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CROSS WORLD ―五世界交錯のレキハ―  作者: 数札霜月
第三章前編 第三世界アース 夏休み編
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6:彼と彼女の勉強法

 夏という季節の中で煩わしいものを三つあげるとすれば、智宏は暑さ、蚊、そして宿題の三つをまず思い浮かべる。理由は多くの人間がまず聞かなくても判るだろう。恐らく智宏のこの意見に対して、異論はあっても反論はそうないはずだ。

 中でも夏休みの宿題と言えば、智宏も毎年期限とのデットヒートを繰り広げる憎き怨敵なのだが、今年の夏は少々事情が違った。あまりにも手ごたえが無さ過ぎるのだ。


(まあ、方法が方法だから当たり前か……。やっぱり記憶力って大事なんだな)


 そんなことを考えながらひたすらシャーペンを動かしていると、唐突に玄関のチャイムが鳴る。


「……む」


 背後のインターホンの子機に手を伸ばそうと考え、次の瞬間にはそれができないことに思い至る。現在左手は動かせない。右手もいまだ忙しく動いている。こちらもあと三ページなので中断したくはない。というかそもそも左手を動かせない時点で立ち上がることができない。


(仕方ない……)


 一度だけ小さなため息をつき、智宏は自分の右肩にも(・・)意識を集中させる。魔方陣を展開し、そこから飛び出す鎖で子機を掴み取り、引き寄せる。


(そう言えばこの鎖って磁力とか帯びてないだろうな……?)


 問題の答えを書き、一度止めた手で子機を受け取りながらふとそんな不安が頭をもたげる。だがそんなものは子機のボタンを押してその画面に金髪メガネの男が映し出された時点で払しょくされた。どうやら電子機器への悪影響はないらしい。


『ちわー。異世界チーム国交対策室(クロス・ワールド)のレンドです』


「おーう。とりあえず入ってくれ。今親いないからミシオの部屋まで来てくれる?」


 モニターの向こうでレンドが家の扉を開けるのを確認し、智宏は子機を横に置いて再びシャーペンを掴む。問題集に途中式を書き始めると、すぐに扉があいてレンドが入ってきた。一週間前一緒に行動したときはイデアで着ていた服をそのまま着ていた彼だが、今日はこちらのファッションに合せたのか若干おしゃれな格好をしている。こうして見るとイデアの服装はこちらに比べて質素なようだ。


「ぅああっ、あちぃー。気候が違うせいか余計に熱く感じる……、って冷房付いてないのかよ! せっかくいい文明があるんだから使えよ! ……っと、なんだ? この異様な光景……?」


 扉を開けるとともに入ってきたレンドの声が、部屋の中の二人を視界に捕らえた瞬間から急激にしぼむ。一週間前、智宏達のことを他の職員に任せて一度自分の世界に帰ってしまっていたレンドは、考えてみればこの光景は知らないのだ。

 そう思い立ってようやく智宏も自身の視線を問題集から放し、自身の左手の先、智宏と手をつないだ状態で机にべったりと突っ伏しているミシオへと向けた。


「どうしたんだミシオちゃん? もしかして夏バテかなにかか? だから冷房をつけろというのに……」


「そっちの方は特に問題はないよ。むしろミシオ、冷房が苦手みたいだから付けてないくらいだ。ミシオがこんな状態なのは、単に僕から知識を【情報入力(インストール)】しているから」


「は? 【情報入力(インストール)】?」


「ああ、ちょっと待って。……よし、これで数学も終わりっと」


 智宏が問題集を閉じると同時に、レンドの視線が智宏の額に向くのを感じる。どうやら智宏が何をやっていたかに気がついたらしい。


「刻印使って宿題やってたのか? それ夏休みの宿題ってやつだろ?」


「まあそうだね。と、言ってもそれだけじゃないんだけど」


「なんかずりぃなぁ……。それで、それだけじゃないってのは、さっき言ってた【情報入力(インストール)】ってやつか?」


「それもその一つだな。というか今【集積演算(スマートブレイン)】の検証もしてたんだよ。『どのくらいの数の思考を同時にできるのか』とかな。夏休みの宿題はそのついでだ。ミシオへの【情報入力(インストール)】の方はむしろ本命だけど」


