12:持ち込まれた法則
「すいません、付き合わせてしまって。せっかくのお祭りだというのに途中で抜けさせてしまいましたね」
「いえ。僕らも十分楽しんだ後でしたから」
「お金も、なくなってたし」
畑橋の言葉に、智宏はミシオと共にそう返して彼の後を歩く。正直に言うと二人とも多少祭りに未練はあったのだが、それでも一通り楽しんでいたことと、残ってもどの道後一時間も祭りは続かないことなどから彼と共に帰ることを選んでいた。
現在二人は、電車を使わずに歩いて家へ向かっている。元より普段使っている駅から二駅と言う距離だ。ましてや体力が増している智宏や、元から優れた体力を持つミシオにはそこまで苦ではない。
そして、二人がわざわざ徒歩で帰っているのにはちゃんとした理由がある。
「本当にすいません。ああでも言わないと志士谷さんが解放してくれそうになくて」
「いいえ。大丈夫ですよ。ところで、話って何なんです? そちらも一応用事ではあったんでしょう?」
智宏達がわざわざ電車を使わずに移動している理由。それは、畑橋の本来の目的地が駅と駅の間にある河だったからだ。川の名前は鷹見川。件の事件の現場となった河川敷、その上流である。
そのことに関して、智宏は全く質問できていない。正直に言えばこの時間に彼が何をしに行くのか少々気にはなったのだが、そこを踏みこんで聞きだすのは流石に躊躇われた。
智宏がするべきなのは、川まで彼に同行し、そこまで彼の話に付き合うことだけだろう。
「用事、と言いますか、少しお二人と話をしてみたかったんですよ。ああ、その前に一応確認しておきたいんですけど、お二人のどちらかが先日新たに発見された刻印使いですよね?」
「……意外ですね。二人のうちどちらかが刻印使い、って言い当てられたのもそうですけど、そこまでわかっていながらどちらが刻印使いなのか知らないなんて。正直言って刻印の情報は異世界国交対策室のメンバーには知れ渡っていると思っていたんですけど」
「いえ、新たに刻印使いが現れたというのは情報として伝わっているんですけど、その刻印使いが誰で、どんな効力の刻印なのかは個人情報として秘匿されているんですよ。最初の方の刻印使いである大野さんなんかの頃にはなかった配慮なんですけど、イデアなんかではむやみに能力者の能力を吹聴してはいけないという価値観があるらしくて。それにならって、現在確認されている四人のうち三人はだれがどんな刻印を持っているか、直接かかわっている人間以外知らされていないんです」
「へえ……」
異世界国交対策室の刻印使いに対する配慮に関心しながら、同時に智宏は畑橋が二人のうちどちらかが刻印使いであろうと予測した理由にもあたりをつける。恐らく二人がこの世界に来た時期と刻印使い発見の報告時期から推測したのだろう。刻印使いの発見情報を聞けて、この世界に降り立ったとき会話を交わしている岩戸荘の住人と面識を持つ畑橋ならその程度の推測は造作もあるまい。
「お察しの通り、僕が刻印使いです。こんな見た目をしていますけどね」
「ああ、そうでしたか。どのような刻印かお聞きしても?」
「ああ、それなら――」
智宏が刻印について口にしかけたときふと服の裾を引っ張られる感覚を感じる。振り返るとミシオがこちらの服を掴んだままこちらを見つめており、智宏と目が合うとゆっくりと首を横に振った。
「トモヒロ、自分の力を人に吹聴するのは、あんまり良くない」
「え、あ、そうか?」
ミシオの指摘に驚きながらも、智宏はすぐに思い直す。今の話でもそういう話はあったし、考えてみれば特別な力を持っているという点については先輩のような立ち位置にいるミシオだ。ならばその指摘にも従っておいた方がいいのだろう。
「すいません。そういう訳なんで、僕の刻印については……」
「ああ、いいですよ。私もちょっとした興味で聞いただけなので」
そう言うと畑橋は自分達が立ち止まっていたことに気がついたらしく再び歩き始める。智宏達がそれにつき従うと、すぐに話の続きが投げかけられてきた。
「それで本題なんですけど、あなたたちは刻印をどう思います?」
「え? どう、と言うと?」
「そのままの意味ですよ。難しく考えたり、意味を限定的にとらえなくて結構です。そうですね。強いていいかえるなら、刻印に対してどういうイメージを抱いていますか?」
「どういう、イメージですか」
問われた質問に、智宏は少し答えあぐねる。答えが見つからないわけではない。答え自体は前の世界にいたときに既に出ている。それが少々答えにくいというだけだ。
そうこうしていると、先にミシオが口を開いた。
