「お前の悪事はすべて知っている」と断罪されましたが、殿下、そのうち三つは“台本”にございません
「ヴィオレッタ・グランディエ! お前の悪事はすべて知っている!」
王立学院の卒業記念夜会。シャンデリアの下で、王太子ユリウスの声が大広間に響きわたった。
楽団の演奏が、ぴたりと止まる。
人の波がさっと割れ、その真ん中にヴィオレッタは立っていた。深紅のドレスに、黒い羽根の扇。三年間「氷の悪女」と呼ばれ続けた公爵令嬢の、いつもの装いだ。
ユリウスの腕の中では、男爵令嬢ルル・ベネットが小さく震えている。蜂蜜色の巻き毛に、涙で潤んだ大きな瞳。守ってあげたくなる、という言葉をそのまま形にしたような少女だった。
ヴィオレッタは扇を開き、口元を隠した。
ようやく、この日が来た。
今夜で、契約は最終日だ。
「お前がルルにしてきた仕打ちを、今ここで明らかにする!」
ユリウスが羊皮紙を広げる。わざわざ書き出してきたらしい。真面目な方だ、とヴィオレッタは少しだけ感心した。
「一つ。ルルの教科書に落書きをした」
「まあ……」
「やっぱり、あの方が」
「二つ。ルルを茶会から締め出した。三つ。春の夜会で、ルルのドレスにワインをかけた。四つ。ダンスの練習中のルルを、みっともないと笑った」
囁きが、さざ波のように広がっていく。
ヴィオレッタは扇の陰で、ひとつずつ頷いた。どれも覚えがある。日付まで正確だ。
「五つ。学院の西階段から、ルルを突き落とした」
扇の向こうで、ヴィオレッタの眉がほんのわずかに動いた。
「六つ。毒入りの菓子をルルに贈った。七つ。大聖堂から学院に貸し出されていた聖女の首飾りを盗み、その罪をルルに着せようとした!」
ざわめきが、悲鳴に変わった。
「毒ですって?」
「聖女様の首飾りまで……」
階段。毒。首飾り。
そんな予定は、どこにもない。
「何か申し開きはあるか、ヴィオレッタ」
◇
ぱちん、とヴィオレッタは扇を閉じた。
「はい、殿下。申し上げます」
大広間が、しんと静まる。
「そのうち四つは、確かにわたくしがやりました」
一拍おいて、どよめきが爆ぜた。
「認めたぞ!」
「開き直るおつもり?」
ユリウスが、勝ち誇ったように顎を上げる。
「やはりな。ルル、もう大丈夫だ」
「ユリウス様……」
ルルが王太子の胸に頬を寄せる。ヴィオレッタは気にせず続けた。
「ただ、一つずつ補足をさせてくださいませ」
「補足だと?」
「一つ目、教科書の落書き。ルル様の歴史の教科書は、写本師の誤りで年号が三か所違っておりました。あのまま試験に臨まれたら落第です。ですから、赤いインクで直しました」
ルルの肩が、ぴくりと跳ねた。
「ルル様は落書きだと泣いていらっしゃいましたから、中身はご覧になっていないのでしょうけれど」
近くにいた令嬢が、思わずといった様子で口を押さえた。
「二つ目、茶会。あの日の茶会を開いたのは、借金の返済に困っていた子爵夫人です。新入生に高価な茶葉を売りつけるための集まりでしたので、ルル様のお名前を名簿から外しました」
「そ、そんな……」
「三つ目、ワイン。かけたのは白ワインです。染みは残りません。念のため、翌朝には染み抜きの職人を寮へ向かわせました。新しいドレスの請求書は、王家宛てにしてございます」
「王家宛て……?」
ユリウスが眉をひそめる。
「四つ目、ダンス。たしかに、みっともないと申しました。あのままではデビュタントで恥をかかれますもの。その日のうちに、王宮付きのダンス教師を手配いたしました。最近ルル様がずいぶん上達なさったのは、そのおかげかと」
大広間に、妙な沈黙が落ちた。
「……それ、親切では?」
「でも、言い方がいちいち意地悪だわ」
「親切なのに、なぜわざわざ意地悪を……」
ユリウスが、困惑を隠せない顔で言った。
「なぜだ。なぜ、そんな回りくどいことをする」
ヴィオレッタは、にっこりと微笑んだ。
「台本に、そう書いてございましたので」
◇
「台本、だと?」
ヴィオレッタは胸元のリボンの内側から、薄い革表紙の冊子を取り出した。表紙には、金の封蝋。百合と剣の紋章が刻まれている。
この国でその紋章を使えるのは、ただ一人だけだ。
「三年前、わたくしは陛下から密命を賜りました」
十五歳の春だった。王太子との婚約が決まった翌週、ヴィオレッタは国王の私室に呼ばれた。
王になる者は、噂と涙に流されてはならない。目の前の誰かが泣いていても、その裏にある真実を見抜かねばならない。
それを確かめるために、王家には古くから「試金石の儀」という試験がある。王太子の婚約者が悪役を演じ、王太子がそれを見抜けるかどうかを試すのだ。期間は三年。卒業の夜まで。
断ることもできた。けれど、ヴィオレッタは引き受けた。
