白夜の聖女は太陽を消して去ります ~『沈まぬ太陽』を維持する私を無能と断じ婚約破棄なさったので、光ごと消えて差し上げます。なお国が凍ることについて苦情は受け付けません~【短編版・連載版あります!】
「フィリア、貴様との婚約を破棄する!」
光り輝く白亜の広間で、王太子アルデスの声が高らかに響いた。
人工太陽ソルギアの永遠の光が、彼の金の髪を眩く照らしている。集った貴族たちの視線が、一斉に私へと突き刺さった。
(……ああ、やっぱり。この日が来たのね)
私は、心のどこかで冷めた声を聞いていた。驚きはない。むしろ、ようやくか、という気分だった。
「太陽は神が灯したもの。祈るだけの飾りが聖女など、笑わせる。真の聖女はここにいるユーナだ!」
アルデスの隣で、あどけない少女がふわりと微笑む。庇護欲をそそる儚げな瞳。祈るだけで太陽が輝く、と持て囃される新しい聖女、ユーナ。
「わたし、精一杯お祈りいたしますわ。この国の光を、絶やさぬように……」
(祈るだけで太陽が輝くなら、苦労はしないのよ)
私は――フィリア・ソルライトは、静かに息を吐いた。
前世、日本の照明・エネルギープラント技術者だった私は、過労で死んだ。そして転生したこの国で、また眠らずに光を灯し続けてきた。
二十四時間、休みなく。百年。
人工太陽は『祈り』などではない。私の膨大な魔力供給で成り立つ、巨大な『設備』だ。前世の知識で回路を最適化し、たった一人でこの国全体の光と熱を回してきた。
この国――永久白夜の国ソルヴェリア。極北に位置し、本来なら一年の半分が凍てつく極夜に閉ざされる土地。百年前、初代聖女が天空に人工太陽を灯し、以来『沈まぬ光の国』として繁栄してきた。
その繁栄を、いま、私が支えている。誰も知らないまま。
「その目の下の隈を見ろ! 怠惰の証だ。祈りもせず、聖女の座に居座ってきた無能め!」
(……この隈は、あなたたちの国を明るくするために眠らなかった証拠なんだけど)
供給ログも読めない方が、聖女を語るのね。
口には出さなかった。喚かなかった。取り乱しもしなかった。
ただ、静かに顔を上げる。穏やかに、いつもの微笑みを浮かべて。
「――よろしいのですね」
私は、静かに問うた。
「私が、光を手放しても」
*
私の問いに、誰も意味を理解しなかった。
「何を世迷言を。貴様がいなくとも太陽は輝く。神の恵みだからな!」
アルデスは鼻で笑った。貴族たちも嘲笑を漏らす。
(本当に、何も知らないのね。頭上の太陽が、どうやって灯っているのかも)
この人たちは、頭上の光がどうやって成り立っているのか、一度も考えたことがないのだ。
蛇口をひねれば水が出る。それが当たり前だと思っている人間が、浄水場のことなど考えないように。スイッチを入れれば部屋が明るくなる。その裏で誰かが発電所を回していることなど、想像もしないように。
「国外追放を言い渡す! 今すぐこの国から出ていけ、無能な偽聖女め!」
私は深く、ゆっくりと頭を下げた。
「かしこまりました。では、聖職を辞させていただきます」
顔を上げ、私は微笑んだ。心の底から、晴れやかに。
「光は、置いていきません」
「……は? 何を言っている?」
アルデスの間の抜けた声。だが、もう説明する義理はない。
「いいえ、なんでも。どうぞ、お幸せに」
私は静かに踵を返し、広間を後にした。背後で新聖女ユーナが祈りを捧げる声が聞こえる。
「偉大なる太陽よ、我らを照らし……ふふ、ご覧になって。祈るだけで、こんなにも輝いておりますわ」
(祈るだけで太陽が輝くなら、私は百年間、いったい何のために眠らなかったのでしょうね)
どうぞ、祈ってください。いくらでも。今のうちに。
*
控えの間に戻ると、老侍女セラフィーナが待っていた。白髪を結い上げた小柄な姿。彼女は無言で、一冊の分厚い帳簿を差し出した。
