2:闘争の世界
重苦しい空気に満ちる室内で、対面する智弘の表情に一瞬だけ驚愕の色が浮かぶ。
彼の刻印の力を使えば完全に隠しおおせることも可能なその表情をレンドが読み取ることができたのは、言ってしまえば智弘がそこまで表情を隠す必要性を感じていなかったことと、レンド自身がわずかに現れる表情を読むことにたけていたからに他ならない。
そしてそんなレンドをもってしても、驚愕を読み取れたのはほんの一瞬だけ。そのあとわずかに納得の色が浮かんだあとは、もはや表情には何の感情も現れなくなった。
「真っ二つに分かれて対立って、つまりこっちで言うところの冷戦状態みたいなものか?」
「そう言うことだ。構造としてはアースで昔あった冷戦構造とまるで同じ、二つの大国を中心に政治思想やら宗教やら経済やらで繋がった陣営が二つできてて、その二つが相手の勢力よりも少しでも強くなろうと鎬を削り合ってる」
「ちょっと待て、さっきから聞いてればちっとも本題に話が進んで来ないじゃないか。その話がリンヨウの誘拐にどう関わってくるってんだ?」
抑えきれなくなった苛立ちを露にし、遂にエイソウがレンドに対してそう言葉を放つ。レンドとしては順を追って説明しているつもりだったが、どうやら彼の眼にははぐらかされているように映ったらしい。
なんとかなだめなければ、と思った次の瞬間にエイソウを諌めたのは、その隣に座る智宏だった。身を乗り出すエイソウを肩を掴んで押しとどめ、表情を変えずにレンドの方へと視線を戻す。
「つまりはこういうことだろう? もし第四世界のどちらかの陣営が異世界と貿易を始めた場合、その陣営は相手に対して圧倒的に有利に立てると?」
「察しがいいな智宏。その通りだ。さっきも言ったが、異世界との交易や技術交換は互いの世界、国にとって莫大な利益をもたらす。もしこの対立する二つの陣営のうちの一つがこの利益を独占できれば、もう一方の陣営に対して絶大なアドバンテージを持つことができるんだ」
「じゃあ、今回の誘拐は片方の陣営と異世界がつながらないようにもう片方の陣営行った妨害工作ってことになるのか? ウートガルズのレキハ保有国へのイメージを悪くして、レキハ保有国とほかの世界が国交を結ぶのを躊躇するように」
レンドが与えた情報から、智弘がすぐさま犯人の可能性を一つ提示して見せてくる。
確かに、相手が異世界とつながるのを阻止したいならそれは有効な方法だろう。相手陣営の人間になりすまし、異世界から人間を攫うことができたならば、その陣営は異世界人を手に入れた上に相手陣営への不信を異世界に植え付けることに成功する。特に今回はどこまでわかってやっていたかはわからないが、エデンの巫女を誘拐しているのだ。エデンのレキハ村の住人達に対して植え付けた不信と怒りは、あまりにも大きい。
だがレンドは、自身の持つ情報からその可能性を否定する。
「その可能性もないわけじゃないが、向こうの世界の地理を考えれば相当に低い。そもそもイメージを悪くしたいのなら、誘拐じゃなくてテロを起こした方が確実なはずだ。誘拐した人間が下手に奪い返されたりでもしたら、その奪い返された人間から相手陣営と異世界の間につながりができてしまう。誘拐を行ったのは、ほぼ間違いなくレキハ保有国だよ」
「でもそれだとおかしくないか? もし犯人がレキハを保有する国なら、異世界との交易によって自陣の勢力拡大を望むはずだ。でもそれなら、なおのこと異世界との関係性を悪化させる訳にはいかないだろう。人攫いなんて起こして印象を悪化させるようなまねをするのか?」
智宏の指摘は実際もっともなことだった。ウートガルズが本当に他の世界と付き合うつもりがあるのなら、今回のことは絶対に問題になる。何しろウートガルズの大国の正式装備を纏った者たちが白昼堂々人攫いを行ったのだ。しかもそのうち一人が小さいながらも一つの集団の要人ともなれば、相手世界から受ける感情的反発は計り知れない。
