3:“心の”準備
「本当に申し訳御座らん。このソウカク、リンヨウ様を奪われ、おめおめとっ、生きてっ……!!」
「あまり気にやむな。生きていただけでも幸運だ」
下宿するアパートの一室、気絶させられたウンサイが眠るその隣の部屋で、エイソウは我ながら白々しいなと思いながら、それでも感情を押さえてなんとかその言葉を絞り出す。
本音を言えば、目の前のソウカクに限らず誰彼構わず喚き散らし、内心で燻る苛立ちをぶつけてしまいたかった。愛しい者を連れ去られ、それに対して何もできない悔しさを、どこかで吐き出してしまいたかった。
だが、エイソウにそれは許されない。
涙を流しながら声を震わせるソウカクに、そんな真似ができるはずもない。
エイソウは次代の戦士長だ。否、異世界との遭遇がなければ、エイソウはとっくに先代であるブホウからその地位を引き継いでいる立場の人間だ。エイソウにはレキハの戦士たちの頂点で、戦士たちを正しい方向に導かねばならない責務がある。
(それがたとえ、どんなに腹にすえかねることであっても、俺はこいつらを死地に向かわせる訳にはいかない)
村の戦士たちが束になってかかっても、リンヨウを取り戻すことは絶対にできない。実際、今回の事件ではソウカクとウンサイを含むオズ人との混成部隊が護衛についていたにもかかわらず、その五人は瞬く間に無力化されている。ソウカクはすぐに目を覚ましてこうして会話ができているが、その一方でウンサイはまだ意識が戻らないままだ。どんなに飲み込みがたい事実でも、それが事実である以上飲み込まないわけにはいくまい。
実際、レンド達の言うことももっともな話なのだ。いくら気功術というイレギュラーがあるとはいえ、エイソウ達がとるような戦術は他の世界では数百年も前に対策がなされている。対してエイソウ達はと言えば戦い慣れてこそいるものの、その戦術は完全に巨大な魔獣を狩るためのものばかりで、人同士の戦いなど考えたこともない。人数も武器も戦術も何もかも相手が上なのに、戦いなど挑んで勝てるはずがないのである。
戦いを挑めば、まず間違いなく全滅する。そして、エデンにおいて男の戦士たちがいなくなると言うことは、そのまま残る者たちも死滅すると言うことだ。
そもそも森に入り魔獣を狩れる戦士がいなくなれば、残った者達は食料をとることすらままならない。
何とも皮肉な立場だ。何しろ一番第四世界に乗り込みたいエイソウ自身が、異世界に乗り込もうとする者を止めなければいけないのだから。
(いや、そもそも俺が言ったからと言って、はたして村の連中が止まるかどうか……)
「あの、エイソウ殿。実は一つ、エイソウ殿のお耳に入れておきたいことが」
「あん?」
エイソウが内心で葛藤していると、俯いて嗚咽を漏らしていたソウカクが深刻な表情でそう告げてくる。エイソウがその様子に静かに『なんだ?』と聞きい返すと、ソウカクはわずかに躊躇うそぶりを見せた後、彼にしては重々しく口を開いた。
「リンヨウ様を攫った、ウートガルズのものと思われる敵方に、オウセン殿がおられました」
瞬間、エイソウの世界が赤く染まり、ひび割れる音とともにバラバラと崩れ出す。エイソウの腹の底からあり得ないと言う叫びが膨れ上がり、脳裏から現われた冷静な剣がそれ貫きを破裂させる。
確かにあり得ない話ではある。だが、確かにそうであるならば納得もできるのだ。敵がリンヨウの容姿を知っていたことも、ソウカクやウンサイといった手練の戦士をこうもあっさりと倒せたことも。
だが、納得できるからと言って容易に受け入れられる訳ではない。
「バカ、な……」
「我らも最初に見たときは目を疑いました。しかし間違いございません。見た目から使う技の切れまで、あれはオウセン殿に間違いないかと」
「……あいつ……!!」
胸に押し寄せる感情は、すでに言葉では言い表せないものだった。親友にして宿敵、かつてもっとも信頼と尊敬をよせ、そしてそんなエイソウを裏切った人物。
否、エイソウだけではない。レキハの村の民全員を、最悪な形で裏切り姿をくらましたその男が、まさか生きて再び村に仇を成すなど今まで考えたこともなかったのだ。
だが、これが真実ならば、あまりにも出来過ぎた意図が見えてくる。
「くそっ、まさかそういう意味か……? あいつこの期に及んで……くそっ!!」
「エイソウ殿?」
「……ソウカク、話しがある。大事な話だ。明日になったら村に戻って皆に伝えろ」
そう口にしてから、『ああやっぱり』とエイソウは思う。『やはり自分は、戦士長には向いていない』と。