「っていうかその【情報入力(インストール)】ってなんだ? 何かこの世界のコンピューターの用語でそんなのがあった気がするが……」


 レンドが再びミシオの方を向きながら心配そうにこちらに視線を送ってくる。先ほどからミシオはぴくりとも動かないのでその気持ちはわからなくもないが、祖母と話し合ってから一週間、ミシオの編入試験が最長でも二週間後に迫っている現在、こうでもしなければ間に合わないのだから仕方が無い。


「要するに僕の頭の中でミシオに教える内容を整理して、それをミシオに通念能力(テレパシー)で読み取らせてるんだよ。集積演算(スマートブレイン)通念能力(テレパシー)の合わせ技だな」


「……それで、なんでミシオちゃんはこんな態勢で動かないんだ?」


「覚えやすいように関連する他の五感情報も一緒に送ってるからな。ほら、本を読んで覚えようとするより、一緒に読み上げたり実際に手で書いたりした方が覚えやすいだろ? 流石にそんなことしている暇はなかったから、ミシオにはこの体制で耳栓して感覚を制限してもらって、僕の方で書いたり聞いたりした記憶を一緒に流し込んでるんだ」


 余計な外部情報を遮断し、智宏から流される濃密な学習情報に集中させる。ほとんど勉強しているというよりは智宏の学習経験を追体験しているといった方がいい方法だった。

 もっともこの方法、流石に受け取る本人はかなり疲れるらしいので途中に頻繁に休みを入れなければならないのだが。


「なんか、この状況を見てると、智宏がえらく楽しているように見えるな」


「そうでもないんだけどね。人に教えるってのは結構大変な上に時間もないから。こっちで流し込む情報はかなり編集しなくちゃいけないし、それ以前に僕が今まで受けてきた授業やらなんやらを全部思い出して、さらには使える記憶を抜粋していかなきゃならんからな。【集積演算(スマートブレイン)】のおかげで今まで受けた授業とか全部思い出せるけど、それだって酷く疲れる」


 実際この方法、送り手である智宏の方の疲労も半端ではないのだ。いくら【集積演算(スマートブレイン)】があると言っても精神的な疲労はいかんともし難いし、魔力もえらく消費してしまう。実際一日の終わりには二人揃って屍と化すという事態を連日繰り返している状態だ。


「ついでに言えば、今みたいに【集積演算(スマートブレイン)】の検証を一緒にやってたりしてると余計疲れるな。今日なんかミシオに作っておいたデータを流しながら、明日の分の歴史の教材をまとめながら、夏休みの宿題の数学の問題をやりながら、国語の宿題の構想を練りながら、朝の新聞のクロスワードと数独と推理問題をやりながら、毎日の飯の献立を千四百六十五日前まで思い出していたくらいだ。自分でやっといてなんだけど、【集積演算(スマートブレイン)】を止めたらグロッキーになる自信があるね」


「おまえ……、実はバカなんじゃないか?」


 智宏の発言にレンドは呆れたようにそう呟く。確かにばかばかしいとは智宏自身も思うが、それでもどの程度の魔力を注げばどの程度思考回路を強化できるかや、思考速度だけでなく複数同時思考も魔力量に比例して強化できることなど、今まで感覚だけで使っていた自身の刻印について、かなり理解が進んでいることも事実だ。ついでに例年は提出期限との戦いになる夏休みの宿題も進んでいる。


