると信じられる相手がいる。それはかつてのミシオには望むことすらできなかったとても暖かく安心させられる感覚だ。だが同時に、ミシオにとってそれは相手を巻き込んでしまうというどうしようもない事実をはらむ口惜しい現実でもある。
そして、ミシオのそんな葛藤をよそにその感覚が訪れる。
「……ほら、来た」
「え……?」
先ほどまで何も感じなかったミシオの通念能力の受信感覚に、今は確かな、手応えともいうべきものが得られるようになったのが感じられる。受信機能よりも送信機能に特化し、触れていなければ相手の心を受信することができないミシオの通念能力の唯一の例外が、恐らく今この瞬間にこの世界に現れたのだ。
「私いつも、助けられてばっかり……」
自分の中に確かに感じる希望を胸に抱いて、ミシオはそれを与えられるだけの、自分の情けなさを静かにかみしめる。
脳裏に感じる存在が、今のミシオには重く暖かくて、そして痛かった。
それはあまりにも唐突に、何の前触れもなく表れた。
コンクリートでできた建物の、あまり人目に触れない裏の一室。見るものが見れば中・大規模商店の荷物の積み込み場だと思われるその場所の床に、唐突に黒い穴が出現したのだ。
いや、出現したのは穴だけではない。まるで穴から吐き出されるように、三人の人影が続けざまに穴から飛び出してくる。
「うぉっ!? 逆さま!?」
真っ先に飛び出した男が驚きにそう叫び、しかし高く投げ出された空中ですぐさま体制を立て直して近くの地面へと着地する。それは続けて出現した残り二人の男女も同様で、三人とも危なげなく続けて着地すると、すぐさま三方に散って近くの物陰へと身を隠した。
「……周囲に魔力の気配なし。人影も特に見られない」
「人がいるらしき物音もしねぇ。とりあえず近くに人はいなそうだ」
「そうねぇ……。とりあえず安全な場所に出られたとみていいんじゃないかしら」
気功術によって感覚を強化した智弘とエイソウがそう断定すると、周囲の様子を観察しながらもう一人の女が隠れていた小部屋の中から歩み出る。
その様子を眺めながら智宏が先程自分が出てきた穴に視線を向けると、今しがた出てきたばかりの穴はすでに跡形もなく消えて、後にはアースの廃屋にあったのと同じ魔方陣が くっきりと床に焼き付いていた。
「取り敢えず、ウートガルズには出られたようねぇ。こちらの世界の衛星と繋がって位置情報が受信できるわ」
「……」
智弘が特に機械らしきものを使った様子もないのにそう断言する女の言動を内心でいぶかしんでいると、二人の間に割って入るようにエイソウが立ちふさがる。片手を腰の後ろに差した剣のうちの一本へかけ、にじみ出る疑念と敵意を隠そうともしていない。
「どうやら私は、ずいぶんとあなたたちに警戒されているようね」
「当り前だろうが。時間がなかったんでおめおめこっちに来させちまったが、おめぇがこっちの世界の人間ってことは、要するにリンヨウをさらったやつらの仲間ってことだろうが」
「あいにくと、事態はそう単純でもないんだけど。そっちのあなたはわかっているのではなくて?」
「……要するにこのタミリアとかいう国と敵対してる連中なんだろう? ポソドだかオルバナだとかっていう」
智弘がそう指摘すると、マディナと名乗る女は小さく『ご名答』と答えて底の知れない笑みを浮かべる。
対して、エイソウの方の反応は変わりなく警戒に満ちたものだった。どうやら彼はまだ事態を理解できていないらしく、智弘に『どういうことだ?』とマディナから視線を外さぬまま訊ねてくる。
「レンドの説明にもあっただろう。ミシオたちを攫ったタミリアって国は、もともとポソドって小国の島だったレキハ島を奪って、それが発端でポソドのバックにいたオルバナって国と争ってるって」
「詳しく話すなら、私はレキハ島がまだポソドの支配地域だった時期に、異世界調査のためにオルバナから送られたエージェントの一人よ。スパイ、といった方が分かりやすいかしら」
「安心できない肩書きですね」
「あなたたちの知るオズの魔法使いさんたちも同じようなものだと思うけど。ああ、彼らの世界では魔法じゃなくて魔術って呼ぶんだったかしら。
ねぇ知ってる? あなた達が付き合ってるオズの人たち、軍人や外交官や技術者もいるけど、一番多いのは諜報関係の、要するにスパイな人たちなのよ?」
「……」
それについては、実のところ智弘も予想はしていたところだ。むしろそうでなければおかしいのではないかとすら思っていた。
