1:二つ目の異世界
異世界生活はすでに五日目の午後を迎えた。とはいえ智宏がこの世界に来てからはまだ半日もたっていないので新たにカウントするべきか、それとも元の世界を離れてからの日数を数えるべきかは迷いどころだ。そして同時に、そんなことをどうでもいいと思っている自分もいる。
なぜならそもそもの話として、この世界に来てからというもの、どうしても異世界にいるという実感を得られずにいるという状態があったからだ。
「いやぁ、俺、異世界に来て初めて食ったけど、アイスキャンディーってのはいいもんだねぇ」
「まあ、確かに夏にこれがあるってだけで暑さも少しはましになるな」
実感を得られない原因の一端を担っているのが今隣を歩くレンドと一緒に食べている棒アイス(ソーダ味)だ。
先ほど通りがかった駄菓子屋で購入したもので、どうやらレンドはこれがいたく気に入っているらしい。
現在智宏達がいるのは、レンド達が第二世界イデアと呼ぶ世界だ。智宏のいた第三世界アースや、レンドのいたという第五世界オズから見れば異世界ということになる。
だが、先にも述べたとおり、智宏に異世界という実感は薄い。何しろこの世界、アースと文明や文化体系が酷似しているため、どうしても異世界とは思えないのだ。実際、文明レベルこそアースに劣っているものの、立派な科学文明を育て上げているこの世界の街並みは、アースの街並みと割とよく似ており、この棒アイスのようによく似た文化も持っている。
智宏としては、唯一アースと違うこの世界ならではの特色、三十人に一人という確率で存在する超能力者の存在を知っていたため、それが見られることを若干期待していたのだが、こうして歩いていてもそれらしいものは見かけられなかった。
「まあ、智宏にはありがたみが無いかもしれないけど、俺達オズの人間やこの前のエデンの奴らにはこの世界も十分すごいんだよ。俺らの世界にはこんなアイスなんて普及してなかったからな」
「まあ、そうだろうな……」
実際つい昨日まで智宏もいた第一世界エデンにはアイスキャンディーなど夢のまた夢だろう。何しろエデンは恐竜が絶滅することなく跋扈している世界で、それによって人類は文明の発展基盤となる第一次産業を抑えられているのだから。
あるいはそう言う世界を経験した後にこの世界に来たから異世界であるという実感が得られないのかもしれない。
「それにしても、エデンはともかくオズにもアイスってないんだな。魔術で冷凍技術とかありそうなイメージがあったのに……」
何となくゲームや漫画のイメージで氷魔術の存在を思い浮かべる。実際のオズの魔術はそう言ったイメージよりさらに文明として汎用性を重視したものだ。知識さえあれば誰でも使えると言う特性などその最たるものだろう。いくら剣と魔法の世界に近い世界でも、魔術による文明は機械のそれに引けを取らない。ならば冷凍技術くらいあってもおかしくなさそうなものだ。
「……いや、まあ、物を凍らせる魔術自体は結構あるんだよ。それに魔力自体で氷を作ることもできるから。物を冷やすこと自体は不可能じゃないんだ」
「だったらアイスくらい有っても良さそうなものなんじゃ……」
「それがそうでもないんだよ。魔術の技術って確かにものを冷やす技術があるけど、物を冷やし続ける技術が無いんだ」
「……ああ、そうか。もともと魔術って人間が使うものだからな」
「そう言うこと。もし人間に冷蔵庫の代わりをさせようと思ったら一日中一つの魔術を使い続けなくちゃなんないだろ? まあ、儀式魔術や、魔石って言うそっちの機械と同じように自動で魔術を発動させる技術もあるにはあるけど、そっちだって長時間ぶっ続けで使えるものじゃないし、そもそも一つ作るのにえらく金がかかるからあまり普及していないんだ」
「だからアイスは商品にならないってことか……」
