4:対抗部隊
元はレストランだったらしいその空き店舗に侵入するのはさほど難しいことではなかった。
通常ならかかっているはずのカギはすでに何者かに壊されており、そもそも侵入を阻むもの自体がこの場に存在していなかったからだ。
建物の中は完全な暗闇。どうやらこの建物、窓など明かりの入る個所がすべて塞がれて外から見えないようになっているらしく、酷く静かな建物内部はほとんど見通しのきかない闇に包まれている。見たところ中にはだれもいそうにない。
だが、
(やっぱり待ち伏せがいるな。さて、どう対応したものか……)
『あら、さっそく私がお役立ちかしら?』
自分のうちから、音とは違う何かによって伝わってくるその声に、しかし智弘は内心でそれを否定する。
(生憎だけどできればお前の出番はない方がいいだろうな。下手にお前を使うとお前の存在が向こうにばれる恐れがあるし、お前という存在は五人分しかいないんだ。向こうでやらなきゃいけないことを考えたら、できれば温存しておきたい)
もしも【レミカ】の存在を異世界国交対策室(チーム―クロス・ワールド)の者たちに知られないように立ち回ろうと思うなら、やり方にもよるが待ち伏せている全員に【潜入精神】を使用する必要がある。一応レミカならばあとで記憶を操作することもできるだろうが、もしレミカの存在に誰かが気付いて、記憶を操作される前にほかのメンバーに知らせたなら、それだけでレミカの存在が対策室の者達に露見することとなるのだ。しかも相手が五人以上いた場合、必然的に操り切れない人間が一人出てしまうし、第四世界で絶対に必要になるであろう【レミカ】という一大戦力をいきなり失ってしまう事態にもなりかねない。
(やはりここは僕一人で片をつけよう。お前はこの場は引っ込んでいてくれ)
刻印を発動させて内心のレミカにそう支持を出し、身の内の魔力が身をひそめるのを感じながら、智宏は意を決して暗闇へ向けて一歩を踏み出した。
するとその瞬間、予想通りというべきか、突如として智宏の周囲六か所で魔方陣が瞬き、魔力が変質して人の手による魔術へと姿を変える。
(【強放雷】か!!)
すぐさま眼に入った魔方陣と感じる魔力操作の感覚を瞬時に記憶と照合し、智宏は相手が使おうとしている魔術の正体を発動前に看破する。
敵の使う魔術は六人全員【強放雷】。六方から撃たれようとしている上に魔術自体の速度も速いため回避はほぼ不可能だが、魔術一つ一つの威力はそこまで高くない。
(――なら術式展開――【包囲装甲】!!)
周囲の六人の魔術が完成して電撃が放たれるのと、智宏が交差するたすき状の魔方陣を体の周りに展開し、周囲全方向を包む防壁を作り上げるのはほぼ同時だった。【集積演算】という思考加速能力の恩恵を最大限に生かし、相手の魔術を見てからの後出しで対抗魔術を間に合わせる高速起動。だが、相手にしてもそれは想定内の出来事だったらしい。
(今度は【土人形の鉄腕】か!!)
電撃が防壁に阻まれた直後、智宏の両側にいた二人が智宏めがけて動きだし、同時に肩に円盤が突き刺さったような形で魔方陣を展開する。
さらにそれに追撃をかけるように残る四人も反応、こちらは【蛇式縛鎖】の魔術を発動させて四方向からこちらを縛り上げるつもりらしい。
(動く魔力の気配は六ヶ所、足音も同数。使用する魔術の種類からしてこちらを殺傷する意図はなし)
相手の意図と戦術を同時に読み取りながら、智宏は自身の右肩に相手二人と同じ【土人形の鉄腕】の魔方陣を展開、起動させる。
最大の問題は暗闇で相手の姿がまるで見えないことだが、それに関しては問題ない。周囲の音、肌に感じる空気の流れ、そして何より感じる魔力から、今の智宏は正確に情報を抽出、分析して周囲の状況を探ることができる。
(まずはこっちだ!!)