車を用意すると言うレンドの申し出を断り、電車で駅から駅へ移動すること十分ほど。それだけで智宏は目的の駅へとたどり着いていた。レンド達は智宏が一度家に戻ったものと思っているだろうが、生憎と智宏が下りた駅は家の最寄駅の二つ手前だ。本来の目的地にはここからなら五分とかからない。
一度は引き下がったものの、智宏は大人しく家に帰るつもりなど毛頭無かった。そもそもどんな顔をして家に帰ればいいと言うのか。ミシオの身に起こったことはすでにレンド達から智宏の両親のもとへも連絡が行っている。これからしようとしていることを考えても、家に帰るのは明らかに都合が悪い。
(心配、掛けることになるだろうな)
そう思いつつも、すでに智弘の中で今後の行動指針は決まっている。人目の多い場所に差し掛かるにあたって【集積演算】を解除したため感情的な躊躇が襲ってきてはいるものの、それでもここで足を止めればどうなるかはしっかりとわかっているつもりだ。
以前家族で来たことのあるホームセンターへと足を踏み入れ、まずは二階に足を運んで籠の中に缶入りの乾パンとペットボトル入り五百ミリリットルの水を入れていく。
数は考えた末にそれぞれ三本づつ。あまり持ちすぎると邪魔になるため、これくらいが限度だろうと言う判断だ。
レジで一度会計を済ませ、下の階に下りて別の商品を探し出す。
次に下の防災コーナーで防寒用のブランケットと十徳ナイフを購入。十徳ナイフは向こうの状況が不透明な状態であったため念のため、ブランケットは薄手で折りたためばポケットに入ってしまうほどの大きさだったので予定にはなかったが購入した。そろそろこちらも寒くなり始める時期だし、向こうの気候がわからない現状こういった物も必要になるかもしれないと考えたのだ。
ついでに売り場で見かけた携帯トイレも予定にこそなかったが購入を決めた。こちらも予定にはなかったものだったが、製品につけられたポップの謳い文句が『逃れえぬ運命!!』だったことから考えを変えたのだ。
さらに作業衣料の売り場で安全靴を籠に放り込み、智弘はもう一度店内を回って必要になりそうなものを物色する。
できれば武器になりそうな物が欲しかったが、やはりと言うべきか日本のホームセンターでそんなものは手に入りそうもなかった。そもそも魔術と言う武器を既に持っている智宏にとって、工具やその他道具類が武器となるはずもない。ライターやライト、双眼鏡や方位磁針の類も買おうかと思ったが、それらの代替となる魔術は以前レンド達が使っているのを見たことがある。一度魔方陣とその操作を見てしまえばそれを刻印の力で思い出してその通りに使える智宏にとって、見たことのある魔術とはそのまま使える魔術と言うことだ。道具としてわざわざ持っていく必要はない。
ただ、それでも必要になるものはある。
確実に使うことになるであろう、必要そうな道具類を一通りかごに入れ、最後に荷物全てが入りそうなリュックサックを買い込み、レジで支払いを済ませて店を出る。
駅に行く途中の公園のベンチで値札を外して買った物をリュックサックの中へと詰め追えると、それだけでもう準備は完了だ。履き換えた靴などを始めとする役に立たない荷物は後で駅のコインロッカーにでも預ければいい。
と、智宏が一通りの準備を整え、駅へと向かって歩き出したちょうどそのとき、目の前に見覚えのない人影が現れた。
「こんにちは。いえ、もうこんばんわの時間かしら?」
目の前に立ち親しげに話しかけてくるのはショートカットの髪をうっすらと茶色く染めた一人の少女。年は恐らく智弘より二つ三つ下で、少なくとも親しげに話しかけられるような知り合いではない。
だが、それでもすぐにわかった。目の前の少女の“中”で、智宏に話しかけているのが誰なのかは。
「あの精神体か。体が違うようだが何か用か? 連絡先なら教えたと思うが」
「そう言えば名前を名乗っていなかったわね。まあ、あの子と名前が似てるからあんまり迂闊に名乗れないんだけど……。ってそれより、あれで話終わりっていうのはいくらなんでも無責任すぎるんじゃない? あれでほっぽり出されても流石に困るわ。あなたの仲間と接触しようにも、紹介する人間がいるのといないのじゃ訳が違うんだから」
トモヒロが刻印を発動させてそう応じると、目の前の少女、正確にはその少女の体に潜み操る精神を持つ魔力は、文句を言いながら別れる際に智宏が押し付けたメモを指で挟んでピラピラとこちらに示す。
そもそも今日智宏は、本来なら目の前のこの相手と情報を交換し合い、あわゆくばある程度の協力関係を結ぼうと考えていた。そのためわざわざミシオを異世界人の知り合いに預けて一人会談を行っていたのだが、そのさなかにミシオから救難信号のような通念能力が届いたのである。智宏としては慌てつつも次に会う機会を残すためあらかじめ用意しておいた連絡先のメモを押し付けてわかれたのだが、どうやら向こうはそれで話をいったん切り上げるつもりはなかったらしい。
