9:第一世界エデン 中編
「宗教?」
「そう。この村以外でも広まってるらしいからこの世界の宗教って言ってもいいだろう。……で、まずは創世神話からかな」
「創世神話?」
「そう。この世界は神様が作りましたって言うあれ。ミシオちゃんの世界にもあるだろ? 似たような話は結構どこにでもあるしね」
「ああ……。僕の世界にも確かにあるよ」
そう言いながらふと気付く。その神話で作られた理想郷の名前もこの世界とおなじエデンだった。さすがに関係があるかどうかまでは分からなかったが、気にはなった。
「まあ。俺も詳しく知ってるわけじゃないから重要な部分だけ掻い摘んで話すよ。内容としては創世神話らしく神様がこの世界を作るところから始まる。天地を作って草木を植えてって感じだ。まあ、これは他の世界でも似たような話があるだろう」
「多分。うちの世界にも同じようなものがあったはずだ」
「まあそうだろうね。ただ、特徴的なのがその先で、この世界を作った神が、世界が生まれた後この世界に降り立とうとするんだ。ところが、いつの間にか世界に侵入していた魔獣たちによってこの世界を追い出されてしまう」
「追い出される?」
「どうも神様のくせにあの魔獣たちにかなわなかったらしい。んで、世界を追い出された神様はそれでもなんとか地上に降り立つために一つの策を練ったわけだ。魔獣に対抗できる生物を作り出して、そいつに魔獣を倒させようってな」
「……神様、他力本願?」
「いやまあそうなんだけど……。まあいいや。とにかく、ここで重要なのは、この世界では竜猿人を含む肉食恐竜の全てが神に仇なす『魔獣』ってことになってることだ」
そう言ってレンドはさらに乗った最後の串を拾い上げると、「人型なんて、人によっては悪魔って呼ぶんだぜ」と言って、思いきり肉にかぶりついた。どうやら昼間の人型は、魔獣の中でも特別視されているらしい。
「そんでそれと戦う人間は神がこの世に使わした先兵って訳か。何か少し選民思想っぽいな」
「どちらかというと選人思想って感じだけどな。この話には続きがあってね。地上に降り立った人たちが、いつの日にか魔獣を根絶したその日には、神様がこの世界に降りてくるって話もあるんだ」
「つまり神様のために魔獣を倒そうって話か? 随分この世界の人間は神様に酷使されているんだな」
「でも、そういう思想が広まるのも頷けないか? 何せ厳しい世界だ。この世界で生き続けるには自分たちは選ばれている、使命を持っているって考えた方が団結しやすいし、敵となる生物に遠慮することもなくなる。選ばれているものの使命感と優越感ってのは厳しい状況で戦うものにとっては心の支えになるしな」
「そう言われてみればそうか。ああ、それで『竜猿人』って呼ぶなって言ったのか」
「え? ……どういうこと?」
ミシオの疑問にどう答えようか智宏が考えていると、一足先にレンドが説明に身を乗り出す。
「分からないかいミシオちゃん? この世界の人々にとって『竜猿人』を含む『魔獣』ってのは、天敵である以上に己の生存と、正義と、使命を持って滅さなくてはいけない宗教上の敵なんだ。そんなものが『竜猿人』、つまりは人の親戚みたいな生物だなんて言ったら、この世界の人々に喧嘩を売るようなものだろう?」
「……それは、確かに」
「それに実際竜猿人を含む魔獣が人々の生活を圧迫してるのも確かだ。この世界に人類が生まれてどれだけの時間が経過しているかは分からないが、この世界の文明は魔獣によって進歩を止められていると言ってもいい」
「進歩を止められている? どういうことだ?」
「そのままの意味さ。ハッキリ言ってしまうとこの世界における人間は勢力としてそれほど強くない。結果としてこの世界では人間が他の生き物との縄張り争いに負けるという事態が起こってる」