自身へと距離を詰めてくる二人のうちの片方に一気に走り寄り、智宏は感じる相手の【土人形の鉄腕】を右手の【土人形の鉄腕】で掴み取る。
「うぉっ!!」
暗闇の向こうから相手の驚く声が聞こえてくるがひとまず無視。掴んだ腕をそのまま地面へと叩きつけながら、内心で覚えたためらいをこの場は仕方がないと理性で割り切った。右巨腕の腕力に物を言わせて体を投げ出し、右足で魔力のラインを引きながら相手オズ人の頭のある位置に思い切り蹴りを叩き込む。
「ごあっ!!」
相手が顔面を蹴り飛ばされてうめき声と共に倒れ、同時に魔力のラインが魔方陣を塗りつぶしたことで相手の【土人形の鉄腕】が消滅する。昏倒させるまでには至っていないだろうが少しの間でも動きを止められれば今は十分だ。
そして同時に、間近で相手の顔を見たことで智宏は一つの事実に気付く。
(この人達、両目の前に何か魔術を展開してる。これが暗い中でもこっちの姿を見られる秘密か……)
恐らくは暗視ゴーグルのようなものなのだろう。
空中で身をひねって反転する形で着地しながら、智宏は相手の魔術をそう分析する。同じ魔術が使えれば智宏も同様の効果が得られるはずだが、術式はともかく今の状態では操作法がわからない。恐らく相手もそれを見越して智宏が来る前に発動させていたのだろう。消費する魔力量も近づかなければ気付けないほど少ないし、その程度ならば待ち伏せする間もずっと使っていられる。
(とりあえずは視界の確保は後回しだ。位置関係は見えなくとも魔力の気配で何とかなるし、何より――)
――今は目の前に、四本の鎖と一人のオズ人が迫っている。
(術式展開――【火炎鳥襲撃】!!)
背中で展開した魔方陣から四羽の炎鳥を飛び立たせ、智宏はそのまま目前に迫るオズ人へと突進する。
直後、四か所で鎖が爆砕し、右腕の巨腕が轟音と共に相手の巨腕と激突する。
「なるほど、手合わせするのは初めてだが素晴らしい立ち回りだ」
「ウィルさんでしたか。こんばんわと挨拶しておきますか?」
声と、暗闇の中で魔方陣の輝きに照らされてうっすらと見える姿によって、はじめて相手が一度あったことのある相手だと気付き、智宏も巨腕に力を込めながら会話を交わす。畑橋が離反した際に偶然共に闘うことになった青年、レンドからウィルと呼ばれていた彼は、こんな状況でも暗い中でも判るさわやかな笑みと共に返事を返してきた。
「いや、それには及ばないよ。むしろ言うなら『おやすみなさい』だっ!!」
言うが早いか、ウィルが左手の巨腕をそのままに右手で別の魔術を展開する。使用されたのはまたしても【強放雷】。ただし今度は拳で殴りつけ、そのままゼロ距離で放電する腹積もりらしい。
そしてもちろん、智宏にその攻撃をむざむざ受ける気はない。
「ならおやすみウィルさん!!」
相手の売り言葉に買い言葉を返し、智宏は手の先に魔力のラインを引いて【強放雷】の魔方陣を塗りつぶしながらウィルの拳を受け止める。
持ち込まれるのは互いに腕をつかみあっての取っ組み合いの構図、とはいえ体格的に智宏を上回り、筋力的にも鍛え上げられて気功術を使ってなお互角のウィルを相手に、智宏自身そこまで長く組み合っているつもりはない。
相手がこちらを抑え込もうと力を込めるタイミングを見計らい、智宏は肩の術式とそこから生まれる巨腕を消して右腕の自由を取り戻すと、掴んでいた相手の左手を引きながら相手の懐へと飛び込んだ。
「うっ」
突然左腕の手ごたえが無くなったことで、ウィルの体が前へとつんのめり、前へと突き出された巨腕が智宏のすぐ横を抜けていく。ウィル自身も慌てて体勢を立て直そうと後ろへのけぞるが、それよりも智宏が腕を振り上げる方がわずかに速い。顎をかち上げるように振り上げた拳が、顔をそらしたウィルの顎をかすめて空を切り、同時に智宏が引いた魔力のラインがきっちりとウィルの目の前に展開された暗視用の魔術を塗りつぶした。
「くっ!!」
当然ウィルの視界は一瞬で暗転し、ウィル自身は無理やり智宏に掴まれた手を振り払い、体勢を立て直そうと距離をとる。
そして、後退と同時に起こす行動はもう一つ、先ほどまで使っていた魔術の再起動も当然のようになされるはずだ。
(よし、まずはその術式の使い方を教えてもら――!?)
