15:発現
「ハァ……ハァ……、なんだぁ? 仕留めちまったのかウンベルト?」
ようやく追いついてきたアルダスは、追い付いて早々そんなことを言った。どうやらまだ遊ぶつもりを失っていなかったらしい。
「生憎とまだだ。娘のほうは回収できそうなので連れていく」
「あぁ? 殺すんじゃないの?」
「研究班の連中は回収を望んでるんだよ。まあ、それでも生かして捕らえるなどという面倒なまねをするつもりはなかったんだが、こうして捕まえることができてしまった以上、どちらでも大差ない。どちらでも変わらんのなら売れるときに恩を売っておくべきだ」
そう言って、腕の魔術を解除すると、ウンベルトは手錠のようなものを取り出してミシオの両手にかける。隣ではアルダスが思い切り不快な顔をした。
「うわ、めんどくせぇ」
「愚痴を言うな。かけなくてもいい時に余計な手間をかけるくせに、こういう手間は惜しむのか?」
「うるせぇなぁ。いいじゃないかよ少しは遊んでも」
こういう点でアルダスとウンベルトの価値観は決定的に合わない。それでもウンベルトとしては任務にそんな私情をはさむわけにもいかないので唯一の共通の価値観を利用する。
「言っておくが、力を手に入れて、それを試したがっているのが自分だけだと思うな。あまり手間取っていると奴がしゃしゃり出てくるぞ」
「奴ぅ? 奴って……、まさかあの化け物か!? 冗談じゃねえ。あいつの周りにいたら命がもたねぇ。今朝だってあいつの悪ふざけで死ぬかと思ったぞ!!」
「そう思うならとっとと仕事を済ませることだな。これ以上手間取ると本当に奴が出てきかねん。あいつほど暴れたがっている者を他に知らんぞ」
何しろあの男の手にした力はアルダスの覚えたての魔術とは訳が違う。より危険で厄介な代物だ。さすがのアルダスもその危険性を認識したらしい。
「んでぇ? このガキはどうするんだ?」
アルダスは渋々納得すると、初めてそばに倒れる少年に向きなおった。その表情には少年をあざ笑うような悪意が見て取れる。
「どうやらこっちの下等種族の娘と違って、俺らと同じオズの人間のようだし、仲間にでもするか?」
本気とも取れない発言を半ば無視して報告のために通信用の魔石を取り出す。報告の相手である研究者達はあまり会話していたい相手ではないので、事務的な連絡だけを一方的に行って手早く済ませる。相手は下手に話を聞いていると注文ばかりうるさいのだ。
「おいウンベルト! すごいぜこいつ。立ち上がったよ!」
「……なに?」
見ればアルダスの指さす先、先ほど殴り飛ばした少年がフラフラと立ちあがっている。
(……チッ、あのまま気絶していればいいものを)
再びアルダスが悪趣味の対象を見つけてしまったことに内心げんなりする。あの調子では立っていることすら難しいだろうし、それもしばらくは回復は見込めない。アルダスにとっては絶好のおもちゃだ。
「……をした……」
「あん?」
「お前たち……、その娘に何をしたんだ!!」
そう叫び、少年は明確に怒りの表情を顕にする。どうやらこの少年、完全に意識を失うことなく話を聞いていたらしい。こんな状態でも怯えず、怒れることに内心ウンベルトは舌を巻いた。だからと言って少年の運命を変えるつもりは毛頭ないが。
「何って実験だよ。それも親切な」
「……親、切?」
「ああ。魔力の使えない下等なイデア人に、少しでも魔力を使えるようになって貰おうっていう親切な実験だよ」
「……魔力を、使えるように? ……まさか、さっきの黒い霧は!」
「ほう? すでに使いこなしていたとは驚きだな。まあそうでもなければこんな森で五日も生き延びられないか」
そう言うと少年の顔に驚愕の表情が浮かんだ。どうやら森にいた期間までは知らなかったらしい。こんな森で五日も生き延びたと言われれば確かにそれは驚くべきだろう。実際ウンベルト達もとうに死んでいると思っていたくらいだ。
