1:第四世界ウートガルズ
また捕まってしまった。
とりあえず現状を鑑みて、思い出せる記憶をさかのぼったミシオは、できるだけ気持ちが重くならないように軽い感じでそう思ってみる。
結論、何の意味もなかった。
一度されれば既に十分すぎる誘拐の経験が、たかだか十六年の人生でこれで二回目。しかも前回の誘拐から二カ月程度しかたっていないというのは、流石に自分でも異常だと思う。
(この前のときよりだいぶましな扱いではあるけど……)
前回誘拐された時の扱いはそれはもう酷いものだった。誘拐される前後の記憶は定かではないが、目を覚ましたら既に拘束衣を着せられて身動き一つ許されない状態だったし、その後の扱いも実験動物扱いというあまりにもこちらの尊厳をないがしろにした扱いだ。それ以前の経験から異常事態に耐性のあるミシオでも、あのときのことはたまに夢に見る。見下す視線よりもなお酷い、何とも表現しがたい冷たさをもった視線を向けてくる白衣の男達の顔と一緒に。
(なんだろうここ、牢屋って言うにはなんとなく……)
自分の寝ていたベット、そして設置された家具のデザインなどを見て、ミシオは前回閉じ込められていた部屋との違いを理解する。
豪華なのだ。
ベットのシーツは肌触りがよく、その上の布団も柔らかく寝心地の良さそうな代物、置かれた家具はどれもしゃれていて、部屋も照明によって明るく照らされている。もしもミシオにアースにおける常識的な旅行の経験があったならば、この部屋のことをまるでホテルの一室のようだと感じられたかもしれない。
ミシオ自身への扱いも以前と比べて格段にいい。服にも特に大きな乱れは見られず、買い物をしに行く時に智宏の母に見立てられた白いワンピースの上に薄手のカーディガンという服装で、靴も髪止めもちゃんとベットの脇に置かれていた。手足を見ても特に拘束などされた様子はない。
とはいえ、それで状況を見誤るほどミシオは安穏とした人生を歩んでいない。
(この部屋、窓が無い……)
腰かけていたベットから立ち上がり、近くにある壁に手を当てながら。部屋の中を歩き回る。整った内装の割に、この部屋には外を眺めることのできる窓の類が一切見受けられない。一応空調設備は整っているらしく、空気が籠って淀むようなことにはなっていないものの、外を見ることができないため今がどういう時間かもわからない。
(……扉?)
視線を反対に向けると、手前の壁とその奥に二つの扉が見つかった。
すぐに近寄り、まずは手前の扉を開いて見ると、扉の向こうからミシオが知識としてしか知らないユニットバスがその姿を現す。目の前に広がるトイレと浴槽という組み合わせに一瞬驚きはしたものの、すぐにミシオは意識をもう一つの扉に移し、一度開いた扉を閉めて歩み出した。
とりあえず、普通の出入り口に見える扉だった。
少なくとも鉄格子がはまるなどはしておらず、牢獄のイメージとはやはり程遠い。
(どういうこと……?)
あまりにも前回と違う環境に、ミシオの感情が戸惑いに揺れ動く。自分の記憶が正しければ、自分は攫われてここにきたはずだ。突然襲ってきた目だし帽の集団と向けられた銃口、体がしびれる感覚と共に意識を失ったあの瞬間を、ミシオははっきりと覚えている。
(この扉、開くのかな……?)
意を決し、ミシオは右手を扉のドアノブへと伸ばす。今はとにかく、自分がどんな状況に置かれているのかを知らねばならない。それを知らないことには何をしていいかもわからないのだ。
そして、扉は開いた。
ただし、ミシオがドアノブに触れる前に。
「え?」
意表を突かれ、反射的に向けた視線の先で、扉の向こうから一人の女が現れる。
背が高く、顎に小さな傷のある女だった。ベレー帽をかぶり、暗い緑色の服を着たその女は、ミシオを視界に収めるとまるで機械のように感情ののらない声をその喉から発生させる。
「目が覚めていたか」
思わず、伸ばしかけていた手を胸元に戻して、ミシオは『この人はダメだ』と確信する。その確信だけで、ミシオは状況が以前と同じか、それ以上に悪いものであることを感じ取っていた。
目の前に立つその女が、まるであの白衣の男たちのような視線でミシオを見ている。
まるでいい大人が道端で遭遇した蟻の行列でも見るような、何の興味も感慨も抱いていない、そんな視線だった。
「いったいどういうことだ!! どうしてリンヨウ達が第四世界に攫われる!!」
今にも爆発しそうな低い声で、対面に座るエイソウがそう問い質すのを、レンドことレンブランド・リードは沈痛な面持ちで見つめていた。レンドとしてもエイソウの怒りと疑問は良くわかる。何しろ自身の妻であり、第一世界エデン最大の要人であるところの巫女・リンヨウが誘拐されたのだ。夫としても、巫女を奉ずるエデン人としても、怒り狂わない方がおかしい。
