エピローグ
一応『最新話』のリンクで来た方ように、更新の履歴を載せておきます。
25:ハイブリット・プラン 6日午前0時
26:樹形思考 6日午前8時
27:状況を打開する最強の力 6日正午12時
28:退場する者達の思惑 7日午前0時
⇒エピローグ 7日午前8時
結局、自分は何の役にも立たなかった。
あの日、全てが終わった後。遅れに遅れて現場に駆け付けた時の光景を思い出し、ミシオは激しい自己嫌悪に襲われる。
その場所で見たのは、全身を泥で汚し、体中を傷だらけにした智宏の姿。
自分のために傷ついてほしくないと願い、できることなら今度は彼を守る立場になりたいと願い続けたミシオの思いは、しかし結局叶うことなく、智宏は傷だらけになりながらも一人で問題を片付けてしまった。
ミシオはと言えば、なにが起きているかもわからないまま突然新校舎前で我に帰り、必死に走って駆け付けるもたどり着いたときには全てが終わっていたというありさまだ。
智宏いわく、ミシオは敵の攻撃を受けたていたらしく、実際今回の敵が【失われた時間】を使ってきたことを考えればミシオの覚えていない空白の時間にも説明がつく。
だがだとすれば、ミシオは結局何もできないまま、今回も智宏にすべてを押し付けてしまったことになる。しかも押し付けた荷物の中には、自分の命さえも含まれているというありさまだ。本当に情けないことこの上ない。
「また先日のことを考えているのですか?」
そんな思考に陥っていたミシオに、唐突に凛とした女性の声が投げかけられる。慌てて声のした方に振り返ると、カーテンで遮られたその向こうからリンヨウの声が続けて聞こえてきた。
「まったく、遅いと思ったらまたくよくよと考え込んでいたんですか。今入っても大丈夫ですか? シシタニさんが追加の着替えを持ってきてくださいました。一人だとどうも進みが悪いようなのでお手伝いします」
「え? あ、別にそこまでは……」
ミシオが断るのを待たず、リンヨウはカーテンの隙間からわずかに中の様子を確認すると、何着かの衣服を抱えて素早く試着室の中へと入って来た。
狭い試着室に二人という状況に何ら頓着することなくミシオに向きなおると、手にしていた服の一着をミシオに手渡し、『まずはこちらからにしましょう』とどんどん話を進めていく。
現在ミシオがいるのは、岩戸荘から一番近くにある駅の駅ビルの中の洋品店だ。季節が変わり、冬の衣服を持たないミシオの服を選ぶべく、リンヨウと、なぜか志士谷が付き添う形で買い物へと繰り出している。
もともと先日の件で落ち込むミシオをリンヨウが連れだす形で誘ったため彼女がいるのはわかるのだが、当日になってなぜかリンヨウと同じアパートに住むアース人の志士谷が付き添って来ていた。本人が言うには、自分もそろそろ買わなければいけなかったからとのことらしい。
「まったくあなたという人は、お世辞にも文明が進んでいるとは言えないエデンの私たちですら、もっとお洒落に気を使いますよ。魔力で鎧兜を着込む練習をするくらいなら、少しは自信を飾ることも考えなさい」
衣服の試着を勧めるミシオの様子を観察しながら、リンヨウはため息交じりにそんな説教も継続する。
そうこうしているうちに試着室の外にもう一人の気配が現れ、呆れたような溜息とともに常識的な意見が混じって来た。
「相変わらず異世界人の連中は極端な会話をしてるねぇ。この平和な日本でどんぱちに首を突っ込みたがるミシオちゃんもミシオちゃんだが、リンヨウちゃんも頭が固すぎやしないかい?」
「……思えばあなたもあなたで、うちの世界では考えられないような女性でしたねシシタニさん。あなたも一応女性なのですから、もう少し女性らしく振る舞ったらいかがですか?」
「大きなお世話だよまったく。あたしがスカートはいてしおらしくしてる姿とか想像するだけで寒気がすらぁ。あいにくとこの国ではあたしみたいな女も存在が認められてんだ。こればっかりは慣れてくれなきゃ困っちゃうね」