「私は、普通に便利な力って、思ってる」
「便利な力、ですか?」
「うん。あ、それは刻印の効力によるかもしれないけど……」
そう言ってミシオは、視線をこちらに向けてくる。確かに刻印自体が便利だと考えるには、まったく使えない刻印の存在を知るものとしては無理を感じる。ミシオの言っている刻印はイコールで智宏の【集積演算】が結ばれるのだろう。
智宏は内心で「そんなに便利なだけの力じゃないんだけどな」などと考えながら、今度は自分の言葉を口にすることにした。
「僕は、究極的にはエゴの具現だと思っています」
そのとき、背後でミシオが何かに反応した。だが、智宏は大方自身の答えが意外だったのだろうと判断して話を続けることにする。
「刻印って、体内にため込んだ魔力が感情と願いによって形を得るものでしょう? でもそれって、結局のところその人間のエゴが如実に反映されるってことだと思うんです。発現の経緯を考えても、己の身を守るって言う、基本にして最大のエゴが根底にありますし、副作用が無いなんてのはまさにその結果ではないかと」
「なるほど、だから刻印はエゴの具現、ですか。言われてみれば確かにその通りかもしれませんね」
そう言って、畑橋はいったん会話を切る。歩きながらこちらを振り返ると、歩を止めて智宏達に視線を合せた。
「でも、私はこの刻印に対してまったく別のイメージを抱いています。まあ、これは君たちと違って、刻印の効力に対するイメージではなく、刻印そのものへのイメージと言った感じなのですが」
「刻印そのものへのイメージ、ですか?」
「ええ、そうです」
智宏の疑問に相槌を打つと、畑橋は再び智宏達に背を向け、歩きだす。ただしさっきと違い視線は前ではなく上空、そこに広がる星空へと向けられていた。
「世界の挟間を通るとき、そこに広がる魔力をそのまま取り込んで異世界へと流れつく刻印使い。そして刻印は、その魔力に刻印使いが願いという形を与えることで発現する。レンド達にこの話を聞いたとき、私には刻印というやつがこの世界にはない、世界の外から来た新しいルールのように思えてならなりませんでした」
「新しい、ルールですか?」
「そうです。規則というよりは法則と言ったほうがいいでしょうか。知っていますか? 大野さんの刻印、確か【帰巣本能】と言ったでしょうか。どこからでも目的地にたどり着けるあの刻印は、しかしオズの人間たちにもさっぱり理屈がわからないそうです。同じような転移魔術などというものがあるのに、です」
「そうなんですか?」
驚きながらも、智宏はすぐにその情報に納得している自分に気がつく。もしかしたら刻印というものを持つ者として、直感的にその可能性を考えていたのかもしれない。
「具体的に言うと、使われている魔力がどういう属性なのかがさっぱりわからないようです。複数の属性が複雑に混じり合っているらしく、極端な話【帰巣本能属性】と言ってもいい、家に帰りつくという効果を持った魔力属性が出来上がってしまっているそうなんですよ。魔術をいろいろな属性の魔力を部品のように組み合わせた機械にたとえるなら、刻印はそれ単体で効力を持つ薬品といったところでしょうか」
「薬品、ですか」
確かにその認識は智宏自身しっくりくるものがあった。何しろ智宏も刻印の働きを魔力の調合と認識していたくらいだ。魔方陣を機械にたとえられたことで、漠然と感じていた違いをはっきりと理解したような気さえする。
「あらゆる物理法則を無視して、いや、物理法則に関しては魔術の方も縛られていない節があるのですが、そういう物とは別の次元、この世界のルールを無視して願いに見合った魔力を調合する刻印。私は刻印の力について聞けば聞くほど、この力がこの世界の法則を無視する形で存在しているように感じました」
「新しい、ルール」
「そうです。新ルールです。考えてみれば世界の外から持ち込んだ魔力によって生まれる力なのですから、この世界のルールに縛られないのは当たり前かもしれません」
世界の外から持ち込まれた新しい法則。なるほど確かにそう言われればこの恣意性の高さ、願いの再現率にも納得がいく。自身の刻印にも言えることだが、この力は本来起こるべき副作用を願いどうりに無効化し過ぎているのだ。
「だから、できるはずなんです。この刻印という現象は、この世界では決して起こり得ない奇跡を起こしうる」
その言葉と共に、少し先、前方から水の流れる音が聞こえてくる。恐らく目的の川についたのだろう。そして、その水音を耳にすることで智宏はようやく畑橋の意図を察する。
「まさか、あなたは自分の刻印に死者蘇生の効力を設定するつもりなんですか!?