「それで、一体何の用だ? できれば手短に頼む。こちらは今立てこんでるんでな」
「知ってるわよ。あの後こっちも探りを入れたもの。あなたがいきなり血相変えて行っちゃった時間に、随分と派手な誘拐事件があったようね」
どうやら大体の事情を把握しているらしい。そうと知っても、智宏はさして驚くようなことはしなかった。今話している相手は魔力でありながら意思を持ち、肉体から肉体に乗り移って他人を操ることさえできる精神体だ。探りを入れたと言うのなら、その方法と精度は推して知れる。
「まったく、昼間の貴方の話と言いこの事件と言い、この街でこんな騒ぎが起きてたなんて流石に驚きよ。よくもまあ私もあの子も今まで巻き込まれずにいられたものだわ」
「まあ、実際刻印使いになったことで魔力を感じられるようになって、その感覚を頼りに接触しちゃった自力帰還者もいるからな」
そういう意味では、目の前にいる他人に乗り移って増殖できる精神体が、これまで異世界関係の事態に触れずに済んでいたほうが奇跡だったとも言えるだろう。しかも、同じ自力帰還者でありながらレンド達に接触できたのが、積極的引きこもり生活を送る大野だったと言うのは、もはや冗談のような逆転現象である。どちらの運が悪くてどちらの運が良かったのかもわからない。
「まあ、それは今はいいだろう。それより今はお前の要件だ。こっちも急ぐんだよ。まさか世間話をしに来たわけじゃないだろう精神体?」
「レミカよ」
「え?」
「レミカ。それが私の名前」
あっさりと名乗られた精神体の名前に、智宏は顔には出さずに面くらう。もちろん今考えたばかりの偽名という可能性もあったが、次に発せられた言葉がその可能性を打ち消した。
「私はね、あなたに協力することにしたの」
「なに?」
「今はまだあの異世界人に招待を明かすかどうかは迷うところだけど、この先どうするにしてもあなたとの間に協力関係は築いておきたい。
あなたがどう思っているかは知らないけど、こんな騒ぎが起こっていると判って安穏としていられるほど、私は豪胆じゃないの。私の、私という刻印の当面の目的は、刻印使いである“あの子”を守ること。その目的を考えるなら、あなたが接触している異世界人たちと対立する意味はないし、下手におひとり様を気取ってその異世界人とぶつかることになったら目も当てられない。
あなたと最初にあったときのようなトラブルは、こちらとしてもご免こうむりたいのよ」
「まあそうだろうな。オズ人たちと合流する気は今のところないのか?」
「生憎とね。私は私という存在が、人にとり憑き操れる刻印が、そんなに簡単に受け入れられるとは思っていないのよ。貴方はどうやらかなりの信頼関係を築いているようだけど、私に関してはそうじゃない。おかしな警戒をされるのは目に見えているから、あの人たちと接触するにしても、できれば事前にそれを解消する準備くらいはしておきたいところね」
淀みのないレミカの言葉に、智弘は内心で妥当なところだろうと彼女の決定に一定の評価を下す。
とは言え、智弘としてはもう一つ、彼女に対して求めておきたい事項があったのも事実だ。この場で言うかどうかは少々迷いどころではあったが、結局智弘は一応その問題についても取り上げておくことにした。
「人にとりつく力を、お前の言うところの【潜入精神】を隠しておいたらどうだ? もともとそっちが本分じゃないんだ。刻印による二重人格ってことで紹介することもできるぞ」
「それだと迂闊に【潜入精神】を使えなくなるじゃない。っていうかあなた、そうやって【潜入精神】を封じるつもりだったわね?」
「否定はしないよ。実際、他人にとり憑いて思うがままに操るなんて、あんまり感心できる使い方じゃないからな」
一応本人も操る人間は選んでいるようだが、逆に言えば彼女の基準で操っても問題ないと思われた人間はその尊厳を完全に無視されると言うことになる。現在目の前にいる少女や、昼間に彼女にとり憑かれて会いに来た少女がどういった理由でレミカに使われているかは不明だが、どんな理由だったとしてもあまり良い使用法とは言えない。
とはいえ、現状【潜入精神】はレミカにとって身を守る有力な手段であることもまた事実だ。その上【潜入精神】があるのとないのでは、彼女の言う“あの子”の重要度も大きく変わってくる。そういった、レンド達にその力の存在を隠すことで生まれてしまうデメリットがあることは、智弘としても認めないわけにはいかないだろう。