「まあ、そういうことだ。やろうと思えばできないことはないから、専門店やレストランならあるにはあるんだけど、それ相応に値段も張るしからあんな風に種類もバリエーションが無いし、手軽に売れるものでもないんだよ」
言われてみれば智宏にも氷に塩をまぶして、その上で冷やして作るアイスクリームの話を聞いたことがある。
だが一般に普及させるために必要なのは作ったアイスを融かさない技術なのだろう。言ってしまえば作る技術はあっても売るために保管する技術が無い。だから商品として普及しないという理屈なのだろう。
「っていうか、さっきちらっと出てきたけど、魔石ってあの宝石みたいなのが魔石ってことでいいのか?」
智宏は以前エデンで使った通信機を思い出す。宝石がいくつも込められた卵のような装飾品。今のところ魔石と言われて思い当たるのは智宏にはそれしかない。
「みたいなのじゃなくて、まんま宝石を魔力加工して作ったもんだけどね。言ったろ? 金がかかるって」
「……納得した」
確かにあんな高そうな宝石をいくつも使っていれば金もかかるだろう。しかも宝石を加工したということは加工にも費用がかかっているはずだ。これで普及するわけが無い。
「ついでに言うと魔石ってのは使う鉱物なんかの性質も考えて魔法陣を刻んでるから、安上がりな材料で作ることもできないんだ。もしこの前使った通信術式を鉄とかに刻もうと思ったら、通信用の装飾品じゃなくて、通信用の盾を作るはめになる」
「盾って……。要するに巨大な鉄塊ってことか? っていうか魔石ってやつがみんなそんなに金がかかるんだったら、生身で使った方が安上がりじゃないか?」
「それがそうもいかないんだよ。前にも言ったけど魔石やら儀式魔術やらってのは、元々人間の魔力量や【マーキングスキル】やらじゃあ展開できない魔術を使うための技術なんだ。術式をあらかじめ用意できる点や、魔力をためておいて使う点で人間の魔術とは異なるからね。加えて、人間のおつむじゃ処理できないような複雑な工程を踏むものも多い。智宏も見ただろ? この世界に来るのに使った世界転移術式の複雑さと大きさを」
「……まあ、確かに」
言われて、智宏はその魔方陣を思い出す。世界転移の魔方陣は十畳の部屋を埋め尽くすくらいの大きさと、複雑な魔方陣をさらに七つも同時に展開して歯車のように噛み合わせるというとんでもない構造の魔法陣だった。使用した魔力も馬鹿にならない。実際、展開した魔方陣が周辺の魔力を集めて発動可能になるまでに一晩かかったくらいだ。
そして同時に思い出す。その魔方陣を利用して一緒にこの世界に降り立った少女のことを。
「……どこ行ったんだろうな」
「さあね……。それを今から探してるんじゃないか」
少女は今朝、と言ってもまだ日も昇らない真夜中と言っていい時刻に、この世界に来て、直後忽然と姿を消した。
少し目を離しただけの隙に。まるで逃げるように。
智宏とミシオが第一世界エデンを出発したのはその日の朝だった。
いや、正確にはまだ夜と言ってもいい時間だったかもしれない。なにしろあたりはまだ真っ暗で、出発の準備や移動もレンドの魔術の明かりを頼りにして行われたくらいなのだ。
しかしながら、それでも見送りに来てくれた人々は大勢いた。
エデンにおいてずっと居候させてもらっていた家の家主で、村医者のハクレン、その妻のリンファ、村の戦士長のブホウ、レキハ村に駐留している異世界人のゴードンをはじめ、その他にも大勢の村人たちが出発前に洞窟の前に集合していた。
中には夜の警戒に当たるためなのか、巨竜の鱗でできた鎧をまとい、牙でできた剣を携えた戦士もいたが、ほとんどが本来ならば明かりのほとんどないこの世界では寝ているはずの人々だ。
厳しい環境でたくましく生き抜き、それゆえ高潔で義理がたい彼らに感謝と再会を約束して別れを告げる。
