24:欠け時計
一応『最新話』のリンクで来た方ように、更新の履歴を載せておきます。
20:敵はハマシマミシオ 5日午前10時
21:もう一人の敵 5日正午12時
22:喪失時計 5日午後5時
23:過去VS未来 5日午後8時
⇒24:欠け時計 5日午後10時
「……未来が、変った……?」
唐突に切り替わったその光景に、水晶はしばし怒りを忘れて沈黙した。このままでは追い付けないと判断し、予知する未来をしばし現在に前倒しして予知し直し、敵の進路上で待ち伏せた直後の出来事である。
未来が切り替わる瞬間というのは、継続的に未来を知覚できる予知系能力者にとってそう珍しい感覚ではない。水晶とて唐突に見ていた未来の景色が変わる瞬間には、これまでの人生で何度も立ち会っている。
だが今回の、この襲撃に関しては初めてだ。そもそも未来への影響が極力少ない【喪失時計】による攻撃では、現れた弾丸に敵が対応する姿は目にできても、唐突に視界が切り替わる【未来視】における未来変化の光景は見ようがない。
(なんだ……? 何が未来を変えた……? このゴキブリ男一体どうやって私の位置を……、っ!!)
標的に並走する形で走りだそうと地面を踏みしめ、足裏に返る感覚によってはじめて水晶はその可能性に思い至る。よく見まわしてみれば、辺りにはぬかるみについた自分の足跡や踏みつぶした草花、そして走る際にぶつかってへし折れた枝など、数多くの痕跡がそこかしこに残されていた。
(まさかこいつ私の残した痕跡を避けて……!!)
過去からの銃撃の防御面の強みが敵が過去にいる水晶に決して反撃できないことなら、攻撃面での強みはいつどのタイミングでどこから攻撃が来るか的には全くわからないということだ。
だが攻撃する水晶の立場にしてみれば、攻撃の発射は常に自身の手にある魔力銃から生まれ、それ以外の場所からはしようがない。詰まるところ銃撃が生まれる場所とはイコールで水晶が過去に存在していた場所といっても過言ではないのだ。
(こいつが私の足跡を避けて動く以上、ゼロ距離射撃はもうできない。遠距離から撃つにしても発射位置は足跡のあるルートと判明していれば防御もたやすい。さっきまでの場所なら足跡も多かったしこいつの魔術や私の銃撃で地面を砕いていたから、ってそうでしたねぇ……)
唐突に一つの手段を思い付き、水晶は自身の銃の機能を切り替える。時間設定は一つのタイミングに弾丸を一斉送信する『瞬間固定モード』、そして銃自体は『連続射撃』に設定し、その場で銃を構えて狙い撃つ。
ただし標的は憎き少年ではない。その少年が判断基準にしている地面そのものだ。
「キィィィィィエェェェェェェッ!!」
奇声を発しながら銃を乱射し、大量の銃弾を未来へと送りつける。途中で内包する魔力を失った魔力充填機を通常の銃と同じ要領で交換し、自身がいる場所から狙える地面を根こそぎ破壊すべく撃ち尽くす。
(これでどれだけ足跡をつけても時間になれば消える。潰すわぁ、次こそ潰すわぁ、このゴキブリィィィィイイ!!)
(チィッ、そうだよなぁ、やっぱりそう来るよなぁ畜生!!)
内心で強く舌打ちしながら、智宏はすぐさま【岩壁城塞】を展開し、現れた嵐のような銃弾から身を守る。智宏に当たることは最初から期待していなかったのか、【岩壁城塞】に当たる弾丸は微々たるものだったが、それでも周囲に残っていたはずの足跡が、視認する前に消えてしまったことは確かだった。一度見た足跡なら場所まで正確に記憶しているが、薮などに隠れていた足跡では位置もわからない。
(これまでの攻撃から考えて、敵がこちらに弾丸を撃ちこもうと思ったら、どうあっても【包囲装甲】を突破しなくちゃならない。方法としてはゼロ距離射撃などの防壁のない内側から攻撃か、魔術の破壊から再起動の隙を狙うかどちらかしかないわけだが……。至近距離の射撃は足跡が無かった以上ほぼ不可能、だとすれば敵が取るのは……!!)
思い至り、体の各所に魔方陣を展開する智宏に対し、敵は恐れていた通りの行動に打って出た。智宏の周囲をぐるりと取り囲むように魔力が発生し、次の瞬間にはそこから弾丸が襲いかかる。
(術式同時展開――【包囲装甲】、【土神の剛腕】!!)