エデンにおいて、巫女は宗教上のトップであると同時に政治上のトップなのだ。いくらエデンのレキハ村が総勢で百名ちょっとしかいない小規模なものであるとは言っても、巫女が攫われると言うことはレキハの民にとって教皇と大統領が同時に誘拐されるに等しい事態と言える。いや、むしろもっと衝撃は大きいかもしれない。何しろ村人全員が顔見知りである彼らにとって、同じ村の住人というのはそのまま家族であるともいえるのだ。
しかも、厄介なことに攫われたのはリンヨウ一人ではない。
「……」
何も口にできないまま、レンドはそっとエイソウの隣で、表情だけは冷静にこちらを見つめる少年へと目を向ける。第三世界アースの人間でありながら、なぜかオズ人と同じ長い耳とマーキングスキルを持つ一人の少年。その少年の額には、レンドが決して敵に回したくない異能の証が煌々と魔力を発し、輝いている。
【刻印使い】。世界を渡ることで世界の挟間の魔力をその身に取り込み、圧倒的な力と可能性を手に入れた五世界最大のポテンシャルを誇る異能者。厄介なことに今回攫われた三人の残り二人は、二人ともその刻印使いとそれぞれ近しい人物なのだ。
(……一番厄介なのは、やっぱり智宏だな)
思いながら視線を少年の額から少年全体に合わせ、レンドは努めて冷静にそう思考する。
残りの二人を見くびっているわけでは断じてない。ただ単にこの目の前の少年・吉田智宏とその刻印が、もっとも説得の難しい相手であると言うだけだ。
攫われた三人のうちの一人、志士谷昇子と近しかった大野翔はまだ何とかなる。彼と志士谷の関係は、こう言ってはなんだが三人の中では一番希薄で、アパートの大家とそのアパートの住人というものでしかない。それなりに親しく付き合っていたようだし、大野自身なんだかんだと言いがなら情に厚い人間であるので心情的には決して軽く見られる相手ではないが、そもそも彼の刻印は脅威度としてはあまり高くない。彼の刻印はどこからでも自身の自宅に帰還できると言う、応用しても世界間移動を簡単に行える程度の代物でしかないのだ。当の本人もそれはしっかりと理解しているし、そうである以上下手な行動には訴えないはずだと確信できる。
問題となるのは残りの二人だ。エイソウと智宏。この二人に対する対応の誤りは、そのまま世界間の情勢に大きく影響する。
まずはリンヨウの夫であり、エデンのレキハ村で次期戦士長の地位にいる男、エイソウだ。彼は先にもあげたように攫われたリンヨウに対して非常に強い思い入れを持っているし、何より彼自身が次期戦士長という立場上レキハ村の民達に強い影響力を持っている。しかも厄介なことにエデンの男たちは武術にのみ全てをささげてきた生粋の武等派で、最悪の場合リンヨウを取り戻すために玉砕覚悟の戦争を仕掛けかねない危うさがある。
とはいえ、相手がエイソウだけならレンドもここまで事態を深刻には考えなかっただろう。エイソウは確かに強い影響力を持つ人物だが、彼一人ならば説得はそう難しくない。自慢ではないがレンド達はエデン人に対してかなり信用を勝ち取れる付き合い方をしてきたし、そもそも政治的な部分をすべて女性に任せているエデン人の男は政治的駆け引きというものに不慣れで、こういってはなんだが説得自体が相当に容易だ。見くびっている訳では間違ってもないが、それでもエイソウ一人ならば、レンドには説得し切るだけの自信がある。
だがここに吉田智宏という思考を強化できる刻印の持ち主が現れてしまうと、少々説得は困難になる。
攫われてしまった最後の一人、ハマシマミシオと非常に親密で、なおかつ頭の回転はその刻印の性質上なによりも早い。どう考えてもこの相手はちょっとやそっとでは言いくるめられる相手ではない。
「レンド、頼む。そろそろ説明してくれ」
「……ああ、わかってる」
額に刻印を輝かせた智宏の言葉に、レンドはどうにかそう返す。
思考能力を強化できるこの相手に、下手な嘘は通じない。おそらく彼の知能ならば、こちらが付いた嘘をその意図に至るまで瞬く間に見抜くことだろう。少なくともこの会談において、そう思っておくことは絶対に間違いではない。
下手な嘘をついて信用を損なえば、それだけで異世界国交対策室(チーム―クロス・ワールド)としても多大な損失だ。せっかくこれまで築いて来たこの二人との信頼関係を崩壊させる訳にはいかない。
「とりあえず順番に話していこう。まず確認なんだが、智宏は第四世界についてどれくらい知っている?」
「正直ほとんど教えてもらってないな。科学が随分発達した世界と言うくらいか? イデアでの渦とか、この前の水晶とか言うやつが使って来た魔力銃とか言う武器が恐らくウートガルズの代物だと思うんだけど」
