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CROSS WORLD ―五世界交錯のレキハ―  作者: 数札霜月
第二章 第二世界イデア
34/103

12:偽られた重み

 気功術を用いて血属性の魔力を流し込み、その上から包帯を巻いて出血を抑えこむ。それが智宏の行える唯一の治療法だった。

 ミシオの案内のもと、再びミシオの住むツリーハウスまでたどり着き、そこにあった救急用の道具一式を片手に、普段は調理などに使っているらしい手作りの木製テーブルの上で格闘すること約十分。どうにか傷がふさがり、カイルと呼ばれた青年は一命を取り留めた。


「やったぞ……、こん畜生!!」


 同時に精神的な疲労が感情のぶり返しと共に襲ってくる。医者でもない智宏が他人の治療などが行えたのは、ひとえに【集積演算(スマートブレイン)】があったからだ。でなければこんな血塗れの人間、見ただけで卒倒している。

 もちろんこの処置はかなり応急的なものだ。元より智宏に医療の知識など無いし、無い知識が思い出せない以上、できたのは異世界で一度見た気功術という異能を使った強引な治療だけである。血を止めることこそできたものの、どこに不備が生まれているかなど分かったものではないし、何より失った血までは戻せない。血属性というのはあくまで自己治癒能力を高める効果を持つ魔力であり、失われた血液の変わりを果たす魔力属性ではないのだ。

 さらに言えば智宏の魔力属性は血属性を内包しているとはいえ、正確には全属性の魔力だ。これらが治療の効果にどのような影響を及ぼすか分からないため、これ以上の治療は、それこそ病院で、ちゃんとした知識を持つ医者が行うべき領域だった。


「ああ、くそ。魔力使いすぎた」


 自身の魔力がかなり消耗していることを自覚し、木の根元にへたり込みながら智宏は額の【集積演算(スマートブレイン)】への魔力供給を停止した。考えてみれば、昼間にミシオに合ってからというもの魔力を使いっぱなしだ。【集積演算(スマートブレイン)】はほとんど常に使用していたし、気功術や、各種魔術など、今日一日でどれだけの魔力を使ったかは分かったものではない。

 それでも流石は刻印使いというべきか、体内にはまだ二割ほどの魔力が残っていた。だがそこまで魔力が減ると体に感じる倦怠感が半端ではない。これ以上の魔力使用はできれば遠慮したい状況であった。


(でも流石にまだそうはいかないよな。エイガたちもまだこっちを狙ってるかもしれないし。流石にこんな要塞みたいな森までは入ってこないと思うけど)


 それすらもエイガのあの姿を見てしまうと定かとは言えない。やはりここは、できるだけ早くレンド達と合流するべきだろう。


「ってそう言えば、この家に通信機を置いて来たんだっけ」


 携帯電話のないこの世界での唯一の連絡手段を思い出し、智宏は回収するべく立ち上がる。確か通信機は木の上のツリーハウスの中に置いたはずだ。これからどうするにしても一旦回収しておいた方がいいだろう。


「よっ、と」


 木の上からたらされたロープをつかみ、木の上へと少しずつよじ登る。気功術も【集積演算(スマートブレイン)】使っていない状態で登るのは、肉体的にも精神的にもきついものがあったが、それでも今日一日の軽技の連続に慣れてきたのか、思いの外スムーズによじ登れた。

 流石に家の中に下着姿のミシオがいるとは予想していなかったが。


「のわぁっ!!」


「え? ……ひゃっ!!」


 互いに相手の存在に驚き、しかしすぐに相手がお互いの視界から消える。驚き、ツリーハウスの淵から手を滑らせた智宏が、真っ逆さまに落下することによって。


「うおぁああああ!!」


 悲鳴を上げて、慌てて木に登るためのロープをつかみ直す。【集積演算(スマートブレイン)】を使っていれば造作もない芸当だったが、使っていない今の智宏にとってはぎりぎりの判断だった。


「ト、トモヒロ! 大丈夫!?」


「あ、ああ。寿命が縮むかと思ったが。いや、それより……」


「……えっと、休んでろって言われたから」


「ああいや、こちらこそ、申し訳ない」


 どうやらいつの間にか家の中で着替え始めていたらしい。途中から姿が見えなくなったことには気がついていたが、まさか着替えているとは思わなかった。


「えっと、その、何か用だったの? 何か必要なもの?」


「ああ、いや、とりあえず治療の方は終わったよ。病院に運ぶ必要はあるけど、こっちはひと段落だ。そっちに行ったのはそこにレンドに渡された通信機を残してたから回収しようと思って……」