すぐさま周囲を包む防壁で弾丸を受け止め、それが破られる前に腕を巨大化させて弾幕のない空中へと逃れ出る。先ほどテニスコートで行ったのと同じ脱出法にはしかし、先ほどとは違い的確な追撃が用意されていた。
地上から空中の智宏を狙い打つように、六十七発の弾丸が新たに地上に現れる。
「食らうかぁっ!!」
体を支える巨腕の関節を動かして集中砲火の射線から逃れ、智宏は数発の弾丸を防壁で受け止めながらも再び安全地帯へと身を躍らせる。こうなる可能性を予見して、【土神の剛腕】の発動時に爪を地面に突き刺し、掴んでいたのだ。
しかし一方で智宏は今出現した弾丸の中に、おかしな場所を狙っていたものがあったことに気付いていた。智宏が向かったのとはまるで関係ない、それこそ囮にも間接攻撃にもならない奇妙な二か所の場所に、なぜか集中砲火とも言えるような二十三発の弾丸を感知する。
(なんだ、あんな場所に? 一体どういう意図で――!!)
いくつもの思考を費やして一瞬で相手の意図を探り、周囲に新たな魔力が現れた瞬間に答えに思い至る。
智宏を空中で包囲するように待ち構える大量の弾丸、しかもそのうちのいくつかはかなり精密な狙いで、巨腕と防壁の隙間や、攻撃に耐えかねて破損した防壁の隙を突くような配置で出現している。
(くそ、まさかさっきのは失敗した未来の……!!)
気付いてしまった事実に戦慄しながら、巨腕による移動は間に合わないと判断し、智宏は防壁の中で無理やり体を動かし体勢を変える。次の瞬間に防壁の隙間から飛び込んだ弾丸は、その内の三つが防壁の中に飛び込んで智宏の体を僅かにかすめ、防壁に内側からひびを入れた。
「っぅぅぅぅぅぅ!!」
右肩、左もも、そして脇腹に走る痛みに歯を食いしばりながら、それでも智宏は油断することなく思考をフル回転させる。
先ほど感知した不可解な集中砲火、それがもしも智宏の予想通りの代物なら油断などできるはずがない。
恐らくあれは、敵が未来にいる智宏に対してトライ&エラーを繰り返した跡なのだ。この敵は厄介なことに、自身の攻撃がうまくいかなかった場合に攻撃時間をさかのぼり、もう一度攻撃し直すことができるはずなのである。
恐らく敵の予知の中では、智宏は最初あちら、仮にAとでも呼ぶ方向に逃げていたのだろう。だからこそそれに対して追撃の弾丸を放ち、しかしそれで智宏を殺し切ることができなかった。
普通ならばそれで終わるはずの攻撃は、しかしこの相手の場合まだ終わらない。自分が見る未来の時間と、攻撃する時間を調節できるこの敵は、Aに逃げられては仕留め切れないと判断し攻撃時間をさかのぼってAへと逃げる前の智宏に攻撃して別の方角Bに智宏を誘導したのだ。それでもAというルートに逃げた智宏に攻撃したという事実は変えられないから、目標を見失った弾丸がああして現れている。
恐らくこの敵は智宏を仕留めようとして何度も失敗し、最終的に今の攻撃を選ぶ結果となったのだろう。それは逆に言えば、このルートが一番智宏にダメージを負わせやすいルートだということになる。
(どこだ……? どこからくる……? 考えろ、これで終わるはずがない)
高速化した思考の中で、周囲の時間が引き延ばされるような感覚を覚えながら、智宏は次の攻撃の来る位置を必死で考える。防壁の再展開にも巨腕による移動にも、あとわずかだが、それゆえ致命的な時間が必要だ。こと時間については圧倒的なアドバンテージがある相手が、この隙を見逃すとは考えられない。
現在空中にいる自分に対し、ゼロ距離射撃はありえない。周囲に張った防壁の中で、攻撃が隙間や通る穴は五か所のみ、そのうち二か所は身をよじった際に巨腕の陰に隠しているし、一か所はたとえ打ち込まれたとしても体に当たる位置ではない。残る穴は二か所だが、片方の先は空に向っており打ち込むことができず、もう片方は――、
「っ!!」
脳内に映し出していた周囲の地形、様々なものの位置情報からその場所を割り出し、右腕の巨腕に力を込めながら新たな術式を左手に展開する。
振り返って確認するまでもない。先ほど五感を含むあらゆる情報を使って脳内に作り上げていた周囲の立体地図には、頭の後ろの、先ほどの銃撃で防壁にあいた穴の向こうに、ちょうど人一人が足場として立てるほどの、太い枝が伸びていたのを示している。
(術式、展開――!!)
