14:刻印使い以上
一応『最新話』のリンクで来た方ように、更新の履歴を載せておきます。
10:来るべきその日に向けて 3日午前0時
11:冷たく震える、絶妙な感触の抱擁 3日午前1時
12:悪意ある助言 3日午前10時
13:驚愕の宴 3日正午12時
⇒14:刻印使い以上
止まっているエレベーターを見て、『いかにもな場所だな』という感想を得る。
電気が止められて取り壊しを待つ廃ビル、その階段をのぼりながら、青年はそんなとりとめのない思考をわずかながら抱いていた。
もっとも、今回わざわざこんな場所を面会に選んだのには理由がある。今回の相手はあまり人目に触れるところでは会いたくない。話の関係上人に聞かれるのもまずいというのもあるが、それ以上に今回会う相手は悪目立ちがすぎるのだ。
そんなことを考えながら四階に到着し、以前は学習塾だったらしい待ち合わせの扉を開けると、机一つないそのフロアにその人物はいた。
「ああ、主様、お待ちしておりましたわ」
室内にいたのは、自分と同じ二十代後半のスーツ姿の女だった。多少目つきが鋭くはあるものの、それ以外はファッションの点でも完全にそのあたりにいるOLに見える。
恐らく誰も思わないだろう。彼女が異世界という常識外の世界に関わる、恐るべき異能を宿した人間であることなど。
「ああ、申し遅れました。一流川水晶、主様の命により参上いたしましたわ」
「ふふ、主様、か。僕はいろいろな呼び方で呼ばれているけど、その名前で呼んでそんなかしこまった接し方をするのは君だけだよ」
口元に笑みを浮かべて小さく笑った後、膝を立てて傅く女に、青年は鷹揚にそう返す。その構図ははた目から見ても彼らの関係が対等でなく、主従の関係にあることを示していた。
それはそうだろう。そもそも青年は、水晶に一つの命令を下すためにこの場に呼び出したのだから。
「ところでその後どうだい、僕のあげた力は? ちゃんと使いこなせるようになってる?」
「はい。三つともすでに実戦に耐えうるレベルに仕上げました。ご命令とあればいつでも主様の敵を殺しつくしてごらんにいれられます」
「そうか、それは頼もしい。なら一つ頼むとしようかな」
放たれる物騒極まりない言葉に朗らかに笑いながら、青年は持ってきた封筒から写真を一枚取り出して水晶に手渡す。片手で差し出されたそれを水晶が両手で受け取ると、その写真に写っている人間を見てわずかに眉を吊り上げた。青年はそれを確認すると、水晶に背を向けて笑みを隠しながら依頼内容の説明を始める。
「その写真の人物を襲撃してほしいんだ。名前は吉田智宏。外見的特徴はオズ人に近いけど、れっきとした刻印使いだ」
「この少年を殺せばよろしいのですか?」
「いや、殺すまではしなくていい。君はただ彼を襲撃するだけでいいんだ」
「……は?」
告げられた意外な言葉に、水晶は怪訝そうな表情を浮かべて写真から視線を外す。その反応を予想していた青年は特に表情を変えることもなく窓に近寄り、窓枠に体重を預けて水晶に向きなおった。
「実は彼の刻印に興味があってね。詳しい効力を知るために襲撃をかけたいんだ」
「興味が、ある?」
「そう。君にならできるだろう? 君に与えた力の一つは相手に自身の存在を見せることなく攻撃を仕掛けることが可能だ。むしろ僕は君にもってこいの仕事だと思うんだけどね?」
水晶の眉が弓を引き絞るようにキリキリとつり上がっていくのを見ながら、青年は楽しそうにそう話を続ける。水晶自身は自身の表情の変化に気付いているのかなどと無体な想像を楽しみながら。
「それで、この少年の刻印の正体が判明した場合いかがなされるのですか?」
「効力によるけど、もし僕が予想している通りの刻印だったらぜひとも欲しいね。ただ、役に立たない、もしくは代えの利く代物だったらその場で始末しても構わないよ。その場合僕らにとって害にしかならないからね」
「その判断は私がしましても?」
水晶のその質問に、その顔に青年は満面の笑みを浮かべる。告げるべき答えなど最初から決まっていた。