と、そう思いかけていたそのとき、智宏の視線の先で、確かにウィルの両眼に灯っていたはずの術式が塗りつぶされ、途中まで進んでいた魔術の操作が途中で無理やり中断された。どうやらウィル自身が、反射的に発動させかけた術式を途中で強制終了させたらしい。
(なんだ……、何でそこまでする?)
ウィルの行動の意味はわかる。恐らくあの暗視用の術式を、智宏の習得させまいとしたのだろう。
だが果たしてそこまでする理由があるのか、自身の視界を放棄してまで、暗闇の中でもかなりの精度で立ち回れる智宏に、暗視術式を覚えさせてはいけない理由が。
(……いや、そうか!!)
智宏がそれに思い至ったその瞬間、気功術によって強化された聴覚に布で空気を叩くような微かな音が届き、智宏の脳がその音の源が近づく事実を看破した。
慌てて額に輝く刻印を手で隠してその場を飛び退くと、直前まで智宏がいた場所でなにかが覆いかぶさるように翻る。
「獲ったかヒオリ殿!?」
「いえ、まだよ!! 明かりつけてウィル!!」
闇の中で鋭い女の声が響いたその瞬間、部屋の中央に魔力の塊が打ち上げられて明かりが灯り、智宏は眼を細めつつも周囲と目の前にいる相手をようやく認識した。
見れば、周囲に立つ六人のオズ人以外にももう一人、まだ暑いというのに全身に黒い暗幕を何重にも纏った女が、その暗幕をまるで生き物のように動かしながら迫っている。
(七人目か!!)
ヒオリと呼ばれた七人目の女に巻きついた暗幕が、空気抵抗に煽られたのではありえない動きで宙を走り、鳥の羽のように広がって両側から智宏を捕らえるべく迫ってくる。明らかに目の前の女の意思に沿った、この世界の常識にはありえない動き。その正体には、智宏でもすぐに思い至った。
(イデアの能力者か……!!)