必死で掌の術式を操作し、空中で身をひねって背後へと左腕を差し出す智宏に対し、予想通り敵も弾丸を放つ予兆を示す。弾丸が放たれる前に、微量の空気を伴って現れる強力な【失われた時間】の魔力の気配。気配の現れた個所は寸分たがわず防壁の穴を狙っており、今までのタイムラグから考えて、ちょうど防壁の穴と智宏の頭が一直線になるタイミングで弾丸が送り込まれるようになっている。
(――【強放雷】!!)
智宏の魔術の発動は、弾丸の出現よりもわずかに早かった。放たれた電撃は先ほどの銃撃で破損した防壁を軽々と突き破り、だが直後に現れた弾丸がその電撃を撃ち抜いてその向こうにいる智宏へと襲いかかる。当然と言えば当然の結果だった。あくまでも現在しか狙えない魔術の電撃では、決して過去にいる敵の銃撃は防げない。
だが、それでも放った電撃は別の効果を智宏にもたらす。直前まで智宏の頭に狙いを定め、その命を確実に奪い去ろうとしていた弾丸は、しかし目測を僅かに誤って智宏の右ほほを僅かにかすめるだけにとどまったのだ。
「おのれぇ……!! やってくれたな虫けらが!!」
自身の放った弾丸が目標を外すのを目の当たりにし、水晶は木の上で猛烈な歯ぎしりを繰り返す。
弾丸を放つ直前、確かに水晶は標的を仕留めたと確信した。標的が何やら魔術を使おうとしているのは見えていたが、未来視で未来を見ているだけで、過去のその場所にいる自分には関係ないと無視を決め込んだ。
だが、その判断が、結果的に水晶の行為をしくじらせることになる。確かに放たれた電撃は過去にいる水晶には届かなかったが、その影響は未来を見ている水晶に、閃光による目くらましという形でもたらされたのだ。【未来視】は実際に自分の目で見ているのではないので目をやられるような事態にはならなかったが、それでもあそこまで白く塗りつぶされた視界では正確に相手を狙うことはできなかった。
そして、それによって生じた隙は致命的だった。狙いが外れたことで体勢を立て直せた標的は、あろうことか魔術の腕の力で体を放り出して木の枝へと飛び移り、そこから気功術によるものと思われる身軽さと、いくつかの魔術を駆使して樹上を飛び移り逃げていく。自身樹上で未来を狙い打っていた水晶だが、素の身体能力だけで同じような身軽な動きはできそうにない。
(おのれぇ……!! もう一度別の場所から狙うか……? だがもう突けるような隙が……!!)
この標的はとにかく対応が的確で隙がない。口では一方的に罵倒しながらも、実のところ水晶は智宏の実力に関しては見誤ってはいなかった。現に先ほどから七回も未来を狙いなおしているというのに、この敵はどの未来でも的確に対応し、攻撃から逃れ続けている。それだけのことができる人間を実力者と認めないほど、水晶は迂闊な人間ではない。
だが同時に、だからこそ許せない。これだけの力を持ちながら自分の主に仕えようとしないことが、水晶には限りない不敬に思える。それはたとえ相手が主の存在を知らなかったとしても変わらない。むしろ知らないのだとすればなおさら許せない存在だ。
(やはりこの場所ではだめね……。いくら足跡が消せると言っても、活動範囲が狭まることに変わりはない)
幸いなことに、敵が向かう先にあるのは雑木林の外、この広大な学園の初等部校舎と、その周囲の教育施設の方角だ。この標的が一体どういう意図でそんな方向に向かっているのかは分からないが、それでもアスファルトという、足跡が決してつかない地面のある場所に逃げてくれるのは好都合だった。
(そう言う部分は迂闊ねぇ。やはり主様の役に立つとは思えない)
樹から飛び降り、樹上をノミのように飛び回る標的を未来視で追いながら、水晶はわずかに敵の浅はかさをほくそ笑む。
(どこまで逃げるつもり? それともいつまでかしら? どちらにしろ同じことよ。なにしろ私がいるのはあなたの過去、逃れられない過去なのよ)
そう。それだけは決して間違いようのない確かなことだ。どんなに敵が速くても、どんなにうまく隠れても、水晶は見る時間を調節することで敵を再発見し、ことによっては隠れた場所を暴くことができる。逃げるだけ無駄であることは間違いないのに、それでも逃げて自身にとって不利な場所へと向かうこの標的の思考回路は、水晶には余りに愚鈍で間抜けに見えた。
そうして標的の愚鈍な逃走劇は予想通り唐突に終わりを告げる。水晶の見る未来の中で、樹上を飛び回っていた標的が緑の壁を突き破り、その向こうに飛び出したのだ。茂みに隠れて前方こそ視認できないが、右手の上の方に見える建物の影は間違いなく初等部の校舎のものだった。どうやら敵は、自らの死に場所にまんまと飛び込んでくれたらしい。
(所詮、素早さだけが取り柄の小蝿などこんなもの……)
未来を変えぬように離れた場所から回り込みながら、アスファルトの地面を踏みしめて水晶は再びほくそ笑む。先ほどこの道に飛び込んだ標的を、飛び込んだ瞬間から見られるように時間調整して予見すると、直後に雑木林を突き破って標的が現れ、魔術によって衝撃を殺し見事なまでの着地を決めた。
すぐさま未来の標的めがけて足跡の残らない地面を蹴り、ゼロ距離射撃で心臓を打ち抜くべく一気に距離を詰める。
「無意味なのよ無駄なのよぉ、どんなに逃げても、足掻いても!! 人は過去からだけは、絶対に逃げられない!!」
「ああ。そうだろうな」
(えっ?)