「えっと、これ、かな? ……分かった。着替えたら持ってく」


「よろしく頼む」


 ロープを伝って木から下りながら、智宏は内心マンガのように物が飛んできたりといった過激な反応が来ないことに心の底から安堵していた。この状態でそんなことをされようものなら本当に地面に真っ逆さまである。最近なぜか危険な事態に直面し続けているが、こんなアホらしい危険で死ぬのは流石にご免だった。

 地上に降り、カイルの眠るテーブルの側でミシオを待つ。だが厄介なことに世界を超えることで強化された智宏の聴力は、風による木の葉の音にまぎれて捉えずとも良い音を敏感に捉えていた。

 布と布がこすれるような、どことなく男の妄想を掻きたてるような微かな音。


(…………落ち着け僕。思い出すな。ここで思い出したら最低だぞ)


 自分に必死に言い聞かせ、必死に平静を取り戻そうと奮闘する。だがそう思えば思うほど、先ほど一瞬だけみた光景が脳裏にちらついてくる。飾り気のないシンプルな下着に包まれた細身で、ある種の芸術品のような肢体。こんな生活をしていることが信じられないほど白い肌と、華奢なようでいて引き締まった、余計なものの一切無い、人体の機能美とでも言うような美しを持った肉体が……。


(落ち着けぇ! 本当に落ち着けぇ!! いや待て。考えてみたら僕って【集積演算(スマートブレイン)】があるから一度見た光景ならいくらでも……。うぎゃああ!! 待て!! こんなことに刻印使うとか、冗談抜きで悪用だぞ!!)


「えっと、トモヒロ?」


「うわぁお!!」


 突然背後から声を掛けられ、たまらず智宏は飛び上がる。背後を振り向くと、昼間見た制服に身を包んだミシオの姿があった。その手には、先ほど取りに行こうとしていた装飾品のような通信機が握られている。


「えっと、探してたのは、これ?」


「え? あ、ああ」


 差し出された通信機を慌てて受け取り、とりあえずポケットに放り込む。レンドに連絡を取るべきかとも思ったが、こちらからかける方法は【集積演算(スマートブレイン)】を使わなければ思い出せそうにない。だが、この状態でそんなものを使えば思い出さなくてもいいものまで思い出してしまいそうだった。何より今はカイルを運ぶことを優先した方がいい。


「とりあえずミシオ、カイルさんを町の病院まで運びたいんだけど、早く運べる道を案内してくれないか? 見様見真似の気功術だけじゃ治療できてるかどうかも分からない」


「え……、あ、うん」


 ワンテンポ遅れて帰ってくる答えに、智宏はわずかな引っ掛かりを覚える。海で再会したときから感じていたが、どうも今の彼女は心ここにあらずといった感じで、雰囲気もどこか覇気がない。逃げる上で必要な相手についての情報や、森の中を通るルートを聞くことはできたが、何があったのかはいまだ聞けずじまいだ。


「こっち、来て」


 それでも森を抜ける道に進み始めるミシオに、智宏もカイルを連れて歩きだす。カイルに関しては背負って歩くことも考えたが、傷に響くかとも思い、一瞬だけ【集積演算(スマートブレイン)】を使って【土人形の鉄腕(ゴーレム・アーム)】を展開、その状態で掴んだまま歩くと言う手段を用いることにした。どうやらこの魔術、腕自体の重さや物を持った時にかかる負担を、何らかの手段で使用者から遮断しているらしく、下手に気功術を使って運ぶよりも体力への負担が少ない。

 だが、それでも人を一人抱えて森の中を進むのは困難極まりなかった。何しろこの森は地面以外の場所も歩かなければ目的地にもたどり着けないのだ。

 片手のふさがった状態で木に登るのは困難を極めたし、巨大化した腕に人を抱えている状態では狭い場所の通行に難儀した。

 ミシオ本人もできるだけ通りやすい道を選んでいるようではあるが、そもそもこの森はミシオ一人以外が目的地にたどり着くことを防ぐためにトラップが仕掛けられている。最初から他人を抱えて通ることなど考えて作られてはいない。

 そしてそんな中、二人で四苦八苦しながら進んでいると、いやでもミシオの思いつめたような表情が目に飛び込んでくる。


「……ミシオ、大丈夫か?」


「…………うん」


 声に変化はなく、しかし振り返らずにミシオは答える。その姿は、異世界エデンのレキハの森での出来事を思い出させた。考えてみればあのときと状況が若干似ている。

 智宏は知っている。少女が他人の悪意や劇的な状況で、それに立ち向かえる強さを持っていることを。実際、異世界での彼女の適応力や、この世界での驚くべきたくましさは、それを証明してあまりあるものだ。