志士谷の言葉に、リンヨウは『まったく』とため息を吐いて、着替え終わったミシオの姿をチェックする。一通り不備がないかを見定めると、自分以外の人間の声も聞こうとカーテンを開けて志士谷の前へとミシオを突き出した。
「おっ、似合ってんじゃん。確かにリンヨウちゃんの意見は頭硬いとこあるとは思うけど、ミシオちゃんがもう少し着飾るべきってのは賛成だな。あたしと違って元の素材がいいから何着てても様になる」
「ひらひらしてて、動く時にちょっと……」
「また動き回ることばかり考えて。……それにしても、もう少し鮮やかな色の方がいいでしょうか? これだと少し地味すぎるかもしれません」
「ついでだからバックとかの小物も買ってっちゃうか? ミシオちゃんあんまりそういうの持ってないみたいだし」
「だったら、あの、できれば両手が空くものの方が……」
「「だから暴れることを前提に考えない」」
二人の女性から叱咤を浴びせられ、ミシオはようやく諦めて二人の判断に任せることにした。どうやらミシオの実用重視のセンスはこの二人のおきにはめさないらしい。
(トモヒロ、今頃何してるかな……)
閉じられるカーテンと差し出される服を見ながら、ミシオは何となくそんなことを考える。出がけに今日は特に用はないと言っていた智宏だが、最近の智宏はミシオに対して何かを隠している節がある。それが何なのかは想像もつかないが、それを知りたいという欲求はミシオの中で日増しに強くなり始めていた。
(いっそのこと、智宏の心を読んで――!?)
なんの気なしにそう考えて、ミシオは自分自身の思考に愕然とする。
今までミシオは、必要と考えて心を読むことはあっても、自ら積極的に誰かの心を読みたいなどと考えたことはなかった。イデアで染み付いた強固な価値観を超えるほど、そこまで強い感情を抱いたことはなかったのだ。
だが今ミシオはの中には、智宏の心の内をどうにかして知りたいという衝動が息づいている。
(なん、で? ダメ、そんなこと)
身の内に生まれた強固な欲求を理性で押し殺し、しかしミシオは唐突に生まれたその感情に戸惑いを覚える。
早くなった脈を沈めるのは、なぜか今日に限って酷く時間がかかった。
智宏が近づく気配に気付いて、目深にかぶった野球帽をわずかに上げて視線を向けると、その先にいた少女はこちらをまるで気にせずベンチの隣へと座り込んだ。視線を向けたときに智宏の額に帽子で隠れていた刻印が輝いているのが見えたはずだが、それについても少女は何の反応も示さない。
広い公園の中には少女の他に同じように接触してくる人間は見受けられない。誰かが近づいてくればすぐにわかるこの見晴らしの良さは、相手が人数を集めていた場合に対応しやすいからと、お互いに相手を疑い続けた上で出た結論だ。互いに一人で来ると言う約束は交わしてはいたものの、それで完全に相手を信じられるほど二人の仲はまだよくない。
「こんにちわ。とりあえず一週間ぶりね。怪我も治ったようで良かったわ」
「おかげさまで、と言っておこうか。ところで、つかぬことを聞くが今日のその体は本体なのか?」
「いいえ。私がこんな会合にのこのこ大事な体を連れてくるはずがないでしょう? ああ、それと『罪もない一般人の体を勝手に使うな』みたいな正義感あふれるセリフは吐かないでね。確かにこの体は一般人のものだけど、決して罪が無いわけじゃない」
「……そうかい」
考えた末にそう返しながら、智宏は心中で迂闊なセリフだなと苦笑し、相手の発言を分析する。
