4:出会い
「足に少し怪我をしているようだが、これは森の中をはだしで歩いたからだろう。怪我自体はたいしたものではないな。過度の疲労で眠ってるだけと見ていいだろう」
それが発見から数分のうち、遭難者の少女を診察したハクレンの結論だった。
「そいつは良かった。……っていうか、俺はこの臭いにあてられてぶっ倒れたのかと思ったよ」
そう言いながら右手の指で鼻をつまむレンド。視線の先にあるのはこの恐るべき臭いの元凶、ドレンナの実の特に臭いの強い皮の部分だ。冗談ではなく、本当にまともに嗅ぐと気絶しそうな臭いだった。その袋をこの少女は、よりにもよって身につけていたというのだから、レンドの心配のしかたもあながちバカにできない。
「それにしてもその娘ってさ……」
「ん? ……ああ、智宏も気付いた?」
二人揃って少女に注目する。智宏達が見てとったそれは、少女を見た瞬間に気付いた、智宏とレンドにとって重要な意味を持つ明確な特徴だった。
「すっごい美少女だな!!」
「注目するとこはそこじゃねぇえええええ!!」
訂正。
思った以上に二人の認識は深刻に食い違っていた。
確かに少女はかなり整った容姿をしている。体格も華奢で、肌も透けるように白く、腰に届くくらいの黒髪もよく似合っている。美少女と言って納得する要素が揃っていると言ってもいい。
だが生憎と今智宏達が注目するべきなのはそこではない。少女の肌にこの世界の人間特有の鱗模様が無いことだ。それはつまり、
「まあ、間違いなく俺らと同じ異世界人だよ」
(やっぱりか……)
真面目な口調に切り替わったレンドの言葉に、智宏も頷いた。
「肌の色はともかく、鱗は無いし、僕らと同じ異世界人って線に揺るぎはないな」
「とは言え、君たちと違って耳が長いということはないようだが?」
「世界ってのが一つや二つじゃないってのはもう分かり切ってることですからね。俺らの知らない世界の住人なのかも知れない」
「それにこの娘、僕の世界の、というか僕の国の人間にそっくりです。もしかすると僕と同じ世界の人間かも……」
「ん? ……ああ、そういえばトモヒロ君の世界の人間は本来耳が長くないのだったか。……ふむ、見たところ歳も近いようだな」
「ええ。見た感じ僕と同じか少し下ってところでしょうか……」
もっともその判断は見た目、もっと言えは体格や顔立ちだけで判断したものだ。その二つは特に学年一つ違うだけで劇的に変わるし、日常的に見ていると雰囲気の違いも分かる。
「智宏って今何歳よ?」
「十六歳。誕生日はまだ五か月……、って言っても通じないのか、えーと百五十日ほど先だけどね」
昨日のうちに暦の数え方が違うのが分かっていたので日にちで伝える。この三日間で獲得した、異世界人と会話するときのコツだった。
「ってことはこの子は十五歳くらいかな? いいねぇ。若い娘」
「黙れレンド。っていうか顔立ちと体格で判断しただけだから何とも言えないけどな。学校の制服でも着てればもう少しわかりやすいんだけど……」
「なんで制服? 好きなの?」
「違う。制服の着方で学年を判別する方法ってのを教えてもらったことがあるんだよ。よく観察してみると制服って、学年を経るごとに着方が変わってくるからな。気慣れてくると着崩したりするし……」
たとえば、男子なら学ランのボタン外したり、女子ならスカート丈短くしたりと言った形で。学年を経るごとにその装いは微妙に変化する。他にも、入学したてなら制服って大きめに作ることが多いし、傷んでるなら長く着てるかどうかも分かる。
「長いこと学校通ってると同じ服の人間がうじゃうじゃいるからそういう差も分かりやすいんだ。僕が元の世界で通ってた学校は小中高一貫校だったから観察できる世代の幅も広かったし」
「あぁ、なるほど」
「まあ、そういうのも体格なんかと同じで個人差があるから確かなことは言えないけど、少なくとも目安にはなる。それ以上に制服見ればどこの学校の生徒かも分かるしね。もしこの娘が僕と同じ世界の住人なら、制服で判断できるかもしれない」
もっとも智宏は他校の制服の知識などほとんどなかったので、これに関しては大分怪しいのだが。
「なるほどねぇ。んでさ、服の話が出たからついでに聞くけどこの娘の服ってなんだかわかる?」
「……いや、わからん。と言うか見たこともない」
明確な疑問を抱きながら今度は少女の服装に注目する。