「確保ぉぉぉぉお!!」
叫ぶヒオリの布の魔手に対する智宏の対応は、やはり迅速だった。両手の平にすぐさま【銃炎弾】を展開し、迫る布の先端を吹き飛ばして時間を稼いだ後、すぐさま布の根元部分、目の前の女に当たらないギリギリの場所を狙って発砲する。
「くぅっ!!」
ヒオリの方も黙って自身の布を焼き尽くされる訳ではなかった。先端を焼き斬られた布をすぐさま盾にして炎弾を遮るが、しかしそれでも布と炎では根本的に相性が悪い。右手から三発、左手で二発の炎弾を打ち出した頃には、女の暗幕は完全にその長さ(リーチ)を失い、ボロボロの布切れとなって焼け焦げ周囲に散らばった。
だがそれでも、
「まだまだぁっ!!」
目の前の女は止まらない。
すぐさま焼け焦げた暗幕をむしり取るように脱ぎ捨てると、その下で首に巻かれていたマフラーが意思をもったように動きだし、再び智宏を捕らえようと横なぎに宙を走って迫ってくる。
そして迫ってくるのは、目の前のヒオリのマフラーだけではない。
(くそ、やっぱり七対一はきついな)
マフラーとは別に周囲のオズ人四人によって生み出され、迫ってくる魔力の鎖に、智宏は内心で舌打ちしながら両肩に同じ魔方陣を展開する。使用する術式は【火炎鳥襲撃】。左右それぞれで合計八羽の炎鳥を建物内に放ち、マフラーを屈んで回避しながらそれぞれに鎖の迎撃の指示を出す。
だが、
「なに!?」
智宏の放った炎鳥が、放った直後に鎖を使っていない最後の一人の使った魔術によって迎撃される。迎撃に使われたのは、智宏が使ったのと同じ【火炎鳥襲撃】。だが問題だったのは、同じはずのその魔術によって放たれた炎鳥の数が智宏のそれより一羽多い“五羽”だったと言うことだ。
そしてそれに僅かな意識を向けた隙をついて、目の前の女の服の袖から包帯が飛び出し、智宏の右腕へと絡みつく。
「獲ったぁっ!!」
「な、に、くそぉぉぉおっ!!」
相手の確信を打ち砕くように、智宏はすぐさま右ひざに【銃炎弾】の魔方陣を展開し、膝蹴りの要領で突き出して腕に絡みついた包帯を焼き飛ばす。さらに智宏は体勢を立て直して右手の先に【銃炎弾】の魔方陣を展開すると、相手の五羽の炎鳥によってうち漏らし迫っていた鎖の一本を至近距離の発砲によって爆砕した。
「手を緩めるな!! 数に物を言わせて捕縛しろ!!」
「――ッ!!」
ウィルの呼びかけに全員が答え、周囲の者達が一斉に鎖と包帯を智弘めがけて投げかける。五人のオズ人が両手で続けざまに鎖を十本、目の前のヒオリが包帯を四本それぞれ使用し、先ほど五羽の炎鳥を放った一人が離れてこちらの出方をうかがっている。
おそらくこちらが炎鳥で鎖や包帯の迎撃を行おうとすれば、即座に向こうも炎鳥を放ってそれを相殺するつもりなのだろう。先ほど放った炎鳥も五羽までが相手の放った炎鳥によって相殺され、四本あった鎖が三本しか相殺できなかった。先ほどよりもさらに鎖の数が増えた今それと同じ事態に陥ったら、智弘は物量によって押し切られて完全に捕縛されてしまう。
「負けるかぁぁぁああああ!!」
気合いとともに、智弘は自身の両肩の、肩甲骨のあたりに二つの魔方陣を展開し、そこから飛び出す炎弾によって背後から迫る鎖を爆砕する。さらに掌や肘、膝、顔の前などに次々と魔方陣を展開しては炎弾を発砲し、迫る十四本の鎖と包帯を時に飛び越え、屈み、逸らしながら、その隙を突く形で次々に炎弾をぶつけて破壊していった。
単純な攻撃範囲や連射性能、操作性などでは同属性のほかの魔術にまるで及ばない【銃炎弾】だが、必要な魔力が少ない分同時展開可能な数は智弘の保有する魔術の中でも最も多い。普通の人間ではできない魔術の同時使用が可能な智弘にとって、この魔術は智弘の全身を砲門へと変える効果さえ与えていた。
「ラストォッ!!」
左腕の側面に生み出した炎弾を腕を振りぬく形で最後の鎖に叩き込み、智弘は声を失うオズ人たちの中心で、リーダー格のウィルに焦点を合わせる。その手前ではヒオリと呼ばれていた女性がほかのオズ人たちと同じ驚きに満ちた表情で智弘を見つめていた。
「……まさかこれだけやってまだ逃れるなんて」
本来なら先ほど、彼女が参戦した時点で決着をつけるつもりだったのだろう。目の前で構えをとるこの時期にしては必要以上に厚着した女性の表情を見ながら智弘は内心でそう予想する。
(とりあえず、向こうの用意していた作戦は突破したとみていいか……?)