「ああ、そうだ。まあ、どちらもウートガルズ本来の技術と大分かけ離れた改造がなされていたようだが……」
「そうなのか? まあ、この前の水晶が使っていたほうがそうだって言うのは一目でわかったけど」
先日智宏を襲った一流川水晶の使っていた魔力銃は、智宏が以前交戦することとなった刻印使いの刻印を武器として活用した代物だ。どういった方法でそんなものを作り上げられたのかは定かではないが、その魔力銃が改造品であることは疑う余地もない。
ではもう一方の渦が使っていた方はどうか。
「トモヒロの話を聞く限りだと、その渦って奴の魔力銃はかなり強力な光線みたいなのを出したんだろう? 普通の弾丸サイズじゃなくて」
「ああ。こっちが撃った魔術を見事に相殺された。そう言えば水晶のときは撃ってこなかったが、あれは撃ってこなかったんじゃなくてそういう改造がされてなかったからなのか?」
「たぶんな。ウートガルズは俺たちの魔術文明とは別に、科学文明によって魔力を発見、利用することに成功した世界なんだ。こっちでいうところの暗黒物質とかダークエネルギーみたいな扱いだったかな? ただ、俺たちの世界と比べると魔力利用の歴史が浅くて利用効率が極端に悪い。そんな“魔術に近いレベル”の代物があの世界単独で作れるわけがないんだ」
これに関しては、ちゃんとして根拠を持ってレンドにも断言できる。ウートガルズの科学文明についてはまだ不透明な部分が多いが、それでもこれに関してはちゃんとした情報提供者がいるのだ。
「まあ、あの世界の科学技術についてはひとまず置いておこう。いま重要なのは科学技術よりむしろ世界事情の方だ」
「……まあそうだろうな」
「世界事情っていうとあれか? そこの世界のシャカイテキハイケイがどうのっていう……」
僅かにいら立った雰囲気を滲ませながらも、レンドの言葉にエイソウが反応する。この様子ではあまり内容を理解できるとは思えないが、もしかするとこの男、難しい部分は自分と同じ立場である智宏に判断させるつもりなのかも知れない。
その判断は正しい。恋愛関係にこそ至ってはいなかったようだが、ハマシマミシオと言う親しい人物を攫われているという点で吉田智宏はエイソウと同じ立場の人間だ。彼とてその刻印がある以上こちらの意図は推察してくれるだろうが、できうる限り争いごとに発展させず無難にことを収めたいこちらとは、恐らく利害は共有できない。
だが、そうと判っていてもレンドは話さないわけにもいかない。
「まず知っておいてほしいのは、今回問題となっている第四世界ウートガルズの世界事情は、ほかとは比べ物にならないくらい厄介で、それゆえ異世界に対するスタンスが根本から異なると言う点だ」
「スタンスが異なる……、具体的に言うと?」
「戦争を恐れていない、と言うと語弊があるが……、智宏には以前話したと思うが、俺達オズの異世界国交対策室(チーム―クロス・ワールド)がどういうスタンスで異世界と接触を進めているか知っているな?」
「ああ。絶対に戦争を起こさないように、友好関係を結んで貿易を目指すって感じだったと思うが」
「そうだ。オズのレキハは俺の国フラリアの首都、戦争が起きればいきなり首都を戦場にする最悪の事態が起きかねない反面、文明の性質の違いから貿易や技術交換による利益が途方もなく大きい。だからこそ俺達は世界間の対立を芽のうちから摘み取り、民族間対立すら起こさない最良の世界同士の出会いを演出しようとしている」
それぞれの世界がかつてそれぞれの世界で起こしてきた過ちを、異世界との間でまで起こしてはならない。それこそが異世界と接触する上でレンド達異世界国交対策室(チーム―クロス・ワールド)が掲げる絶対の原則だ。過去に余計な禍根のない、これから始まる関係だからこそ、血の穢れのないかつてないほど友好的な関係を築く余地がある。
「これは恐らく、他の世界にも言えることだろう。そもそも、たとえ異世界と戦って一方的に勝てるだけの勝算があったとしても、そんなことをすれば異世界との交易権を奪い取りたい、同じ世界の他国に袋叩きにあいかねない。異世界との正しく潔癖な付き合いは、他国に難癖をつけられないために必要な措置なんだ。だが……」
そこでレンドは、一度言葉を切って一呼吸置く。ここからが本題だと目の前の二人に暗に告げ、再度口を開いてそれを話しだす。
「だがこの第四世界、『ウートガルズ』だけは事情が違う。あの世界はな、世界そのものが真っ二つに分かれて対立していて、相手陣営に対してそういった配慮を全くしていない状態なんだよ」
今回はもう一話、次の話を十二時ごろに追加で更新する予定です。
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