エピローグ
異世界生活四日目も夜を迎える時刻になった。
智宏にとって波乱万丈だったこの四日間のなかでも特に劇的だったこの日もようやく終わりを迎えようとしている。
村では戦いの始末がようやくひと段落し、昨日と同じメンバーで食事を始めていたところである。ちなみに夕食はオチシロが投げつけてきた巨大ワニだった。戦後の後始末としてやったことの一つがこの巨大ワニを朝方仕留めた甲殻竜と同時進行で解体し、村に運ぶことだったというのだからこの世界の人間はたくましい。
だからと言って無論いいことばかりだったわけではない。村の戦士の中には少なくない負傷者がいたし、やはりと言うべきか、ウンベルトは死亡していた。とらえられたアルダスとオチシロもレンドの世界、オズに連行して取り調べるらしく、ブラインと二人のオズ人によってどこかに連れて行かれてしまった。レンドによると一足先にオズに運んだとのことだ。ミシオが逃げ出してきたという施設も、本国からさらなる増援を呼んで本格的に捜査するらしい。
最善とは流石に言えない、だが、それに近い結果を出すことはできただろう。そしてその結果には確実に智宏が大きく貢献している。
「……だって言うのに、なんで当の本人はこんなにテンションが低いんだ?」
「……えっと、お腹すいてる?」
「……ちげーよ」
呆れたようなレンドの声と、的外れなミシオの声にどうにか返事を返し、智宏は顔を上げた。だが声にも表情にも相変わらず覇気が戻らない。
時刻はすでに夜を迎え、またいつものメンバーで食事をしている最中だ。
「なんというか……、【集積演算】の副作用みたいなもんに苛まれてるんだよ」
「副作用? ってちょっと待てトモヒロ。お前刻印は副作用が出ないみたいなことを言ってなかったか?」
「……確か、自分が傷つくような能力なんて、望まないからって……」
「あぁ……まあそうなんだけどね。これは何というか気持の問題と言うか、避けられない必然と言うか……」
言いながら智宏自身も今自分が陥っている状況を頭の中でまとめる。感覚としてはそれは自己分析に近かった。
「えっとさ、要するに【集積演算】っていうのは精神状態に左右されずに思考できる能力なんだよ。普通恐怖にすくみあがってたり、パニックになってたりすると思考能力って落ちるじゃん? でも僕の場合、その落ちた思考能力を刻印の効果で補ってるからどんなにビビってても的確な対処が出来ちゃうんだよ」
「……つまり、内面の動揺を簡単に圧し殺せるということか?」
「まあ、そういうことかな……。でもそれって、どんなに怖いことでもそれが的確な対応だったらやっちゃうってことで」
「怖いのずっと我慢して、戦ってたの?」
「まあ、そういうことかな。気分としては無理やりジェットコースターに乗せられている状態に近い。怖くて堪らないからすぐに降りたいけど、下りると危ないのが判っちゃうから降りられないみたいな?」
我ながら微妙な例えだとは思ったが、より適したたとえを探す気力もなかった。この場はおおざっぱでも伝わればそれでいい。
「えっと……ごめん。ジェットコースターって何?」
「……そこからか」
思っていた以上に異世界人との会話は難しかった。ミシオの世界ならひょっとすると絶叫マシンくらい有るかと思ったが、どうやら異世界はそこまで甘くないらしい。
「それはなミシオちゃん。人間を椅子の上に縛り付けて空中のレール上を高速で走らせるアースの拷問器具のことさ。途中で逆さまになったり、落っこちたりするおっかない機械で、乗った者がほぼ必ず悲鳴を上げることから人々は皆このマシンをこう呼ぶんだ。『絶、叫、マシン』!!」
「トモヒロ!? 拷問にあったような気分だったの!?」
「嘘を教えるなぁ!!」
テンションを無視して激しく突っ込んだ。とてもダウナーな気分になんかなっていられない。油断も隙もあったものではなかった。
「要するにだ! 今僕は【集積演算】発動時に感じていたいろんな感情がぶり返して来て酷い気分になってるってこと! わかった!?」
「……おう!」
「ついでに、智宏が元気になったこともわかった」