「確かに智宏の言うとおり、正式な国交を持とうと言うなら今回のことはマイナスでしかない。だが実を言うとウートガルズにはそうも言っていられない事情があってな。根底にある思考はもっと短絡的なんだよ」
「その事情っていうのは?」
「世界間転移魔術によって繋がっているウートガルズのレキハ、向こうのはレキハ島って島なんだが、その位置が最悪なことに二つの陣営の境界線近くに存在していてな」
「おいまさか……」
おおよその状況を理解できてしまったのか、智宏の顔に苦い色が浮かぶ。その様子から察するに、彼の導き出した答えは恐らく正解だろう。
「今ウートガルズでは、世界で唯一異世界と繋がる島、レキハ島をめぐって二つの陣営が血で血を洗う争いを繰り広げている。というか、さっきは冷戦状態なんて言ったけど、冷戦状態だったのは一年半くらい前までで、今では完全な戦争状態だ。全面戦争とまではいかないが半面戦争くらいにはなっている」
「いや、半面戦争ってのは言葉としても印象としても間違いだと思うが」
「とにかくヤバい状態なんだよ。もともとレキハ島はポソドって小国に属する観光地だったんだが、それが異世界と繋がったことによってタミリア連邦ってとこに攻め込まれて占領されてな。今じゃポソドのバックにいるオルバナ共和国ってとことどんぱちやり合ってる。島にいた住人は最初の開戦時にみんな退避させられてて、今じゃ島は要塞化されてタミリアの軍関係者しか残ってない」
「だとしても一体なんでだ? 何でそんな連中が異世界で人攫いなんてやらかす? 第四世界の争いごとにリンヨウ達は関係ないだろう?」
「いや、たぶん関係あるんだよ。まあ、これはリンヨウさんやミシオがって言うより、異世界人全体が関係してるんだろうけど……」
エイソウの疑問に対してレンドが何かを言う前に、智宏が確信をもった目つきでそう言葉を放つ。だが智宏は自身の考えを話す前に、レンドの方へと別の質問を放ってきた。
「なあレンド、もしかして今回みたいな騒ぎは前にもあったのか?」
「いや、俺たちが関知している限りではないな。今回みたいに派手なやり方でなければ、もしかしたらあったのかもしれないが……」
「じゃあそっちの仲間は? 異世界国交対策室(チーム―クロス・ワールド)のメンバーは当然第四世界にも行ってるんだろう? その人たちはちゃんと帰ってきてるのか(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)?」
「……ホント、君の刻印は嫌になるほど鋭いねトモヒロ」
嫌味にならない程度の嫌味を言い、明かされてしまった事実にため息をつきながら、レンドは智宏に先を促す。
「要するに余裕が無くなって来たってことだろう? 現在第四世界ウートガルズでは二つの陣営が一つの島をめぐって争っている。しかも今聞いた様子じゃ、レキハ島はそのまま最前線。一応要塞化しているとは言っても、いつ奪い返されるか分からないような現状だ。そんな状態じゃ、悠長に世界間で国交を樹立して、貿易が始まるのなんて待っていられない」
「そう。だからウートガルズの、今レキハ島を保有しているタミリアは強硬策に打って出た。異世界と時間をかけて信頼関係を築くよりも先に、相手陣営に異世界との交易権を奪われないように、まず戦力を整えることを優先し出したんだ。実のところ智宏に指摘されたとおり、ウートガルズに向かった調査員のほとんどが、向こうで拘束されて他の世界に帰還していない。恐らくはレキハ島に現れる異世界人を片っ端から捕まえて、異世界人の技術や能力で、とりわけ戦力になりそうなものを研究し始めているんだろう」
すべては戦争で勝つために。
それによって悪化した関係のことは、関係を樹立するために必要不可欠なレキハ島を守り切ってから考えればいい。
どんなに関係が悪化していても、敵に異世界を奪われるよりはましだ。
大方、ウートガルズ・タミリア側の考えはそんなところだろう。レンドにして見れば何とも目の前の敵しか見ていない、未来を平気で貶める頭の悪い考えに思える。
