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かつて、私はメスガキだった。

風邪で弱った僕は、義妹に何度でも「分からされ」る

作者: モコナッツ
掲載日:2026/06/16

 意識が沈み切る直前、ガチャリ、と玄関の鍵が開く音がして俺は薄らと目を開けた。


 やたらと現実感が薄い。エアコンの送風音と、加湿器の蒸気の小さく噴き出す音だけが部屋に満ちている。汗で湿ったパジャマが肌へ張りつく感覚もどこか曖昧だった。どうやらまだ、熱は下がっていないらしい。


 時計は正午を少し回った所を指していた。朝から何も食べていない。

 薬だけ飲んで、水を飲んで、寝る。汗をかいて、また寝る。その繰り返し。


 喉が渇いているのに起き上がるのが億劫で、枕元のスマホに手を伸ばすことすら面倒になっていた。


「ただいまー……って、あれ?」


 小さく聞こえる声と、トタトタと階段を上がってくる軽い足音。


 テスト期間中だから今日は早く帰ると言っていた。両親は仕事でいない。つまり今この足音は必然、義妹のもの、という事になる。


 ドアが開く。


 制服姿のままで部屋を覗き込んだ義妹は、露骨に眉を寄せた。


「うわ。お兄ちゃん、本格的にやばそーじゃん」

「……ん……」


 返事のつもりが、声が潰れて言葉にならない。


 その様子を見た義妹は鞄を床へ置くと、わざとらしくため息をついた。


「あーあ、ほんとは帰ったら勉強するつもりだったんだけどなぁ。テスト期間中なんだけどなぁ。そんな顔で寝られてたら集中できないじゃん」


 その声は言葉とは裏腹に妙に弾んでいる。義妹は困ったように笑いながら、少しだけトーンを落とす。


「……しょうがないなぁ、今日は特別だよ? 少し……ほんの少しだけ、私がお世話してあげる」


 ベッドの横まで来た彼女は、俺の額へ手を置いた。外から帰ってきたばかりの掌が、熱を持った皮膚へじわりと沈み込む。


「熱っ……朝、『だいじょうぶ』とか送ってきたくせに、全然大丈夫じゃないじゃん。ほら、髪も汗でぺたぺた。強がった割に寝込んでるだけとか、ほんとお兄ちゃんって、ざこだねぇ」

