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「お前の悪事はすべて知っている」と断罪されましたが、殿下、そのうち三つは“台本”にございません

作者: 秋葉 詩
掲載日:2026/10/22

「ヴィオレッタ・グランディエ! お前の悪事はすべて知っている!」


王立学院の卒業記念夜会。シャンデリアの下で、王太子ユリウスの声が大広間に響きわたった。


楽団の演奏が、ぴたりと止まる。


人の波がさっと割れ、その真ん中にヴィオレッタは立っていた。深紅のドレスに、黒い羽根の扇。三年間「氷の悪女」と呼ばれ続けた公爵令嬢の、いつもの装いだ。


ユリウスの腕の中では、男爵令嬢ルル・ベネットが小さく震えている。蜂蜜色の巻き毛に、涙で潤んだ大きな瞳。守ってあげたくなる、という言葉をそのまま形にしたような少女だった。


ヴィオレッタは扇を開き、口元を隠した。


ようやく、この日が来た。

今夜で、契約は最終日だ。


「お前がルルにしてきた仕打ちを、今ここで明らかにする!」


ユリウスが羊皮紙を広げる。わざわざ書き出してきたらしい。真面目な方だ、とヴィオレッタは少しだけ感心した。


「一つ。ルルの教科書に落書きをした」


「まあ……」

「やっぱり、あの方が」


「二つ。ルルを茶会から締め出した。三つ。春の夜会で、ルルのドレスにワインをかけた。四つ。ダンスの練習中のルルを、みっともないと笑った」


囁きが、さざ波のように広がっていく。


ヴィオレッタは扇の陰で、ひとつずつ頷いた。どれも覚えがある。日付まで正確だ。


「五つ。学院の西階段から、ルルを突き落とした」


扇の向こうで、ヴィオレッタの眉がほんのわずかに動いた。


「六つ。毒入りの菓子をルルに贈った。七つ。大聖堂から学院に貸し出されていた聖女の首飾りを盗み、その罪をルルに着せようとした!」


ざわめきが、悲鳴に変わった。


「毒ですって?」

「聖女様の首飾りまで……」


階段。毒。首飾り。


そんな予定は、どこにもない。


「何か申し開きはあるか、ヴィオレッタ」


◇


ぱちん、とヴィオレッタは扇を閉じた。


「はい、殿下。申し上げます」


大広間が、しんと静まる。


「そのうち四つは、確かにわたくしがやりました」


一拍おいて、どよめきが爆ぜた。


「認めたぞ!」

「開き直るおつもり?」


ユリウスが、勝ち誇ったように顎を上げる。


「やはりな。ルル、もう大丈夫だ」


「ユリウス様……」


ルルが王太子の胸に頬を寄せる。ヴィオレッタは気にせず続けた。


「ただ、一つずつ補足をさせてくださいませ」


「補足だと?」


「一つ目、教科書の落書き。ルル様の歴史の教科書は、写本師の誤りで年号が三か所違っておりました。あのまま試験に臨まれたら落第です。ですから、赤いインクで直しました」


ルルの肩が、ぴくりと跳ねた。


「ルル様は落書きだと泣いていらっしゃいましたから、中身はご覧になっていないのでしょうけれど」


近くにいた令嬢が、思わずといった様子で口を押さえた。


「二つ目、茶会。あの日の茶会を開いたのは、借金の返済に困っていた子爵夫人です。新入生に高価な茶葉を売りつけるための集まりでしたので、ルル様のお名前を名簿から外しました」


「そ、そんな……」


「三つ目、ワイン。かけたのは白ワインです。染みは残りません。念のため、翌朝には染み抜きの職人を寮へ向かわせました。新しいドレスの請求書は、王家宛てにしてございます」


「王家宛て……?」


ユリウスが眉をひそめる。


「四つ目、ダンス。たしかに、みっともないと申しました。あのままではデビュタントで恥をかかれますもの。その日のうちに、王宮付きのダンス教師を手配いたしました。最近ルル様がずいぶん上達なさったのは、そのおかげかと」


大広間に、妙な沈黙が落ちた。


「……それ、親切では?」

「でも、言い方がいちいち意地悪だわ」

「親切なのに、なぜわざわざ意地悪を……」


ユリウスが、困惑を隠せない顔で言った。


「なぜだ。なぜ、そんな回りくどいことをする」


ヴィオレッタは、にっこりと微笑んだ。


「台本に、そう書いてございましたので」


◇


「台本、だと?」


ヴィオレッタは胸元のリボンの内側から、薄い革表紙の冊子を取り出した。表紙には、金の封蝋。百合と剣の紋章が刻まれている。


この国でその紋章を使えるのは、ただ一人だけだ。


「三年前、わたくしは陛下から密命を賜りました」


十五歳の春だった。王太子との婚約が決まった翌週、ヴィオレッタは国王の私室に呼ばれた。


王になる者は、噂と涙に流されてはならない。目の前の誰かが泣いていても、その裏にある真実を見抜かねばならない。


それを確かめるために、王家には古くから「試金石の儀」という試験がある。王太子の婚約者が悪役を演じ、王太子がそれを見抜けるかどうかを試すのだ。期間は三年。卒業の夜まで。


