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CROSS WORLD ―五世界交錯のレキハ―  作者: 数札霜月
第一章 第一世界エデン
3/103

3:魔術講座

 異世界における魔術の使い方として、智宏が自分の中に持っていたイメージは呪文を唱えて発動するというものだった。だが実際に聞いてみると、現実はどうやら違うようらしい。

 考えてみれば当たり前のはなしで、そもそも【マーキングスキル】、空中に文字を書く能力を使って行うのだから呪文より可能性が高いのはもっと別のものになる。

 即ち文字や記号、そしてそれらを集めて描く魔方陣である。

 基本となる形は円形の中に文字や図形を書き込んで、それを線でつなげたり、囲ったりといった代物であるらしい。

 理屈としては、魔術の原動力になる魔力に文字で形や性質を与え、それを線でつなげ、違う性質の魔力同士を影響させ合うことで望む効果を導くというもので、そうしてできた魔方陣に体内の魔力を決められた手順、位置、順番、タイミングで流し込むことで発動するのが魔術らしい。


(イメージとしては電気回路を一から作ってそれにエネルギーを流し込むみたいなものかな? この場合、電気回路もエネルギーも同じ魔力だけど……)


 さて、ここで湧いてくるのが、まったくそういった理論を知らない素人以下の智宏がどうやって魔術を使うのかという疑問だ。だが、これはやってみるとかなり簡単だった。

レ ンドが空中に描いて見せた魔方陣をそのまま真似して智宏も描き、魔力の注入も、レンドが魔力を流し込むのを感じ取ってそれを真似すればいいというものだったからだ。

 最大の問題は魔力を流し込むのを感じ取れるのかということだったが、実際にレンドがやってみせると何となくその感覚が分かってしまったためこの問題もクリアした。この魔力の感覚というのもレンド達オズの人間が普通に持っているものらしく、【マーキングスキル】と同じく智宏にも存在した。

 さて、そこで別の問題が発生する。いや、別に魔術自体は驚くほど順調なのだ。ただ教えられた魔方陣の(デザイン)が問題だった。

 円形の中心に横に三つの円が並び、その両端の円を曲線でつなぎ、それとは逆方向に二つ並ぶ文字。

 実際に書いてみれば分かる。まごうことなきア○パンマンだった。

 しかもただのアンパンマ○ではない。

 頬や鼻、額などにはそれぞれ文字が書かれ、いくつかの線も引かれている。

 顔の汚れたアンパン○ンだった。


「なんだろう。猛烈に失敗する予感がしてきた」


「え? 何で? ……特に間違いはないけど?」


「いや、顔が汚れてると力が出ないんだよ」


「は?」


 現在智宏たちはあまりにも長い薬草集めをようやく終え、来た道を戻る形で歩いている最中だ。時計が無いので正確な時間はわからないが、太陽が真上近くにあるため昼前後なのは想像できる。村まではあと二十分ほど。魔術を使うなら周りに迷惑のかからないこのあたりがいいだろうし、村に帰ればまた別の仕事が待っている。仕事をするのは自分たちで言い出したことであるし、ただ飯を食らう気はさらさらないが、そのために魔術を習うのがこれ以上お預けになるのは避けたい。

 ちなみにハクレンは「魔術のことはわからないからね」と言って話には絡んでこなかった。今は一人で智宏達の五メートルほど先を歩いている。森が獣道であるうえ、お世辞にもわかりやすいとは言い難いため見失わないように注意しなくてはいけないのだがが、それに注意しながらでも教われるくらい魔術というものは簡単だった。


(【マーキング】ができる人間なら、必要なのは知識だけ……、か。文明として成立する上で汎用性も高まったのかな……)


「どうした?」


「いや、何でもない。それよりこれからどうすればいいんだ?」


「ああ、この術式の場合、最後はまだ魔力を込めてない真ん中の円の中に魔力を込めればいい。量は……、まあ適当に」


「適当って……、そんなんでいいのかよ? 暴発とかしないの?」


「いや、多く注ぎこんでも無駄なだけで暴発とかはないな。その術式の場合は、だけど」


「ふぅん。それじゃ!」


 はやる気持ちを抑え、ゆっくりと魔力を流し込む。暴発などはないとは聞いていたが一応念のためだ。

 ゆっくりと魔力を込め、魔法陣に変化が起きるのを待っていると、


「お?」


 魔方陣が輝いて人の中心の円の数センチ上に何かが現れる。光が集まって小さな物体を作っていく。だんだんと形がしっかりしてきたそれは、三角錐の形をした黄色っぽく光る半透明の物体で、大きさは親指ほどしかない。