恐らく当初の段取りとしては、暗い建物内に智宏を誘いこみ、魔術で動きを止めながら智宏に相手がオズ人だけで構成されていると思いこませ、そこを暗幕を纏って闇にまぎれていた目の前の女が、魔力に因らないがゆえに感知できないイデア人の能力で捕らえると言うものだったのだろう。
(この人の能力は恐らくあの葉鳥ってやつと同じ念力によって物を操るタイプ。対象は使ってくるものから恐らく布。しかも本人の厚着や、こっちの服や切り離した包帯に何の干渉もしてこないことを考えると、使用対象は自分が纏っている布に限定されてると見るのが妥当か)
わずかな攻防の中で拾った情報をもとに相手の能力を分析し、智弘はすぐさま相手がとりうる応用法を頭の中で羅列する。
加えて分析すれば、彼女自身は闇の中で周囲を見渡す方法を所持していないとも見られる。
さきほど闇の中で智宏を捕らえに来たときは、恐らく闇の中で輝く智宏の刻印を目印にしていたのだろう。智宏が刻印を隠して回避したらすぐさまあんな発光体の魔術を打ち上げたのだ。恐らく彼女だけは闇の中で周囲の様子を探る方法を持っていないと見て間違いない。
(問題はその方法を持っているオズ人たちか……。このメンバー、さっきから僕が知っている魔術しか使っていない。あの暗視の魔術もこの光の魔術も、使うときはこっちが見覚えられないようにきっちり隠してきている)
思えばこれまで智弘が魔術を覚えた現場には、必ずと言っていいほどオズ人たちが近くに存在していた。それならば、恐らく目の前のオズ人たちには、智弘が覚えている魔術をすべて把握されていると見ていいだろう。
(対集積演算部隊、っていうには少し対策が甘いような気がするが、それでも最低限打てる手は打たれているみたいだな……。
使ってくる魔術から考えて、相手にもこちらを殺傷する意図はない。問題は相手七人に対してこちらは一人という人数差。おそらく最初に立てていた作戦がとん挫した今、向こうはこちらにはない“数による力押し”でこちらと取り押さえに来るはず……)
状況を頭の中で高速で整理して、智弘が【レミカ】と並ぶもう一つの切り札を切るべきかどうかで悩んでいると、何を思ったのかウィルが口元に笑みを浮かべてその口を開く。
「本当に素晴らしい立ち回りだな、トモヒロ君。こちらの段取りが全て狂わされてしまった。本当に素晴らしい判断力だよ」
「まあ、そういう刻印ですからね。僕がここに来ることを看破されて待ち伏せされる可能性も、そのメンバーがオズ人だけではなく別の世界の人間が混じっている可能性も、一応意識の隅にくらいにはとどめておきましたし」
本格的に魔力を裂いて思考するようなまねこそしていなかったものの、智宏自身待ち伏せのメンバーがオズ人とそれ以外の世界の協力者による混成部隊である可能性は、常に頭の隅に置いていた。彼らの事情を考えればエデンやウートガルズの人間が含まれている可能性は限りなくゼロに近いが、イデアやアースの人間がいる可能性は無視できないくらいには高い。智宏が考える最悪の形としては、彼らが接触していると言う最後の刻印使い、エイソウ達がトドモリと呼ぶ強力無比なその戦力と、正面からぶつかるはめになる可能性すら考えていたのだ。
「なあトモヒロ君、思い留まってくれる気はないか? 君は直接第四世界に乗り込んでミシオ嬢を取り戻すつもりなのだろうが、それがどれだけ無謀なことかは自分でもわかるだろう?」
「確かに困難ではあるでしょうね。でも不可能だとは思いません。第四世界の情報が少ないので具体的なことは何も言えませんけど、僕の刻印ならどんな局面でも打開策は見いだせる」
「だが危険すぎる」
静かに、しかし建物全体に聞こえるようなはっきりとした声でそう言い放ち、ウィルは静かにこちらに言葉を投げかける。その視線には、残念ながら譲る意思はまるで感じられない。