わたくしが断れば、別の誰かが演じるだけ。
それなら、誰も本当には傷つかないように演じられる者がやるべきだ。
ひとつだけ、条件をつけた。悪事には、必ず後始末を添えること。
「この台本には、三年分の悪事がすべて書かれております。日付も、相手も、言うべき台詞も」
ユリウスが、のろのろと上座を振り返った。
「父上……?」
玉座の国王ヴィルヘルム三世が、ゆっくりと立ち上がる。
「すべて事実だ。その台本は、余が書いた」
大広間の空気が、凍りついた。
「では……ルルを苦しめたのは、試験のためだと?」
「苦しめた覚えはございません。少なくとも、台本にある四つについては」
ヴィオレッタは冊子を閉じ、ユリウスの腕の中の少女へ視線を移した。
「ですが、残りの三つは」
ルルの顔から、すうっと血の気が引いていく。
「台本にない三つは、どなたがお書きになったのかしら」
◇
「そ、そんなの、あなたが勝手にやったんでしょう!」
ルルが叫んだ。
「台本になくたって、悪女ならそのくらいやるわ!」
「わたくしの行動は、三年間、一日も欠かさず記録されておりますの」
そのとき、壁際の柱の陰から、一人の男が進み出た。
黒の礼装に、銀の徽章。背が高く、表情というものがほとんど動かない。
王弟ジークヴァルト・ローエン。王家監察局の長官であり、社交界では「無表情の監察官」と呼ばれている人だ。
「王家監察局長として証言する」
低い声が、大広間の隅々まで届いた。
彼の手には、分厚い帳面があった。
「ヴィオレッタ・グランディエの行動記録だ。三年分、千九十六日」
「せ、千……」
誰かが呆然と呟く。
「まず五つ目。西階段の件だ。ルル嬢が負傷を訴えたのは、春の第二月十日、午後四時。その時刻、ヴィオレッタ嬢は監察局の執務室にいた」
「なぜ断言できる、叔父上」
ユリウスの問いに、ジークヴァルトは帳面から目も上げずに答えた。
「月次報告の日だった。相手は私だ」
ざわり、と空気が揺れる。
ヴィオレッタは、その日のことを思い出していた。報告のあと、珍しく紅茶が出た。彼が無言で焼き菓子の皿を押してよこしたのだ。好きな店の菓子だったので、驚いたのを覚えている。
「次に六つ目。毒入りの菓子に添えられていたカードには『ミルフィーユ亭』とあった。王都とその近郊の菓子店、全二百十二軒を当たったが、その名の店は存在しない」
「し、支店が……」
「支店もない」
ルルが言葉に詰まる。ヴィオレッタは、つい口を挟んでしまった。
「それに、わたくしが菓子を贈るなら、自分の好きな店のものにいたしますわ」
「……記録にもそうある」
ジークヴァルトが、ほんのわずかに口の端を動かした気がした。気のせいかもしれない。
「最後に七つ目。聖女の首飾りは、今朝、監察局が回収した。見つかった場所は、ルル嬢の寮の部屋。寝台の下だ」
大広間中の視線が、ルルに突き刺さった。
「ち、違う……あれは、あとで見つかる予定で……」
自分で言ってから、ルルははっと口を押さえた。もう遅い。
ユリウスの腕が、ゆっくりとルルの肩から離れていく。
「ルル……?」
「なんでよ」
ルルの声が震えた。それから、堰を切ったようにあふれ出した。
「なんでよ! だって、ここは『星冠のプリンセス』の世界でしょ!? 卒業夜会で悪役令嬢の罪が暴かれて、私が王太子妃になる。それがシナリオなの! 階段も、毒も、首飾りも、ゲームではあなたがやるはずだったのよ!」
ルルは、ヴィオレッタを指さした。
「あなたがシナリオどおりに動かないから、私が代わりに用意してあげたのに!」
誰も、何も言えなかった。
げーむ。しなりお。聞き慣れない言葉が、宙に浮いたまま漂っている。
ヴィオレッタだけが、静かに口を開いた。
「ルル様。どなたのシナリオかは存じませんけれど」
扇を、そっと胸の前で揃える。
「あいにく、わたくしの台本を書かれたのは、陛下ですので」
◇
「試金石の儀、これにて閉じる」
国王の声が響いた。
「王太子ユリウス。そなたは三年間、婚約者の後始末に一度も気づかなかった。そして今夜、涙ひとつで七つの罪をすべて信じた」
ユリウスが、がくりと膝をつく。
「――不合格だ」
短い一言だった。けれど、その重さを分からない者は、この大広間に一人もいなかった。
「王位継承の順位は、改めて議会で諮る。そなたには一から学び直してもらう」
それから国王は、ルルに目を向けた。
「ルル・ベネット。王族の前での虚偽の告発、ならびに聖具の窃盗。取り調べを受けてもらう」
衛兵に両腕を取られ、ルルが引きずられていく。
「離して! 私はヒロインなのよ! あの方の言ったとおりにしたのに……!」
扉が閉まる直前のその言葉に、ジークヴァルトの目がすっと細くなった。ヴィオレッタも、その一言を胸の奥に留めた。