今のセリフだけで、精神体がこの体の持ち主と何らかの確執を持っていることが知れてしまった。目の前にいる少女からは、体格や顔立ちなどから少女自身の情報が容易に読み取れる。確かにファッションや化粧などで大分大人びた印象は受けるものの、それでも年齢が近いがゆえにその手の観察は簡単だ。年は智宏より二つ三つ下、顔は検索をかけても出てこないため智宏の会ったことのない他校の生徒だとみられるが、それでも中学生くらいであることは明白だ。そうなると彼女と接点がある精神体の本体も、同じ中学生くらいの、恐らくは少女であることが簡単に推測できる。
(あとは目の前のこの娘の身元が分かれば調べられる、か。いや、まだことを構える気が無い以上、下手に本体の詮索はするべきじゃないな)
「さて、そろそろ教えていただきましょうか? 私が知らないこの私という力の正体について、この前の騒動に繋がる、その顛末とやらを」
智宏がこの精神体と再度接触したのは、実はあの騒ぎの次の日、文化祭の二日目のことだった。大胆にも次の日に堂々と他人の体で現れたこの精神体と、その日智宏はレンド達異世界の者たちには内緒で会う約束を取り付けたのである。
目的は、情報交換と相手の今後の身の振り方を話し合うこと。精神体は敵でこそなかったもののその価値観は少々過激で、かつ自身の正体や存在が明るみに出ることを極端に嫌がっていたため、ついには智宏の単独かつ独断での会談となったのである。
智宏としても下手にレンド達に話して対立するよりはいいと考えていたし、異世界関係の事情を話すことで相手が態度を軟化させる可能性も考えていた。
たとえレンド達との接触を拒否されたとしても、この存在を野放しにするくらいなら智宏一人でも関係を持っておいた方が遥かにましだという判断もある。
「……そう。まったく、五つの世界に、刻印使いに、魔力、ね。この前のことで予想はしてたけど、私が想像していたのよりも随分と事態は大ごとなのね」
異世界関係の知識と智宏の巻き込まれた事件の大方の経緯を話し終えた途端、半ばあきれたような感嘆と共に精神体入りの少女はため息をついた。
だが大方の情報を提示し終えた智宏としては、ここからが重要な局面とも言える。
「そもそもお前の場合は一体どういう経緯で刻印に目覚めたんだ? いや、この表現は少し語弊があるのか?」
「そうね。確かに語弊があるわ。薄々感づいているようだから教えちゃうけど、私は刻印を発現した刻印使いじゃなくて、発現してしまった刻印の方なんだもの。もともとは見知らぬ土地に放り出されたあの娘が、『助けてくれる他人』と、『他人に頼らない強い自分になること』を望んで生まれたのが私って訳。人の体に乗り移る【潜入精神】は、あなたたちの言うところの気功術を使った、本来に自衛のための応用技にすぎないのよ」
「なるほど、文字通り『魔力に心を持たせる』って刻印の産物な訳かお前は。自力帰還できたのもお前の影響なのか?」
「ええ。もともとあなたたちが言うところの魔力だからね私は。何が起きたのかは感覚でわかったし、後は元の倒れていた場所まで戻って魔方陣が復活するのを待ったら簡単に帰れたわ。あの娘に至っては、自分が知らない場所に投げ出されたことも夢だと思ってるくらいだもの」
「帰るのに苦労した人間には酷な話だよなぁ」
元の場所に戻って待っていれば帰れるというのは、異世界に投げ出されて大いに困惑した者たちには文字通りの意味で特大の落とし穴だ。気付いてしまえば簡単だが、普通の人間ならそんな簡単なことで帰れるなどとは夢にも思わない。
「それより、そんな大ごとになってるのによく何年もニュースにならなかったわね。帰ってる人がどれだけいるか分からないけど、結構な数の人が行方不明になってるんでしょう?」
「そこはまあ僕も意外っちゃあ意外だったんだがな。実は日本でも人が行方不明になる事件ってそんなに珍しくないらしいんだ。しかも異世界関連の人には帰れた人も多いし、ことがことで迂闊に話せないから一時的な家出とかそんな理由で扱われてるらしい」
「へぇ。私人が一人消えるって結構大ごとだと思ってたんだけど……。じゃあこの前のドンパチはどうしたの? あれも特にニュースにはなってなかったみたいだけど」