「……なんだこれ?」


 時間にしてみればほんの一秒にも満たない、それでも心情的には十分は見ていたようにも思える智宏の初魔術は、

 いきなりとがった先端部分をこちらに向けて倒れた。


「うぉおわあああああっ!!」


あわてて腕を上に持ち上げて体を伏せる。だが、


「……あれ? 何も……、起こらない?」


 最悪この三角錐ABCDが弾丸のように飛び出すのではないかと警戒していたのだが、その後三角錐には何の変化もなく、こちらが手を動かすと手の上の魔方陣のさらに上でゆらゆらと揺れるだけで何の変化もない。しきりにさっきまで薬草を取っていた森の奥の方に先端を向けている。


「……何をしてるんだトモヒロ?」


「……レンド、この魔術は何だ? もしかして失敗か?」


 するとレンドは「えっ、そんなはずは……」と言って自分の手の上で見本として展開していた魔方陣に手早く魔力を注ぎ込み、魔術を発動させる。そしてレンドの手の上に現われたのも謎の三角錐ABCDだ。


「別にちゃんと北を指してる(・・・・・)し問題ないと思うけど?」


「……北を指してる?」


「何不思議そう顔してるんだよ? 魔術の中でも初歩の初歩、うちの世界じゃ初等学校で習う基礎魔術【方位磁針(コンパス)】。確かに発動してるぞ?」






 よく考えてみれば分かることだが、智宏のイメージの中にあった魔術というのは早い話が漫画やゲームに出てくる魔術である。それらはほぼ間違いなく戦闘シーンが存在し、魔術もそこで使われるものがほとんどだ。つまり何が言いたいかというと、智宏の中の魔術のイメージというのは早い話が攻撃魔術であり、その目的は人を傷つけることとなる。つまり、


「そんなもん禁術になるに決まってんだろ」


「禁術? 使うことが禁じられてるのか? なんでまた?」


「は? いや、そりゃ攻撃術なんてホイホイ使われたら危ないだろ?」


「え? ……ああ、そう言うことか」


 当然のことなのに盲点だった。

 使われたら危ない。考えてみたら当たり前の話だ。そもそも攻撃性があるということはその立ち位置や効果は智宏の世界における刃物や銃、下手をすると兵器のようなものになるだろう。そんなものを所かまわずぶっ放していたら下手な銃乱射事件より酷いことになるのは明白だ。攻撃魔術を禁止するということは、日本における銃刀法違反と同じような感覚なのだろう。あるいはそれ以上かもしれない。


「トモヒロが言ったような魔術はだいたいが攻撃目的の魔術だからな。そういうのはほとんど禁術扱いだ。……って言うか、そもそもどうしてそんな物知りたがるんだ? もしかして君の世界は攻撃術が必要になるほど物騒なのか?」


 考えようによっては当然ともいえる疑問に、智宏もあわてて弁解する。


「ああ、いや、別にそういう訳じゃないんだ。世界全体で見ればそりゃあ戦争している国や治安の悪い国もあるけど、僕の国は平和そのものだしな。ただ、こっちで魔術っていうと攻撃術のイメージが強いってだけさ」


「それに憧れるってのもわからない感覚……、って訳でもないか。人間……、っていうか、特に男ってそういう生き物だもんな……」


それを聞いて少しほっとした。智宏としてもやはり自分の不用意な発言で自分の世界が悪く思われるのは嫌だ。


「こっちの世界で禁術っていうと、使用者にリスクがある術ってイメージが強いから、そういう意味での禁術かと思ったよ」


「そっちの方が分からない感覚だな。まあ、確かにそういう意味での禁術っていうのもないわけじゃないけど、ここで言う禁術っていうのは法律で使用を禁じられてる魔術のことなんだよ。『禁術使用罪』って言ってね。正当な理由無く禁術とされる魔術を使用した者は処罰するぞっていう法律があるんだよ」