「う、ううん」


「おっと、目が覚めた……ってのとは違うのか? お邪魔してますミシオちゃん」


 午前中に流し込む予定だった日本史をすべて読み終え、ようやくミシオが現実に戻ってくる。耳栓を抜きながら焦点の合わない目でレンドを見つめ、口を開いた。


「うう……、ヒュース、ケン?」


「誰だよ……」


 どうやらまだ日本史の世界にいるらしい。こういったところがこの合わせ技の弱点だ。なかなか頭の負担が強い。


「うう……。頭、重い」


「とりあえずもう昼だし休憩にしよう。今日は僕が適当に何か作るから、それまで休んでていいぞ」


「……うん」


 寝ていたわけでもないのに寝ぼけたような状態のまま立ち上がり、そのままフラフラと部屋を出ていく。恐らく顔でも洗いに行ったのだろう。かなり疲れているようだが、一時間も休めばある程度は元に戻るはずだ。

 そんな状態のミシオを見送った後、智宏も自身の額に流れる魔力を遮断する。どっと襲ってくる脳の疲労にげんなりしながら、それでもミシオよりましだろうと思いなおす。


「なんか……、究極的な詰め込み教育って感じだな」


「実際、本当に詰め込むような教育だからな。そうでもしなくちゃ間に合わん」


 気だるげに答えながら、食事の用意をしようと席を立ち台所に向かう。引き出しを開けると、そこには大量のそうめんが詰まっていた。この家の夏には珍しくない中身だ。


「レンドも食っていくか? 親戚から大量にそうめんが届いてるから、それの始末に付き合ってくれるんなら食わせるけど?」


「ああ。ついでだから頼もうかな。悪いな飯時に来ちゃって」


「狙ってきてたのかと思ってたよ」


 水を汲み、火にかけながらそんな適当な会話を繰り広げる。智宏としては正直今はあまり頭を使いたくないのでこのくらいの会話がちょうど良かった。


「っていうか今日は両親どうしたの?」


「二人揃って釣りに行った。僕らは家でお勉強だったから断ったけどな。漁村育ちのミシオはともかく、僕は元からあんまり好きってわけじゃないし」


「つーか、実際のところ間に合うのか? あと二週間で編入試験なんだろ?」


「それなんだけどさ。実は始めた頃より希望が出てきてるんだよ」


「え?」


 レンドが疑問の声をあげると同時にお湯が沸騰したため、そこでそうめんを投入してタイマーをセットする。付け合わせの具材を冷蔵庫から取り出すと、包丁を取り出しながら話を再開した。


「そもそも最初は五科目九年分、全部覚えなきゃいけないって言うんで焦ったわけだけど、実は内容はそこまで多くないんだよな」


「多くないって言うと?」


「ほら、理系の分野なんてのは基本的に使われている字や記号は違っても、やり方自体は変わらないじゃないか。理科系はまあ、ときたま呼び名が違ったりってこともあったけど、数学系に関してはやり方はほとんど同じだ」


「まあ、そりゃそうだな」


「そういう意味だと国語も実はそうだな。読解なんて言うのは文字さえわかればできる話だし。要するにさ、五科目九年分の内、考える部分の学習や方法論的なものは元の世界で済ませてるんだよ。となると後は暗記しかない」


 しかも、暗記系の問題も覚えなければいけないものについても、若干ではあるが種類が限られる。例えば、化学記号などは丸々覚えなければならなかったが、その物質の持つ性質などは同じ物質がイデアにもあるため、ミシオの中にある知識で十分だった。名前は覚えなければならないが、内容は一致させるだけでいいのだ。


「問題は完全にこちらと向こうで違うものの暗記だ。具体的にはひらがなカタカナ漢字、英語と地理歴史関係が主だな。まあ、国語系は言葉が通じるから何とかなるけど、英語に至っては向こうにない言語だったみたいで一から教えなくちゃいけない。当然のように別物の地理歴史も同様だ。社会制度なんかはある程度一致するものもあるんだけどな」