それは服に深い関心を持ってこなかった智宏が「見たこともない」と断言できるほど奇妙なものだった。
最初に見た印象では、少々見慣れないが、半袖のチャイナドレスかとも思った。服の脚の部分の側面にスリットが入ったあれである。少女の服は裾が足下まであり、そこから腿のあたりまでスリットが入っていて非常に目のやり場に困るものだったからだ。
だが、一番妙だと感じたのは少女の服が余りにもシンプルなことだった。
智宏の頭に思い浮かぶ女性用の衣服のイメージはおしゃれな物がほとんどだ。それ以外の物が全く無いとは思っていないが、少女の着ている服はくすんだ白一色、それだけならまだしも、飾りと言うには違和感のある黒いベルトがあちこちに付いている。腰の後ろあたりには袋状の物が付いており、その中にドレンナの皮が入れられ、口がベルトで縛ってあった。 だが、そんな収納スペースを作っておきながらポケットのようなものは一つも見あたらない。
(ってああ、そうか。何が一番おかしいのかやっと分かった。この服、何のための服なのかがさっぱり分からないんだ)
服 という物も目的をもって作られる。それはおしゃれを目的にした物だったり、動きやすさを目的にした物だったり、物のしまいやすさ目的とした物だったりと色々だが、そういった目的を持って作るという点ではドレスも作業着も変わらない。
にもかかわらず、この少女の着ている服はそういった目的がさっぱり見えないのだ。おしゃれを目的にしているにしては色合いが地味だし、動きやすさを目的にしているにしては裾がじゃまだ。物のしまいやすさ関しては腰の袋があるが、だからと言ってそれだけでしまえる量などたかが知れてるし、数も少なく、取り出しやすくもない。
「金をかけないことを目的にしてるにしては妙なベルトが多すぎるし……。っていうかこのベルトなんだ?」
「俺に聞くなよトモヒロ。俺の世界にはこんな服ないんだから。……でもほんと、こんなベルトなんの役に立つんだ? いや、それ以前に、この娘ホントにトモヒロの世界の娘なのか?」
「僕も自信なくなってきた。この服もしかして僕らの世界とはさらに違う別世界の服なのかな?」
「よし! 脱がして確かめようがっ!」
言い切る前にレンドの顔面に裏拳を叩き込んで、今度はハクレンに話を聞くことにする。後ろでレンドが「ウギャー」などと叫びながらごろごろ転がっているが、元気そうなので無視することにした。
「ハクレンさんは何か気になることとかあります? 他に持ち物とかは?」
「持ち物は腰の袋のドレンナの皮しか見当たらなかった。他に気になることと言えば―――」
「ようしボディチェックだグッ!」
今度はハクレンが視線も向けずにレンドに蹴りを叩き込んだ。レンドを見ると、今度は地面にうずくまってピクピクと痙攣している。声を出す余裕もないらしい。ハクレンの突っ込みに容赦はなかった。
しばしの間レンドの復活を待つ。
「く、う……、トモヒロ、ハクレンさん」
「なんだレンド? またくだらないボケじゃないだろうな?」
「ふむ、それならどうだろうトモヒロ君、今度は二人一緒に一撃――――」
「怖いわ! なんで話しかけただけで暴力を受ける流れなんだよ!」
「いや、だって……ねぇ?」
「日頃の行いというやつではないかね?」
「くっそぉおおおおっ!!」
「んで? なんだレンド? 用件は手短に済ませろ」
「そうだぞレンド君。それともこれが異世界におけるつっこみ待ちというやつかね? ならば――――」
そう言って拳を構えるハクレンをレンドはあわてて止める。それはもう必死の形相だった。智宏としても話が進まないので、いい加減止めに入ることにする。
「んで? 何の話だレンド?」
「あぁ、そうだった。いやな、ここで考えててもしょうがないから、この娘担いでいったん村に帰らないか? 俺一応この子のこと村にいる仲間に連絡しといたから。迎えは来ると思うけど、こんな場所に長居するのも危ないだろ?」
言われてみれば確かにそうだ。そもそも今抱いているような疑問はあとで少女本人に聞けばいいことなのだ。
「ん? 仲間? 村人じゃなくてか?」
「ん? ……ああ。あっそうかトモヒロにはまだ言ってなかったな。村にはおれ以外にも俺と同じ世界出身の仲間が三人いるんだよ」
「……はい?」
「いやね、この世界にいる異世界人ってここにいる俺たちの他にもさらに三人いるのよ。具体的には俺らのリーダーやってる爺さんと、職人の真似事してるおっちゃんと、軍人のハゲたおっさんが」