「はっきり言わせてもらおう。我々はこの件で、これ以上傷口を広げるつもりはない。すでに巫女リンヨウという、エデンの要職に就く人間がウートガルズへと拉致されている。ここでさらに君という刻印使いや、エデンの人員の大部分が死亡ないしウートガルズの手に落ちるようなこととなれば、それによって生じる損失は決して看過できるものではない」
「それはわかってます。でも僕は、今回の問題に限っては異世界国交対策室(チーム―クロス・ワールド)では解決できないだろうとも思ってます」
「それは……」
智弘の言葉に、ウィルの表情が目に見えて曇る。どうやら彼は、あまり腹芸が得意ではないらしい。
「さっきはエイソウさんの手前黙ってましたけど、そもそもウートガルズと交渉するにあたって、こちらには対抗するだけの手立てがありません。ミシオ達を返してもらうために差し出せる飴はあっても、差し出さなかった場合に振るえる鞭が無い。これでは人質救出の手立てとして、決定打があまりにも欠けている」
それどころか、戦闘行為ができないと言ってもいいオズのフラリアにとって、武力を使った圧力をかけられないと言うのはそれだけで不利な状態だ。
ウートガルズでは現状世界が二つに分かれて争っているため相手の顔色を窺う必要がなく、また一つの島でしかないレキハに攻め込まれてもそれほどの危険はないが、オズのフラリアは戦争など起きれば必ず同じ世界の人間から非難と干渉を受けるうえ、首都であるレキハに攻め込まれればひとたまりもない。ただでさえ強く言える力関係ではないこの二世界間の関係では、人質救出を期待するのはむしろ酷というべきだろう。
「善性を盾にして、それこそ『人攫いは悪いことだから攫った人を返せ』なんて言っても聞く訳がないですしね。今回の事件はかなり派手でしたし、ミシオ達を攫った連中がタミリアの正式装備だったっていうのは聞いてますけど、『それは我々とは無関係だ』と言い張られたらそれで終わりです。攫った人間も転移魔法陣によって異世界にわたってしまった人間だと言い張って、『不法入国者として拘束した』とか言われたらそれまだ。何より、最大の証拠であるミシオ達自身が、都合が悪くなったら消されてしまう危険すらある。
そもそもの話、まだ国交どころか接触すらまともにできていないウートガルズのタミリア政府と、一体どうやって交渉をするって言うんです?」
フラリア政府には、武力による解決も望めない。だからと言って平和的な解決策に期待するには、この状況はあまりにも分が悪すぎる。そもそもミシオ達の人権を踏みにじれば踏みにじるほど、タミリア側が得られる利益と安全性は増していくのだ。真っ当な手段で取り返そうとすれば、それこそ手遅れになりかねない。
「そうは言うがな智宏君。だからと言って君がウートガルズに乗り込めば全てが解決するなどというのは、はっきり言うが君の思い上がりだ。確かに刻印使いである君はポテンシャルだけならこの中の誰よりも上だろう。そのポテンシャルを最大限に使うための刻印も持っている。だがそれだけだ。世界一つを相手に取るには、それはあまりにもちっぽけにすぎる……。君一人で、一体何ができると言うんだ?」
「一人じゃなければいいのか?」
瞬間、ウィルの言葉にこの場にいなかった新たな人物が、そう言葉をぶつけてくる。室内にいる誰もが声のした建物の入り口付近に視線を向けると、そこに先ほど別れたばかりのエイソウが、先ほど会った時と変わらないこの世界の服装で、両手にだけは二本の剣を携え立っていた。
人数は、見たところ彼ひとり。
次期戦士長であるはずの彼が、今はたった一人でここにいた。
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