「まったくこいつもよぉ、俺たちが生き延びるのに役立つ力をくれてやったんだから、俺たちに少しは感謝してもいいだろうに。なのにこいつ、よりにも寄ってその実験で被った苦痛を施設の奴ら全員にテレパシーで送りつけて我慢比べを敢行しやがった。そのうえ施設の奴らが気絶してる隙に、実験の成功で得た力使って施設逃げだしたもんだから、俺たちまでこんな未開世界に引っ張り出されたんだぜ。どんだけ人様に迷惑かけりゃ気が済むんだってぇの」
それについてはウンベルトも同意見だった。ただしその不満は研究班のメンバーにも向けられている。言ってみれば今のウンベルト達は研究班の不始末の尻拭いだ。不満が無いわけが無い。
そう思う一方で、ウンベルトはそれでもまだ運は良かったと考えていた。ようやく見つけた少女が村人に保護されていたときは正直諦めかけていたくらいだ。もしも少女が自分から村を飛び出していなければこうして取り戻すこともできなかった。
そこまで考えて、そろそろアルダスを止めるときだろうと判断した。あまり時間をかけ過ぎても面倒だ。
「アルダス、無駄話はそこまでだ。研究班の連中がお待ちかねだ。自分たちの研究成果が見たいんだとさ」
「けっ、懲りない連中だねぇ。で? こいつはどうする?」
「決まっている。俺たちの仕事は証拠の隠滅だ。あれほど情報をペラペラ喋っているのだ、万が一にも殺しそこなうな」
「……チッ、止めてこなかったのはそう言う訳か。はいはい、了解」
「……待て」
渋々アルダスが魔方陣を展開しようとするのを、智宏の声が阻んだ。
「悪いな兄ちゃん。命乞いなら――」
「その娘を置いていけ」
「あぁん……?」
その声には今までよりさらに強い感情が宿っていた。どうやら先ほどの会話で少年の怒りに火がついてしまったらしい。同じ弱者でも、怒れる弱者と怯える弱者では前者のほうが面倒だ。そこまで考えて――
「連れて行かせないって言ってるんだ!!」
――それまでに無い嫌な予感に襲われた。
ウンベルトがその予感の正体を理解しようとした瞬間、彼自身の感覚が、まるで何か巨大なものの鼓動のようなものを感じとる。
「えっ?」
「なっ!?」
その鼓動の正体を知って驚愕する。その正体はあまりにも慣れ親しんだ魔力の感覚。しかしほとんど接することのないほどの大きさを伴っていた。そしてその魔力が徐々に少年の額に集まって何かの文様を描き始めている。アルダスもウンベルトも魔力のこのような反応は初めてだった。
(……いや、ある。この感覚に覚えがある。あの化け物の【刻印】がまさにこんな感覚だった……!!)
「……おい、なんだよこれ……!!」
「ばかな……!! こいつはオズの人間のはずだ! 発現するわけが無い!!」
少年の額に魔力で出来た【刻印】が浮かび上がる。ウンベルトが知る限り、それは明らかに願いをかなえた者の証だ。先ほどまで自分から逃げていた少年は、今明らかに二人にとって脅威となりうる存在となり始めている。
「……なんで!! こいつアースの人間じゃないのに」
「っぅう!! 構えろアルダス! 手加減抜きで仕留めるぞ!!」
ギリギリで立ち直ったウンベルトが前に出て拳の前に魔方陣を展開する。 すでに余裕は消失し、その心情を代弁するようにウンベルトは決定的な一言を叫んだ。
「こいつ、【刻印使い】だ!!」
その額に、幾つもの線とその中心にある正方形の印が刻まれる。莫大な魔力が終息し、代わりに一人の危険な存在が生まれおちる。目の前のそれは、たった数分で自分たちの存在を脅かす化け物へと変貌していた。
劇的なその変化にしかし智宏は驚かなかった。否、驚いてはいるのだ。だがすぐに変化の正体を理解して納得してしまう。
そう。できてしまう。それが今起こっていることのすべてだった。
この世界に来てからの記憶から【刻印】という言葉を引っ張りだす。「願いが叶う」ブホウの言葉、確かに願いが叶うというのならまさしくこの【刻印】は願いの形だ。
(さあ、頭を使え。考えろ、思考しろ。こいつらをどうしたらいい?)