たとえ場所が異世界でも、否、異世界などという未知の土地ならばなおのこと、武力や対話の専門家よりもまず諜報の専門家を送るのが普通のはずだ。しかも彼らの人手不足を考えれば、そういったものたちがもういなくなっているとは思えない。
そしてそう思っているからこそ、今この場でそんな疑惑の是非など論じるつもりはない。
「てめぇがリンヨウを攫ったやつらの仲間じゃないってのは、まあとりあえずわかったよ。だがだったら何しにきやがったんだ? 今回の事件はあんたにはほとんど関係ないだろう?」
「あらぁ、関係なくなんてないわよ。曲がりなりにも私たちの世界の人間が起こした犯罪行為ですもの。同じ世界の、ウートガルズの人間が始末をつけるのが筋というものではなくて?」
「そんな殊勝な心掛けだけじゃないでしょう?」
白々しい言葉を吐くマディナに、智弘は表情を殺したまま冷やかにそう尋ねる。相手も自分の言葉を信じてもらえるとは思っていなかったらしく、相も変わらずそこの読めない笑みを浮かべたまま『そうね』などと応じていた。
「でも、あなた達に対して協力の意思があるのは本当よ。理由なんてそれこそ個人的なものから祖国のためになることまでいくらでもあるわ。何しろタミリアは私たちにとっても敵国、敵国の利益はこの場合祖国の不利益よ。敵の敵は味方、なんて言い方があなたの世界にはあったと思うけど」
「その言葉、実際に聞くとここまでうさん臭く感じるとは思いませんでしたよ。敵の敵は背中に気を付けるべき味方、って言葉が適切に感じます」
「というかお前、そもそも俺たちがこの世界に乗り込むなんてどこで知ったんだ? さっきは随分と狙い澄ましたようなタイミングで出てきやがったじゃないか」
「私たちってそもそも、あのオズ人たちに保護されててのよ。私たちが異世界にいる間にレキハがタミリアに占拠されて、私たちは帰る手立てを失った。だからウートガルズの情報を彼らに提供する代わりに、私たちを彼らの傘下に加えてもらったの。タミリア側が彼らと接触を持った時に牽制する気もあったしね。
まあ、オズの人たちはどちらかと付き合うと争いに巻き込まれるからって、この世界に関しては静観を決め込むつもりだったみたいだけど」
マディナの話に、智弘は内心で『なるほど』と一つの納得を得る。ウートガルズに渡った人間が帰ってきていないにしては、レンドたちは随分とウートガルズの内情に詳しかった。おそらく彼女たちオルバナのエージェントたちが、彼らに情報を提供していたのだろう。
そして今回、彼らと情報交換を行ったのか、あるいは何らかの技術で盗み聞きしたのか、彼らは智弘たちのように奪還に乗り出す人間がいると踏んでその場を狙ってやってきた。何しろ、ウートガルズに行く方法はあの廃屋にしかないのだ。待ち伏せするのなど、それこそオズ人部隊が待ち伏せていたくらい簡単だ。
「聞きたいことは大体聞けたかしら? もしよければそろそろ今後のことについて話し合いたいんだけど?」
「……そうだな。ただし、僕らには貴方の言葉が真実であると信じる確固たる根拠がない。異世界国交対策室(チーム―クロス・ワールド)の連中と繋がりはあるようなことを言っていたが、さっきの発言だけじゃ信用するには少々弱いからな」
「ええ。もしも怪しいと思ったら、それこそ魔術でもなんても背中から打ち込みなさい。思考能力の強化なんて、腹の探り合いで圧倒的な力を発揮する能力を前に、下手な小細工なんてしようとは思わないわ。あなたもそれでいいかしら?」
「……まあいい。俺も腹の探り合いとか、そういうことは苦手だ。そういうのが得意なトモヒロがいいと判断するなら、とりあえずそれに従っとこう」
マディナに警戒の目を向けつつも、その視線を少しだけ緩めながらエイソウはそう判断をゆだねる。どうやら第一世界では戦士長を務める彼は、今回は智弘にその判断を任せるつもりらしい。
「さて、それじゃあ今後のことについて――、ん……!」
「あら、どうしたのかしら? 何か私疑わしいことをした?」
「……いや、ちょうどいいタイミングで待ってたもんが来ただけだ」
言いながら、智弘は自分の内面にも意識を向け、聞こえてくるその声に返事を返す。
智弘の内面で先ほどから静観を決め込んでいるレミカとはまた違う、智弘が待ち望んでいた声が早くも聞こえてきたのだ。
「ミシオから通念能力で連絡だ。まずは向こうの状況から探ってみよう」
ご意見、ご感想、ポイント評価などあればぜひともお願いいたします。