断ることもできた。けれど、ヴィオレッタは引き受けた。


わたくしが断れば、別の誰かが演じるだけ。

それなら、誰も本当には傷つかないように演じられる者がやるべきだ。


ひとつだけ、条件をつけた。悪事には、必ず後始末を添えること。


「この台本には、三年分の悪事がすべて書かれております。日付も、相手も、言うべき台詞も」


ユリウスが、のろのろと上座を振り返った。


「父上……?」


玉座の国王ヴィルヘルム三世が、ゆっくりと立ち上がる。


「すべて事実だ。その台本は、余が書いた」


大広間の空気が、凍りついた。


「では……ルルを苦しめたのは、試験のためだと?」


「苦しめた覚えはございません。少なくとも、台本にある四つについては」


ヴィオレッタは冊子を閉じ、ユリウスの腕の中の少女へ視線を移した。


「ですが、残りの三つは」


ルルの顔から、すうっと血の気が引いていく。


「台本にない三つは、どなたがお書きになったのかしら」


◇


「そ、そんなの、あなたが勝手にやったんでしょう!」


ルルが叫んだ。


「台本になくたって、悪女ならそのくらいやるわ!」


「わたくしの行動は、三年間、一日も欠かさず記録されておりますの」


そのとき、壁際の柱の陰から、一人の男が進み出た。


黒の礼装に、銀の徽章。背が高く、表情というものがほとんど動かない。


王弟ジークヴァルト・ローエン。王家監察局の長官であり、社交界では「無表情の監察官」と呼ばれている人だ。


「王家監察局長として証言する」


低い声が、大広間の隅々まで届いた。


彼の手には、分厚い帳面があった。


「ヴィオレッタ・グランディエの行動記録だ。三年分、千九十六日」


「せ、千……」


誰かが呆然と呟く。


「まず五つ目。西階段の件だ。ルル嬢が負傷を訴えたのは、春の第二月十日、午後四時。その時刻、ヴィオレッタ嬢は監察局の執務室にいた」


「なぜ断言できる、叔父上」


ユリウスの問いに、ジークヴァルトは帳面から目も上げずに答えた。


「月次報告の日だった。相手は私だ」


ざわり、と空気が揺れる。


ヴィオレッタは、その日のことを思い出していた。報告のあと、珍しく紅茶が出た。彼が無言で焼き菓子の皿を押してよこしたのだ。好きな店の菓子だったので、驚いたのを覚えている。


「次に六つ目。毒入りの菓子に添えられていたカードには『ミルフィーユ亭』とあった。王都とその近郊の菓子店、全二百十二軒を当たったが、その名の店は存在しない」


「し、支店が……」


「支店もない」


ルルが言葉に詰まる。ヴィオレッタは、つい口を挟んでしまった。


「それに、わたくしが菓子を贈るなら、自分の好きな店のものにいたしますわ」


「……記録にもそうある」


ジークヴァルトが、ほんのわずかに口の端を動かした気がした。気のせいかもしれない。


「最後に七つ目。聖女の首飾りは、今朝、監察局が回収した。見つかった場所は、ルル嬢の寮の部屋。寝台の下だ」


大広間中の視線が、ルルに突き刺さった。


「ち、違う……あれは、あとで見つかる予定で……」


自分で言ってから、ルルははっと口を押さえた。もう遅い。


ユリウスの腕が、ゆっくりとルルの肩から離れていく。


「ルル……?」


「なんでよ」


ルルの声が震えた。それから、堰を切ったようにあふれ出した。


「なんでよ! だって、ここは『星冠のプリンセス』の世界でしょ!? 卒業夜会で悪役令嬢の罪が暴かれて、私が王太子妃になる。それがシナリオなの! 階段も、毒も、首飾りも、ゲームではあなたがやるはずだったのよ!」