 だが同時に、智宏は少女の脆さも知っている。身を守るために自分自身に強さを強い、虚勢を張り続けている彼女が、その身の内で悲鳴を押し殺していることを智宏は知っている。他でもない彼女自身が、その限界を超えて漏らした悲鳴を、偶然とはいえその耳で直に聞いているのだ。


「何があった?」


 だからこそ智宏は思う。彼女の脆さを知っている自分が、彼女の悲鳴を聞いてやるべきなのではないかと。


「何を言われた?」


 だからこそ智宏は思う。自分の役目は、悲鳴を押し殺そうとする少女に、ちゃんと悲鳴を上げさせてやることなのではないかと。


「…………」


 沈黙が森を支配する。目の前の少女の背中に迷いが見える。過ぎたことをしたと思う。踏み込み過ぎたと後悔する。だがそれ以上に智宏には、ここでこれを聞くことがこの世の何よりも重要だという確信があった。

 恐らく聞かなければ、もっと取り返しのつかない事態になると。


「……戻れないって、わかったの」


 あまりにも長く感じられる沈黙があった後、囁くような小さな声で、ミシオはそんなことを口走る。


「ううん。本当は前からわかってた。もう戻れないって。エイガと同じように、私の体はもう前とは違うって」


「例の黒い魔力か?」


「うん。エイガは【妖装】って呼んでた。妖属性の魔力を操る、『悪魔憑き』って」


「妖属性に、『悪魔憑き』……」


 それこそがサデンエイガの、そしてハマシマミシオの持つ力。確かにあんな姿を見せられたらショックを受けるのは当たり前だろう。何しろあの姿は――


「……わかってたはず、だった。私がもう、普通の人とは違うってことは……」


「……ミシオ」


「前の世界ではそれでよかった。体は軽くなるし、鎧みたいに、体を守ってくれるから。……でも、この世界に、元の生活に戻ったら、いやでも自分が変わったって思えて……!!」


「……っ!!


 その感情は智宏も感じている感情の、しかし智宏の感じている戸惑いなどとは比べ物にならないくらい深刻なものだった。

 智宏のそれとは違い本人の意思がまるで関与していない、それでいてエイガのような怪物的で最悪の見本が存在する力。

 ここにきて、ようやく昼間ミシオを追いかけていたとき、ミシオが黒い霧の力を使わなかった理由がわかった。彼女にしてみれば何か使う訳にはいかない理由を考えていたのかもしれないが、根本的なところで自身が押し付けられた力に忌避感を感じ始めていたのだろう。


「体のことだけじゃない。村のみんなとのことだって……。巻き込まないって、決めてたのに……。私が何とかするって、思ってたのに。結局巻き込んで、怪我させて……」


「それは、ミシオのせいじゃないだろう」


「私のせい、だよ。私がしっかりしていれば、こんなことにはならなかった。絶対にカイル達を巻き込んじゃ、いけなかった。それなのに巻き込んで、辛いことをさせちゃって、挙句にこんな酷い怪我、させて……」


「……?」


 そこまで聞いて、智宏はミシオの言葉に奇妙な違和感を感じる。まるで、同じ話をしているはずなのに、話がかみ合っていないような、そんな感覚。


「私……、どうしたら、いいんだろう。傷ついて欲しくなかったのに、結局自分で、傷つけちゃった。自分の手で、怪我までさせちゃった!! これじゃあ、もう昔みたいには……」


「……え?」


 そこまで聞いて、ようやく智宏はミシオの言っている言葉の意味を理解した。

 だが、今度は別の疑問が襲ってくる。ミシオの言っていることは、明らかにおかしい。受け入れられないのではない。根本的な問題として、彼女の言う事態は起こり得ないのだ。


「ちょっと待てミシオ! お前まさか、カイルの怪我は自分がやったって言ってるのか!?」


「……そう。海の中で、カイルに、私が」


「いや、それはいくらなんでもあり得ない。物理的に不可能だ」


「できるの!! エデンで、あの場所を出るときにも使ってた。カイルの怪我と同じ爪を。私には、そういう力がある。きっと、海でカイルに会ったとき、カイルを斬りつけて、岩場まで泳ぎ着いたの」


 それは血を吐くような告白だった。恐怖と後悔、悲嘆と絶望、そして自身に対するあらゆる不信を抱えた人間の、自己の根幹を揺るがされた人間の、瀕死の心から流れ出る血のような告白。