「縄張り争いに……、負ける?」
「早い話が恐竜に生活空間を圧迫されてるんだよ。この村の人間たちのテリトリーと言える土地なんて、この村と森の一部だけだ。それだって昼間みたいに竜猿人が侵入したりしてる。完全に人間が安全に生きられるスペースなんてこの村くらいのもんだ」
「あ、そっか、だからこの村こんなところにあるんだ……」
「え? ……それどういう意味だ?」
先ほどとは逆に今度はミシオが納得の声を上げる。それに対して智宏は意味が分からず疑問の声を上げると、ミシオは少しだけ困った顔をすると周りを見回し、やがて村の入り口を指差した。
「この村って、入るのがすごく難しくなってるの。岩棚の上にあって、周りが断崖に囲まれてるし、登って来る道もすごく狭くて、一人くらいしか通れない」
「つまりこの村って、天然の要塞になってるってことか?」
「うん。ここならレンドの五倍もあるっていう恐竜はまず昇れないし、その竜猿人が昇ってきても迎え撃てるんだよ」
「そう! 大正解!!」
智宏が感心すると同時にレンドはそう叫んで拍手した。確かに今の答えは見事な見解だ。レンドが「はい、商品」と言って智宏のさらに残っていた最後の肉をミシオの皿に置いてしまったのは業腹だが。
「っとまあ、今ミシオちゃんが言ってくれたように、安全な土地を確保するだけでもこんな天然の要塞みたいなところを使わなくちゃいけないような世界だ、必然的にどうしても不足してくるものがある」
「ここまでくれば僕でもわかる。土地だろ?」
「そう。この世界の人間は圧倒的に土地を持っていない。そうなると必然的に広大な土地を使う農業や酪農はほぼできないし、特定の土地を長い時間をかけて掘る、鉱物の採掘なんかも行えない。おかげでこの世界じゃあ、主要な第一次産業は狩猟と採集、加工製品も木や恐竜の骨みたいな手に入りやすい品は結構なレベルの品を作れるようになっているが、鉄製品なんて無いに等しいって状況だ」
「なるほど。それで進歩が止められてるって訳か」
農業や酪農、そしてそれ以上に金属や鉱物などの地下資源は文明発展の基礎だ。それが封じられた状態では文明の発展は難しいだろう。
厳しい世界なのは分かっていたつもりだが、ここまで厳しさを突きつけられると流石にへこむ。これでは自分の世界に帰るまでにどれほどの危険と向き合わなければならないか分かったものではない。
「よぉう、レンド」
智宏がそんなことを考えていると急に後ろから轟くような声が聞こえた。智宏が驚いて声のした方を見ると、立派なひげを蓄えた大男が何やら壺のようなものを片手で掴んでやってきた。ノッシノッシという擬音が似合いそうな大股歩きで歩いてくる。
「よぉう、異世界人諸君。レンド、お前はまたただ飯を食っているのかぁ? 働かざる者食うべからずだぞ」
「今日はちゃんと仕事してましたよブホウさん。そうしたら魔獣に出くわしてこうして食料調達して来るはめになりました」
「うそつけ。仕留めたのはほとんどハクレンの奴じゃないか。それともおまえが連れてるそこの異世界人二人が食糧だとでもいうのか?」
智宏は冗談だと分かっていても笑えなかった。目の前のブホウという大男は本当に人でも食えそうなイメージがあったからだ。見ると、ミシオも同じことを思ったのか、頬を引きつらせている。
「……おや、異世界人の二人には冗談に聞こえなかったか? 安心しろこの世界に人を食う習慣はねぇよ。天が作りし人を人が殺めるなど有っちゃあならないことだ!」
そう言いながらブホウは三人に向き合うような位置にドッカリと座りこむと、持っていた壺のようなものを目の前に置いた。中にはなにやら液体が入っている。ブホウの様子からすると酒かもしれない。
「お初にお目にかかる。儂はこの村の戦士長を務めるブホウっつうもんだ。よろしく頼むぞ異世界人の若人よ」