あの方、とは誰だろう。
床に膝をついたまま、ユリウスが顔を上げた。
「ヴィオレッタ」
かすれた声だった。
「君は……本当は、優しかったのか」
ヴィオレッタは、少しだけ首を傾げた。
「お気づきになることが、試験の目的でしたのに」
ユリウスの顔が、くしゃりと歪んだ。
「やり直せないか。今からでも、君となら」
「契約は今夜で満了です」
ヴィオレッタは、ドレスの裾をつまんで深く一礼した。三年間で、いちばん美しいお辞儀だった。
「殿下の婚約者という役も、ここで降ろさせていただきます」
◇
夜会のざわめきを背に、ヴィオレッタはバルコニーへ出た。
秋の夜風が、火照った頬に心地いい。
手すりにもたれて、大きく息を吐く。三年分の息だった。
もう、誰かに嫌われる練習をしなくていい。廊下ですれ違う令嬢に冷たい目を向けなくていい。悪事の後始末の段取りを、夜中に考えなくていい。
「褒美は何を望む」と、国王は言った。
ヴィオレッタは「考えさせてくださいませ」とだけ答えた。何を望めばいいのか、自分でも分からなかったのだ。
「ここにいたか」
振り返ると、ジークヴァルトが立っていた。両手に、グラスを一つずつ持っている。
差し出されたグラスの中身は、淡い金色だった。
「白ワインだ。染みは残らない」
ヴィオレッタは思わず吹き出した。
「監察官殿も、冗談をおっしゃるのですね」
「記録にない行動だな。私も、君も」
並んで、夜の庭を見下ろす。しばらく、どちらも何も言わなかった。
やがてジークヴァルトが、礼装の内側から一枚の紙を取り出した。
「監察記録の最終頁だ。本来は機密だが、君には見る権利がある」
受け取った紙には、今夜の日付と、見慣れた硬い筆跡の記録が並んでいた。断罪の開始時刻。罪状。証言。
そのいちばん下に、小さな欄がある。
備考欄。
そこに一行だけ、記録とは違う柔らかい文字で書かれていた。
三年間、いちばん近い観客でいられたことを誇りに思う。
ヴィオレッタは、しばらくその一行から目を離せなかった。
「……備考欄。ほかの日には、何をお書きになっていたのです?」
「監察記録は機密だ」
「では、なぜ最終頁だけ見せてくださったの」
ジークヴァルトは、少しだけ黙った。
「見せたかったからだ」
無表情の監察官の耳が、夜目にも分かるほど赤くなっていた。
それから彼は、もう一つ小さな包みを差し出した。中に入っていたのは、焼き菓子だった。ヴィオレッタがいちばん好きな店の、いちばん好きな菓子。
「月次報告の日の、あの菓子も……あなたが?」
「君が好きな店だと、記録にあった」
ヴィオレッタは、包みを両手で受け取った。
この三年間、誰もが悪女の仮面だけを見ていた。たった一人、この人だけが、仮面の下で段取りに追われる自分を見ていたのだ。
「陛下から、褒美を何にするか聞かれましたの」
「何と答えた」
「まだ決めておりません。でも、ひとつだけ分かっていることがあります」
ヴィオレッタは、夜空を見上げた。
「次は、悪役ではない役をやってみたいのです。誰かに書かれた台本ではなく」
「そうか」
ジークヴァルトは、手すりから体を起こした。そして、ヴィオレッタの前に片膝をついた。
大広間から漏れてくる楽団の音が、急に遠くなる。
「では、次の台本は二人で書かないか」
差し出された手は、ほんの少しだけ震えていた。
「私の妃という役で。台詞は、君の好きにしていい」
ヴィオレッタは、目を瞬いた。
好きな台詞。三年間、一度も自分で選んだことのないもの。
何と答えよう。気の利いた言葉。悪女らしい皮肉。淑女らしい控えめな返事。いくつも浮かんでは消えていく。
結局、どれも選ばなかった。
ヴィオレッタは彼の手を取り、三年ぶりに、台本のない顔で笑った。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
「悪役令嬢の悪事が、全部お仕事だったら?」という思いつきから生まれたお話でした。白ワインを選び、染み抜き職人まで手配してから意地悪をするヴィオレッタは、書いていてとても楽しかったです。
ちなみに、ジークヴァルトの監察記録の備考欄には、三年分、毎日一行ずつ何かが書かれています。ほとんどが「今日も見事だった」の言い換えだという噂です。
このお話は、反響をいただけたら連載版として続きを書く予定です。
引退した悪女の王宮生活、三年分の備考欄の中身、そしてあの夜ルルが口にした「あの方」の正体まで、書きたいことはまだたくさんあります。
「台本のないヴィオレッタをもっと見たい」と思っていただけたら、下の☆☆☆☆☆から評価やブックマークで応援していただけると嬉しいです。☆ひとつでも、連載版への大きな後押しになります。