「やっぱりそう言うことか……。イデアからここに初めて来たときに、大家さんが転移魔方陣に占拠されている部屋が四つしかないって言ってたのを不思議には思ってたんだ。
最初はここ以外のエデン、イデア、ウートガルズ、オズに繋がる四つなのかとも思ったけど、転移魔法陣には召喚魔方陣と送還魔方陣が必要。最初に僕らが現れた部屋の魔方陣が召喚魔方陣だとすれば、送還魔方陣は三つしか残らない」
「そんなこと、ほんとよく覚えてるもんだ……」
そう言う刻印なのだと理解していても、レンドは智宏の察しの良さに改めて感嘆と畏怖を覚える。
同時に、やはり隠しきれないとも感じる。レンド達が抱えている三人の運命への懸念は智宏なら必ずや読み取って見せるだろう。
だが、だからこそ話さないわけにはいかない。話した上で説得しなくてはいけない。
「じゃあ何か? リンヨウ達は異世界の情報を奪うために連れ去られたってことなのか?」
「まあ広義の意味ではそうだろうね。ただ、多分あの三人は通常のそれとはたぶん事情が違う」
「だろうね。手口から見ても今回の誘拐は明らかにあの三人を狙ったものだった。ただ異世界人を連れ去りたいだけならもっと他に手があっただろうし、狙いやすい人間もいたはずだ」
「ってことは、リンヨウ達三人が狙われたのには理由があるってことか?」
「三人、っていうよりその内の一人が狙いだったのかもしれない。志士谷さんはただの一般人だし、そうなると残る二人のどちらかが……」
「いや、トモヒロ。たぶん奴らの狙いはミシオちゃんじゃないと思うぞ」
智宏自身判っていながらそれでもしているであろう心配を、レンドは自身の口から話すことで解消しに掛る。実際今回、狙われた対象がハマシマミシオであった可能性は、皆無とまではいかなくとも相当に低い。
智宏自身もそれはわかっていたのだろう。レンドの言葉に硬い表情のまま頷きを返す。
「確かにミシオは『第六世界』とかいう連中に狙われている立場ではあるが、それは犯罪の証人だからであって、異世界の大国が部隊を出すような問題じゃない。狙われる理由も今じゃかなり薄くなってきているし、そもそもこのまえ当の『第六世界』の水晶が襲って来た時もミシオの方には見向きもしなかった」
「っていうか、ミシオちゃんがどこの世界の人間か、そもそもウートガルズの人間が知ってるのかどうかも怪しいな。もともとイデア、アース、ウートガルズの三世界の人間は外見的にほとんど違いが無いし、イデアとアースは国の位置の関係で人種からしてほとんど同じだ。下手をすると奴ら、彼女がイデアの通念能力者だってことをまるで知らずに連れ去ってるかもしれない」
加えて言うなら、ハマシマミシオが持つもう一つの異能を狙われたという可能性も、やはり相当に低いというべきだろう。現在彼女が妖装という異能を得てしまっていることを知っているのは、彼女を保護しているレンドたちと、その異能をミシオに植え付けた張本人である『第六世界』の者達だけだ。仮に『第六世界』からその情報が漏れていたとしても、妖装の技術を狙うなら異世界において犯罪者である『第六世界』の方にその矛先を向けるはずだ。
「でもよ、だとしたらどうして奴らはリンヨウを狙って来たんだ? リンヨウは髪の色こそそのまんまだが、外に出るときは化粧で肌を隠してた。そもそもリンヨウを直接狙って来たって言うなら、奴らはリンヨウがどこのだれか、あらかじめ知ってたってことだろ?」
「それに関しては俺たちにも本当にわからない。ウートガルズで捕まった調査員の者達にもリンヨウさんと直接面識のあった奴はいなかったはずだし、エデンのレキハ村の人間にもウートガルズに行った可能性がある奴はいないんだろう?」
「ああ。お前たちと会う前の段階で行方の分からなくなってた奴もいなかった訳じゃないが、そいつらも全員お前らに発見されてる。少なくとも村の奴でウートガルズの人間と接触した奴はいなかったはずだ」
