13:消滅の危機
今回の話、長いので二回に分けて、日付を跨いだあたりでもう一話更新します。
演出上できれば一話にまとめたかったのですが、一話にまとめるには長すぎますので……。
「なっ!」
「っ!」
「え?」
「うお!!」
橋という足場を失い、川の両側で智宏達とオズ人二人が同時に驚きの声をあげる。
特に対岸からやって来ていた二人は、跳び上がっていた智宏達と違い完全に唐突に足元が消えた形だった。当然受け身も取れず、コンクリートで固められた川の斜面に思い切り叩きつけられる。
(まずい!!)
空中で体勢を立て直しながら、智宏は現状の危険性に歯噛みする。幸いにも智宏達は直前に跳んでいたため、このまま落ちても岸に着地することができるが、向こう岸の二人はそうはいかない。そしてその向こう岸に向けて、橋を消した張本人が飛び込むように着地しようとしている。
(【強放雷】!!)
とっさに左手の魔方陣を起動させて雷撃を放つ。だが、不安定な空中で放たれた雷撃は畑橋を捕らえることなく、その手前の川の中に着弾して水しぶきをあげた。
そして、その雷撃の閃光に背中を押されるように、川の向こう岸に見事な着地を決めた畑橋は、そのままの勢いで傾斜を転がり落ちる二人へ向けて殺到する。
転がり落ちてきた二人に畑橋の手が触れ、二人の人間がこの世界から完全に消滅した。
「っ!!」
「トモヒロ、下!!」
目の前で起きた事実に衝撃を受けながら、それでも向こう岸より一瞬遅れて智宏とミシオは着地を果たす。幸い川岸はコンクリートで固められたわかりやすい地形をしていたため無事に着地できたが、畑橋に注目していた状態で地形のわかりにくい川の中に着地していたら足を痛めていたかもしれない。
「それでは、私はこれで失礼します」
だが、そうこうしている間に畑橋は逃走を開始している。彼を追えるものが向こう岸にいない以上、今の畑橋の逃走を阻める者はいない。
そう、智宏達以外は。
「ミシオはここにいろ!!」
「どうするの!?」
「川を飛び越えて追いかける!!」
言うなり、智宏は対岸の畑橋に並走するように走りだす。気功術で身体能力を強化して助走をつけると、川に斜めに向かって跳び上がった。
(術式展開――【空圧砲】!!)
空中で背中に魔方陣を展開し、智宏は魔術の勢いで川を飛び越える。狙う場所は畑橋から少し離れた背後。無理をすれば飛びかかれるかもしれないが、迂闊に飛び込むと先ほどの魔力で迎撃されて消滅しかねない。
(さっきの現象、あれはなんだ? 本当に消滅してしまったのか?)
何とか着地を決めながら、智宏は相手の刻印の効力について思考する。
先ほどあの魔力を流し込まれたもの、川にかかっていた橋と、二人の異世界人は、見た限りでは完全にあの場からいなくなっていた。それは、直後に橋のあった場所から落下している以上間違いはない。少なくとも見えなくなっているだけなどと言う状況ではないはずだ。
(考えられるなら、本当に消滅させる刻印か、あるいはテレポートに似た効力か……)
もしもテレポートに似た刻印なら、どこに飛ばされたかが問題だ。二人の人間はともかく、橋などというものがいきなりどこかこの近くに現れたら間違いなくわかる。それこそ、地球の裏側や深海、遥か上空や、いっそ宇宙にでも送り飛ばせるのなら話は別だが、もしも深海や宇宙に送れるというのならそれはもう消滅させる能力と危険度は変わらない。
『……ヒロ、トモヒロ返事しろ!!』
「っと」
再び走りだしたとき右手に握ったままだった携帯から声が聞こえた。考えてみれば、智宏はレンドと通話の最中だったのだ。
『トモヒロ、今どうなってる!? 話しの方は聞こえてきたが状況がわからん!!』
「現在畑橋が逃走中。お前の仲間らしき二人は消されちまった」
『消された!? 一体どういうことだ!?』
「あいつが両手で触って魔力流したら消えちまったんだよ! どこに行ったかさっぱり分からん。今僕が一人で追ってる」