ルルは、ヴィオレッタを指さした。


「あなたがシナリオどおりに動かないから、私が代わりに用意してあげたのに!」


誰も、何も言えなかった。


げーむ。しなりお。聞き慣れない言葉が、宙に浮いたまま漂っている。


ヴィオレッタだけが、静かに口を開いた。


「ルル様。どなたのシナリオかは存じませんけれど」


扇を、そっと胸の前で揃える。


「あいにく、わたくしの台本を書かれたのは、陛下ですので」


◇


「試金石の儀、これにて閉じる」


国王の声が響いた。


「王太子ユリウス。そなたは三年間、婚約者の後始末に一度も気づかなかった。そして今夜、涙ひとつで七つの罪をすべて信じた」


ユリウスが、がくりと膝をつく。


「――不合格だ」


短い一言だった。けれど、その重さを分からない者は、この大広間に一人もいなかった。


「王位継承の順位は、改めて議会で諮る。そなたには一から学び直してもらう」


それから国王は、ルルに目を向けた。


「ルル・ベネット。王族の前での虚偽の告発、ならびに聖具の窃盗。取り調べを受けてもらう」


衛兵に両腕を取られ、ルルが引きずられていく。


「離して! 私はヒロインなのよ! あの方の言ったとおりにしたのに……!」


扉が閉まる直前のその言葉に、ジークヴァルトの目がすっと細くなった。ヴィオレッタも、その一言を胸の奥に留めた。


あの方、とは誰だろう。


床に膝をついたまま、ユリウスが顔を上げた。


「ヴィオレッタ」


かすれた声だった。


「君は……本当は、優しかったのか」


ヴィオレッタは、少しだけ首を傾げた。


「お気づきになることが、試験の目的でしたのに」


ユリウスの顔が、くしゃりと歪んだ。


「やり直せないか。今からでも、君となら」


「契約は今夜で満了です」


ヴィオレッタは、ドレスの裾をつまんで深く一礼した。三年間で、いちばん美しいお辞儀だった。


「殿下の婚約者という役も、ここで降ろさせていただきます」


◇


夜会のざわめきを背に、ヴィオレッタはバルコニーへ出た。


秋の夜風が、火照った頬に心地いい。


手すりにもたれて、大きく息を吐く。三年分の息だった。


もう、誰かに嫌われる練習をしなくていい。廊下ですれ違う令嬢に冷たい目を向けなくていい。悪事の後始末の段取りを、夜中に考えなくていい。


「褒美は何を望む」と、国王は言った。


ヴィオレッタは「考えさせてくださいませ」とだけ答えた。何を望めばいいのか、自分でも分からなかったのだ。


「ここにいたか」


振り返ると、ジークヴァルトが立っていた。両手に、グラスを一つずつ持っている。


差し出されたグラスの中身は、淡い金色だった。


「白ワインだ。染みは残らない」


ヴィオレッタは思わず吹き出した。


「監察官殿も、冗談をおっしゃるのですね」


「記録にない行動だな。私も、君も」


並んで、夜の庭を見下ろす。しばらく、どちらも何も言わなかった。


やがてジークヴァルトが、礼装の内側から一枚の紙を取り出した。


「監察記録の最終頁だ。本来は機密だが、君には見る権利がある」


受け取った紙には、今夜の日付と、見慣れた硬い筆跡の記録が並んでいた。断罪の開始時刻。罪状。証言。


そのいちばん下に、小さな欄がある。


備考欄。


そこに一行だけ、記録とは違う柔らかい文字で書かれていた。


三年間、いちばん近い観客でいられたことを誇りに思う。


ヴィオレッタは、しばらくその一行から目を離せなかった。


「……備考欄。ほかの日には、何をお書きになっていたのです?」


「監察記録は機密だ」


「では、なぜ最終頁だけ見せてくださったの」


ジークヴァルトは、少しだけ黙った。


「見せたかったからだ」


無表情の監察官の耳が、夜目にも分かるほど赤くなっていた。


それから彼は、もう一つ小さな包みを差し出した。中に入っていたのは、焼き菓子だった。ヴィオレッタがいちばん好きな店の、いちばん好きな菓子。


「月次報告の日の、あの菓子も……あなたが?」


「君が好きな店だと、記録にあった」


ヴィオレッタは、包みを両手で受け取った。


この三年間、誰もが悪女の仮面だけを見ていた。たった一人、この人だけが、仮面の下で段取りに追われる自分を見ていたのだ。


「陛下から、褒美を何にするか聞かれましたの」


「何と答えた」


「まだ決めておりません。でも、ひとつだけ分かっていることがあります」


ヴィオレッタは、夜空を見上げた。


「次は、悪役ではない役をやってみたいのです。誰かに書かれた台本ではなく」


「そうか」


ジークヴァルトは、手すりから体を起こした。そして、ヴィオレッタの前に片膝をついた。


大広間から漏れてくる楽団の音が、急に遠くなる。


「では、次の台本は二人で書かないか」


差し出された手は、ほんの少しだけ震えていた。


「私の妃という役で。台詞は、君の好きにしていい」


ヴィオレッタは、目を瞬いた。


好きな台詞。三年間、一度も自分で選んだことのないもの。


何と答えよう。気の利いた言葉。悪女らしい皮肉。淑女らしい控えめな返事。いくつも浮かんでは消えていく。


結局、どれも選ばなかった。


ヴィオレッタは彼の手を取り、三年ぶりに、台本のない顔で笑った。


最後まで読んでくださり、ありがとうございます。


「悪役令嬢の悪事が、全部お仕事だったら?」という思いつきから生まれたお話でした。白ワインを選び、染み抜き職人まで手配してから意地悪をするヴィオレッタは、書いていてとても楽しかったです。


ちなみに、ジークヴァルトの監察記録の備考欄には、三年分、毎日一行ずつ何かが書かれています。ほとんどが「今日も見事だった」の言い換えだという噂です。


このお話は、反響をいただけたら連載版として続きを書く予定です。

引退した悪女の王宮生活、三年分の備考欄の中身、そしてあの夜ルルが口にした「あの方」の正体まで、書きたいことはまだたくさんあります。


「台本のないヴィオレッタをもっと見たい」と思っていただけたら、下の☆☆☆☆☆から評価やブックマークで応援していただけると嬉しいです。☆ひとつでも、連載版への大きな後押しになります。

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