「ちょっと待てぇえええええ!!」
最後の人だけひどい言われようだったのは今は捨て置くことにする。今一番重要なのは智宏が二人目の異世界人ではなく五人目だったということになることだ。そしてそれ以前の問題として、
「な、ん、で、もっと早く言わなかったんだぁ!? そんな人がいるならレンドみたいにちゃらんぽらんな奴じゃなくて別の人と行動したのに。お前のおかげで時間を無駄にしたぞ」
「おまっ、そこまで言うか? この頼りがいのある年上のお兄さんの何がそんなに不満なんだよ?」
「昨日の朝不安でいっぱいのときに、お前の朝寝坊のせいで何時間も放置されたときなんか本気でぶん殴ってやろうかと思ったんだが? あの時点で他の人の存在を知っていればすぐにでもその人たちに教えを請うたのに……」
「……ちっ! まだ根に持ってたのかよ。しつこい男は嫌われるぞ」
「ついでに私も言わせてもらうなら、仕事を任せても隙あらばサボろうとするのもやめてもらいたいな。その点で言うと君がハゲたおっさん呼ばわりしたブライン君は実にその辺がしっかりしている」
「えっ? そっちからもこの批判来るの? 何で俺への不満暴露する流れになってんの? なにこれ?袋叩き?」
レンドが自分の立場を嘆いているのをしり目に、智宏は、他の異世界人についての情報を記憶していくことにした。一人はブラインというハゲたおっさんで軍人らしい。ハゲたおっさんという情報はあまりにも失礼な気がしたが、わかりやすいのでそのまま覚える。記憶能力が悪い智宏にとって、わかりやすい特徴があるというのは非常に助かることだった。
「ふーんだ。あのハゲはただの堅物だよ。そもそも俺がトモヒロについたのは俺の方が適任だってなったからだし」
「どの辺が適任なんだよ。純粋に聞いてみたいぞ」
「リーダーの爺さんは村の偉い人との交渉なんかで忙しかったし、職人のおっちゃんは何かこの世界に自分の作った品を広めるんだって閉じこもったまんま出てこないし。残るは俺とブラインの野郎だけだってなって、無口無愛想堅物のあの野郎にトモヒロ任せたら尋問みたいだっていうんで俺に決まったの」
「消去法じゃねぇか! っていうか、それってただ単に暇そうだったのが二人しかいなかったって話なんじゃないの!?」
「そ、そ、そ、そんなこと有る訳ないじゃん。俺働いてるよ? 役にたってるよ?」
「それについて言うならブライン君は村の戦士たちが狩に行くとき一緒に参加したりしているから暇なのはレンド君だけなのだがね。ブライン君は自分の世界にいたとき戦うことを生業にしていたらしいからね」
いよいよレンドが何もしてなかった説が有力になってきた。
「その憐れむような視線やめてくれる? なんかいやな感じに心がざわざわするから。はっ! まさかこれが恋!?」
「そういえばさっき軍人だって言ってましたね」
「そうらしいな。この世界にはない概念なので良くわからんのだがね。そもそも私には戦わない男がいるということ自体が信じられん」
「無視はやめてぇえええ!!」
背後で叫ぶレンドをなおも無視する。だが、それは別にレンドがうっとうしかったからだけではなかった。ハクレンの口走った言葉が智宏にとってそれだけ衝撃だったのだ。
戦わない男がいることが信じられない。ハクレンの反応は大げさでも何でもなく、ここはそういう世界らしいことを物語っていた。
「まあいい。とにかく今はレキハに帰ろう。このままここにいても時間と安全の無駄だ」
「そうです……、え?」
同意しようとした智宏の思考に、遅れて驚愕が飛来する。
驚いたのはただ一点。今ハクレンが口にしたただ一つの単語だ。
「ハ、ハクレンさん? 今歴葉っていいました?」
「む? レキハ村がどうかしたのかね? ああ、この森もレキハだから混乱したのかね?」
レキハ村。智宏の住んでいた歴葉市と同じ響きを持つその名前が、智宏達が世話になっている村の名前なのだ。そしてそれはこの森にも当てはまるらしい。
おかしな話だが、智宏は今までこの世界で滞在している村の名前を一度も聞いていなかった。今まではそれどころでなかったというのもあるが、それによってこんな手がかりらしきものを見逃していたのかと思うと後悔に襲われる。
(どういうことだ? ただの偶然、じゃあないよな。まさか、同じ名前の土地同士で?)