「ああ、構わないよ。僕は君の忠誠を信じているからね」
青年のその言葉に、水晶は途端にその眼を輝かせる。頬を赤らめ、まるで恋する乙女のような表情を浮かべた水晶は、再び膝を立てて傅き、青年の命令を受け入れた。
「ああ、ああ!! わかりましたわ主様。この一流川水晶、全身全霊をもってこの少年の刻印を暴きたててごらんにいれます!!」
「そう。ありがとう。それじゃお願いするよ。詳しい情報と、襲撃の場所と日程はこの封筒の中に入ってるからそれを見てくれ。時間とやり方は君が判断して構わないから」
そう言って差し出された封筒を受け取り、水晶は恭しく一礼して部屋から出ていく。笑みを浮かべた彼女の表情は、しかし眼だけが笑みに染まらず、鋭い殺気を放っていた。
彼と別れなければならないことに激しい喪失感を感じつつ、しかし水晶は努めて急いで部屋を離れ、階段を下りて行く。
彼と会うのも実に十日と五時間四十六分二十六秒ぶりだ。だというのに実際に話せた時間はわずか十分にも満たない。
本当はもっと話をしていたい。恐れ多くも食事を共にすることすら夢見ていた。だというのに今の水晶にはどうしても彼から距離を取らなければいけない理由があった。
それというのも、
「キィィイイイ、サ、マのっ、せいだぁあああああっ!!」
三階まで下りて今は使われていないフロアへと入り込むと、激しい憎悪と怨嗟を込めて、水晶は手にしていたターゲットの写真を思いきり床にたたきつける。来る途中で既に握りつぶされていた写真はそのまま床へと叩きつけられ、さらに追撃のように放たれた水晶のヒールによって思いきり踏みつけられた。
だが、それでも水晶は怒りを収めることができない。
「あの方のっ、偉大さのっ、一欠けらも知らないっ、じめじめしたっ、石の裏のっ、ごみ蟲のっ、分際でっ、あの方の興味を引くなど、一体貴様は、何ァァァァァに様だ!! 許さない!! 許さない! 許さない! 許さない! 許さない! 許さない! 許さないぃぃぃぃぃぃイイイイイ!!」
髪を夜叉のように振り乱し、怖気の走るような嬌声を上げながら、水晶はヒールで写真を踏みつけ続ける。度重なる衝撃でヒールの踵が折れ、普通ならそれで正気に戻れそうな瞬間が訪れるが、水晶はヒールを蹴り飛ばすように脱ぎ捨てると、懐から取り出した折りたたみナイフで床ごと写真を貫いて部屋へと打ちつけた。
狂気に任せて暴れて肩で息をし、鬼のような形相と乱れ切った姿を晒す。到底愛しい主には見せられない、水晶自身が自ら姿を隠した理由がそこにあった。
「……許さない」
一応の動きこそ止めたものの、水晶の怒りは一向に燃え尽きない。むしろその熱はさらに過熱していき、水晶の中でマグマのように蠢いている。
「あの方の興味を引き、その力を欲せられているのに、この場に姿を現すことも肉ごとその刻印を献上することもしようとしない不忠者の蟲がぁ!! さらにあのお方の害になる可能性を孕み、あまつさえ私のあの方といる時間を削るだと? 許せない!! 許さない!! 許し難い!! 許すわけにはいかない!!」
地獄から響くような声でそう呟き、水晶は封筒の中から資料を取り出してその情報に目を通す。資料にはターゲットの少年を襲う場所の地図と日付の他、少年の周囲にいる人物、及びこれまでの第六世界と少年との接触、及び交戦の経緯が一部推測交じりに記述されていた。
怒りに血走った眼で資料を一通り頭にたたきこむと、水晶はポケットからライターを取り出して資料を瞬く間に焼き払う。明らかに一般の商品としておかしい大きさの炎が資料を炭に帰るのを確認すると、水晶は足元の写真にも手を伸ばした。
「……殺すわ」
穏やかな、しかしこれまでで最大級の殺意を含んだ声でそう告げ、水晶は容赦なく写真を焼き払う。すでにターゲットの顔は水晶の頭の中に嫌というほど刻まれている。もしも今少年が目の前に現れれば、水晶は迷うことなくその頭を砕きにかかることだろう。
「骨の一本だって残さない。原型がわからなくなるまでグチャグチャにして、二度とあのお方が視線を向けようなどと思わない存在にしてあげる」