元の世界に変えるため、まずはイデアに移動すべく目指す場所は村の外れ、神殿や来客用の部屋などが集中する、村で唯一の洞窟だ。トモヒロも実はこの洞窟に入るのはその日が初めてだったのだが、入ってみてその内部構造の複雑さに驚いた。
何となく小学生のころに教科書か何かで見たアリの巣を思い出す。実際広さこそ三人くらいなら楽に通れるものだったが、道は無秩序に枝分かれしており、智宏もレンドの案内が無ければその部屋にはたどり着けなかった。これだけ深いと空気がこもったりしそうなものだが、どうやらどこかに換気用の穴が開けられているらしい。魔方陣のある部屋はかなり奥にあったが、行く途中の空気は割と新鮮だった。
「着いたよ。この部屋だ」
「うおぉ……!」
「……わぁ」
部屋の中を見渡し、二人で思わず嘆息する。案内されたのは洞窟の中とは思えないほど広い部屋で、その一角の床の上には、青白く輝く大量の魔法陣が暗い部屋の中で煌々と輝いていた。よく見るとその一角以外にも起動していない魔方陣らしきものがいくつか見える。
どうやら異世界に渡る魔法陣と言うのは一つの魔法陣ではないらしい。大小様々な魔方陣が歯車のように噛み合い、中心の巨大な魔方陣に接続されている。大きさは十畳の部屋いっぱいに広がるほどの大きさだ。確かにこれは人間が【マーキングスキル】で展開するには無理がある。
「ふん、来たかレンド」
その部屋の中央、光り輝く魔方陣のそばの暗がりから男の声が聞こえてきた。そこで初めて部屋の中に誰かがいるのに気が付く。
「おはようございますダイン先生。どうやら準備、済んでるようですね」
「ふん、とりあえず万全だ」
「おはようございま……す?」
レンドに習い、智宏も挨拶をしようとしてしかし、魔方陣の明かりで浮かび上がったダインの姿に言葉を失う。それほどにダインの格好は奇妙なものだった。
この世界の服の上に明らかに合わない白衣、それだけならいざ知らず、さらに特徴的なのはその頭だった。音楽室の肖像画に描かれていそうな、昔の作曲家のような髪型、クルクルとした髪の塊が大量に付いたその髪型は奇抜を通り越して明らかに異様だった。この部屋の環境がその異様さに拍車をかけている。
「えっと……、はじめまして、ですよね。吉田智宏です」
「あ、えっと、ハマシマミシオです」
「ふむ、オズの大学で魔学教授をしている。ダイン・ダンブレックだ」
「……え? 魔学教授、ですか? 職人ではなくて?」
ダインの言葉に思わず智宏は疑問の声を上げる。確か村で聞いた話ではダインは魔石と言うオズの技術製品を作る職人だったはずだ。
「ふむ、職人という答えでは単位はやれんな。確かに魔石造もしてはいるが本業はそっちではない。ただ村の人間に学者と言う職業を説明するのが面倒だっただけだ」
「……ああ、なるほど」
確かにこの世界には学者と言う職業は存在しそうにない。この世界は生活に必要な技術こそ発達し、広められてはいるが、ほかの世界でいうところの学問と言う概念ではない。そもそも、文字が一部の人間にしか使われていないような世界なのだ。そんな世界で学者などと言う概念が通じるはずもない。
「ふむ、二人とも理解した、か。頭はそこそこいいようだな。頭がいい人間は好きだ。知恵あるものとの会話は常に何かの発想の種を産む。アホゥのレンドとは大違いだ」
「はいそこ! いちいち俺を引き合いに出さない!」
どうやらどこに行ってもレンドはこういう扱いらしい。そう思って智宏は自分の判断が間違っていなかったことに安堵した。
「トモヒロ? もしかして今すごく失礼なこと考えてない?」
「いや、別に。それよりダインさん。この地面で光っているのがイデアに行くための魔方陣ですか?」
軽くレンドの非難をそらし、智宏はダインに質問する。するとダインはどこからか葉巻を取り出し、指先に展開した魔方陣で火をつけた。部屋のなかにたばことは違う甘い臭いが広がる。
「まあ、そうだ。世界転移魔術の魔方陣、それをちゃんとした形に改造したものだな」