「……む」
言われて、初めて智宏自身も自分のテンションが若干元に戻っていることに気づく。流石にもとどおりという訳でもないが、気分はそんなに悪くない。
「おうい、レンド君。そこの二人がヨシダトモヒロ君とハマシマミシオくんかね?」
そうしていると、村の中心から大きな声を上げて恰幅のいい男性が歩いてきた。耳がレンドたち同様長いところを見るとどうやらオズ人らしい。かなり高齢らしく、蓄えられた口髭も豊かな頭髪も暗い中でも目立つほど白い。
「初めまして。この村でオズ人のリーダーをしているゴードンだ。今回は異世界に関する事実の一部を隠匿し、不当な取り調べを行ったことを深く謝罪したい」
言われて、智宏はその人物がちょくちょく話題に出ていたゴードンであることを初めて知った。確かに一国の大使と言うだけあって威厳のある人物に見える。
「また、我々に君達及び君達の世界に対して敵対する意思はなく、今後も双方の友好な関係を設立するべく努力していくことをここに宣言する」
「……はぁ」
続けて放たれた堅苦しい言葉に、智宏にはここは記者会見場なのだろうかと本気で疑問を覚える。威厳がある分余計に堅苦しく思えるのだ。
「えっと、まあ、そちらにも事情があったでしょうし、こちらは気にしていませんので気にしないでください」
相手の立場を考え、智宏はそうどうにかそう答える。確かに危険な目にもあったし、必要以上に異世界に留まらされたことは確かだが、それについて文句を言う気にはならなかった。隣のミシオの方を見ても意見は同じようで、智宏に対して小さくうなずいる。
「っていうかゴードンさん、その職業病的なしゃべり方いい加減やめてください」
「待て、職業病? その発言は誠に遺憾だ。撤回を要求する!」
「あんた、自分の発言を振り返れ!」
智宏はこっそりレンドが突っ込みを入れたことに驚いた。どうやらゴードンという人物は自分をまともだと思っているタイプの変人らしい。
「そう言えばさ、僕らはいつになったら元の世界に帰れるんだ? 帰る方法は用意してくれるんだろう?」
「ん? まあそのつもりだけどね。ただ早くても明日の朝になるかな。それに二人いっぺんに元の世界に返してもこっちの人員不足でその後のことができないし、片方の世界に三人で行って、そこで一人帰してからもう片方の世界に行くってことになると思う」
その後のことというのは恐らく協力要請のことなのだろう。彼らとしても事情を知る人間をみすみす逃がす気はないようだ。とはいえ別にこれに関しては問題ない。智宏とて彼らにできる協力はしてもいいと思っている。むしろ問題なのはもう一つの方だ。
「まあ、これに関しては話し合って決めてほしいんだけど、どっちが先に自分の世界に帰る?」
「別に僕は後でいいぞ?」
レンドの質問に智宏は即答した。その言葉にミシオとレンドがキョトンとする。
「別に帰れると判れば急ぐ必要もないし、元の世界では夏休みだったから学校は問題ない。まあ、親とかは心配するかもしれないけどこっちも何とかなるからな」
「……私としては、その、先に帰れるならその方がいいんだけど……。でも、いいの?」
「というかむしろすぐに帰るのがもったいないような気がしてるんだ。どうせだったら帰る前にもう一つくらい異世界を見るのも悪くないかなってね」
「言っとくけど、ミシオちゃんのイデアは、トモヒロのアースと文明体系はあんまり変わらないぞ。むしろアースの方が進んでるくらいだ」
「いいんだよ、それでも」
身も蓋もない言い方をしてしまえばちょっとした旅行気分だ。自分の世界に帰ることができると判ったためにできた余裕とも言える。
「まあ俺としては片方が後でいいっていうのなら話が早くて助かるんだけど。ミシオちゃんもそれでいいかい?」
「……はい。私は、早く帰りたいから」
「んじゃ、決まりだ」
そう言った後は他愛もない話しかしなかった。途中からブホウやハクレンが話に参加し、智宏は自分の世界の話をした。それはとても異世界で語られているとは思えないような気安い会話。同じ人同士だからこそできる会話だった。