「……えっと、ハマシマミシオ、です」
「吉田智宏です。あの、戦士長……っていうのは?」
「この村で一番強い男さ。本当ならこういう挨拶は巫女がするべきなんだが、今ちょっとゴードンのやつと話しててな。悪いが俺で我慢してくれ」
「巫女?」
「この世界におけるトップの役職だよ。戦士長は男の、巫女は女のな」
智宏がブホウの話にどう反応していいか分からずにいると、レンドが助け船を出すようにそう言った。
「戦士長に、巫女? 男女それぞれに、トップがいるの?」
「ああ、そうだぜ譲ちゃん。戦士長は村で一番強い男が、巫女は村で最も選ばれた娘がこなすんだ」
「最も、選ばれた?」
「えっと、要するに巫女の選定ってのは占いで行われるんだよ。先代の巫女が自分の巫女就任時に、その年生まれた女の子の中から次の代の巫女を占って決めるんだ。んで、選ばれた子供はその後成人するまでの間巫女としての教育を受け、十五歳で成人すると同時に巫女の座を継ぐ」
「そいで、新しい巫女の就任と同時に、俺ら男も試合をして次の戦士長を決めるのさ。そんで選ばれた巫女と勝ち抜いた戦士長は夫婦になって村を治める」
そこでブホウは椀を取り出して壺の中の液体を注ぎ、一気に飲み干す。やはり入っていたのはのは酒の一種らしく、注がれた白っぽい液体からはきついアルコールの臭いがした。
「さっきも言ったけどこの村の男は主に戦闘などの村の外での活動に必要な役職、戦士やその長、あと気功術が必要になる医者なんかを担当してるんだ。それに対して女性は主に道具、武器、防具の生産や政治、シャーマニズムなんかを担当してる。道具なんかを作るためのアイデアや政治的判断なんかはお告げだし、メッセージ以外にも目に見えない運気なんかも受け取れるんだ」
「……運気?」
「ああ、トモヒロなんかは心当たりがあるだろうけど、今朝村を出るときハクレンさんの奥さんのリンファさんに祈られただろ? あれは女性である奥さんが天から運気を受け取って夫に渡す意味合いがあったんだよ」
「天から運気をってのはどういうことだ?」
「女性ってのは男と違って神様と直接の繋がりがあるからね。神様が作った人間の赤子を最初に受け取ってこの世界に生み出すのは女性だ。だから女性ってのは神様からの賜り物を受け取れる大切な存在なんだよ」
そう言えば、と智宏は思い出す。この世界における人間というのは神様が作ったものだ。だとすればレンドの話は神が作った人を女性が産むという事態を説明づけるものなのだろう。
レンドは解説しながらも、どうやらこの世界の人間であるブホウに気を使っているらしく、宗教的価値観らしき話を当然の心理のように語っている。智宏はそのそつのなさに内心舌を巻いた。
「それにしても……、意外に男女の分担がしっかりしてるんだな……」
「差別意識みたいなものを想定してたかい?」
「ん……、まあ」
智宏としては、先ほどの話から勝手に男尊女卑の精神が息づいているのではないかと危惧していたのだが、レンドやブホウの話からはそれは感じられなかった。仕事こそ完全に分担されているものの、権力はほとんど女性が握っていると言ってもいい。
「差別というとあれか? 自身と違う者達を迫害するとか言う異世界の愚行か?」
「ええ、そうですね。レンドにでも聞いたんですか?」
「まあそんなところだ。あいにくと我らの世界にはないものだったのでな。天も人同士の益の無い争いを禁じている。そもそも魔獣共と戦うのに人同士で争っていては危険極まりない」
「なるほど……」
どうやら宗教上の教えによって差別を含む争いの火種を禁じているらしい。よくできた宗教だと思いつつも、智宏はどこかそれがある種の必然であるようにも感じられた。