 だが、その前提を、智宏の知識は許さない。


「それは違うぞ。だってお前はこの人にあの場所まで(・・・・・・・・・・)運ばれて・・・・僕に介抱されて・・・・・・・るんだから(・・・・・)!!」


「…………え?」


 言われた意味が理解出来ず、ミシオが振り向いたまま硬直する。智宏はそれに対して、最初から説明することで理解を促すことにした。


「僕がミシオのいる場所とエイガの襲撃計画を知ってあの場所に着いたとき、ちょうどミシオを抱えたこの人が海から出て来たんだ。僕が戦う姿勢を見せたら、『自分には殺せなかった』『介抱してやってくれ』って!!」


「嘘……、だって、そんな、だって私の服に血が……」


「あれは僕の血なんだよ!! あそこに着く前に危ない奴に襲われて出血したんだ。今でこそ気功術で治療したから傷は見えないだろうけど、あのときは手当てする間もなかったから」


 言われ、ようやくミシオは智宏の服のあちこちに、破れ目や血痕があるのに気がついたようだ。カイルを運んだ時に着いたのかと思ったのかもしれないが、よく見てみれば、運ぶだけでつくような場所以外にもあちこち血が付いているのだ。

 そもそも智宏が初めて気功術の治療に手を出したのは、ミシオが息を吹き返した後なのだ。でなければいくら危険な状況にあると言っても、赤の他人にそんな不確かな治療を試そうとは思わない。


「この人はミシオが息を吹き返したのを確認してから、『顔向けできないから』って言って一度あの場所を離れている。その後は僕が目覚める直前まで一緒にいた。この状況でミシオがこの人を襲うなんてことは物理的に不可能なんだよ!!」


「そんな、でも、……まさか」


「証拠になることを教えてやろうか? ミシオは自分が起きたときにどんな態勢で寝ていたか覚えてるか?」


「それは、その、腕を枕にするように、横向きに……」


「それは救急救命の現場で、意識のない人間に対して行う寝かせ方なんだよ。

意識のない人間を寝かせるときは、嘔吐や吐血で気管を塞がないように横向きに寝かせるんだ。特に今回は溺れて水を飲んでたからなおさらだ。ミシオに取らせた態勢っていうのは、要救助者を横向きにしたまま安定させる寝かせ方なんだよ」


 体を横に倒して、下になる腕を前にだし、その上にもう片方の手と頭を載せる。足は上になる方を前に出し、体が倒れないための支えにする。

 これは、ミシオを介抱するに当たって、【集積演算(スマートブレイン)】で記憶の奥底から引っ張り出した知識だ。保健の教科書の片隅に載っていた記述を、強化された記憶力は正確かつ完璧に引き出して見せた。だからこそ、医者でもない智宏がミシオの命を救うことができたと言ってもいい。