幸い、畑橋の足はそう早くない。否、智宏の足に比べれば若干早かったのだが、気功術を使ったことで今は智宏の足の方が上回っている。どうやら畑橋は気功術は習得していないらしく、世界を超えたことで強化された自前の脚力のみで逃げているらしい。恐らく、このままなら距離を詰めるのはたやすい。至近距離まで近づくのは危険だが、もう少しだけ距離を詰められれば走りながらでも魔術で狙い撃てる。
とはいえ、一人で対応できると言いきれないのもまた事実。相手の刻印の効果がはっきりしない状態で自ら戦力を限定するのは避けたいところだ。
「とにかく、こっちに早いところ援軍を送ってくれ。今鷹見川沿いに下流に向けて走ってる。この前の事件の場所から見て上流に当たる位置だ。後、他に目印になるものは――」
『いや、それ以上は必要ない』
「え?」
『もう見えてきた』
言われて見てみれば畑橋の向こう、川の下流方向から二人の人間がこちらに走ってくるのが見える。恐らくあれがレンドたちなのだろう。
構図としては、先ほどと同じ挟撃の構図。畑橋もその状況に危険を感じたらしく、焦ったような表情でこちらを見た後、川を上る斜面に逃げ道を求めて登り始めた。
「『待て!!』」
電話の向こうと実際の声が一致するのを確認し、智宏は携帯電話をポケットにしまう。
畑橋を追って傾斜を登りながら魔方陣を展開するが、狙いをつける前に畑橋は傾斜の向こうに消えてしまった。内心で舌打ちしながら坂を登り切り、同時に同じように追ってきたレンド達と合流する。
そして、その場所が目に飛び込んで来た。
「なんだここは?」
「何かの工事現場だな。気をつけてください。もしかすると畑橋さん、やる気になったのかもしれません」
レンドと一緒に来た、たくましい体つきのハンサムな青年にそう答えながら、智宏は畑橋の意図を推察する。周りに人影がいない以上、畑橋がここに逃げ込んだのは間違いない。
目の前にあるのは、何か大きな建築物を建てようとしている建築現場だ。かなり大きな敷地を仕切りの板で遮り、中には鉄骨が建てられているのも見てとれる。
恐らく、逃げ隠れするためにこの場所を選んだのではあるまい。たとえ隠れるためだったとしても、この場所の出口の少なさを考えればすぐに腹をくくらざるを得ないだろう。それほどこの場所は、入った後逃げることには向いていない。
「レンド、他に増援は? どのくらいで来る?」
「今のところ、この近くにいるのは俺達とさっきお前のところに行った二人だけだ。他の奴らも応援に呼んではいるが、俺達はこの世界の警察じゃないから、駆け付けるにはそれ相応の時間がかかるだろう。確実に捕らえるなら、ここにいる俺とウィルでやるしかない」
どうやらもう一人の青年の名前はウィルというらしい。場合が場合なので自己紹介している暇はないが、名前を知っておけたのは連携のことを考えてもありがたい。
「君は、トモヒロ君と言ったね。君のことを戦力として数えてもいいのかい」
「おい馬鹿、迂闊に一般人をトラブルに――」
「構いませんよ。僕は見ての通り刻印もありますし、気功術と魔術が使えます。魔力感知に関しては任せてもらってもいいくらいです。畑橋さんの刻印、魔力があまり感じられないので注意してください」
「不意打ちで触られたら消滅ってか……。ったく、俺だって戦闘要員じゃないのに、なんでこう荒事に巻き込まれてんだ……」
嘆くレンドに合わせるように、智宏も内心でわずかに嘆息する。それを言い出したら智宏など異世界に関わってから暴力沙汰、戦闘沙汰の連続だ。智宏にとって異世界というのはよっぽどの鬼門だったらしい。
「行こうか。ごたごたしている間に畑橋君に逃げられては目も当てられない」
ウィルの言葉にうなずきを返し、智宏とレンドは工事現場の中へと足を踏み入れる。素人が二人混じった即席のパーティなので陣形もなにもあったものではないが、それでも周囲に最大限の警戒を払いながら、畑橋の存在を探る。
だが、
「いませんね」
「まさか逃げられたか?」
「いや、それねぇな。見たとこ出入り口は今入って来た場所だけだし、人が通れそうな穴もない」
「だとすると、どこかに隠れているのかもしれませんね。とすれば場所は鉄骨の影か、あるいは工事用機材の――!!」