「お嬢様。これは全部――貴女様が働いた証でございます」
二十四時間分の魔力供給ログ。前世式の帳簿で、私がひそかに記録し続けてきたもの。回路の設計図。最適化の記録。百年分の労働の、すべて。
「……二十四時間分の供給ログ。よく持ち出してくれたわね、セラフィーナ」
「わたくしだけは、存じておりました。お嬢様が眠らぬ、本当の理由を」
胸が、少しだけ温かくなる。
この百年、私を『眠らない聖女』と嘲る者はいても、なぜ眠らないのかを問う者は、この老侍女ただ一人だった。
「……ありがとう。この紋章を持って国境を越えれば、供給は完全に停止する」
私は魔力回路の『鍵』――自身の紋章を胸元から取り出し、そっと握りしめた。
「よろしいのですか。この国は、闇に沈みますよ」
セラフィーナの声は静かだった。責めるでも、止めるでもなく。ただ、確かめるように。
「ええ」
私は微笑んだ。
「行きましょう――私を、待っていない場所へ」
*
国境へと続く白い道を、私は一人歩いた。
空には百年、一度も沈んだことのない人工太陽が輝いている。
(この光を、この国の人たちは当然だと思っている)
そして今、その供給者が去る。
私は歩みを止めない。背後の宮廷では、まだ断罪の熱狂が続いているだろう。誰も、聖女が去った意味に気づいていない。
国境の石碑が見えてきた。
(最後の一歩。迷いは、ないわ)
私は、迷わず線を越えた。
――その瞬間。
世界が、翳った。
背後を振り返る。百年灯り続けた人工太陽ソルギアが、ゆっくりと、ゆっくりと沈んでいく。
(……ああ。百年灯り続けた太陽が、沈んでいく。役目を終えた炉が冷えるように)
そして、消えた。
空を、初めての闇が覆う。
百年ぶりの、本物の極夜。
遠い宮廷の方角から、悲鳴が聞こえた気がした。凍てつく風が吹き抜け、地面に霜が降りていく。作物は凍り、人々は今ようやく、真の闇の意味を知るのだろう。
(苦情は、受け付けません)
私は静かに、そして少しだけ皮肉を込めて呟いた。
「祈るだけで太陽が輝くのでしょう? どうぞ、祈ってくださいな」
闇の中、私の吐く息だけが白い。
寒い。けれど――不思議と、心は軽かった。
*
――一方、ソルヴェリア宮廷。
「な……なんだこれは! なぜ太陽が消えた!?」
アルデスは、闇に沈んだ広間で叫んでいた。ついさっきまで眩く輝いていた人工太陽は、跡形もなく消えている。
松明の火だけが、貴族たちの青ざめた顔を照らしていた。急速に冷えていく空気。窓の外では、街の人々の悲鳴が上がり始めている。
「ユーナ! 祈れ! 早く太陽を戻せ!」
「は、はい! 偉大なる太陽よ、我らを照らし――照らし……っ、な、なぜ……!?」
ユーナが必死に祈る。何度も、何度も。
だが、空は暗いままだった。
当然だ。彼女は魔力供給の仕組みを、何一つ理解していない。ただ『祈るだけ』の飾りだったのだから。一秒たりとも、光を維持する術を持たない。
「なぜだ! なぜ輝かない! お前は真の聖女だろう!?」
「わ、わたし……わたし、本当は……何も、できな……っ」
ユーナの化けの皮が、剥がれ落ちていく。あどけない顔が、恐怖と絶望に歪んでいく。
そこへ――老侍女セラフィーナが、静かに帳簿の写しを卓上に置いた。
「殿下。これをご覧くださいませ」
「なんだこれは!? びっしりと書かれた……記録だと?」
「フィリア様の、魔力供給ログでございます。二十四時間、百年分。人工太陽は神の恵みではなく、フィリア様お一人の魔力と、比類なき技術で維持されておりました」
アルデスは震える手で帳簿をめくる。びっしりと書き込まれた供給記録。回路最適化の設計図。膨大な労働の証。
一枚、また一枚。
そのすべてが、彼が『飾り』と呼んだ女の、眠れなかった夜の記録だった。
「そ、そんな……では、あの隈は……不眠は……」