いや、でもそれは……」
「あなたの言いたいことは何となくわかります。死者の蘇生。確かに多くの人が夢見てきた奇跡ではあるけど、それは起こせるからと言って起こしていいものとも思えない。死者が蘇ることには私自身も心理的に抵抗を覚えていますからね。だからこそ私はいまだにそんな刻印を発現させていません。死者を蘇らせてもいいのかという葛藤が、刻印の発現を妨げている」
「……」
確かに、倫理的な抵抗を覚えている状態では、刻印というものは発現しないだろう。夢であると同時にタブー。死者の復活を本当に願えるとしたら、それは死者への未練が身についた価値観を覆したときにほかならない。
「それにね、私はたぶん怖いんだと思います。よみがえった彼女が、本当に私の知る彼女であるとは限らないという点が」
「限ら、ない?」
背後から上がるミシオの疑問の声を聞きながら、智宏はその言葉の意味を慎重に吟味する。
確かに、本人の望みがかなうという刻印の性質を考えれば、復活した死者が本当に本人であるとは限らない。刻印使いにとって都合のいい本物そっくりの偽物が、新たに生まれてしまう可能性すらあるのだ。
だが、智宏のその想像と畑橋の抱える懸念は少し違ったらしい。
「お二人にお聞きしたい」
言って、川の上の短い橋にたどり着いた畑橋は、こちらを振り向いて真剣なまなざしを向けてくる。その視線に智宏は、ここでようやく話しが本題に入ったことを悟った。
「あなたたちはどこまで異世界国交対策室のメンバーを信用していますか?」
「……え?」
『自分が信用している相手だから、他の人間も信用してくれると思ってたんじゃないかい?』
ふと、三日前、祖母に言われた言葉を思い出す。祖母に言われ、意識の隅にとどめていた言葉が、初めて現実のものとして目の前に現れたような気がした。
そんな智宏の内心には目もくれず、畑橋は言葉をつづけてくる。
「この話は、特に刻印という世界外の奇跡を持つ吉田君にお聞きしたい」
「え? 僕ですか」
「自分が化け物として扱われていると感じたことはありませんか?」
「……!!」
畑橋の言葉に、智宏はつづけてショックを受ける。その可能性を考えなかったからではない。正直に言って、自身がそういう目で見られる可能性を、智宏は随分前から予測していた。ただ、レンド達からそういった印象を受けなかったため、現実味のない予想になり下がっていたのも事実だ。
「私はね、彼らが私と付き合う時に、まるでゾウとでも接するような慎重さを感じることがあるんですよ。できるだけ刺激しないように気をつけて、できることなら飼いならしたい。そんな意識を感じたことがあるんです。そして私は、自分が蘇らせたシャノンさんに、その意識を向けられることを恐れている」
それは、ある種当然ともいえる対応だろう。特に、エデンでとんでもない大破壊を行える刻印使いに接触している智宏としては、彼らが刻印使いを恐れる気持ちはよくわかる。
そして、刻印を世界外からの新ルールと定義した彼が、それに思い立っていないとは思わない。
だが、
「以前私は、前の仕事を首になって、そこ異世界国交対策室(チーム―クロス・ワールド)に拾われたと言いました。しかしだからと言って同じような境遇の人がみんな拾われているわけではない。拾われたのは私だけなんですよ」
「え? それって……」
「おそらく、彼らは私たちを不安定な状態に置きたくないんでしょう。私達の精神を余計なことを考えないように安定させておき、できることなら彼らの望む方向に向けさせる。不満を抱かせないように注意して、情熱を持たせて利用する。それが彼らの刻印使いに対する基本姿勢ではないかと思うのです」
「でも、それは仕方がないことなんじゃないですか? 確かに刻印使いが全て危険だとは思いません。大家さんの刻印なんて役に立つだけですし、自分で言うのもなんですけど、僕の刻印は悪用しようという気が無くなっていくような効力があります。でも、だからと言って刻印全てがそういうではない。以前エデンであった刻印使いは、冗談抜きで都市一つを滅ぼしかねない刻印だった」