言いかけたそのとき、強烈な魔力を感じて三人が同時に振り返る。同時に、聞き取れるのは、地面に何かが落ちる軽い音。
「なんだ? 今何かされたのか?」
「何かが落ちたみたいに見えましたけど……」
レンドの言葉にそう返しながら、智宏は注意深くその場所に歩を進める。幸い、その場所は鉄骨や工事用機材などからは多少距離がある開けた場所だ。調べている隙をついて不意打ちされる可能性はかなり低い。
数秒かけてその場所まで歩み寄り、智宏は落ちたと思われるそれを注意深く観察する。
「石、か?」
「どう見てもただの石のようだな」
「いったい、なんで――!!」
疑問に解答を出す寸前、智宏達は再び強い魔力の感覚を感じて身構える。今度はその場所から五メートルほど離れた工業用機材のある場所。金属と金属がぶつかるような音が周囲に響き、緊張した三人の体に叩くように響く。
そして、三人が一斉にその場所に向きなおったその瞬間、
「なっ!?」
「えっ!!」
「なんだ!?」
三度遅い来る、強烈な魔力の感覚。
しかし今回は、前二回と違ってその意味がすぐにわかった。何しろ感じられた場所が智宏達の至近距離、機材に注意を向けた三人にとって背後となる位置で感じられたのだから。
そして三人が振り返ったその先、畑橋耕介が凶暴な笑みを浮かべて存在している。
「さあ!! 消えてください御三方!!」
背後のウィルとレンドがとっさに魔術で応戦しようとするが間に合わない。彼らが魔法陣を展開して構える前に、突き出された両手が二人の体を捉え、魔力を流し込んで消滅させる。
「っ!!」
目の前で消える二人を見ながら、智宏は必死で畑橋から距離をとる。同時に右手に魔方陣を展開し、加速した思考によって高速で操作しながら、迫る畑橋に向かって突きつけた。
「速い!!」
素早い対応のおかげか、今度は畑橋が焦りの表情を浮かべる。流石に、仲間が二人消された直後に、瞬間的に的確な対応を取られるなど、彼も予想していなかったのだろう。
(術式展開――【強放雷】)
そんな相手に、智宏は容赦なく魔術を発砲する。至近距離からの、それも電撃という速度の高い魔術攻撃。よける可能性など皆無と思われたその攻撃は、しかし意外な形で空中を迸るだけにとどまった。
畑橋の体そのものが、その空間から消滅したことによって。
「なに!?」
予想外の事態に内心で驚きながら、しかしすぐにテレポートの可能性を思い出して着地と同時に身構える。しかし、畑橋はどこからも現れることはなく、智宏の思考はすぐに混乱に囚われた。
(落ち着け。こんな状態でこそ【集積演算】の出番だろう!!)
そう智宏が自身に言い聞かせると同時に、目の前の空間から強烈な魔力感覚と共に畑橋が飛び出してくる。だが、智宏を驚かせたのが、彼が現れた場所が先ほど彼が消えたのとまったく同じ場所だったということだ。当然、智宏に飛びかかるにはわずかに距離が遠い。
(なに……!?)
こちらもすぐに飛びかかるのが危険と判断したのか、畑橋は着地の後はこちらを油断なく見据えるだけで、完全なにらみ合いの状況が出来上る。
こちらに向けて腕をまっすぐに伸ばした畑橋を見据えながら、智宏は相手の刻印を見破ろうと必死に思考を働かせていた。
(そもそもこいつの刻印は一体なんだ? 今の使い方は明らかにテレポートかと思ったが……)
いきなりなにもないところから物が現れるというのは、テレポートでどこからか送りつけてきたのだと考えれば納得できる。だが、それだと今まったく同じ場所にわざわざ現れたことが説明できない。物を自由に移動させることができるのに、それどころか直前に自身をいきなり智宏達の背後に出現させているというのに、わざわざ一度消えた後まったく同じ場所に出現し直すなど明らかに不自然だ。そもそも、離れた場所に行けるならなぜその刻印の力で逃げようとしなかったのか。
それだけではない。先ほど畑橋が消えた後、再び出現するまでの間、時間にして三秒ほどの間があった。それだけの時間、一体彼はどこで何をしていたというのか?
(刻印の使用に何かしらの制限があるのか? それとも僕が考えているのとは全く別の刻印なのか?)