「あれはまあ、異世界について知ってるメンバーだけで片をつけた。警察や報道機関に出てこられても面倒になるだけだしな」
幸いだったのがあれだけ派手に立ちまわったにもかかわらず、周囲への物理的被害が少なかったことだ。水晶が消し飛ばした樹木などはちゃんと生えていた穴に再出現して倒れることもなかったし、智宏の魔術も再出現した際に得に人もいなかったため被害なども出なかった。音や閃光を誰かに見られていた可能性もあったが、そちらも祭りの最中ということでスルーされたらしく騒がれることなく終わってしまったし、残っていた僅かな破壊の痕跡は智宏が祖母に相談してなんとかしてもらった。
もっとも、だからと言って関係者の苦労が小さかったわけではない。次の日の文化祭は中止にこそならなかったものの、護衛のための異世界人が多数入場して誰も知らない厳戒態勢が敷かれたし、智宏は父親と祖母、そしてレンドの三人から立て続けに説教を食らうはめになった。
もっとも、おかげで次の日の文化祭も中止になることはなく、智宏の参加団体だった『七つ目の不思議』が七不思議イベントの恐怖ランキング一位に輝いたりしたのだが、それはまた別の話だ。
「怪我とかは見咎められたりしなかったの?」
「まあそればっかりは隠しようがなかったんで、あの後すぐ駆けつけてきたミシオに頼んで、知り合いに適当な事情説明をしてもらって早退した。なぜか過労だって言わせたらあっさり話しが通ったよ。次の日には気功術で怪我もほとんど完治してたしな。……さて、」
と、大体の説明を終えたと感じた智宏はここでそろそろ自身の本題に入ることにする。相手にしてみればこちらから情報を受け取れて用事が済んでしまったかも知れないが、智宏の用事はここからが本番だ。
「まずはあの時のことで聞いておかなければならないんだが、僕が頼んだ渦の捕獲はどうなった? あの後数日待って見たが、特に出頭してくる様子が無いんだが」
「ごめんなさい、失敗したわ。見つけることはできたんだけど、使っていた体がその後殴られてノックアウトされてそのままよ。あのミシオって娘の体を使ってよかったのなら、ある程度対応ができたのだけど」
「生憎だけどそればっかりはな。っていうかそのときもお前別人の体使ってたのか?」
「当たり前でしょう。あの娘の体をそんな荒事に巻き込めますか」
非難の意思を込めて睨む智宏に対し、精神体は何を言うのだと言わんばかりににらみ返す。
だが今回は智宏が折れる以外にはどうしようもなかった。そもそもこの精神体に渦の捜索を命じて、しかもミシオの体を使わせないように命令していたのは智宏自身なのだ。余裕が無かったとはいえこの相手が本体で出向く可能性が低いことくらい予想してしかるべきだったし、こればかりは完全に智宏の落ち度というほかない。
智宏が殴り倒されたという名も知らぬ誰かに心中で謝罪していると、それに構うことなく精神体入りの少女が話を進めるべく口を開く。
「そもそもどうして、貴方はあの男が近くで見てるなんて気付いたの? 私と別れる直前の段階で、貴方は『この場が見える場所にいる人間を探せ』と言っていた。これって、あの男の存在に貴方は初めから気付いていたって言うことよね?」
「まあ、あの渦って男には以前会ったことがあるって言うのと、同じ手口で捕まえた殺人犯を搔っ攫われていたって言うのが一番大きいんだが……、実はもう一つ気になってたことがあってな」
「気になってたこと?」
「ああ。これはまあ、今日お前と直に会って話している理由にもつながるんだが、この前襲ってきたあの水晶って奴の目的がどうにも気掛かりなんだ」
「目的もなにも、あれってどう考えてもあなたを殺しに来てたんじゃないの?」
物騒なことをずけずけと言ってのける少女に、智宏は『いや』と首を振って否定の言葉を告げる。