「使用しただけでも処罰されるのか?」


「当たり前だろ。個人で街の一角を廃墟にできるような技術を、そうそうホイホイ使われてたまるか。もしも禁術を使って人を殺そうもんなら、殺人の罪と禁術使用の罪で普通に人を殺した場合より重い処罰が下るくらいだ。そういう訳だから俺は禁術なんか知らないし、知ってたとしても教えるわけにはいかないんだよ」


 言われてみれば確かにそうだった。今の話から推測できる禁術というのはほとんど武器と同じだ。それはつまり禁術を教えることは、武器を売ることと同じ意味合いを持ってくる。

 そう思うと同時に、レンドが思いのほか法律的な話をし始めたことに智宏は少し驚いた。もしかすると目の前の男は軽いノリの割にインテリなのかもしれない。


「そう考えると、禁術を知ってるってのは確かに取り締まる意味があるな」


「ああ、と、それはちょっと違うぞ智宏。教えるのは確かに罪になるんだが、知ってること自体は罪にはならないんだ」


「どういうことだ……? まあ確かに知っている人間って処罰以前に摘発しにくいだろうけど……」


「まあそれも有るんだが、現実的な話、処罰したら禁術を忘れるかって言ったらそうじゃないだろ?」


「ああ、確かに。つまり処罰する意味がないから罪にならないってことか?」


「それだけじゃない。さっきトモヒロは【方位磁針(コンパス)】の術式を攻撃魔術と勘違いしていただろ?」


「うっ、今となってはお恥ずかしい限りですが……」


「いやそうじゃなくて。もし逆に、俺が【方位磁針(コンパス)】の術式を教えると偽って、攻撃魔術の術式を教えてたらどうなったと思う、ってことだよ」


「……ああ、なるほど」


 つまり問題なのは術式を見ただけではそれが何に使う術式なのかが分からないということなのだ。もちろん魔術とて、ちゃんとした法則性のある学問である以上、文字や図形、線の一本一本に至るまでちゃんとした法則性や意味があり、それが読める人が見ればどんな効果かは分かるのだが、それができるのは一部の知識人だけである。


(僕だってテレビの中の回路を見ても、何でテレビが映るのかはわからないし、大きさが同じなら、それがテレビの回路なのかDVDプレイヤーの回路なのかも判断できない。イメージとしてはそういうものなのかもな……)


 要するに理屈がわからなくても機械が使えるように、理屈がわからなくても知識さえあれば魔術は使えるのだ。そして見た目に大きな差のある機械と違い、魔術というものは見た目に大差がない。乱暴に言ってしまえばどれも文字と図形と線の組み合わせだ。ピストルとテレビの区別なら見た目で分かるが、普通の魔術と攻撃魔術の違いなど分からない。


「そういう事情を利用して禁術を普通の魔術、一般的なものは生活魔術とか呼んだりするんだが、そういうものと偽って教えて人殺しを企む輩がたまに出るんだよ」


「……なるほど。それで禁術を知っていることは罪にはならないのか。知るつもりがなくても知ってしまう事態があるから……」


 考え直してみれば、知っていること自体が罪になるというのもかなり乱暴な話だ。これが禁術だったから智宏も先ほどのようなことを口走ったが、ほかの思想や宗教がらみの話題だったらと間違いなくそんなことは考えなかっただろう。人権侵害もいいところだ


「残念ながらこういった事例は少ないながらも結構存在してね。有名なものだと、禁術を知っていて重い処罰を受けずに人を殺したいと考えていた犯人が、殺したい人間の子供に接触して、『お父さんの前でこの魔術を使ったら喜ばれるよ』なんて言って禁術を教えた事件がある」


「……それは……えぐいな」


 それは早い話、子供に爆弾を届けさせるようなものだ。生み出すであろう結果を考えれば、普通に人を殺すよりもたちが悪い。

 実際にその場面を想像して気分が悪くなる。特に魔術を使った子供本人の心の傷は決定的だ。本人の望みに関係なく、親を殺した罪を一生背負う羽目になる。


「残念ながらこういう話は決して少なくなくなくてね。ある国では手榴弾(グレネード)系の術式を【撮影術式(ポラロイド)】と偽った上で、その情報を人通りの多い町中のあちこちに落書きするって事件もあった」