「ちゃんとした、形?」
ダインの奇妙な言い回しにミシオが疑問の声を上げる。するとダインはくわえていた葉巻の煙を大きく吸い込み、吐き出すと、魔方陣の中心に向かって歩き始めた。
「そもそも君たちがこの世界に来るのに使った転移魔法陣、私はこいつを『落とし穴型』と呼んでいるのだが、こいつのつくりは非常に稚拙で不完全だ」
「まあ、確かに。言葉の通じるレキハに出るって以外、どこに出るのかもわからないって言いますし……。そういえばどこの世界に出るのかもランダムだったっけ?」
「増える落とし穴、だし」
「正解だ。この魔方陣は『安全性』と『確実性』と言う二点において、著しくその要件を欠いている。こうして異世界に来ている君たちならわかるだろうがこんな危険な魔術、普通なら使用されない。商品としてまず売れないし、法律は必ずや敵に回る」
行ってしまえばブレーキやランプのない車のようなものだ。便利な機能はあるものの起動させるだけで他人を危険にさらす。確かに、そんなものを売りだしても、いつ事故を起こしてもおかしくないのでは売れないし、法律がそんなものを野放しにするはずがない。
「はっきり言ってしまえば、私はこの魔方陣を作った奴は真正のアホゥなんじゃないかと疑っている。出口となった箇所に勝手に設置されるという周辺環境へ配慮のなさ、目標地点特定手順のずさんさ!! 目標が異世界であると考えれば、我々の世界では常識とも言える『二対式魔法陣』にできなかったのは仕方ないとも言えるが、これはあまりにもひどい。もし私の生徒がこんな魔方陣をデザインしてきたら、その時点でそいつは落第にしている」
「えっと……、『二対式魔法陣』って何ですか?」
「オズの転移魔法陣の常識とも言える形態さ。俺らの世界で転移魔術ってのは、その名のとおり人や物を送り出す側の『送還陣』と、送ったものを受け取る側の『召喚陣』を二つセットで使うものなのさ。まあ、『召喚陣』の方も事前に設置しなくちゃいけないものだから、相手が異世界じゃ設置のしようがなかったんだろうね」
「えっと、つまり入口と出口みたいなものですか? ……その、『二対式魔法陣』って言うのは?」
「そう。その通りだ。細かい部分はこの際省くが、私たちの世界では常識と言えるような技術がまるきり欠如している。こんなめちゃくちゃな魔方陣もそうはない。三歳児が教本を見て描いたいたずら書きかと思ったくらいだ」
魔方陣の中を歩き回りながら、ダインは出来得る限りオリジナルの魔方陣のずさんさを表現しようとする。途中でこちらに気を使って専門的な用語を避けるくらいの余裕はあるようだが、どうやらダインは魔方陣の製作者に学者として複雑な思いがあるらしい。
「でも……、この魔方陣を作った人って、その、どういう人だったんだろう?」
「ん? どういうこと?ミシオちゃん?」
「えっと、要するに酷く稚拙な技術で、その、だれもやったことのないことをしてるんでしょ。それってすごいことなんじゃ……?」
「間違いなくすごいことだとも!!」
ミシオの疑問に魔方陣のなかのダインが声を上げ、ミシオは飛び上がった。
「これだけ転移魔術の基本を無視しておきながら、ちゃんと異世界などと言う場所に繋がっていると言う事実!! 何よりでたらめなようでいてしっかりと機能している未知の文字の数々!! こいつを制作した人間は間違いなく天才だ!!」
「……さっきは三歳児がどうとか言ってたくせに」
「レンド君、君は何も分かっていない。本当に何も分かっていない。まったくもって何も分かっていない!!」
「……三回も言わなくても」
「えっと、つまりこういうことですよね? この魔方陣の製作者は基本を全く知らないのに、偶然ではなく優れた結果を叩きだしている、と」