そもそも魔力を感じ取れる種族でありながら、気功術意外に魔力を使わないエデンの人間たちは、自身の世界に現れた転移魔法陣をその魔力の気配で察知してほとんど近づかなかった。そもそも転移魔方陣が現れた場所と言うのがエデンの場合ほとんどが森の中で、転移魔術が焼き付く場所もほとんどが土の地面だったため、天候などで魔法陣そのものが損傷してしまう事態も珍しくなかったのである。森にすむ生物が強すぎたため、常に警戒しながら森を歩いていたというのも要因としては大きい。
「リンヨウさんのことをどうやって知ったのかという点はこの際置いておこう。問題はウートガルズが何を狙っているか、これからどう出てくるかだ。国が動いている以上、恐らく攫って終わりなんてことはありえない」
「ああ。まあそれに関しては色々推測はできるが、恐らく奴らの狙いは俺達オズだろう」
「あん? 何で俺たちの巫女が攫われてるのにお前らが出てくるんだ?」
「異世界国交対策室(チーム―クロス・ワールド)のメンバーが捕まっている以上、相手は恐らくこちらの外交姿勢を知っているはずだ。リンヨウさんが捕まったこの現状、君はどう対応するつもりだった?」
「決まってる。戦士たちに呼びかけて第四世界に乗り込み、身命を賭して巫女を奪い返す!! 巫女は俺たちにとって重要な存在だ。このまま黙っているなんてできるわけがない」
「そうだろうと思ったよ。だがなエイソウ。あいにくと君たちがどんなに頑張ってもウートガルズには対抗のしようが無いと思う。下手に戦いなんて仕掛ければレキハの戦士たちは一時間とかからず全滅させられるだろう」
「んだとぉ?」
「こう言ってはなんですけど、それには僕も同意します。エデンの人たちが強いのは知ってますし、一対一で接近戦をやるなら勝てる見込みもあるとは思いますけど、逆に言えばそれ以外の状況で戦ってもまず勝ち目はないですよ」
「そもそもエデンと他の世界では文明レベルがまるで違う。どんなに戦士一人一人の質が高くても、飛び道具を大量に持っている世界の人間相手では勝ち目がないし、そもそも人数からして圧倒的な差がある。加えて、エデン人には人間同士の戦争の経験が皆無と言っていい。迂闊に戦えば全滅するのは目に見えている」
「ぐ、うぅ……」
二人がかりでの筋の通った正論に、流石のエイソウも小さく唸って押し黙る。さすがの彼も問題が根性でどうにかなるものではないことをしっかり理解してはいるらしい。もっとも、そうでなければ多くの戦士の命を預かる戦士長として失格ではあるが。
「話を戻すが、エデンとウートガルズが緊張状態に陥れば、五世界の平和的遭遇を目指すこちらとしてはどうにかしてその間をに立たざるをえない。恐らく、タミリア側もそれを見越した上で今回の行為に打って出たんだろう」
「まあ、そもそもすぐにでも相手陣営に対抗する力が欲しいタミリアが、エデンに対して何を要求するんだって問題もあるだろうしな。こう言っちゃなんだけど、あの世界は巻き上げられるものが少なすぎる」
智宏の意見にレンドも内心では同意だった。失礼な話だが、エデンは文明が未発達過ぎてすぐに差し出せるようなものがほとんどない。天然資源こそ手つかずで残っているが、あの土地から採掘しようと思ったらそれこそいつになるかわかったものではないし、食料にしたところで差し出せるほどの量もない。
対して、オズにはタミリアが今欲しているあらゆるものがある。
「タミリアがもし要求してくるとしたら、そうだな……。人質を用いてのオルバナを含む西側勢力との国交樹立の妨害か、あるいはタミリアの兵器開発向けの技術支援か、あるいはもっと単純に食糧を始めとする物的支援か……」
少し考えただけでも、要求されそうなものはいくらでも思いつく。そしてそれは同時に、レンドたちオズの人間にはそれだけの交渉の余地があるということを意味しているのだ。
ならばこそ、この役目はどれだけ厳しくとも自分たちが引き受けなければならない。
「だから二人とも、この件に関しては、俺たちに任せてくれないか?」
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