「ちょっと待て、それって下手すりゃ大参事になるんじゃ!?」


 【撮影術式(ポラロイド)】という魔術は名前から察するにカメラのようなものだろう。そしてカメラというのは人に向けてつかうもの(・・・・・・・・・・・)だ。手榴弾(グレネード)系の術式というのがどういう効果の攻撃魔術かは知らないが、名前から想像するに爆発させることを目的にした術式だろう。そんなものを人に向けて使えばどうなるかなど考えなくても分かる。


「実際、一歩間違えれば大参事だったらしいよ。幸いにも術式の正体が早いうちに見破られて注意が呼びかけられたことと、得体の知れない怪しい術式を使おうとする者がいなかったことから最悪の事態は避けられたけどね。ただ、この事件で推定でも千人以上の人間が『禁術保持者』になってしまったと言われている」


「……なるほど、そりゃあ処罰もできないな。取り締まる訳にはいかない被害者が、無自覚に禁術を知ってしまうって状況が起きやすいのか……」


「ああ。だから法律は禁術を広めようとする人間を許さない。禁術を他人に教えることは『禁術教唆罪』というれっきとした犯罪だ。さらにさっき言ったような方法で人を殺した人間は『人を道具として使って禁術を使用し、人を殺した』として、殺人と禁術使用、禁術教唆の3つの罪に問われる。確かな意志で行っていることは明らかだし、強い悪意ありとも認識されるから罪はかなり重くなるんだ」


 それを聞いて智宏は少し自分のイメージとの微妙な違いを感じた。


(思ったよりオズって世界は、なんというか……、ちゃんとした世界なんだな……。レンドに聞いた世界観だと剣と魔法のファンタジーって感じの世界のように感じたけど、だからと言って法律が中世ヨーロッパの封建制のままって訳ではないみたいだし……。先入観で他人の世界を野蛮に見てたかな……)


「どうした智宏? この話題で考え込むと犯罪の計画練ってるみたいだぞ?」


「どんな思考回路だよ。……この際だから聞くけどレンドの世界ってさ、貴族とか騎士っているの?」


 とりあえず智宏の中にある中世ヨーロッパ社会の代表的な特権階級を上げてみる。その扱いによってはまだレンドの世界には民主主義がない、あるいは有っても一般的でないということになる。


「一応いるぞ。騎士はまあ、昔そう呼ばれてたって言うだけの別組織だが、貴族なんかは今でも行くところ行けば会える」


「いるのか……、いや待て、もしかしてその貴族って特権とか持ってないの?」


「貴族の特権? あぁ、もしかして身分制の話をしてるのか? 安心しろ。そんなもんとっくに廃れてるから。貴族って言っても今はただの金持ちだよ。正確に言うなら元貴族だ。俺の友達にシェフ目指して修行してるのがいるけど、そいつの先祖が確か貴族だったはずだ。身分制なんてとっくに廃れてるよ」


 聞いてみると智宏が最初に思っていたより進んだ世界だ。ちゃんと民主主義のようなものがある。システムとしてはイギリスのそれに近いのかもしれない。

 そう思い、智宏は自分の中のレンドの世界時代のイメージを百年単位で進める。レンドの話や服装から大まかにオズの文明レベルを推測していたが、よく考えると魔法のある世界の文明レベルを、科学文明のレベルで判断してもしょうがない。科学的には進んでいなくても魔術的には進んでいるのかもしれないのだ。


「なぁ、トモヒロさ……」


「ん? なんだ?」


「もし帰る方法が見つかって世界を自由に行き来できたらさ、俺の世界に来てみたくないか?」


「えっ?」


「いやな、お前がずいぶん俺の世界に興味を持ってるみたいだからさ、招待できるなら、してみたいなと思ってさ」


 それは思わぬ申し出だった。智宏も異世界というものに興味はある。帰れない異世界ならばごめんだが、元の世界に帰れることが前提ならば異世界旅行も楽しめるだろう。


「……ああ、それいいな!」


「おっ、魅力を感じたか?」


「ああ。特に魔術とか習ってみたいね。攻撃魔術でなくたって魔術のすごさはさっきので良く解かったし……。そもそも攻撃魔術なんて習ったって使いどころがないから、むしろさっきみたいな生活で役立つ魔術の方がいい」