そう、それこそが最大の問題だ。刻印という力には恐れるだけのことがあるのだ。上限すら定かではない、どんな願いでどんな効力を持つ刻印が生まれるか分かったものではない。そんなものに無策で向き合うなどあまりにも現実味がない。彼らのやっていることは、そんな状態ではむしろ良心的と言うべきだろう。
「それは分かっています。ですが、これからもそうだとは限らない。対策室のメンバーとて今でこそ友好的ですけど、この先彼らが望みどおり世界間の国交を樹立したらどうなるか分からない。彼等だけではない。五つの世界の安定にとって、刻印使いは明らかに異物で、危険な不確定要素です。いずれ何らかの形で排除される可能性がある」
「それは……」
確かに彼の言うことは一理ある。確かに今のうちに考えておかなければ取り返しのつかなくなる問題だ。
だが、そう思う一方で智宏は、彼の言葉に強い違和感を感じる。
「加えて、我々刻印使いは絶対数が極端に少ないのが問題です。この三年間で、対策室のメンバーが保護したアース人はおよそ三百人いるのですが――」
「そんなにいるんですか?」
「ええ。しかしこれだけの数がいながら確認された刻印使いはたったの四人。いえ、この前エデンで暴れたものを含めれば五人ですか。他にも未確認の刻印使いが存在する可能性もありますが、それは異世界遭難者にも言えることです。世界を超えて、なおかつ刻印に発現した人間の割合は五十人に一人がいいところでしょう」
五十人に一人。その割合は智宏にとって初めて聞く数字だったが、考えていた以上に少ないものだった。イデアの超能力者ですら三十人に一人はいるのだ。それを考えれば、刻印使いの絶対数は圧倒的に少ない。
「これは、刻印使いになる人間の体質がそもそも珍しいからだそうです。Rh陰性の血液型……、いや、どちらかというと自分の意思で耳を動かせる人の方がイメージに近いかもしれませんね。刻印使いになってしまう要因である、体内に入る魔力の変換ができないという体質は、一部の人が体に残している進化し損ねた部分だという話を聞いたことがあります」
確かに、耳を自分の意思で動かせるというのは、人間がまだ草原に暮らす獣だったころの名残だという話を聞いたことがある。本来なら進化の過程で切り捨てられた機能が、その部分だけ進化し損ねて残ってしまっているらしいのだ。耳が動かせるか否かなら「だからどうした」という話だが、刻印の話にまでなってしまうと話は別だ。
「刻印使いに目覚めるのは五十人に一人。それも超能力者のように勝手に目覚めるわけではない。世界を超えるというこのレキハでおきている異常を経験して初めて目覚めるんです。そして、対策室のメンバーは将来アース人が世界を行き来する可能性を見越して、すでに準備を始めている」
「準、備?」
先ほどから会話に参加しながらも、どこか話に割り込めずにいたミシオが声を発する。畑橋は声に反応して僅かにミシオを一瞥すると、すぐに智宏に視線を戻した。
そしてそのことで、智宏はようやく気がついた。
「転移魔術の術式に、世界の外での影響をカットする効果を付与しようとしているのですよ。刻印使いの適正を持つ人間が世界の挟間に飛び込んでも、そこで魔力を吸収しないように防護をかけようというのです。そうなればこれから先、刻印使いが新たに生まれることはなくなる」
畑橋の言葉を聞きながら、しかし智宏はまったく別のこと、先ほど感じた違和感に思考の焦点を合わせる。
要するにないがしろにされている気がするのだ。
先ほどまでなくなったシャノンの刻印による復活の可能性を論じていたはずなのに、今の畑橋は明らかに刻印使いの今後について話している。
もちろん、繋がりはないわけではない。話が脱線しているように見えるが、先ほどの会話の中で彼は、シャノンを取り戻したいのに自身の刻印が発現しない理由語っていた。これから先の刻印使いをめぐる情勢、シャノンを含む異世界国交対策室のメンバーの刻印使いへのイメージ。それらは確かに刻印の発現を躊躇させる理由にはなるだろう。