「最初は僕もそう思ったんだ。いや、本当の意味での最初はミシオを狙ってるもんだと思ってた。でも弾丸が僕に集中してるんで狙いは僕なんだと気が付いた。でもさ、本当に僕の命を狙ってたにしてはやり方がおかしすぎるんだよ」
「やり方がおかしい?」
「ああ。最初に僕らを狙ってた過去からの狙撃、あいつが【喪失時計】と呼んでいた拳銃形態での攻撃は、明らかに奇襲・暗殺向けの性能だった。だって言うのにあいつは、わざわざあの場所に僕らを呼び出して、こちらに自分の存在を知らせた上で、そこで始めて僕らを攻撃してるんだよ。
もしも殺害が目的ならそんなまどろっこしいことをする必要はない。それこそ昇降口ででも未来を見て、僕が出てきた瞬間を狙って銃殺すればいいんだ。こっちが特に警戒していない、相手の存在にも気付いていない状態なら、たぶんもっと簡単に僕は殺せたはずだ」
「確かに言われてみればそれもそうね」
「それだけじゃない。あいつは最初、僕に対して一発づつしか弾丸を撃ってこなかった。本当に殺そうと思うなら、【喪失時計】は最初の一瞬を奇襲で、それも逃げ場のない至近距離集中砲火で狙うべきだったはずなんだ。油断や慢心もあったとは思うけど、でもあいつの行動にはどこか一貫性が欠けている」
殺意が無かったとは思わない。実際、水晶は智宏を確実に殺しに来ていたし、本人の殺意は間違いなく本物だった。
だが一方で、智宏は水晶の行動に、彼女の意思とはまた別の意思が介在しているように思えてならない。
「でも、だとしたらその女の目的は一体なんだったの? いえ、この場合は女の背後にいるっていう『第六世界』とかって組織の目的になるのかしら?」
「間違いなくこれだと言える解答は今のところ見つかってない。ただ僕は、今回のこの襲撃が、僕の刻印を探るためのものだったのではないかと思えてならない」
「刻印を、探る?」
「ああ。そして、ここからはお前の本体の身にも関係してくる」
智宏の言葉に、精神体に支配された少女の表情が目に見えて強張る。どうやらこの精神体にとって、生みの親である刻印使いは相当に大事な存在らしい。
「今回使っていた水晶の武器、拳銃形態の【喪失時計】に巨大な扇上の魔力を展開する【欠け時計】、この二つの形を持つ一つの武器は、同じ『対象を未来に送り飛ばす』力を応用していたわけだが、実はこれとまったく同じ能力を持った刻印の持ち主が、一月半ほど前から行方不明になっている」
一瞬だけ智宏は畑橋についても詳しい事情を話そうかと思ったが、今のこの話とはあまり関係が無いので割愛することにする。今はともかく、自分たちに直接かかわる話を優先するべきだという判断だ。
「レンド達にも聞いたんだが、刻印使いの刻印は魔力を扱う彼らの技術でもってしても複製はできないらしい。いろいろな属性の魔力が複雑に混ざり合っていて、ほとんど新しい属性の魔力になっているんだそうだ。だというのに、今回の敵は刻印使いの刻印と同じ効力を持つ魔力を使って来ていた」
「刻印の複製に成功したってこと?」
「その可能性もあるだろう。だけど僕は全く別の可能性を考えている」
「別の可能性?」
「件の刻印使い、畑橋さんの刻印が剥ぎ取られて、何らかの方法であの武器に使われていた可能性さ」
「……!!」
智宏の言葉に、精神体入りの少女の眉がぴくりと反応する。どうやら彼女も、今回のことの重大さが分かって来たらしい。
「もしもこの敵が何らかの手段で刻印を剥ぎ取る手段を手にしているとしたら、今後『第六世界』は使える刻印を狙って奪いにくる可能性がある。そしてそのためには、まず僕らの刻印の効力をある程度把握することが必要だ」
「あの戦いで私たちの刻印の正体が悟られたってこと?」
「そこまではわからない。僕らの刻印はあまり外に影響が出るものじゃないから、性質的に隠しようがない反面、傍から見ていても非常にわかりにくいからな」