「怠惰ではございません」
セラフィーナの声は、氷のように冷たかった。
「この国の光そのものを、支え続けた証でございます」
アルデスの膝が、がくりと折れた。
自分が『無能』と断じ、追放したもの。それは――国家インフラそのものだった。
「戻せ……戻ってきてくれ、フィリア……! 頼む、頼むから……!」
「もう、遅うございます」
セラフィーナは深く頭を下げ、しかしその目は少しも下げなかった。
「貴方様が追放したのは――国そのものでございました」
闇と極寒の中、愚王の慟哭だけが虚しく響いた。
失ってから、ようやく気づく。だが、もう遅い。
*
国境を越えた先の闇の中、私を待っていたのは一人の男だった。
身長二メートルを超える偉丈夫。藍鉄色の短髪に、縦に裂けた竜眼。こめかみからは氷晶の角が伸びている。
氷雪の竜人国ニヴルヘイムの将軍――『氷血の戦神』ヴォルグ・フェンリエル。
冷酷な武人と恐れられる彼が、なぜここに。
「……よく、来た。フィリア・ソルライト」
しかも、その手には――見覚えのある茶葉の缶があった。
(……この缶)
差出人不明で、何年も届いていたもの。眠らない夜を、そっと支えてくれた魔力回復の高級茶葉。私はずっと、『誰かの善意』だとだけ思っていた。
「……その手の茶葉の缶。差出人不明で、何年も届いていたもの。まさか、あなたが?」
「……そうだ」
無愛想な、けれどどこか照れたような低い声。
「どうして……眉間の皺が、さらに深く……怒っていらっしゃるの?」
「怒ってなどいない。……これが、俺の、普通の顔だ」
私は、思わず小さく笑ってしまった。
ヴォルグは、ばつが悪そうに視線を逸らし、それから絞り出すように続けた。
「数年前から、あんたを見ていた。祈りだと持て囃されながら、実際は一人で光を灯し続けていたことを。……誰も気づかなかった。俺だけが、知っていた」
「……私が、労働で光を成り立たせていたことを。あなただけが、見抜いていたと?」
「極夜の民は、太陽を必要としない。……だからこそ、光の裏にある無理が、見えた」
太陽の恵みに酔う者には見えない。だが、闇を故郷とする者には、光の代償が見えていた。
私の胸が、じわりと熱くなる。百年、誰にも理解されなかった孤独が、この人にだけは見えていた。
ヴォルグは、不器用に一歩近づいた。
「フィリア。もう――」
言葉に詰まる。眉間の皺がさらに深くなる。
「……もう?」
それでも彼は、絞り出すように告げた。
「もう、誰かのために眠らなくていい」
凍てつく風の中、彼の声だけが温かかった。
「俺の国は、夜がある。夜があるからこそ――星が、綺麗だ」
星。
「……星。私が、一度も見たことのないもの」
ずっと光の中にいた。ずっと、光を灯し続けていた。
(喚かなかった私が、断罪でも動じなかった私が……この一言で、泣いている)
涙が、こぼれた。
*
竜人国ニヴルヘイムでの日々は、静かだった。
私は生まれて初めて、夜に眠った。
温かな寝台。誰にも供給を求められない時間。目の下の隈が、少しずつ薄れていく。
私が初めて朝まで眠った日、報せを聞いて駆けつけたセラフィーナが、部屋の隅で声を殺して泣いていた。百年、私の眠らぬ夜を見てきた老侍女が。
迎えてくれた老宰相ギルヴァルトは、切れ者だった。私が国境結界を最適化してみせると、すぐにその価値を政治的に見抜いた。
「見事なものですな、フィリア殿。国境結界の最適化、竜人国の誰にも成せなかった技でございます」
「前世の……いえ、私の技術を、今度は自分のために使うだけですわ」
ギルヴァルトは、ちらりとヴォルグを見やった。
「……将軍、また眉間に皺が。それでは口説けませんぞ」
「……黙れ、ギルヴァルト」
「茶葉を選ぶのに三時間悩んだお方が、よく言いますな。ふぉっふぉ」