聞こえないはずの声が聞こえたその瞬間、見えていた少年の姿が唐突に未来から消滅し、代わりに右手の雑木林から空を切る鋭い音が耳に届く。
驚いた水晶が慌てて音と声の方向に視線を向けると、森から飛び出した少年の巨大な拳が、樹上からの落下速度を伴って水晶の全身を殴打した。
「――くそっ、しくじった!!」
空中で【土人形の鉄腕】を発動させ、敵と思しき女を殴りつけたその瞬間、しかし智宏は帰ってくる手ごたえからその襲撃が失敗したことを悟った。
否、手ごたえだけではない。拳によって跳ね飛ばされた相手は、全身に黒い煙上の魔力を纏っているのが見て取れる。その魔力が与える感覚は、智宏に対してこの女が敵であることを証明するものだった。
ある程度の衝撃を吸収、緩和する妖属性の魔力。今回の襲撃者の証とも言えるその魔力によって威力を殺し、さらにとっさに背後に飛び退くことで距離までとった敵に対し、智宏は内心で舌打ちしながら身構える。
幸いにも敵は心身ともにノーダメージという訳ではなかったようで、その顔には殴られた拍子に切ったのか、口の端からわずかに血液がにじみ、その表情は筋肉がヒクついて爆発前の火山のような印象を感じさせた。
「貴様……、一体どういうことかしら? どうやって私の場所を探し当てたの? いや、今あなたが出てきた位置……」
内心で荒れ狂う怒りをどうにか鎮め、水晶はどうにか自身の陥った状況を把握しようと右腕を構える。視線を向けるのはその手首、以前の使用者と同じく時間をいつでも把握できるようにと両手首につけられた時計を、先ほどと同じ時間設定の未来視で眺めると、驚いたことに今の時間と数秒分しか違いが無かった。
それだけで何が起きたのか、水晶には理解できる。
「そうか……、気付かないうちに私は、貴様に追いつかれていたのか……」
「なんだ、気付いたのか。僕としては気付かないでいてくれた方が後々有利に進めやすかったんだが……」
内心の舌打ちを隠して余裕を見せる智宏に対し、水晶も荒れ狂う内心を奥歯を噛みしめることで押し殺す。
『過去から未来を狙撃する』といえば、確かにどうにもならない時の壁を隔てているように思えるが、実際のところ水晶がやっていることというのは、智宏の来る場所に未来視を用いて先回りし、そこに的確に攻撃する罠を仕掛けているにすぎないのだ。逆に言えば、水晶のいる場所は智宏に攻撃しようとする限り、必ず智宏の行く先ということになる。それだけは水晶が諦めない限り、智宏がどこに逃げようとも変わらない。
そんな状態で、もしも智宏が水晶を上回るスピードで逃げ続ければどうなるか?