これまで智宏は、積極的に自身の刻印の効力を隠そうとはしてこなかった。
それは下手に隠して何ができるか分からない化け物として警戒されることを恐れての判断や、平和に暮らそうと考える上で、警戒させてまで手の内を隠す理由はないと思っていたからだ。
だがもっと根本的な理由としては、そもそも【集積演算】という刻印は知ったからと言ってどうにかできるものではないだろうという認識があったことが大きい。
【集積演算】には欠点や弱点、そしてそれに基づいた対策法は存在しない。
これは智宏自身が【集積演算】によって導き出した、ほぼ間違いのない解答だった。【集積演算】の効力は智宏自身の中で完結してしまうため、対抗手段こそ存在しても致命的な隙というものが存在しないのである。ばれて拙いと言う意味では、智宏はむしろ魔術のレパートリーの方を秘密にするべきだと思っていたくらいだ。
「ただ、お前の刻印も僕の刻印も、今回の件で正体が露見した確率はかなり高い。もともと僕の刻印を探るために送られてきた刺客だ、ある程度戦うことで探れると考えられていたことは間違いないだろう。
お前については何とも言えないが、厄介なことにお前はミシオの体で僕と交戦しているのを見られてる。それ以上のことは他のお前の行動や、そもそもお前の本体の行動がどこまで見られたかによって変わってくるが、かなりのレベルで露見していると見るのが妥当だろう」
そもそも智宏とミシオの対決という構図自体から、ある程度の仲間割れを起こせる効力に絞り込むことができるのだ。後一つでも何らかの情報が加われば、そこから精神体の存在を導き出すのは難しくない。
「で、だ。ここで僕はもう一度お前に確認しなきゃいけないんだが、お前、本当に渦には逃げられたのか?」
智宏が鋭く睨みつけると、少女の目が一瞬細まり、次の瞬間には舌打ちという答えが返ってくる。言葉にすらならないその返事は智宏の懸念を裏打ちするには十分だった。
「迂闊だったよ。お前がこちらの指示に従わない可能性くらい、僕も考えて行動するべきだった。みすみす僕は、お前という刻印の正体を探る手段を、敵の中に投げ込ませてしまったわけだ」
「…………悪かったわね。ええ、ええっ!! 私が浅はかだったわよ。でもまだバレたと決まったわけじゃないじゃない」
「どちらにしろ、早いうちに呼び戻して回収した方がいいな。確かに敵の懐にこちらのスパイを送り込めたのは良かったが、もしバレているとすると何らかの手段で取り出される可能性もある。今潜ませた精神体とは連絡は着くのか?」
「無理よ。私にそんなテレパシーみたいな力はないわ。一応隙を見てこちらに連絡するつもりで潜ませたけど、一週間たっても連絡がないし」
「まずいかも知れないな。もし敵にお前の刻印を奪う気が無かったとしても、刻印自体が脅威とみなされたら僕のように襲撃される可能性もある。とにかく、こうなった以上お前もこちらのメンバーと連携はとった方がいい。お前は嫌がるかも知れないが、レンド達に六人目の刻印使いとしてお前を紹介して――!?」
もっとも重要な説得工作を行おうとしていたそのとき、唐突に智宏の脳裏にいくつかの映像が瞬き、反射的にベンチから立ち上がる。
隣の少女が驚きに目を見開いていると、智宏の顔色がみるみる変わり、やがて一つの確信がその口に言葉を紡がせる。
「ミシオ……?」
このとき強化された頭脳は初めて理解した。巻き込まないようにと知り合いに預けて遠ざけたはずの少女が、別の場所で別の事件に巻き込まれてしまったという事実を。
一時間の奔走ののちにようやくたどり着いたその場所は、どうやら閉店した飲食店のようだった。
売りに出され、内装のほとんどを片付けられたその場所には、しかし現在むき出しになったコンクリートの床に魔方陣が刻まれ、その周囲を囲む異世界人たちによって物々しい空気で満たされている。
「来たか智宏。やっぱりそっちにもミシオちゃんの通念能力は届いてたんだな」
