20:付けた名の理由
「バ……、カな……!!」
通信機からの声に絶句し、ミシオを背負いながら走っていたレンドが立ち止まる。肩で呼吸してはいるが、立ち止まった理由はそれではあるまい。
「走ってレンド。今は逃げて」
「あ、ああ」
ミシオに声をかけられ、逃げるという言葉に顔を歪めながら、レンドはどうにか走り出す。ミシオ自身、その反応を無理もないと感じていた。
『強くなり続ける』。そんなオチシロの刻印は間違いなく攻略できない。それこそ発動した直後、ミシオ達からはるか遠くにいたオチシロならば攻撃は効いたかもしれないが、もはや今のオチシロにはどんな攻撃も効きはしないのだ。
だが、ミシオはどうしてもその絶望に現実感がわかない。どう考えても勝てる要素が無い相手だというのに、ミシオにはその刻印というものがどうしても強く思えないのだ。
そしてもう一つ、ミシオが絶望的な気分になれない理由がある。
(絶望、してないよね。智宏の声……)
通信機の向こうから聞こえる智宏の声からは、まったくと言っていいほど絶望の色が感じられない。意図的に隠しているという可能性もあるし、彼が目覚めたという刻印は先ほども実際に感情を消して見せていたが、今回伝わってくる雰囲気は淡々と相手の手の内を暴きながらもどこか力に満ちたものがあった。
何とかしてしまうのではないか、そうミシオには思えてならない。それは絶望的な状況で一度助けられたことによる信頼というのもあるかもしれないが、それでも通信機から響く声にはそう感じさせるだけのものがある。
そう考えていて、ふと、ミシオは先ほどから響いていた轟音が止んでいることに気がついた。
(……あれ?)
疑問に思い、振り返り、そして見た。
空中に何か巨大なものが、それも大量に浮かんでいる光景を。
『何か来る!! 上を見て!!』
脳裏で響いたテレパシーと、同時に送られてきたミシオの視界に、慌てて智宏は背後を振り向く。その光景を見たブラインが、隣で息を飲むのがわかった。
空中に浮かぶ、巨大なものの影、影、影。
そしてその影の群れの中にやけに小さい、しかし莫大な魔力をもった存在が飛び込むのを見て、その意味を理解した智宏は慌てて通信機に向けて叫んだ。
「とにかくもうしばらく逃げて生き延びてください!! そうしていれば必ずチャンスが巡ってくるはずです!!」
『追いかけっこは終わりだぁ!!』
智宏が叫ぶと同時に、影の群れの中からオチシロの声が響き渡る。人間にはほとんど不可能なはずの声量。刻印によって与えられたその声は、偶然なのか故意なのか、智宏達のいる場所に向けて放たれている。
『さあ!! 逃げ惑えっ、ゴミどもぉ!!』
声と共に鋭い蹴りが手近な影に叩きこまれる。叩き込まれた影は恐るべき速度で宙を貫き、智宏達の三十メートルほど後方に着弾した。
視界にとらえたそれは先ほど飛んできたのと同じ樹木。しかしそれが着弾した場所は爆弾でも落ちたかのような音をあげ、辺りのものを粉砕し、なぎ倒す。
恐らく手近なものを片っ端から宙に放り投げ、それを手当たり次第に投げつけるつもりなのだろう。恐らくこちらの位置は分かっていないはずだ。見失ったからこそこんな戦法に出たのだろう。
だが、こちらの位置がわからないからと言って安心できる状況では決してない。たとえ直撃しなくても、あの攻撃は近くに落ちるだけで危険だ。
『イィィィィィッヤァッホォォォォォォオ!!』
影の群れが四方に弾けた。オチシロに弾き飛ばされ、投げられ、蹴り飛ばされ、地面に向かっていた樹木が、岩が、砲弾となって森に降り注ぐ。
「うぉおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
叫ぶブラインと共に智宏も走りだす。着弾地点を見極め、その場所からできるだけ離れようとするが間に合わない。巨大な樹木や岩が、ときにそのままの形で、ときに砕けて砲弾の雨となって二人の周りに降り注ぐ。
衝撃派が大地を薙ぎ払い、土砂を巻き上げ、樹木をなぎ倒し、そこに居合わせた二人に襲いかかる。
恐らく他の場所も同じように被害に遭っているだろう。現に四方に放たれた砲弾の雨が森を次々に破壊している。その中で逃げ切れるかどうかは運の要素が強い。
そして智宏達はその運が弱かった。砕けた岩の一部が目前数メートル先に落ち、その爆風が智宏達めがけて襲いかかる。
(っ!! 【岩壁城塞】!!)