今にも爆発しそうな、逸りに逸る殺意を忠誠心と恋心で押し殺し、水晶はビルの階段へと足を向ける。
水晶がこの殺意が成就するのはあと三日後、少年の通う暮村学園で文化祭が行われ、少年の周囲が最も人にあふれて警戒しにくくなるそのときだ。
途中のトイレで乱れ切った髪と化粧を直し、壊れた靴を履き替えて表面だけは取り繕い、内面に爆発物を抱えた水晶はレキハの街へと消えていった。
一応自身の希望通り、狂乱する自身の姿を見られることこそなかった水晶だが、その嬌声はしっかりと五階にいる青年のもとまで届いていた。
青年が窓からビルを離れる水晶を眺めていると、唐突に背後に気配が現れる。なんの気なしに視線を向けると、そこには見慣れない、しかしよく知る男が一人存在していた。
大げさでもなく、そこに立っていたのは生きた芸術のような男だった。すらりとした、無駄な肉の一切ついていない、美しさを追求したような体つきを最新のファッションで固め、染めているのともまた違う自然な輝きを放つ金髪をなびかせたその男は、やはり美しさを追求したように整った顔立ちに軽薄な笑いを浮かべて青年の隣に並ぶ。
「まったくもって悲劇的だのぉ、性格の悪いお前に惚れている女がいるというからどんな奇特なお嬢さんかと思えば、奇特を通り越して危篤なお嬢さんだった。お前がこんな人のいない場所を選んだのも納得だわい」
「うまいこと言ったつもりかも知れませんけど、いろいろと言葉の使い方が間違ってますよ御爺様」
明らかに姿に合わない言葉をする男に対し、青年はそう言葉を返す。見た目だけなら下手をすると青年よりも若く見える男はしかし、青年のその呼び方を否定することもなく、ただただ笑いをかみ殺すばかりだった。
「ところでいいのか? 今回ターゲットとして指定した子供、確か貴様が欲しがっていた刻印を持っているのではなかったか? あんなお嬢さんに襲撃を任せれば、その子供は間違いなく殺されてしまうぞ」
「ええ。少なくとも彼女自身はそのつもりでしょうね」
「ずいぶん悠長だのぉ。もしやこの子供の持つ刻印、お前の欲していたのとは違う刻印だったのか?」
「いいえ。それはまだわかっていません。それを確かめるために彼女を差し向けたというのも嘘じゃないんですよ。ただ、彼女にやられてしまうような半端な刻印ならばどの道必要ありません。直接手に入れた方が早いというだけで、代替案はいくつも用意してある」
冷酷な笑みと共に放たれた青年の笑みに、男も呵呵と笑ってそれに応じる。この芸術品のような肉体を持つ男は、自分を御爺様と呼ぶ青年のそういった性格が面白くて仕方ない様子だった。
「本当にお前は性格が悪いな。愚鈍なお前の父親とは大違いじゃわい。あの娘に勝てなければなどと、そもそも勝つこと自体ができないようにあの娘を仕込んだのはお前じゃろう?」
「ええ。あの力を使えば、彼女は間違いなく刻印使い以上の存在だ。半端な刻印使い程度の存在で勝てる道理はない」
異世界に関わる多くのものが考えるなかでも、恐らく五世界の人類の中でもっとも高いポテンシャルを持っていると思われるのがアースの刻印使いだ。各種身体能力の向上に莫大な保有魔力、気功術の使用に刻印の発現と、その能力は多岐にわたり、かつそれらの上限も他の世界の人間を圧倒的に上回る。誰もが刻印使いを無敵の存在だなどとは思っている訳ではないだろうが、それでも真に強力な刻印を持つ存在が他の世界の人間にとって規格外の存在であることはほとんどの人間が疑っていないはずだ。
ただ一人、それを超える存在を生み出した、この男を除いては。
「刻印使いが規格外なら、彼女は、彼女たち【境界戦術】は必勝戦術だ。たかだか世界の外の力を手に入れただけでは、それ以上の戦術には敵わない」
自身も刻印を持つ身でありながら、青年は冷たい笑いと共にそう言い放つ。眼をつけた少年が、ただの規格外でないことを期待しながら。
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