宗教というのは信仰する人々の生活から生まれるものだ。そこには当然、その世界がより効率的に生きるための手段も含まれる。もしかすると人同士で争わないように定めた教えというのはこの世界の人々が生きる上で欠かせない知恵だったのかもしれない。あるいはそう言った争いを禁じなかった者たちが生きに伸びることができなかったという可能性もある。
「そういやぁレンド、さっきブラインの奴がお前を呼んでたぞ。明日の狩りのことで聞きたいことがあるそうだ」
「……狩り? レンド、明日狩りに行くの?」
「ああ、いや、別に俺が行くわけじゃないんだけどね。ブラインが明日、村の戦士たちと大きな獲物を捕まえに行くんで、その準備を手伝ってるんだ。大きな獲物だから絶対に取り逃したくないんだろうよ」
「大きな獲物って……やっぱり恐、魔獣か?」
「まあ、そんな感じだ。ちょうど話も終わったことだし俺はブラインのとこに行ってくるよ。たぶん遅くなるから先に寝ててくれ」
そう言って最後のクッキーもどきを口に放り込むと、レンドは立ち上がり、小走りに洞窟のほうに行ってしまった。
「あれ? ブホウさんは行かなくていいんですか?」
どういう訳かレンドが去ってもブホウは動くことなく、智宏とミシオの間に座って酒を飲んでいた。
「んん? ……ああ、あいつ等が特別準備があるってだけで儂らは特に準備はないからな。一緒に行ってもすることが無いし、それに何より儂はお前たちに興味がある」
「興味……、ですか?」
「ああそうだ。興味だ」
そう言ってブホウは再び酒に手を伸ばす。あれだけきつい臭いのする酒を、このペースで飲めるということはブホウはかなりのウワバミなのかもしれない。
「ところでお前ら、もう肉はいいのか? 今日は獲物が多かったからまだまだ有るぞ?」
「え?」
見れば三本あった肉の串焼きはすでに二人の皿から奇麗に消え去っている。智宏の三本のうちの一本は先ほどミシオに渡されているが、ミシオは合計四本の串焼きを見事に食べきったらしい。ちなみにそのことについて智宏は何かを言うつもりはない。
「新鮮な肉を思う存分食べられるいい機会だぞ? 明日になったら残りはほとんど保存用に燻製にしちまうからな。お前らも狩るのに関わってるんだ、食ってもだれも文句は言わんぞ」
「……は? 狩るのに関わってる? どういうことですかそれ?」
「なんだ? 知らずに食っていたのか? あの肉はお前らが出会ったっていう『人型』の肉だぞ」
瞬間、智宏の内心を何とも言えない不快感と嫌悪感を混ぜた上で、それを十倍に薄めたような微妙な感覚が襲った。先ほどまで平然と食べていたせいもあって吐き気を催すようなことこそなかったが、どうしてもゲテモノを食べたような気がしてならない。
(……って言うか食べたのって『竜猿人』だよな? ……僕の世界でいう猿人だよな……?)
頭の中に「カ」で始まる横文字が浮かびそうになるのを全力で阻止する。これは間違いなく考えてはいけないことだ。むしろ今までその可能性に気付いていなかったことの方が問題かもしれない。考えてみれば、レンドあたりがそれらしいことをところどころで言っていた気がする。
「あれって魔獣の肉だったんだ……。食べたことが無かったから、何の肉かと思った」
控えめながらも普通の肉を食ったような感想を述べているミシオは、果たして状況を理解していないのか、あるいは神経が見た目に反して太いのか、智宏には判断できなかった。
「今ならまだ肉も残っているだろうし、なんだったら取って来てやろうか?」
「……私はさっき他の人の分ももらったから、むしろトモヒロの分を……。私が貰っちゃったから……」
「……え?」
予想外の悪意のない言葉に智宏は絶句する。いくら何でも拒否できない流れをこのタイミングで作られるとは思っていなかった。
見れば、ブホウはすでに肉を貰いに行ったらしく、すでに取り返しのつかない事態に陥っていた。