「まあ、詳しくはもっと調べてみなければわからんがな。何しろ魔方陣自体の解析はまだ完全ではないのでね。目の前の魔法陣もとりあえず行き先の完全な特定は可能になっているが、それはオリジナルに必要な機能をつぎはぎのように追加しただけで、本格的な改造とは言い難いからな。何しろこの魔方陣、ある程度普通の転移魔術と通じるものはあるものの所々でまるで違う未知の文字が使われとる。例えばここ、この十番回路など――」
「あー、先生? 俺たちそろそろ出発したいんですけど……」
「……おっと、つい熱く話し過ぎてしまったか。そう言えば君たちをイデアに送らねばならんのだったか」
自分の役割を思い出し、魔法陣に触れ始めたダインの様子を見ながら智宏は考える。
稚拙なようで天才的。
画期的でありながら常識的なところで不完全。
智宏にもダインが魔法陣の製作者への評価が一定しないと言うのもわかる気がした。褒めるべき技術を使いながら貶すべきミスが多すぎる。実際、彼自身褒めるべきか貶すべきか決めかねているのだろう。
(本当に、一体どんな人だったんだろう……?)
誰が製作し、仕掛けたのか分からない異世界への魔方陣。だが、これを制作した人物は恐らく五つある世界で初めての異世界渡航者だったはずだ。
だとしたらその人物はなぜ名乗りを上げなかったのか? そして今どうしているのか?
むしろ智宏にはそちらのほうが問題のように思えた。異世界の発見など歴史の教科書に残して余りある世紀の大発見のはずだ。それなのにこの魔方陣は製作者が誰なのかまるでわからない。そもそもこの製作者は何の目的で、そしてどういう経緯でこの魔方陣を作り上げたのだろう?
「起動するぞ。少し離れてくれ」
と、ダインの言葉に智宏は目の前の魔法陣に意識を戻した。言われたとおり少し後ろに下がると、とたんに魔方陣が輝きを増し、その中心に黒い球体が現れる。
「?」
てっきり魔方陣に異世界行きの穴があくものと思っていた智宏は、その予想に反して黒い球体が魔法陣の中心に現れたことに意表を突かれる。しかし当の球体はそんな智宏の疑問を無視してどんどんの大きくなり、ついには直径三メートルほどの大きさにまで成長した。
「開いたぞ。これが異世界へのゲートだ」
「……地面に穴があくとかするんだと思ってました」
「それはオリジナルの話だ。危険はないとはいえ穴の中に飛び込むなど心臓に悪いだろう?」
「まあ、たしかに」
どうやらゲートの形状まで改造されているらしい。ダインの信念なのか、かなり使う人間のことを考えて改造されているようだ。
「んじゃ、とりあえずイデアに行くとしますか」
「普通に入ればいいのか?」
「ああ、そうすりゃ向こうに勝手に出してくれる」
「へえ」
智宏が何となく感心していると隣でミシオが歩み出てきた。
「これで……、元の世界に、帰れる」
やはり何か思うところはあるのだろう。そう思ってミシオの顔を横目に見た智宏はしかし、その表情が思っていたのとは違うことに気が付いた。
(……あれ?)
「おい、そろそろ行くぞ」
その表情が何かを悟る前にレンドの声が智宏を現実に引き戻す。見ればすでにレンドが黒い球体の手前まで近づいていた。
「悪いがあんまり長くゲートを開いていたくはないので手短に頼む。実はこの術式、まだ改造が中途半端でエネルギー効率が酷く悪いのだ」
「え、あ、はい!」
ダインにも急かされ、智宏はミシオとともに慌ててゲートに近づく。それを確認するとレンドは手本でも見せるように、気軽な表情でゲートに飛び込んだ。
瞬く間にレンドの姿が黒い球体の中に消え、姿が見えなくなる。
(とりあえず特に心配することもないかな)
未知の黒い球体に飛び込むという行為には若干の不安を抱かされるが、だからと言ってここで躊躇していては始まらない。
智宏は覚悟を決め、ミシオに軽く会釈すると、意を決して球体のなかに飛び込んだ。
「では、さらばだ」
途端に体が球体に触れた部分から内側に引き込まれるのを感じる。
(うわ!!)