そうして異世界生活四日目の、そして第一世界エデンでの最後の夜が更けてゆく。
「トモヒロ?」
村のほとんどが寝静まった頃、智宏はミシオに声をかけられた。智宏としては自分以外に起きている人間がいるとも思っていなかったため少し驚いたが、相手が自分と同じ異世界の人間であったことで少し納得した。
「なに、してるの?」
「うん、まあ、ちょっと星を……」
そう言って智宏は上を見上げる。そこには自分の世界ではお目にかかれないような満天の星空が広がっていた。星の配置自体は先ほど元の世界と同じだと確認したが、それでもこの星空は星の光を隠す地上の明かりも、大気汚染もない、この世界だからこそ見える星空だ。
「あんなに帰りたがってたのに、いざ離れるとなると思うところがあるんだよ」
「それは……、ちょっとわかる」
死にそうな目にもあったし、辛いとも思った。それでも不思議なことにたった四日間過ごしただけの世界に智宏は愛着を持っていた。
ただ、正直に言えば智宏の内面で渦巻いている感情はそれだけではなかった。
「本当はさ……、もっとうまくやれたんじゃないかって思うんだ」
「え?」
口にしてから、智宏は自分が弱気になっていたことを悟る。だがもはやここまで言ってしまってはやめるわけにもいかない。
「昼間のこと。最初の二人のときも、オチシロって奴のときも……」
もっといい対応ができたのではないかと思う。自分は【集積演算】というとんでもない刻印を手に入れてしまったのだ。そんな力があるのだからもっといい結果、たとえばウンベルトが死ななかったり、オチシロの腕を切るようなまねをせずに済んだり、それどころか誰かを殴らずに済んだのではないかというそんな感情。
「人の死や暴力ってものに免疫が無いからそう思うんだろうな……。あいつ等に対して感じたこともないような怒りを感じたのに……、死んだ方がいいような連中だとまで思ってたのに……。それでも、もっと別の結果を出せてたんじゃないかって思っちゃうんだよ」
行ってみればこれも感情のぶり返しだ。あのときはしている暇がなかった後悔という感情。それが余裕ができたとたんに智宏の心を苛んでいる。
つくづくあまい話だ。今智宏は、倒すべきだった敵に同情し始めている。
「それで、いいんじゃないかな。トモヒロは……」
「え?」
「私は……、初めて会ったとき、トモヒロがそういう人だって分かったから信じられた」
「……」
「最初にあったとき、本当に私を助けようと思っていたから。……それに」
「……それに?」
「……それにトモヒロの【集積演算】があるんだからって話なら、よくなった頭で一人だけ逃げることも、逃げる言い訳をすることもできたんじゃないかって……。そう思うから」
「……!」
そんなこと思いつきもしなかった。そして思いつかなかったという事はこの場合そんなつもりがかけらもなかったことを意味する。なぜなら逃げたいと思えばすぐに方法や言い訳を思いつく。それが【集積演算】という刻印の効力だからだ。そしてもし逃げることを選択していたら、全員が村に帰りつくことはできなかっただろうこともうぬぼれ抜きで理解できる。
「だから……、ありがとう。トモヒロはそれでいいんだと思う。……それに、私は甘いもの好きだし……」
「え?」
「……何でもない。食べ物の、話……」
そう言うとミシオは振り返り、ハクレンの家に戻っていった。明日に備えて寝るつもりなのだろう。何となくその顔が赤かったような気がしたが、星明かりだけではよくわからなかった。
「……ありがとう、か」
呟いてもう一度夜空を見上げる。そこにあるのは智宏の世界では絶対に見られない景色だ。
「異世界も悪くないな」
もし自分が異世界に来たことで、誰かの助けになれたならそれはやはり良いことだったのだろう。ならば、今すべきことは後悔ではなく、自分の功績を素直に誇ることだ。
第一世界エデン最終日。智宏は暖かな気持ちで眠りについた。
とりあえず一章完結です。
二章もチェックや、場合によっては加筆などが済み次第投稿していこうと思います。
ご意見、ご感想、ポイント評価等お待ちしています。