答えは簡単だ。同じ場所を通っている以上、智宏が逃げた先に必ず水晶は存在している。ならばそれに追い付いてしまうのはよく考えれば当然と言っても過言ではない出来事なのだ。
しかも最初の妖装による呼び出しから考えて、水晶が最初のテニスコートにいたのは智宏が来る五分ほど前、しかも水晶は途中で、智宏を攻撃するために何度も足を止めなければならなかったことを考えれば、その時間的猶予はさらに少なくなる。
「まったく、ややこしい話だよ。この状況、これは僕がお前をここに誘導したことになるのか? それともお前が待ち伏せていたことになるのか? なあ、あんたはどっちだと思う?」
油断なく身構えながら、しかし口調だけは軽い調子でしゃべりかけることで智宏は相手を挑発する。思考能力で戦う智宏にとって、相手は怒り狂っていれば怒り狂っているほどいい。頭に血が上れば相手の出方は読みやすくなるし、些細でもつけいることのできるミスが増えるからだ。実際、このような形で智宏が水晶と接触できた要因として、水晶が智宏の挑発で冷静さを失っていたからというのも大きいのだ。
相手の戦術を見破り、相手を探し出す方法を思い付いた智宏にとって、最大の懸念事項だったのが、敵が未来の自分を追うのをやめてしまうことだった。逃げ続けていれば追い付けるというのは、あくまで敵が智宏を追い続けていることが大前提であり、途中で敵が智宏の殺害を諦め、身を隠してしまったら智宏には到底打つ手が無くなってしまう。何しろ智宏は、相手の顔も姿も見ていないのだ。一応足跡などの痕跡は残されるし、人ゴミに隠れられることが無いよう人気のない場所に逃げるなどの対策はしていたが、それでも相手が冷静にその可能性を考えていれば、このいつ、何処で、誰を襲撃するか分からない危険な敵が野放しになる危険性は到底無視できない。
だからこそ智宏は逃げる途中でも挑発を繰り返した。そもそも届くかどうかもわからない、余裕がないがゆえに些細なものばかりだったが、それでも出来得る限りありもしない余裕を見せつけ、相手から冷静さを奪おうと努力した。
加えて今回は運も味方していた。水晶が追い付かれていることを知る要因として、音と魔力感覚の懸念があったが、攻撃音などの派手な音は遠くから響く文化祭の騒音にかき消されて水晶の耳にはいらなかったし、魔力感覚に至っては新しく得たばかりの感覚ゆえに水晶自身があまり気にしていなかった。
綱渡りの果てにあるような、恐らく二度とはつかめない勝利、それが故に、智宏は相手への挑発を怠らない。
「最初に知ったときは確かにすごい組み合わせだと思ったけど、ふたを開けてみればたいしたことなかったな。考えた奴のそこが知れる、欠陥だらけの戦術だ」
「……たいしたこと無いだと?」
だが水晶が言葉を発した瞬間、智宏はその場から致命的な何かが崩れ去るのを感じ取る。相手が冷静さを失ってくれるのは願ってもないと考えていた智宏だったが、唐突に表情が消え失せ、代わりにどす黒い殺気が瞳に漲ってくるのを見せつけられると、流石に冷や汗が流れ始める。
「なっぁぁぁぁぁぁに様のつもりだ貴様ぁっ!!」
次の瞬間、怒りにその表情が染め上げられ、同時に水晶の全身をどす黒い魔力が包み込む。全身を守る妖属性の魔力は生物の形を得てその全身を黒い羽毛で染めあげ、その背中にカラスか何かのような漆黒の翼を顕現させた。
同時に、水晶が握っていた銃が半ばから折れ、その銃身が外されて奇妙な宝石のはまったグリップ部分だけが残される。
「貴様程度のウジ虫が主様をけなすとはいい度胸だ。ならばこの一流川水晶、【喪失時計】と対をなすもう一つの【境界戦術】で貴様をぶち殺すことにしましょう」
(――【境界戦術】!? もう一つ? なんだ、こいついったい何をするつもり――!!)
自身の中で鳴り響く警鐘に従い、智宏は空いていた左手に魔方陣を展開すると、すぐさま魔力を注ぎ込んで最速と言える速度で発砲する。
打ち出す術式は【強放雷】。智宏が使える魔術の中でも最速を誇る、通常の人間なら間違いなく昏倒させられるだけの威力を誇るその魔術は、しかし水晶に届く前に黒い魔力力場によって受け止められ、まるで最初から存在していなかったかのようにその姿を消し飛ばされた。
受け止めたのは妖属性の魔力ではない。水晶の持つ武器から扇上に放出された、光すらも未来に送り飛ばすがゆえに黒く見える、【失われた時間】の魔力だった。
半径一メートル三十四センチ、角度にして百二十度の巨大な扇を抵抗する空気を消し飛ばすことで軽々と振り回し、漆黒に染まる凶女は再び智宏に殺意を向ける。
「【境界戦術――欠け時計】、貴様のような害虫の駆除には過ぎた品だ。
さあ、そろそろ時間が無いぞ。貴様に残されたわずかな時間で、己の不届きを悔いるがいい!!」
水晶が怒声を上げたその瞬間、絶大な気配をまき散らす漆黒の塊が、智宏めがけて猛烈な速度で襲いかかって来た。
戦闘はなおも継続中。
次回の更新は6日午前0時になります。
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