「それなら大歓迎だ。ついでに後で簡単で便利な魔術を教えてもいいな。例えば――――」


「君たち少しいいかね?」


『うっぐう!?』


 いきなり後ろから声をかけられたと思ったら、二人は揃って口をふさがれた。見れば背後にいきなり現れたハクレンが、二人があげかけた悲鳴を口をふさぐことで封じている。


「君たちはなぜ私が何かするたびにそんなに驚くのかね?」


 それはあなたが妙に怖いからですと心の中で叫ぶが口には出さない。というか口をふさがれているので出せない。朝のことでもそうだがどうもハクレンは無駄にこちらを威圧するくせがあるようだ。別に智宏達に敵意を持っていたり、怒っていたりするわけではないようなのだが、なぜかハクレンは無駄に怖い。朝のレンドを起こすのに使った殺気らしきものもそうだし、今だって偵察のためだとかでかなり前を歩いていたはずなのに、いきなり後ろから現われて口をふさいできた。


(……ある種の天然なのか? 個人的には心臓に悪いからやめてほしいんだが……)


 とは言え今の問題は別だ。魔術の話に加わってこなかったハクレンが戻ってきているという事は――――、


「何かいるんですか?」


 さすがにレンドの理解は早く、すぐに空気を切り替える。下手をすると『魔獣』と呼ばれるような生き物に出くわしかけているかもしれないのだ。だがハクレンは「別に危険な魔獣がいるという訳じゃない」と二人を落ち着かせた。


「魔獣じゃない?」


「うむ。まずは安心したまえ。魔獣の類ではないよ。ただちょっと、いや、すごく、もっといえば鼻が曲がるほど臭いだけだ」


『臭い!?』


予想外の答えに思わず二人で声を上げる。二人、特にレンドにしてみれば危険な生き物が潜んでいるのかと思っていただけに驚きを隠せないようで、それを聞いた後、表情が微妙なものに変わっていく。それに対してハクレンの表情はいたって真面目だ。


(でも、こう言っちゃなんだけど臭いってそんなに異常事態なのか?)


 見ればレンドも似たようなことを考えているらしく、自分が浮かべているであろうであろう表情と同じようなものを浮かべている。

 とはいえこの世界の人間(・・・・・・・)であるハクレンが異常事態であると考えている以上、異世界人(・・・・)である自分たちの判断のほうが誤りであると考えるべきだろう。


「ハクレンさんそれは危険な生き物の匂いですか?」


「いや、この臭いだとまともな獣は寄りつかん。鼻を頼りにしていたらおかしくなるような臭いだからな。現に今は私も鼻に詰め物をしている。そうでなければ気絶しそうだ」


 そう言われてみても智宏にもその臭いというやつは感じられない。もともと鼻はいい方ではないが、様子から察するにレンドにも感じられないらしく、ということは別に智宏の嗅覚が特別鈍いという訳ではないらしい。


「あの、ハクレンさん? その匂いってどこからするですか? 俺には正直よくわからないんですけど?」


「ここから少し歩けば君たちでも感じられるだろう。どうする? 行くかね?」


 なぜかハクレンはこちらに判断を迫ってくる。いや迫られているのは智宏ではなくレンドの方だった。


「……行きましょう。来るときはそんな匂いはしなかったんでしょう?なら俺たちがここを通ってから戻るまでの間に何かあったってことだ。調べた方がいい」


 確かに妥当な意見だ。危険が少ないと予測されてるとは言え異常事態であることは確かなわけで、それを放置するのはやはり危険だろう。


「とはいえ、いきなりにおいの大元に近づくのも迂闊でしょう。こちらにはこの世界三日目のトモヒロもいますしね。まずはそれがなんの匂いなのか確かめましょう」


「うむ、では慎重に進もう。私もこの臭いの正体に心あたりがある。その確認と原因の究明はどの道しなくてはならんしな。トモヒロ君もいいかね?」


「え? あ、はい」


 我ながら情けない返事だと思いながら、智宏は反射的に同意した。






「確かにこれは酷い匂いだな」


 森の中をしばし歩き、それによって鼻のなかに侵入したそのにおいは確かににおいと呼ぶには強烈なものだった。

 さらに進めばもはやこれはにおうなどというレベルではない。

 来る途中でハクレンは、智宏たちに先行してここに来たとき「危うく気絶しかけた」と言っていたが、確かにこれだけ強烈なにおいならそれもうなずける。


(まあそれでも気絶しそうっていうのはさすがに大げさな気がするが……)