「……あれは、彼女の魔力回復に、最適な配合を吟味していただけだ」
(三時間……。無愛想な戦神の見た目で、そんな不器用なことを)
思わず頬が緩む。この国に来てから、私はよく笑うようになった。
*
そんなある日――ソルヴェリアから使者が来た。
「失礼いたします。ソルヴェリアより、使者が参っております」
セラフィーナが告げると、みすぼらしい旅装の男が転がるように広間へ入ってきた。
「どうか、どうか太陽の再点灯を! 国民が凍え死んでしまいます! フィリア様、お戻りを――!」
私は、穏やかに微笑んだ。
「苦情は、受け付けません」
使者が凍りつく。
「そ、そんな……! 私が悪かった! 詫びる、いくらでも詫びるから!」
「私を無能と断じ、追放したのはそちらです。今さら戻る理由が、どこに?」
聞けば、アルデスとユーナは、既に失脚したという。無能を追放した愚王と、光を一秒も維持できなかった偽聖女として。今や玉座も名誉も失い、暗く凍える城で、ただ震えているのだと。
「ユーナは……ユーナは偽物だった! 一秒も、光を維持できなかったのだ!」
「ええ、存じております。祈るだけの飾りでしたものね。……あなた方が、そう仰ったように」
ざまぁ、というのは――こういう気分を言うのだろう。
私は、ゆっくりと使者に告げた。
「ただ――関係のない民が凍えるのは、本意ではありません。ですから」
「で、では……!」
私は契約書を差し出した。前世式の、きっちりとした条件書き。
「適正価格で、光を供給いたします。技術者として。国家インフラの対価は、正当にいただきます」
使者は、深々と頭を下げた。
「……承知、いたしました。何卒、何卒お願い申し上げます……」
(もう二度と、私の労働がタダで搾取されることはない)
使者が去った後、ギルヴァルトが感嘆の息を漏らした。慈悲と商才を同時に見せた私を、彼はますます高く評価したようだった。
*
その夜、ヴォルグが私を城の露台へ連れ出した。
凍てつく空気。けれど今の私は、温かな外套に包まれている。
「フィリア。……夜空を、見たことは?」
「一度も。私はずっと――光の国にいましたから」
生まれてから百年近く、私が見上げてきたのは、自分が灯した人工太陽だけ。眠らず、休まず、供給し続けた光。
夜を知らなかった。星を知らなかった。
「……見てみろ。上を」
ヴォルグが、そっと空を指さす。
私は、顔を上げた。
――息を、呑んだ。
漆黒の天蓋に、無数の星が瞬いていた。銀の砂を撒いたような星々。淡く流れる光の帯。凍てつく夜だからこそ澄み渡る、どこまでも深い宇宙。
「……っ。こんなに……こんなに美しいものが、闇の向こうに隠れていたなんて」
こんなに美しいものが、光を消した先に待っていたなんて。
光しか知らなかった私が、初めて手にした夜。
「あんたが灯す光もいい。だが……こういう夜も、悪くないだろう」
「ええ。……もう、眠らなくていい。もう、一人じゃないのですね」
涙が、また頬を伝った。今度は、悲しみの涙ではなく。
隣で、ヴォルグがわずかに口元を緩めた――ように見えた。氷血の戦神の、誰も見たことのない表情。
過労死した前世も、搾取された今世も、全部越えて――私は今、初めて自分のために生きている。
「ヴォルグ」
「なんだ」
「明日は、あなたに魔導技術を教えてさしあげます。……授業料は、いただきますけど」
「……高いのか」
「さあ? 苦情は、受け付けませんので」
ヴォルグは、少しだけ黙った。それから、静かに言った。
「……ならば、一生かけて払おう」
「……っ、そういうことを、平然と仰らないでください。ずるいわ」
星が、静かに瞬いていた。
光しか知らなかった聖女が、初めて見上げた夜空の下で。
竜人国の技術革命は、まだ始まったばかり。そして、この不器用な戦神との物語も――きっと、これから。
(了)