だが、今彼の語る口調からはシャノンへの意識を感じない。まるで蔑ろにされているかのようなその感覚はどうしようもなく智宏には違和感を与えていた。
そんな智宏の心中に気付くことなく、畑橋は話を続けていく。
「おそらく、確認されていない者を含めても刻印使いの総数は十人にも満たないでしょう。その絶対数は間違いなく五つの世界で最も少ない。そして、五つの世界はたかだか十人の人間に制限をかけることに恐らく躊躇しない」
「畑橋さん……」
「それが合理的、最低限のものだったら受け入れることはできるでしょう。しかしこの先、彼らが実態のない恐怖と偏見によって我々に過剰な圧力をかけ、排斥しない保証はどこにもない」
「……」
やはり畑橋の意識はシャノンのことから離れている。彼の言葉にこもる熱によって、智宏は嫌でもそのことを確信した。そして同時に、彼に一体何があったのかが気にかかってくる。
「私達は少しこれからのために結束する必要があると思うんです。もっと刻印使い同士で話し合って、これからの対策を考えないと!!」
「いや、落ち着いてください畑橋さん」
「え、あ……」
智宏の言葉に、ようやく畑橋も自身が話に熱中し過ぎていたことに気がついたらしい。
「すいません。でも、考えてみてほしいんです。このことは大野さんにも話したんですが、あまりいい手ごたえが得られなくて。もう一人の方はどこの誰かもわかりませんし」
「それは、わかりました。ところで一つ聞きたいんですが、……っと」
先ほどの疑問をぶつけようとして、ポケットで携帯電話が震えているのを感じる。取り出して見ると、そこにはこの前設定しておいたレンドの番号が表示されていた。
「すいません。ちょっと、失礼します」
畑橋に断りを入れ、何となく二人から離れながら通話ボタンを押す。
『トモヒロ今どこにいる!? 畑橋は一緒か!?』
「な、なんだよいったい!?」
電話に出たとたん、響いて来た血相を変えたようなレンドの声に、智宏は反射的に耳から電話を放す。しかし、その様子にすぐに思い直し、再び電話を耳に当てて答えを返した。
「今畑橋さんと一緒に鷹見川に来てるよ。ミシオも一緒だ。場所は――」
『いや、今はいい。それより畑橋から目をそらすな!!』
「は!?」
あまりにも唐突なものいいに、思わず智宏は素っ頓狂な声をあげる。一瞬後に、まさか畑橋が出掛けに遺書でも残してきたのではというとんでもない想像が脳裏を駆け巡るが、その想像は次のレンドの言葉で粉々に粉砕された。
『さっきこの前の事件を調べてたやつらから連絡が来たんだ!! シャノンと一緒に殺されたもう一人の男、坂町信也は畑橋が前に勤めていた会社の元上司だ!!』
瞬間、思考よりも早く体が反応し、智宏の体が勢いよく背後を振り返る。
そして見た。視線の先、こちらを訝しげに見るミシオの背後で、ミシオの無防備な背中に向けて手を伸ばす畑橋の姿を。
「ィシオッ!!」
慌てて智宏が叫んだそのとき、同時にのばされた畑橋の手にも変化が起きた。微かな、しかし確かに感じる未知の魔力の気配。ミシオも背後で発せられたその気配に気がついたのか、ビクリと体を震わせる。
振りむかせてはいけない。目の前の光景に、智宏は直感的にそう判断した。振り向けば逃げることのできるわずかな時間をそれに使ってしまい、振り返ったミシオにあの得体の知れない魔力が作用すると。
しかし、振り向くなと告げるには余りにも時間が足りない。そして、背後で何かを感じれば反射的に振り向いてしまうのが人間だ。
だが、智宏のそんな焦燥まみれの予想に反し、目の前のミシオは振り向くことなく智宏めがけて突っ込んできた。
「え?」
内心で驚きながらも、智宏はとっさに思考を切り替えてミシオを受け止め、そのままの流れで自分の背後に回す。自分の体を盾にするように立ち、額に魔力を流して【集積演算】を発動させると、避けられたことに驚愕する畑橋を強く睨みつけた。
