11:冷たく震える、絶妙な感触の抱擁
一応『最新話』のリンクで来た方ように、更新の履歴を載せておきます。
7:世界間通信実験 2日午前10時
8:異世界人のジェンダー論 2日昼12時
9:すれ違う意思 2日9時過ぎ
10:来るべきその日に向けて 3日午前0時
⇒11:冷たく震える、絶妙な感触の抱擁 3日午前1時
教師とは威厳と厳しさを兼ね備えていなければならない。それが英語教師式観原愛良の父、式観原和正の先輩教師としての教えだった。
愛良が教師として暮村に就職し、同じく教師として半生を生きてきた父と軽い祝いの席を設けたとき、父は愛良にそういったのだ。
『いいか愛良、教師ってのは生徒の人生の指針となる存在だ。間違った方向に行こうとしたら正してやらなければならないから、そのためには舐められちゃいけねぇ。むやみに弱みを見せるんじゃないぞ』
それは現代の考え方と比べると少々古い思想ではあったが、それでも父は多くの生徒を受け持ち、世に送り出してきた実績を持つベテランだ。そもそも愛良が教師を志した理由というのが、この父の影響によるところが大きい。
『それと教師はむやみに生徒を褒めちゃならねぇ。褒めちまったらそれで満足して成長を止めちまうからな。常に次の目標を示し続けて、褒めるのなんざそれこそ最後の卒業式で十分だ』
故に愛良は、その父の極意を素直にそのまま受け入れた。生徒と接するときも常にその教えを意識し続け、父のような厳しくも優しい教師を目指して努力し続けた。
どんなに褒め讃えたい成績でも、褒めずに次の目標を示すためにその意思を隠し。
どんな危機的状況下でも甘い顔を見せず厳しい態度の仮面を被る。
そう、今この時のように。
「か、勘違いしないで!! 私は、なにもあなたの心配なんかしてないんだから。た、ただそこは、そう事故が起きたときに責任問題になるから言ってるだけなんだから!!」
冷静に考えれば厳しいというよりも最低のセリフを口にしながら、しかし愛良は冷静とはほど遠い精神状態でその生徒に手を伸ばす。伸ばした手の先、窓の外では、一人の体操着にジャージ姿、長い黒髪を頭の後ろで一括りにした女子生徒が暗幕を抱えて立っていた。
ちなみに場所は四階建ての旧校舎の四階。落ちればただでは済まないその高さに目もくれず、その少女は窓の外の、校舎の外壁の僅かな足場に足をかけ、片手で雨どいのパイプを掴んで体を支えながら作業をこなしていたのだ。
一歩間違えば地上に真っ逆さま。そんな見ていてあまりにも肝の冷える光景に、愛良はほとんど悲鳴のような声で生徒を呼び戻す。
「浜島さん!! そ、そもそも、あああああなたは一体なんでそんなところにいるんですか!!」
「え? えっと、窓から明かりが入らないように暗幕をかけようかと思って……」
問題の生徒は、先日この学園に編入してきたばかりの、浜島美潮という女子生徒だった。愛良自身は学年とクラスの関係で授業を受け持ったことはないが、成績優秀ながらも少々変わった少女だと聞いている。
だがその変ったという部分が、自分にこういう形でかかわってくるとは思いもしなかった。
「ああっ、明かりを遮るのならなにも外に出なくてもいいでしょう!! 中から、適当に窓に何か張り付ければ!!」
「それだと窓が暗幕でふさがれてるのが中から見えちゃうからダメだって結華が……」
「それでも別に外に出なくてもっ!! 中から窓の向こう側に張り付ける方法も!」
「それだとピンと張れなかったり、作業中に窓の開け閉めで取れちゃったり、ちゃんと張れなくて光が漏れちゃったりするから……」
「ぅうううううううううう!!」
危機的状況下で専門外の難題に直面し、愛良はあまりの混乱に半泣きになって頭を抱える。
だが混乱の中にあるという意味でなら注意されている当の本人、ハマシマミシオも同様だった。
そもそも異世界における異常な生活でこういった作業や移動法に慣れきってしまっているミシオには、高い場所がイコールで危険な場所であるという認識を失っている。否、危険だとは十分すぎるほど理解しているのだが、それで誰かが心配するだろうという認識に欠けているのだ。まさか目の前の教師が、自分が危険な場所にいるから慌てふためいているとは夢にも思わない。
(えっと、どうすればいいんだろう……? この人は……、シキミハラ先生だっけ?)
そこまで考えて、ミシオ自身が以前その名前を聞いたことがあると思いだした。聞いたのは確か学校に来始めてすぐ、そのとき智宏からシキミハラという先生についての助言も受けていた。
(確か、この先生の言うことは反対の意味に解釈しておけばいいって……?)
智宏に言われた言葉をそのまま思い出し、ミシオはその言葉の通りに考えて目の前の教師の真意を探る。すると目の前ではこちらに手を伸ばした女教師が、必死の形相で叫び声を上げていた。
「早くこっちに来なさい!! この手に捕まって!!」
(こっちに来るなってこと……?)
「暗幕は下に落としなさい!! 片手がふさがってるのは危ないから!!」
(暗幕はそのまま持っていろ?)