慌てて足裏に展開していた魔方陣を地面に押し付け、魔力を込めて防壁を作りだす。だが、智宏達を守るはずのその防壁は、瞬く間にひび割れ、砕け散った。
「……が!!」
「うああっ!!」
砕けた壁の破片を全身に受け、二人の体が浮き上がる。本当にごみくずのように舞い上がった二人の体は、倒れた樹木の枝部分に落ちたことでどうにか死を免れた。
『みぃつけたぁ!!』
だが、攻撃は終わっていない。木々が倒れて丸裸になった大地は、二人の姿を容易にオチシロに晒してしまう。
そしてオチシロが掴むのは、宙に放り投げた最後にして最大の砲弾。
「甲、殻竜……!!」
智宏の視線の先、まるで巨大な飛行船のようなものが落ちてくる。それは今朝がたこの森に、恐らくは先ほどのワニと同じように投げ込まれ、村の男たちによって仕留められた巨竜だった。
『まずは二人死亡だぁ!!』
次の瞬間、島一つが落ちたかのような衝撃と共に、レキハの森に巨大な竜が着弾した。
そのとき、巨竜が投げつけられるのを見たブラインは確かに死を覚悟した。
明らかに魔術でも防ぎきれない重量。逃げることもできない攻撃範囲。軍人として培った経験と判断力が、もしも自身が相手ならば確実に殺せるだろうと客観的に判断していた。
そしてだからこそ今自分が生きていることが信じられなかった。
「……外、れた?」
不思議に思いながら、振り返ると、自身のはるか後方。なぎ倒された木々のさらに先のまだ無事だったはずの森の中に、見逃しようのないほどの甲殻竜の巨体がクレーターを作っている。
「あれぇ、外しちまったか?」
背後から聞こえたそんな声に、ブラインはようやくまだオチシロがそこにいることを思い出し、敵前で呆然自失するという失態に内心で舌打ちする。砲弾を使いきったオチシロは、甲殻竜を叩き落とした空中から通常と変わらぬスピードで落下してきている。普通ならこの高さから落ちれば怪我では済まないはずだが、オチシロはその程度では捻挫すらしないだろう。
そしてそれは同時に、さらなる防ぎようのない攻撃がブライン達を襲うことを意味している。
だが、
「ようやく限界か……。死ぬかと思ったぞ」
ブラインにしか聞こえないような小声でそう呟き、ブラインと同じようにボロボロになったトモヒロが歩み寄ってきた。明らかに死の一歩手前であるはずなのに、その表情にはなにやら余裕すら見られる。
この状況で固まってはだめだ。
だが、この男相手に散開しても意味が無い。
何が限界だというのか?
歩み寄ってくる智宏に対して瞬間的にそんな三つの思考を果たしたブラインは、しかしそれを口にする前に背後で起きた爆発に反応を余儀なくされた。
「ぐ……、う……、む……?」
地面越しに骨を叩くような衝撃に身をすくめ、しかしその衝撃の原因に不可解さを覚える。
今の爆発は明らかにオチシロの攻撃だろう。だが、着弾したのはブライン達のいるはるか背後。確認するまでもなく二人からは大きく外れている。
だが、この状況で外す意味がわからない。視界を隔てるものもなければ防ぐものもない。距離も外す方が難しいほどの距離なのだ。
「いったい、どうして……?」
よもや今の爆発がオチシロの物とは別の原因によるものなのかとも考え、背後を振り返る。
だが、そこに既にオチシロの姿はなく、それどころかオチシロが着地したはずの場所から背後の爆発した場所の地面まで、それこそブライン達から五、六ぎーまも離れた場所に、何かが高速で移動したような跡が残っていた。
確かにオチシロは突進したのだ。だがその方向はブライン達のいる場所を大きく外れ、その右側に大きくずれて着弾したらしい。
そしてもう一つ、どういう訳か隣にいる少年は、それをまるで予測していたように右側に防御術式を展開し、突進によって発生した衝撃波を防いでいた。
「……あれ? おっかしいなぁ? 確かに狙って突っ込んだはずなんだけど……」
オチシロが突っ込んだ先で身を起こし、自分に起きた状況を疑問に思っている。どうやらオチシロ本人が狙って外したわけではないらしい。
「まあ、いい、やぁっ!!」
再びこちらに向けてオチシロが突進する。すでにその速度はブラインに反応できるものではない。
だがその後に起きたのはブライン達の死ではなく、さっきよりもさらに狙いを外して森に突っ込んだオチシロだった。
同時に展開されたトモヒロの魔術が再び衝撃波を防ぐ。
「……な、に?」
「ミシオ、他の人たちに危ないからこっちに近づかないように放送してくれ。下手に近づくと巻き添えを食うから」