加速した思考が次々に仮説を打ち立てる。それこそ刻印によって強化された脳内には千近い仮説が生まれていたが、どれが正解かを判断するには判断材料が足りないのだ。千近い仮説すべてに対応していたらそれこそきりがない。
答えを限定できないまま智宏がにらみ合いを続けていると、対する畑橋は興奮で荒れた呼吸を整え、口を開いた。
「驚きましたよ。まさか仲間二人消された後にあんな対応をしてくるなんて。いや、それを言うならあんな話を聞いた後で共闘しているその神経にもですが」
「僕の方こそ、あなたの神経を疑いますよ。人を四人も、いえ、この前の二人も合わせれば六人ですか。特にシャノンさんとは親しかったはずなのに、手にかけておいて迷いさえ見せないんですからね。それとも、この前の二人は違う人がやったんですか?」
「いいえ。正真正銘私のやったことですよ」
その答えに、智宏は新たに疑問が増えたことを感じる。よく考えれば目の前の畑橋の能力で死体が見つかる方がおかしいのだ。智宏としては畑橋の言う『同志』が行っていたのかとさえ考えていたくらいだ。
「……いったい、どうやって……?」
「その質問には答えられません。しかし『どうして』なら答えてもいいでしょう。さっきの話の続きです」
「続き?」
智宏の反応に、畑橋は思いのほか乗り気で話そうとし始める。智宏としても時間稼ぎの時間は欲しかったところだ。相手がそれに乗ってくれるなら好都合と言える。
「まず坂町信也は言わなくてもわかるでしょう。私の元上司、それはつまり私を使いつぶすように酷使したあげく、異世界でとんでもない目にあっていた私を、帰ってきた途端に無断欠勤として解雇した男ということです」
「首にされた腹いせにって訳か。じゃあ、シャノンさんはどうなんです? あんたにとっては恩人で、好意も持っていたんでしょう? それともその話も嘘だったんですか?」
「いいえ、嘘ではありませんでしたよ。確かに好意も持っていた。より仲良くなりたいとうつつを抜かしていたこともあります」
「じゃあ、どうして!?」
「騙されていると気がついたからですよ」
そう言って畑橋は、その表情を酷く不快そうに歪める。その表情には、それこそが刻印を発現させた原因なのだと直感できるだけの、猛烈な怒りが感じられた。
「彼女はね、私を監視していたんですよ。さっきも言ったように、刻印使いである私が変な考えを持たないように、私の心に近づくことでね」
「監、視?」
「ええ、そうです。あなたにもいるんじゃないですか? ただの協力者であるあなたに対して、頻繁に連絡をとってくる相手が!!」
言われ、智宏は何となくレンドの存在を思い浮かべる。確かに彼は智宏達に定期的に連絡をとってくる。一番連絡が無かった時期と言えば彼が異世界に行っている間だけだ。
「誤解しているかもしれないので言っておきますが、ただの協力者に対して向こうから来る連絡などそう頻繁なものではありませんよ。極端な話、用が無ければ連絡してきません。ただでさえ人手の足りない彼らにそんな余裕はないのですよ」
「それは……」
確かに、言われてみればもっともな話だ。よく考えれば智宏達に対する扱いは他の異世界遭難者とは大きく異なっているかもしれない。
だが、
「あんたいったい何言ってるんだ?」
「と、言いますと?」
「確かに僕たちは特別扱いされているかもしれない。だけど、そんなの、他より少し重要視されているって言うだけでそこまで目くじら立てて反発することじゃないでしょう!!」
例えば、ハマシマミシオ。彼女は智宏とは別にレンドやその仲間と連絡を取り合っている。それは彼女が異世界人が絡んだ事件の被害者であり、重要な証言のできる証人であり、同時に彼らにイデアにおける活動資金を出すことを決めている未来の出資者であるからだ。
例えば、暮村珊瑚。智宏の祖母でもある彼女は、異世界国交対策室(チーム―クロス・ワールド)にとって有益な人脈を持つ協力者として、彼らによって重要な人物とみなされているらしい。
どちらも異世界国交対策室(チーム―クロス・ワールド)に特別な扱いを受けている二人だ。だが、その扱いを不当だとは智宏はまるで思わない。どちらの扱いにもちゃんとした理由があり、必要性があり、意思がある。そして、智宏は自身の受ける扱いが、ほかの二人と違って悪意あるものだとはまるで思わない。
「なんだってそこまで悪意的な解釈をしてるんだ!! 彼らのやってることにそうまでして反発する理由なんてないでしょう!!」