視界が一気にブラックアウトし、全身に奇妙な浮遊感が襲ってくる。真っ黒な視界に、赤や青の光が明滅する。
しかし智宏がその状況に不安を覚える前に、視界に一気に光が戻ってきた。
途端に浮遊感が消失し、智宏の足が硬い地面の感触を取り戻す。
「うおっと」
衝撃に若干よろけながら智宏は何とか着地を決める。
周りを見渡すと、周囲は先ほどの完全な暗闇とは違う夜の暗闇に包まれており、目の前には右手に魔方陣と光る球体を浮かべたレンドが立っていた。どうやら先ほど村を出るときにも使っていた照明用の魔術らしい。
「おっと、トモヒロ、少しこっちに来てくれるか。ミシオちゃんがこっちに出て来た時邪魔になる」
「お、おう」
智宏が慌ててその場を離れ背後を振り返ると、それを待っていたように先ほどの黒い球体からミシオが飛び出してきた。
「ん、と、あっ」
「危ない!」
飛び出すと同時によろけたミシオを智宏は慌てて受け止める。それと同時に黒い球体は瞬く間にそのサイズを縮め、ついには跡形もなく消滅した。
「え、あ、ありがとう」
「わ、あ、どういたしまして」
受け止めたミシオが至近距離にいたことを思い出し、上目使いにこちらを見る表情に智宏の顔面が熱くなる。それをごまかすように少女から距離を取ろうとして、しかしミシオが智宏の手をつかんだことでそれに失敗した。
「……え?」
「本当に、ありがとう」
なぜかもう一度お礼を言い、ミシオは今度こそ、その手を離す。そのとき智宏は自分が何か大切なものを手放してしまったような錯覚を覚えた。
「おうおう、君たちホント青春してるなぁ」
「……うるさい」
背後から聞こえたレンドの茶々に、鋭い視線でもって抵抗し、智宏はミシオから意識を外す。意識して周りを見回すと、どうやらここはどこかのビルか何かの屋上らしい。ただ、相当町はずれにあるらしく、付近には建物よりも樹木の方が多かった。
「ここはどこだ?」
「第二世界イデア、そのとある国の地方都市の暦波町の外れ。うちらが一応のアジトにしているビルの上さ」
「ってことはイデアには着いてるんだな。一回目のときみたいに気を失ったりするのかと思った」
「ああ、あれは君の世界の人間で刻印使いの素養を持った人だけの症状だよ。世界の挟間にいる間に肉体が変質することによる数少ない副作用さ。もう刻印に発現している智宏には関係ないよ」
言われ、智宏は異世界に行く前と今とで、自分が変質していることを思い出した。それ自体は別に悪いことでもないし、特に悲観しているわけでもないのだが、どうしても戸惑いはぬぐえない。
(いや、それを言ったらミシオはもっと……、ってあれ?)
ふと、背後を振り向いた智宏は今更のようにその異常事態に気付く。眼前に広がる広い屋上。見晴らしのいいはずのそこにはしかし、智宏とレンド以外の人間は存在していなかった。
「……あれ? ミシオちゃんは?」
どうやらレンドもそのことに気が付いたらしく、疑問の声を上げる。
そして同時に智宏は気が付いた。エデンを出発する直前、ミシオが浮かべている表情が、強いて言葉にするなら覚悟を決めるような表情だったということを。
という訳で、第二章、第二世界編を掲載したいと思います。
感想や批評など有ると嬉しいです。