「ああ。届いた。いったいどうなってるんだ? ミシオは一体どうなった!?」
「落ち着いてくれ智宏。いや、お前に対してはこの前置きは不要だな」
真剣な顔でこちらに歩み寄るレンドに、智宏は意識的に呼吸を深くしながらも情報の一片も逃すまいと混乱した思考を【集積演算】で整える。
だがレンドが話そうとしたそのとき、新たに現れたもう一人の男の声が再びそれを中断させた。
見れば、全身汗だくで息を切らしたエイソウが、殺気だった様子でこちらにやってくる。
「リンヨウが攫われたって言うのは本当か? 一体何がどうなっている!?」
「エイソウも来たか。ちょうどいい。二人には一緒に説明しよう。
今から一時間前、一緒に買い物をしていたミシオちゃん、リンヨウさん、そしてシシタニさんの三名が、何者かに誘拐された」
「誘拐!?」
「どういうことだ? リンヨウにはソウカクやウンサイを含めた、何人かの護衛がついていたはずだ」
智宏自身聞き及んでいる。今回ミシオをリンヨウと共に出かけさせるにあたって、智宏が同行できないことを告げると、レンド達は数名の護衛を本人たちに気付かれない形で二人のために割いてくれていた。これはミシオの護衛というよりも、どちらかというとエデンの巫女であるリンヨウのための護衛という側面が強く、智宏自身自分がミシオに着けない分彼女の護衛に便乗させてもらった形になる。
だが、
「護衛にあたっていた五人はソウカク、ウンサイの両名を含めて三人が軽傷。一応命に別条はなかったものの、今医療班に手当てを受けている。敵は先に護衛の者達と接触、二名を無力化、三名を足止めしながら、白昼堂々三人を人目もはばからず気絶させ、そのまま車で連れ去っている。幸い警察の協力は受けられたんで、どうにかそいつらが逃げこんだこの場所までは追ってきたが、見つけてみたらこの通りのありさまだ」
言外に異世界に攫われたのだと告げながら、レンドは感情を交えずあったことを淡々と説明してくる。
智宏が一時間前に受け取った通念能力による感覚情報、それは唐突に痺れるような感覚と共に地面に崩れ落ちたミシオが、意識を失うまでのわずかな間に感じたものを、SOSのメッセージとして異世界関係者の知り合いに送りつけたものだった。
智宏自身すぐさまその意味を理解し動きだしたものの、どこで起きたことなのかの特定に時間がかかり、全てが終わった後ようやくこの場所にたどり着いたというありさまである。
「くそっ!! 一体どこのどいつだ!! ソウカクやウンサイも結構な腕利きだったはずだぞ」
「ミシオを狙ってたとすると、もしかして『第六世界』の連中なのか?」
「いや、実際に交戦した連中の話によると、相手の使用した攻撃手段は主に魔力銃や魔力長銃、顔は目出し帽に隠れてわからなかったが、身につけていた装備がタミリアの正式装備に近い代物だったらしい」
「タミリアだと? ってことはまさか……」
「ああ。床の魔方陣も調べたが、追加されていた術式から見てまず間違いない」
智宏のわからなかった単語にエイソウが反応し、レンドもそれに頷いてみせる。知識として知らないものがある智宏にも、彼らの話の内容はある程度推察できていた。
「――第四世界が動きだした」
第三章後編にお付き合いいただきありがとうございました。
次の更新は故国に捧ぐカタナの二章になると思います。時期は……、まだわかりません。実はこの章の戦闘シーンが思いのほか難産で、まだプロットすら立てていないのです。
っていうか少し休みたいです。ゲームとか本とかたまってます。なんで一か月前の自分は期限とか設けちゃったりしたんでしょう。まあ、だからこそある程度早く更新できたわけなんですが……。
また次の更新までしばらくかかってしまうかとは思いますが、それまでお待ちいただけると幸いです。
ご意見ご感想、ポイント評価等お待ちしています。