智宏がこの世界にどういう理由で来ることになったのかは未だにわからない。だが、なぜここだったのかと言う仮説なら立てられるかもしれない。
「おい、智宏。考えていることは大体分かるけど今は後にしないか? いい加減村に帰ろう」
「え? あ、ああ」
レンドの言葉の意味を理解しながらも、智宏はその言葉に従う。
考えてみればいつ野獣に教われるかもしれない森で長話や考え事など正気の沙汰ではない。考え事なら村でもできる。
「では帰るとしよう。トモヒロ君、その娘を担いでくれるかね」
「う、……まあ、僕しかいないよな……」
二人の顔を見て智宏は渋々納得する。正直意識のない少女を背負うというのは男として若干照れくさいものがあったが、流石にこんな森で最大戦力であるハクレンの両手をふさぐわけにもいかない。レンドは別の意味で論外だ。目の前の少女に危険が及ぶ。
しきりに担ぎたがるレンドを手伝いにだけ使い、ぐったりとした少女を背負う。予想どおり、そのあまりの軽さと、確かな体温に若干どぎまぎしたが、すぐにドレンナの鼻につく猛烈な臭いで気分が悪くなり、うんざりするはめになった。
(……なんだろう。男として女の子を背負うというシチュエーションになったらもっとドキドキするものだと思ってたんだけどなぁ……)
まさか一刻も早く解放されたい事柄になるとは思いもしなかった。
あるいはもっと別のシチュエーションなら年相応の異性と触れ合うことへのドキドキする感覚を味わえたのかもしれないが、ドレンナの臭いはそういった気分を味わうには圧倒的に邪魔だった。智宏は内心がっかりしたような安心したような微妙な気分に襲われながら歩きだす。少女を背負った智宏を真ん中に前にハクレン、後ろにレンドの順番だ。
「ところでハクレンさん? 腰の袋のドレンナの皮捨てません? そうすれば少しは臭いがましになるかんも知れませんし……」
「ふむ、……それはできればしたくないな。さっきも言ったがドレンナの皮からエキスを絞ると絶好の獣除けになるんだ。このにおいはほとんどの生き物が嫌がるからね。この娘が無事でいるのもおそらくドレンナの実のにおいで獣が逃げて行ったからだと思うくらいだ。においも体中からするみたいだし、意図的に体中ににおいをつけたんだろう」
「ってことは、この臭いがあると猛獣は寄ってこないんですか?」
「大抵はね。ただ、なかにはこのにおいにもお構いなしに襲ってくるようなやつもいるにはいるから安心はできないけどね。特に人型の魔獣なんかはその典型――――」
と、言いかけたそのとき、ハクレンの醸し出す空気が唐突に変わった。
そして直後、いきなり血相変えてこちらに向かってくるハクレンに押しのけられて地面に転がるはめになる。訳が分からないままで少女を庇えたのは、自身を褒めてやりたい行動だったが、そんな感情は次の瞬間には跡形もなく消え去った。
「ギュゲュッ!!」
トモヒロの背後で奇妙な声が響く。驚いて振り返ると槍で貫かれて奇声を上げたそれがそこにいた。
鱗だらけの体、鋭い爪、ぞろりと口の中に並んだ禍々しい牙、そして二メートル近い長身を人間のように二本足で支える。巨大な獣。
彼らが『魔獣』と呼ぶ存在が立ったまま絶命していた。