「それでさっきの詰め込み教育か」


「ただこれも意外に成果は上がってる。方法が良かったってのもあるんだろうが、ミシオ自身の物覚えが良いってのもあるな。なんだかんだであんな生活の中でも好成績を収めていたくらいだ。あいつ結構頭いいぞ」


 それも智宏にとってはうれしい誤算ではあった。ミシオの頭脳、特に記憶力はかなり高いレベルらしく、非常識な方法をとっているとはいえ流し込んだ知識を一発で覚えてしまう。彼女がこれだけの記憶力をもっていなければとても間に合うなどとは思えなかっただろう。

 だが、そんな誤算の数々よりも強く智宏が希望として見ている事象があった。


「あいつさ。思ってたよりもやる気なんだよ。僕としては勝手にお膳立てしたってこともあって、ミシオが学校に行くことを望むかどうかもわからなかったのにさ」


「まあ、確かにそんなやり方、本人のやる気がなけりゃ続くはずないもんな。いくらミシオちゃんがストイックだって言っても、それだけで続けるには限度がある」


「正直僕としては本人の意向を確認しなかったこともあって、最悪嫌がるんじゃないかとも思ってたんだよ。でも実際は下手な遠慮をさせないようにした途端、二つ返事でオーケーしてきた。気分がまいってるときはうちの学校のパンフ見てモチベーション回復させてるようだし、想像してたより本人の希望にかなってたみたいだ」


「……やっぱりミシオちゃんにも普通に同年代と接することへの憧れみたいなもんがあったのかもな。前住んでた世界ではそういうのから離れてたみたいだし」


 以前住んでいた世界、第二世界エデンではミシオは一つのトラブルを抱えていた。そのトラブルはこの世界に来る直前に一応の解決を見たわけだが、ミシオはそのトラブルに見舞われていた三年間、身を守るためにかなり特殊な生活を強いられていたのだ。

 身を守るために必要最低限しか学校には行かず、学校でも巻き込む可能性を避けるため人との付き合いを絶っていた。

 智宏が、ミシオを異世界の地でなお学校に通わせたいと考えたのもそれが理由だ。


「そういえば、他にミシオちゃんのことで気付いたこととかあるか? うなされてるとか、思い悩んでるとかあったら、こっちでケアの段取りも整えなくちゃいけないんだが……」


「……いや、特にないな。親二人にもそれとなく注意してもらってるんだけど、そういう話は出てこないし。それどころかこの前なんて、部屋で妖装で作った尻尾の扱いを練習してたくらいだ」


 ミシオの妖装はとある犯罪に巻き込まれ、殺されかけた挙句に手にしてしまった、言ってしまえば被害の産物だ。それを『使いこなしたら便利そうだから』と言って練習できるということは、妖装と言う異能に対して一定の心の整理をつけることができたと考えてもいいかもしれない。

 何がそうなる要素だったのかは智宏は聞いていない。イデアにいたとき、ミシオは自身の得てしまった異能に対して嘆く様子を見せていたため、最初から受け入れていたわけではないだろう。

 だから、今の状態は一番いい形なのだろうと思う。自身の得た異能に自分なりの決着をつけ、自分のものとして受け入れる。見ないようにしたり忘れたりするのでもない、自身の変質を嘆く訳でもないそのあり方は、智宏自身見習うべきあり方だ。だからこそ智宏は自身の刻印を検証し始めたと言ってもいい。

 と、そんなことを考えていると、冷蔵庫に張り付けてあったタイマーが唐突に声をあげた。どうやらそうめんの茹で時間が終わったらしい。

 火を止め、鍋の中身を用意してあったザルに流し込む。


「ああ、そうだ。そろそろミシオを呼んできてくれる? たぶんさっきの部屋でスリープモードに入ってると思うから」


「……それは寝ているという意味だよな?」


 怪訝そうな顔をして部屋を出ていくレンドをよそに、智宏はそうめんを水にさらし始めた。


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