思考が加速するのを感じる。冷静になってはいない。心臓はまだ激しく脈打っているし、手には汗がにじんでいる。
しかしそれ以上に心に浮かぶ怒りは絶大だ。目の前の二人が話した内容は明らかに人道を無視した人体実験のものだ。生まれて初めて抱くような規模の、焼けつくような怒りの中でそれでも思考はそれまでにないくらい澄み切っていた。
「――っつああああああああ!!」
一瞬で額の【刻印】の使い方と効果を理解する。否、これは理解ではなく確認だ。智宏の考えが正しければこれは智宏がさっき願ったことを叶えているのだから。
「刻印は使わせん!!」
まず動いたのはウンベルトだった。両手の魔方陣を起動させ、肘から拳にかけてを鉄の魔力で包みこみ、智宏に向かって突進する。ボクシングに似た構えで突進し、鋼鉄を纏った拳を智宏めがけて突き出してくる。
(狙いは顔面、ストレート!!)
ウンベルトの拳の構え方と視線、先ほど殴られた時の狙いなどから狙われる場所を予想して紙一重で避ける。顔の横を通り過ぎる鉄の拳に智宏の精神状態は乱れに乱れているがそれでも着実に思考する。
「なに!?」
ウンベルトの表情が驚愕に満たされる。それはそうだろう。先ほどまで素人だった智宏が攻撃を紙一重でよけるなどという格闘家じみた真似をして見せたのだから。それでもすぐに体制を立て直し、再び智宏殴りかかって来たのは流石だった。
(また顔面……、いや違う!!)
今度はフェイントを混ぜて二発、フェイントの知識など無い智宏はもろにそのフェイントに引っ掛かり、二発目の本命が智宏の胸を打つ。
「ぐっ、っぅ!!」
「チィィィッ!!」
お互いに同時に舌打ちする。智宏は対応し切れなかったという事実に、ウンベルトは入った攻撃の浅さにだ。
フェイントだと気付いた時点でバックステップに切り替えたため、智宏は衝撃のほとんどを殺すことに成功していた。そして、それと同時に先ほど相手が放った一言で一つの確信を得る。
(やっぱり、こいつ僕が【刻印】をとうの昔に発動させていることに気付いていない!)
(なんだこの動きの良さは……!! 動きはまるで素人なのに的確に対応してくる!!)
素人であるはずの刻印使いが自分の攻撃を二回もやり過ごしたという事実に寒気を覚える。いくら脅威と言える刻印使いでも、目覚めたばかりならただの素人だ。刻印の使い方を覚える前に潰せばいいと攻めかかったのに、結果はこれだ。それも刻印を使ったのならまだ分かる。だが相手は刻印の効力らしきものをまるで使わずにこちらの攻撃をかわしているのだ。
その得体の知れなさに恐怖を感じ、しかしすぐにその恐怖を振り払った。
時間が来たからだ。
バックステップで相手とさらに距離を取る。着地とともに足元に巨大な魔方陣を展開し、操作する。
「っ!!」
刻印使いも事態に気付いたらしく背後を振り返る。そこには今まで以上の破壊力を持つ魔方陣を展開し、その顔を殺意の笑みで歪めたアルダスがいた。
「死ねぇ!! クソガキィィィィッ!!」
次の瞬間、ウンベルトの足元から半透明な岩壁状の防御壁が出現する。前方を扇上に防御する防御術式【岩壁城塞】だ。それと同時にアルダスの魔方陣から巨大の火の玉が放たれ、すぐに拡散して刻印使いのいた場所一帯を吹き飛ばした。
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