 そしてその知識が、今度はミシオの心を救う。


「大丈夫か? ミシオ」


 一気に力が抜け、ミシオの体が地面に落ちる。その表情はまだ固くはあるものの、どこか安堵の臭いが漂っていた。

 実際にいくらかは安堵したのだろう。今だカイルは危険な状態にいるため完全にとはいかないだろうが、彼女が抱え込んでいた重荷は、明らかに軽減されていた。

 大切な人を自らの手で傷つけたという罪の重み。実際は偽物でしかないそれは、それでも確かな重みでもってミシオを苦しめていた。

 智宏はその重みを真に背負うべき人間に思考を向ける。どういう訳かミシオをつけ狙い、命まで狙っていた人間に。


「なあ、ミシオ」


 だからだろう。深い考えもなく、自然とそんな言葉が出てきてしまったのは。


「僕の世界に来ないか?」


「……え?」


 相手いる方の手をミシオに差し伸べ、座り込んだミシオを立ち上がらせる。森を出るために手を引いて歩きながら、智宏は頭の中で必死に次の言葉を探していた。


「ミシオが頑張ってるのは、この森に着いたときからすごく良く分かったよ。……いや、それを言うならエデンにいたときから、すごく頑張る奴だってのは判ってた」


 たった一人で危険に直面しても、それに負けずに抗ってみせる。自分を狙うものから逃れるために罠を仕掛け、身軽な動きを身につけ、己の生活を守りぬく。

 それは確かにすごいことだ。だが、その裏にあったのはきっと血のにじむような努力だったはずだ。

 本を読み、体を鍛え、知恵を絞り、そしてこれだけの仕掛けを施す。

 それがどれだけ大変なことかなど、智宏には想像することしかできない。


「でも、いや、だから、ミシオはもっと報われてもいいはずだ。安全な場所で何におびえることもなく、普通の暮らしをしてもいいはずなんだ」


 例えば、学校にちゃんと通ったり、

 友達と遊んだり、

 気兼ねなく町で買い物をしたり、

 なににも脅かされずに眠ったり。

 そういう智宏が自分の世界で普通に味わっているしあわせを、彼女も味わっていいと思うのだ。


「僕の世界にこいよ、ミシオ。生活のこととかなら、ある程度面倒もみられるさ。何だったらレンドに助けを求めてもいい。ミシオはもっと幸せになれて良いはずだ。だから――

 ――僕がお前を幸せにしてやる」


 恥ずかしさなど微塵もなく、ただただ必死でそう呼びかける。

 戻れない、そういったミシオの言葉は、恐らく自身の体についてだけではあるまい。智宏には今だミシオが何を背負っているのか見いだせていないが、ミシオの言葉から彼女が村人との関係を取り戻すことを望んでいるだろうことは何となくわかった。

 そして、すでにそれが取り戻せないものになっていることも。

 詳しい事情はわからない。

 だが、ミシオやカイルの態度を見ていれば、彼ら彼女らが互いに対して強い負い目を抱えていることがわかる。それが互いに対して深い溝となっていこともだ。

 視界の先、森が急に開けている。ガードレールを越えたその場所に、レキハと村を繋ぐ道路が広がっている。この場を村の方に少し進めば、先ほど智宏が葉鳥と戦った場所もあるだろう。

 ゆえに、この場所こそが分水嶺。二つの生活どちらを選ぶか。それが分かりやすく示された場所。

 そこでミシオは、


「……ありがとう。すごく、うれしい」


智宏の申し出を、


「でも、ごめんなさい」


 きっぱりと断って見せた。


「……なんで……!!」


 だがそれを簡単に受け入れられるほど、智宏は物分かりがよくはなかった。


「なんで!! あんな危ない奴に命を狙われて!! こうして何度も死にかけているのに!! どうしてこんな危ない場所にとどまるんだよ!! もう戻れないって分かってるくせに!! この期に及んでなんで!!」


「私の、責任なの」


「……なに?」


「あと三十五日。たったそれだけ頑張ればいいの」


「な……、に……?」


 ミシオの言葉に意味が分からず、智宏は困惑する。だが同時に、今まで考えても答えのでなかった一つの疑問が、今この場で何よりも重要な意味をもっていることに気がついた。

 そもそもなぜ、ハマシマミシオはサデンエイガに狙われているのか?

 ひょっとすると自分は、問題の大元を何も分かっていないのではないか?


「誘ってくれてありがとう。とっても、うれしい」


「おい、待てよ」


「でも、大丈夫。自分でなんとかできるから」


「どういう意味だよ!!」


 智宏の質問に、ミシオは答えない。

 そして答えの代りに生まれたのは、遠方、村の方角から発生した、一つの魔力の感覚だった。


「!!」


「……行かなきゃ」


「なっ……!!」


 歩きだそうとするミシオに絶句し、慌ててカイルを降ろし、腕を掴んで引きとめる。


「なに考えてるんだ!! 今の魔力、間違いなくエイガだ。いったら間違いなく殺されるぞ!!」


「でも、村の方角だから。私が行かないと」


「そんなもの警察に任せておけばいい!! この世界にだって警察くらいいるだろう!?」


「……いる。でも、一人だけ。小さな村だから」


「それにしたって……!!」


「大丈夫。私もエイガと同じように、もう、ただの人間じゃないから」


「……!!」


 その口調に、その表情に、智宏は何も言えずに硬直する。何でもないことのように言っている、しかしどうしても悲しみを隠し切れていない、そんな表情。そしてそれは、同時に覚悟を決めている表情でもあった。


「智宏は、カイルをお願い。町に行かないと、お医者さんにないから。私なら大丈夫だから」


「なんのためにそこまでするんだよ!! わかってるんだろ!? もう戻れないって!!」


 口をついた言葉は、しかしそれだけに止めることはできなかった。それだけでは止められないという確信が、より残酷な言葉を選んで突きつける。智宏にとっても、それはほとんど刃物を突き立てるような気分だった。


「わかってるよ。そんなこと」


「じゃあ、なんで!!」


「さっきも言ったよ。責任だって」


 智宏の声に、ミシオはそれだけ告げると、闇にまぎれるような黒い霧を纏い、そのまま夜に消えるように走り去っていった。


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