「あるさ!! 彼女は、私を疑いの目で見ていたんです。だからこそあのとき彼女はあの場に居合わせた!! わざわざ私をつけまわして監視していたから、私が坂町を消した瞬間を目にすることができたんだ!!」
「それが本音なんじゃないのか!? あんたは結局、自分の犯行現場を見られたからシャノンさんを殺しただけなんだ!! それを正当化するために、シャノンさんに悪意があったと思いこみたかった!! だからあんたにとって、異世界人は悪者でなくちゃいけないんだ!! 違いますか!? 畑橋耕介!!」
智宏の導き出した答えに、畑橋は完全にその表情を一変させる。先ほどまでの興奮に満ちた笑みは完全に消え失せ、代わりに毒でも飲みこんだように唇を震わせ、目を見開いて表情をこわばらせる。
恐らく、智宏の言葉は本当に毒だったのだろう。畑橋がシャノンを殺した本当の理由は、彼にとって受け入れ難い真実(猛毒)だった。
そしてそのことを表すように、畑橋は震える声で絶叫する。
「消えて、しまえ!!」
叫びと共に、畑橋は智宏めがけてがむしゃらに飛びかかる。両手の平に微弱な気配の魔力を纏わせ、左手首に刻印をきらめかせながら、二人の間にある距離を一気に詰めてくる。
(術式展開――)
だが、智宏にとってその状況は望むところだ。相手がたとえがむしゃらに突っ込んでたとしても、この距離ならば畑橋が智宏に接触するよりも、智宏が魔術を放つ方がわずかに速い。
そして、智宏が魔法陣を突きつけたとき、畑橋もそのことに気がついたらしい。
(――強放――!?)
迂闊さを思い出したらしい畑橋の表情めがけて魔術を放とうとしたそのとき、一瞬早く畑橋の姿が再び消滅する。先ほどと同じ、いまだ謎の多い刻印の効力だ。
(くっ、一体どこへ?)
慌てて周囲の気配を探り、展開した魔方陣をいつでも発動できるように保持する。だが、畑橋の姿はどこにも表れない。
(なんだ? 一体どこへ行ったんだ?)
一秒、二秒、三秒。時間が刻々とすぎるなか、智宏は周囲の不気味な静けさにいやな悪寒を覚える。
四秒、五秒、六秒。
七秒過ぎてもなにもないという異常に、智宏は神経をさらに研ぎ澄ます。一瞬、頭に刻印の力で逃げたのではないかという考えが浮かぶがすぐに却下。それができるなら、今までやらなかった理由が浮かばない。
やがて九秒が経ち、あまりにも長く感じる緊張状態に智宏がじれ始めたときそれは現れた。
智宏の背後、決して見逃さない巨大な魔力の気配。
(っ、【強放雷】!!)
現れた気配目がけ、智宏は振り向きざまに魔術を叩きこむ。一秒にも満たない、魔術による早撃ちの攻撃。放たれた雷撃は智宏の狙い通り、現れた小石を粉々に粉砕した。
(なっ――)
そして驚愕と同時に感じ取る。またも背後で湧きあがる、見間違いようのない魔力の気配を。
(――にぃ!!)
慌てて振り返り、そして見た。智宏の背後、先ほど消えたときとまったく同じ位置に、まったく同じ体制の畑橋が出現しているのを。
(そうかこいつの刻印!!)
ようやくその正体に気付き、しかしそのあまりの遅さに己の勘の悪さを呪う。今からではどう頑張っても、畑橋の手からは逃れることができない。反撃の魔術は発動したばかりで使えないし、振り向いたばかりの態勢では回避することも難しい。
そしてもう一つ、振り向いて見た視界の隅に、智宏にとってさらに悪い条件が追加される。
「トモヒロ!!」
(――ミシオ!!)
そこには、先ほど川岸において来たはずの浴衣姿のミシオが、こちらを驚愕に染まった目で見つめていた。恐らくあの後、智宏達を追ってやってきてしまったのだろう。
(――まずい!!)
すべてが間に合わない状況の中で、【集積演算】で加速した思考だけが絶望的な事実を告げてくる。このままいけば、間違いなくミシオまでもが殺される。ことここにいたって、畑橋がここに居合わせた四人目を見逃すなどあり得ない。
(くそ!! ミシオ!!)
伝えなければ、と加速した思考が訴えるが、すぐに【集積演算】が絶望的な答えを突きつける。ミシオのテレパシーは相手に触れていなければその心を読むことができない。ミシオと智宏の距離はどう見積もっても十メートル以上。言葉が間に合わないこの状況で、その距離はあまりにも遠い。
(く、そぉっ!!)
あまりにも絶望的な状態で、伝えるべき意思を持て余したそのとき、畑橋の手によって吉田智宏はこの世から完全に消滅した。
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