驚くブラインをよそにトモヒロは通信機越しに指示を出す。まるでこうなることを予測していたような口ぶりだ。
「くそっ! おかしいな……。どうなってんだ、よぉ!!」
オチシロもおかしいと思い始めたのか苛立った声を上げて再び突進する。だがやはりその軌道は大きくずれ、今度は衝撃波すら届かない位置に飛んで行ってしまった。
「なんだ、あれは……?」
「『強くなり続ける』、完全に見えるこの能力にも、実はとんでもない欠点があるんですよ」
遠くで再び爆音が響く。どうやらこちらに突進するつもりだったらしい攻撃は、しかしやはり大きくずれて着弾した。おかしなことに命中精度は回を重ねるごとに目に見えて落ちている。もしも智宏がここに近寄らないように指示していなければ、近づいた人間が巻き込まれてしまう可能性もあった。
「『強くなり続ける』ってことは『常に自分の力が変動している』ってことです。でもそれだと必然的に起きてしまう弊害として、自分の力の全体像が自分で把握できないという事態に陥ってしまう。」
遠くで連続して爆音が響き、根元の砕けた樹が大量に飛んでいく。だがそれはどれもブライン達の上空を通り過ぎ、どことも知れない場所まで飛んで行ってしまった。
「そんな人間に手加減なんてものが、もっと言えば力の調節なんてものができるわけがないんだ」
「……!! ……そうか。それが樹が飛んで行きすぎる理由なのか!」
ブラインがそのことを悟ると同時に再びオチシロがこちらに突進しようと地面を蹴る。だがその軌道は逸れるだけでは済まず、地面から離れた空中に飛び上がってしまった。
「加えて言うなら人間の足には利き足というものがあります。さっきの様子からしてあの男は両足で地面を蹴って突進していたようですが、それだと必然的に、力の出しやすい利き足の方の力が強くなって、思っているよりも利き足と逆の方に飛んでしまうんです」
「……ああ!」
トモヒロの言葉を受けて、ブラインはようやく起きている状況を理解する。
例えば地面に一本線が引いてある状態で、それの上に立った人間が目をつぶって歩くとする。すると本人は真っ直ぐに歩いているつもりでも、利き足の方の力が強いため、線の方向とは若干ずれた方向に歩くことになってしまうのだ。眼が見えていれば歩きながら調整することができるが、見えていないとずれても気付くことが無いため、その調整をせず、結果として目を開けたときに初めて外れていることに気が付くことになる。
オチシロの場合眼こそ見えてはいるが、しなければならない力の調整ができないとなれば話は同じだ。
そう考えれば生まれる弊害がそれだけでは済まないのも想像がつく。もしもただ立ち上がるだけの動作に、自分の体を支える以上の力を注ぎこんでしまったらどうなるか?
その予想はすぐに的中した。さっきまでこちらを狙っていたオチシロが爆音とともに真上に向かって放り出されたからだ。遠目に見ても分かるほど動揺し、地面に落ちた後も再び爆音を上げて飛び上がり始める。
「それどころか、奴の力はすでにわずかな筋肉の動きで自分の体をほこりのように飛ばしてしまうほどに強くなっている。恐らく奴は、強くはなっているけど重くはなっていないんでしょう。たとえさっきまでの突進を片足でやるとしても、望む方向に向かうために『力の調整』を行わなければいけない時点で起きる問題は変わらない」
人間は本来、自分の力を無意識のうちに、あるいは意識的に調節している。それはその人間がある程度自身の力を把握しているからだ。
だが、もしそれが把握できない状況になってしまったら?
もしも歩くのに必要な力を出そうとして、地面に爆薬を凌駕するような力をぶつけてしまったらどうなるか?
「……あ!! ああ!! そうかそれで!!」
そう考えれば、よくぞ今まで自身の体を使いこなせていたとすら思える。
否、よく思い出してみれば使いこなせてなどいなかったのだ。オチシロの攻撃はすべて大雑把、歩き方も妙に浮付いているように見えたし、今までの攻撃でまともに狙って当てていたことなど最初にウンベルトを殺害した時しかない。下手をするとそれすらもまぐれだった可能性すらある。
「だから【力学崩壊】なんですよ。強くなりすぎて立つこともできない。調整力が完全に失われる。だからあの【刻印】を【力学崩壊】と名付けたんです!!」
最強の肉体が大地を跳ねる。しかしそれは決して優雅で自由なものでなく、自分の力に振り回される不自由なものだった。
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まあ、最強なのは敵なんですけど……。