発動させた刻印に、畑橋は瞬間的に反応して背後へと飛び退く、しかし周囲に何の変化も起きないのを見てとると、警戒心を見せながらも智宏に焦点を戻した。
「こうなると痛いですね。さっきあなたの刻印について聞きそびれたのは」
「なんのつもりか、聞いたほうがいいですか? 畑橋さん」
「その様子だと、やはり何か露見したみたいだね」
智宏の問いに、畑橋は緊張した声で答えを返す。口調はかろうじて先ほどと同じ丁寧さをもっていたが、その眼には先ほどとは違う、ギラギラとした棘のようなものが感じられた。
「ええ、あの事件の被害者。二人の内のもう一人ともあなたの知り合いだったそうですね」
「どうして黙ってたか、は言う必要がなさそうですね。まったく。本当はもう少し君にこの話を聞かせておきたかったんですが」
「それじゃあ、やっぱり」
「ト、トモヒロ、どういうこと?」
自体を飲み込めていないらしいミシオが、トモヒロの背後で疑問の声をあげる。恐らくミシオも、大体のところは直感で理解できているだろう。だが、理解できたからと言っての見込めるとは限らない。
だからこそ、智宏はその真実を言葉にする。
「シャノンさんと坂町信也の二人を殺したのはあなたですね。それもとうの昔に発現していた刻印を使って」
智宏の言葉に、畑橋は口元をいびつに歪め、こちらに向けて左手首を示すことで答える。形こそ時計に隠れて見えないが、左手首に確かに輝く魔力の輝きは、世界外の新ルールたる刻印に間違いなかった。
「要するに、あなたは最初からみんなを騙してたって訳ですか」
「いや、最初からではないよ。実際私も対策室の連中に保護された時はこんな力もっていなかった。この刻印を手に入れたのはもっと後ですよ。この世界で『同志』に会い、話を聞いたからこそ手にできた力です」
「『同志』……?」
「ええ。『同志』です。あなたにも私を通して彼の話を伝えておきたかった。こんな中途半端な形で中断してしまったのは残念ですよ」
「それなら心配はいらないと思いますよ。ここであなたを捕まえればその『同志』って人のことも含めて話しがきけます。ちょうどお迎えらしき人たちも来たようですしね」
見れば畑橋の向こう、住宅街へと続く道から、二人の人間がこちらにかけてくるのが見える。このタイミングであの急ぎ方と雰囲気、そしてかすかに魔力を使っている気配を感じるとなれば、恐らく畑橋を捕まえに来た人間だ。
だが、畑橋はそれを一瞥しても焦りのようなものを表情に表すことはなかった。
「これは参りました。早々に退散したほうが良さそうです」
「させると思いますか?」
丁寧な口調を崩さず、しかし不気味な興奮を表情に浮かべる畑橋に、智宏は左手に魔方陣を展開することで応じる。展開する術式は【強放雷】。話を聞かなければならない関係上殺す気まではないが、それでも気絶させるくらいはする腹積もりだった。
「魔術、ですか。なるほどそれがあなたの……。これは分が、悪い!!」
言った瞬間、畑橋が背後に身を投げ出し、空中で体を回しながらも、ほとんど倒れるように背後へ跳躍する。その背に向けすかさず雷撃を打ち込もうとした智宏はしかし、
「っ!! ミシオ、跳べ!!」
畑橋のその手が橋そのものを叩こうとしているのを見て、とっさに背後のミシオと共に後方へ跳び上がった。
結果的にいえば智宏の判断は杞憂に終わった。智宏としては、畑橋の魔力が橋を伝って自分たちに何らかの効果を及ぼすのを警戒していたのだが、同じように橋にさしかかっていた異世界人二人は橋と接触していたにもかかわらず何の影響も受けなかったからだ。
だが直接触られた橋自体はそうではなかった。
その瞬間、何の音も動きもなく、智宏達の下にあった橋が両岸の基礎部分だけを残して丸ごと消滅した。
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