助言した智宏の意図とは全く異なる解釈を行い、ミシオはどうにか真意を探ろうと思考を回す。言っていることと逆の意味を考えなければならないというのは随分と面倒に感じられたが、異世界によくわからない会話手段があるのはこちらに来てから多少なりとも理解できている。特定の言葉をいくつかのアルファベットに縮めて使うなどという知識が無ければどうにもならない言葉に比べれば、逆の意味に考えるだけでいいこの会話はまだ理解しやすい。
「早くここから入って!! 廊下なら安全だからぁっ!」
(ここから入るな、廊下は危険……? あ、そっか)
そこまで言われて、ミシオはようやくこの教師の言っていることを理解した、と思った。
要するに廊下に踏み込まない方がいい理由ができたのだ。音こそ聞こえなかったがガラスを割ったのかもしれないし、足元に釘でもばら撒いてしまったのかもしれない。理由はともかく廊下に危険なものが散乱にしたため、片づけが済むまで近寄るなと言っているのだ。
(でも、いつまでもここにいるわけにもいかないし……、あ、そっか)
すぐさま解決策を思い付き、ミシオは抱えていた暗幕を肩に掛けて動き出す。とり付けようと思っていた暗幕だが先ほど持っていろとお達しがあった。もしかすると中で使う用事ができたのかもしれない。ならばなおのこと早く中に戻った方がいいだろう。
そう判断するとミシオは、両手で雨どいと壁面の窪みに手をかけ、スルスルとその壁をよじ登る。自身の世界でたまたま培った、あまりにも慣れ親しんだ移動法。それをいかんなく発揮すると、ミシオは瞬く間に四階の外壁から屋上へと登りきった。
柵を越えてその中へと降り立つと、予想通り下の階からなにやら騒ぐ声が聞こえてくる。どうやらよほど危険なものをぶちまけたらしい。
「あれ?」
だがなぜだろう。聞こえてくる生徒の声に、先ほどのシキミハラ先生が倒れたという声が混じっているのは。
「もう二度とあんな危ないことをしないでください。絶対ですよ!!」
「はい!! 本当にすいませんでした!!」
「え、えと、すいませんでした」
今だになぜ怒られたのかをよく理解していないミシオの頭を抑えて下げさせ、智宏は平謝りに謝ってどうにか式観原先生の説教タイムを終わらせる。
下手に説教が長引くとその過程で余計なことまでバレてしまいそうでひやひやしたが、幸い式観原も旧校舎の教室内で休んでいる状態で、長く説教するだけの気力は持ち合わせていなかった。椅子の上で頭に氷嚢を当ててへたり込む教師を教室に残して部屋を出ると、智宏はすぐさまミシオを人のいない非常階段へと連れていく。ちなみに非常階段は本番で出口を兼ねる予定の場所だ。
「え、えっと、こういうときは『優しくして』って言えばいいの?」
「いったい誰にそういった知識を吹き込まれたか知らないが、そう言う冗談は意味をきちんと理解してから口にすることをお勧めする」
「……怒ってる?」
「……怒っても意味がないし仕方がないことは理解してるから安心していいよ」
ミシオの言葉にそう言い返し、智宏は最近増え始めたため息を思いきり吐き出す。ため息をつくから幸せが逃げるのではない。幸せが逃げたからため息をつくのだ。
思えば異世界人の知り合いの中でもいろいろな世界の常識に精通していたレンドは随分とため息の多い奴だったような気がする。もしかすると彼も非常識な異世界人に振り回されていたのかもしれない。智宏自身は身に覚えはないものの、自分がその一人に含まれていないことを祈るばかりだった。
余談だが、先日ミシオを伴って行った世界間通念能力通信実験はそれらしきものは感じるけど何を言っているのか分からないという微妙な結果に終わっている。そのときレンドが自身のいたずらを成功させられなかったことをため息交じりに話していたことを考えると、彼のため息はもしかしたらただの癖のようなものかもしれない。
なにはともあれ、今はミシオの話である。
「とりあえず今日の常識だ。普通の人間は四階の窓の外で壁を登ったりはしない。わかった?」
「う、うん。智宏が普通にできたから、こっちの世界では普通なのかと思ってた……」
「僕のせいだったのか……」
確かにミシオの言う通り、智宏は以前先ほどのミシオと同じような真似をしたことが何度かある。とは言えそれは緊急時にミシオの動きを【集積演算】で分析し、さらには魔術や気功術まで動員して強引に行った猿真似だったのだが、どうやら今回はそれが仇となったらしい。
だがそれに関して責任を感じるのは、智宏でも流石に無理だった。というか、誰がそんな勘違いを予測できるのかと問いたい。
「それと、できればこれからは事前にどんな作業をするか教えてもらっていいか?
今回みたいなことにならないよう、一応作業内容を知っておきたい。まあ、作業の手順についてはあまり言うことはないと思うが……、ってそうだ、さっきの暗幕だけど、あれって今仕掛けちゃうと雨が降ったときとかに濡れないか? 明かりも今遮ると後々不便だし、もっと後にやるのかと思ってたけど……」
「あ、あれは場所の確認と、金具の取り付けのために考えてただけだから。金具を一度取り付ければ簡単に外した引っかけたりできるようにするつもりだし、しばらくは外しておくつもり」
「なるほど。技術面では口出しすることもないか。後は作業予定の方だけど……」
「あ、うん。それならこれに書いてあるよ」
そう言うとミシオはジャージのポケットから折りたたまれたルーズリーフを取り出して智宏に差し出した。開いて中を改めると、中にざっとだが今日の作業の予定が書いてある。
だが、
「なんだこの赤字のは? っていうかこんな仕掛けあったっけ?」
「え? ああ、これはさっき結華がやるからって言って来たの。せっかく先生が来るからって言って一人で」
「……なんだと?」
ミシオの言葉に、智宏は背筋に得も言われぬ悪寒が走るのを感じ取る。
慌てて非常階段から廊下に飛び込みあたりを見回すと、ようやく立ち直ったらしき式観原がちょうどメモに書かれた教室に足を踏み入れるところだった。
もはや叫ぶ暇もない。
直後、飛来した等身大の人型こんにゃくに抱きつかれ、ツンデレ教師が悲鳴を上げた。
次回の更新は3日の午前10時です。
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