「しっかし、くさいなぁ! この辺火山でもあるのか?」


「たぶん違うと思うよレンド。この臭いは硫黄じゃないでしょ。前に温泉に行ったとき硫黄のにおいを嗅いだけどこれとは違う気がする」


「へぇ、トモヒロには硫黄の臭いを嗅ぐくせがあるのか。それはまた変わった趣味だな」


「今の会話でどうして硫黄の臭いを嗅ぐのが趣味のステージにまで至るんだよ。昨日から思ってたけどお前頭おかしいぞ?」


「天才と言ってくれ! 一を聞いて十を知る天才と!」


「ハクレンさんは何か心当たりありますか?」


「聞けよ俺の言葉」


 智宏とハクレンは視線で無視して話を進めようと意思を交わした。またもレンドがこちらの世界のことわざを使っていたがもう気にしないことにした。今は臭いの正体を探る方が先決だ。


「やはり、ドレンナの実か……」


「え?」


「いや、このあたりにはない植物の実でドレンナの実というのがあるのだよ。普段は強烈なにおいにあてられてしまうから、確認するより先に退散してしまうのだが……。こんな強烈な臭いはドレンナしかない」


「それってどんな実なんですか?」


「食べることはできるが好みは別れるといったとけろかな。この強烈な臭いは外側の皮から発生しているのに対して、中身の方は甘くておいしいのでね。臭いを我慢してでも食べる価値があるという者もいれば、臭いに耐えられず見るのもイヤだという者もおる。私はどちらかといえば後者だな」


それを聞いて智宏は、ドリアンのような植物をイメージした。ひょっとすると異世界故に名前が違うだけで本当にドリアンなのかもしれない。


「ついでに言うと、この臭いは我慢できる生き物はいるが好む生き物はいない。だから、皮なども汁を絞ってエキスを造ると生き物が寄って来なくなるのだ。そのため結構重宝されるのだが、肝心のエキスを絞る人間がいなくて毎回揉めるのだよ。最近だとイタズラをした子供にやらせる形で躾に使っていたのが、子供がイヤがってみんないい子になってしまって、なり手がいなくて困っている」


 確かに酷い臭いだからそれは仕方ないとも言える。智宏自身このにおいと長時間お付き合いするくらいなら自分だっていい子になるだろうと思った。


「そんなことより俺は群生地の事とかについて聞きたいんですが……。来るときはこんなきつい臭いありませんでしたよね? ってことはこの臭いの元はさっきここを通ってから今までの間に来たってことでしょう?」


「あぁ、そうか。木の実が勝手に歩いてくるわけないから何かが運んできたことになるな」


 問題なのはその運んだ者が何かということだ。もしも危険な生物に運ばれてきたのならすぐにこの場を離れるべきだろう。そういう意味で一番安心なのは横を流れる大きな川に流されて来たパターンだ。だがその希望をハクレンは首を横に振って否定する。


「群生地はこの河の下流から少しはずれたところにある。だから河に流された可能性はないな」


「となると生物ですかね。ハクレンさん。木の実を移動させる生き物に心当たりあります? やばい生き物が来てるかもなら俺逃げたいんですけど……」


「あまりいないな。そもそも我慢できる生き物でも積極的に運ぼうなどという生き物はいない。臭いに構わず食らいつくタイプの魔獣ならいるが、奴らも好き好んでこの臭いと付き合おうとはせん」


「……いや、いますよ。運ぶ生き物」


 智宏の発言に二人が振り向く。その視線に思わずたじろぐが、智宏の中にはある種の確信があった。

 それは、


「人間です」






 それは確かに人間だった。

 ただし、ハクレンたちとの間で行った予想とはかなり違っていた。

 予想として挙がったのはドレンナの実を何かに使おうと持ってきた村人か、他の村からの客人、もしくは他の村の遭難者というものだった。

 だが、


「え?」


 そこにいたのは遭難者だった。

 ただし、この世界の人間にはない黒い髪。

 鱗模様のない肌。

 長くもない耳。

 見たことのない奇妙な服。

 そして日本人に似た容姿を持つ少女。

 

 ただの遭難者ではない。第三の異世界人、異世界からの遭難者がそこにいた。


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