「悪いけどそんなわけだから、私としては【潜入精神】の使用に条件を設けるつもりはないわ。一応こうして手足として使う人間には気を使ってるんだから、それでとりあえずは満足しておいてもらいたいところね。
まあ、ただでとは言わないわ。一応今回の件とからめて、口止め料代わりの物も用意してあるの」
そう言うとレミカは、とり憑いた少女の体でこちらへと歩みより、智宏に対してそっと右手を差し出してくる。
「“私”を貸してあげるわ。あなたがこれからやろうとしていることを考えたら、“私”という存在は強い武器になるはずよ」
「……お前は、僕がこれから何をやろうとしてるのか知ってるのか?」
「言ったでしょう? 調べたって。異世界人の一人に憑りついてね、彼らの電話の内容で大体知ってるわ」
「生憎と話し合いではミシオの救出はオズに任せることに決まったんだがな」
一応、これは事実だった。先ほどの話し合い、智弘の方も一応渋るそぶりこそ見せたものの、最終的にはミシオたち三人の救出はオズのフラリア政府に任せる形で話は決まっている。どちらかというと最後まで抵抗したのはエイソウの方で、智弘はと言えば、むしろレンドに協力してエイソウの説得に力を割いていたくらいなのだ。
「それこそお生憎ね。あの話し合いで決まったことに貴方が従うなんて、私はおろか異世界人さんたちも全く思ってないわ。
あの話し合いの目的はエデンとかいう世界の男共を止めることであって、あなた個人を止めることじゃない。一応止まってくれればいいくらいには考えていたみたいだけど、あなたを引き留めるための人員はこれからあなたが行こうとしている場所で手ぐすね引いてお待ちかねよ」
「……やっぱりそうなってるか」
一応覚悟していた事態ではあるものの、やはり避けられなかった現状に智弘は暗いため息を漏らす。
レンドたちも、流石に智弘の刻印の効果を知っている以上智弘を騙しおおせられるとは思っていなかったのだろう。智弘自身あの場で衝突したとしても、向こうが引くわけにいかない事情を抱えている以上意味はないだろうと思って何も指摘しなかったが、正直言ってフラリア政府のスタンスではミシオたち奪還の可能性は相当に薄い。
「さあ、どうするのかしら? せっかく私という破格の戦力が協力を申し出ているのに、受けない手はないと思うけど?」
「よく言うよ。口止め料とか言っといて、実際はそれ、見張り役も兼ねてるんだろう?」
「あら、一応協力の意思があるのも本当よ。今あなたに死なれてしまうのはこちらとしても都合が悪いしね」
『さあ、どうするの?』と、レミカが少女の体で、改めて智弘へと手を差し出してくる。恐らく少女の手をとった瞬間、レミカの魔力が智宏へと移ってくるのだろう。一応【集積演算】を使えばレミカの精神にも抵抗できる智弘だが、それとて絶対の精神防御というわけではない。こちらの隙を突く形で彼女が何らかの気まぐれを起こせば、その瞬間から智弘は永遠に意識を封じられてしまう可能性すらあるのだ。
「いいだろう。その力、ありがたく借り受ける」
だがそれでも、智宏はほとんど時間をかけずに差し出された手を握り返した。迷いはあったが、それでも結論は変わらない。なにより彼女の協力は、戦力の少ない現状、断るには魅力的すぎる提案だ。
握手と同時に魔力がひと固まり智宏の体内へと流れ込み、ほとんど抵抗なく体のどこかへと消えていく。
『とりあえず細かく分ければ五人くらいなら乗っ取れる量を渡しておいたわ。本当はもっとたくさん本体に送ってもらおうかと思ったんだけど』
「いや、これで十分だ。時間もないことだしな。……ありがとう」
自分の内側から聞こえる声に智宏が礼を言うと、目の前のレミカは少女の体で肩をすくめて、一歩智宏から遠ざかる。
どうやらこれで本当に用は済んだらしい。
「それじゃあ私はこれで失礼するわ。そろそろこの体を家に帰さないと、門限が厳しいから怒られちゃう。健闘を祈ってるわ。『私』の方も頑張ってね」
「ああ。人の体なんだから、気を付けて帰れよ」
一応念を押して見送ると、少女は智弘に背を向けて、なにごともなかったかのように公園を去っていった。
後に残る智宏は、刻印を解除してもう一度覚悟をきめて一言つぶやく。
「さあ、行こうか」
『ええ。そうしましょう。“心の”準備はできてるわ』
智宏の言葉に、体の中から妖しい声が楽しそうにそう応じる。人数自体は変わらないまま、それでも同盟者を引き連れて、智宏は再び異世界へと歩き出す。
取り戻さねばならない。何が相手であろうとも、どんな危険があろうとも、今朝まで隣にいたあの少女を。
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