「……うるさい……」

「へぇ。うるさいって言える元気はあるんだ?」


 義妹は少し笑うと、部屋の空気を吸い込んだ。

 その瞬間、ぴたりと動きが止まる。


「……うわ。部屋、空気こもってる。薬と汗と、ずっと寝てた人の匂いする。くっさぁ、気持ち悪ーい」

「……窓、開けて……」

「はいはい」


 そう言いながら、義妹は窓を開ける前になぜかこちらへ顔を近づけてきた。

 走って帰って来たのだろうか。義妹の首筋も少し湿っていた。制服の袖の隙間から、制汗剤の名残りのような酷く甘ったるい匂いがする。


 義妹は俺の首元に鼻を近づけてくすりと笑った。距離が近い。お互いの匂いが、溶けて混ざりあったような気がした。


「ちょっと待って。……もしかしてこれ、お兄ちゃんの匂いなの?」

「やめろ……」

「えー、だってすごいよ? はぁぁ……ちゃんと病人の匂いがする。汗かいて、着替える元気もなくて、布団の中で一人でぐったりしてましたー、って匂い」

「嗅がないで……」


 情けない声が出た。

 自分でも驚くほど弱い声だった。

 義妹は目を細める。


「あはっ♡ おもしろーい。『やめて、嗅がないでー』だって。看病してもらう立場なのに態度だけは一人前なんだ?」

「……ほんと、やめろ……」

「ふふ。じゃあ、ちゃんとお願いしなくちゃね。『お願いします、辛いから着替えさせてください』って」


 言えるわけがない。義妹に服を替えさせてもらうなんて兄としてあまりにも終わっている。

 そう思うのに、体は重く、背中のパジャマは汗で冷え始めていて、気持ち悪さだけがじわじわ増していく。


「……あとで、自分で……」

「はい出たー。今できない人の『あ・と・で』」


 義妹は窓を少し開け、部屋に冷たい空気を入れた。それからタンスを開け、新しいTシャツとタオルを取り出す。


「ほら、起きろー♡」

「……むり……」

「ふーん、さっきまで偉そうに『やめろ』とか言ってたのに、起きるのは無理なんだ。でも、口でダメって言ってても、背中はもう汗でびしょびしょなんでしょ?」

「……やめろ……」

「またそれ? やめてほしいなら、ちゃんとお願いしなきゃ」


 背中へ腕を差し込まれる。


「うっ……」

「うっわ酷っ。ほら、こんな濡れてるじゃん。やだー、べたべたしてるー」


 義妹の細い腕に、熱で弱った体は簡単に引き起こされた。上体が起きるだけで頭がくらりとして、思わず義妹の肩へ額が落ちる。


「わ、重っ……でも、寄りかからないと座ってられないんだ?」

「……」

「あれー? さっきまで偉そうだったお兄ちゃん、どこ行ったのかなぁ? かわいそー。もう私が支えてないとつらくて起き上がれないんだね♡」


 義妹の声が、耳元で少し笑った。


「ほら。ちゃんと言って」

「……なにを……」

「『着替え、手伝ってください』って」


 喉が詰まる。


「ほら言えよ。言って、楽になっちゃえ」


 熱のせいで頭がぼんやりしている。抵抗したいのに、背中を支えられている安心感の方が強くて、言葉がうまく出てこない。


「……手伝って……ください……」

「うん。よく言えました」


 満足そうな声。

 それから、汗で湿ったパジャマの裾が持ち上げられる。

 肌へ張りついていた布が剥がれるたび、冷たい空気が触れて、ぞくりとした。義妹はからかうように笑いながらも、動きだけは丁寧だった。


「うわぁ……ほんとにべとべと。気持ち悪ーい。こんなになるまで一人で我慢してたんだ。水も飲まずに、着替えもせずに、スマホ取るのも面倒で、布団こんなになるまでぐしょぐしょに濡らしてたんだ?」

「……言うな……」

「強がってもダメだよ? お兄ちゃんはもう、私にされるがままなんだから」


 濡れタオルが首筋へ触れる。

 冷たさが、熱を持った皮膚へゆっくり染み込んだ。


「あっ」

「あっ、だって♡ 情けない声出しちゃうくらい、冷たくて気持ち良かった? 我慢しなくて良いからね」

「……違う……」

「違わないよ? ほら、首拭かれて、ちょっと大人しくなった。お兄ちゃん、口では文句言ってても、体は正直だね。すぐ楽な方に従うんだ?」

「……」

「何とか言いなよ、よわよわお兄ちゃん。ざーこ♡」


 単語だけなら腹が立ったと思う。

 けれど、自分の状態を一つ一つなぞられて、その最後に置かれると、反論できなかった。汗で濡れて、起き上がれなくて、支えられて、首を拭かれて、黙っている。


 全部本当だった。

 そして言葉はともかく、それを嫌な顔ひとつせずにお世話してくれている。

 何か言えるはずもない。


 義妹がTシャツを広げた。


「はい、腕。出せる?」

「……出せる」

「じゃあ出して」


 俺はゆっくり腕を上げた。

 それだけで息が上がる。

 義妹はその様子を見て、小さく笑った。


「さっきまで着替えも自分でやるって言ってたのに、今は腕出すだけで精一杯なんだ? えらいえらい♡ ちゃんとお世話される姿勢になってきたじゃん」

「……腹立つ……」

「でも、逆らえないんでしょ?」


 Tシャツが頭から被せられる。

 袖へ腕を通され、裾を直される。義妹の手が胸元から脇腹の布を整えていくたび、自分が完全に着替えさせられていることを思い知らされた。


「はい、着替え終わり」

「……」

「あれ? ありがとう、が聞こえないよ?」


 反射的に言い返そうとした。


 でも、義妹は俺の体を支えたまま、逃がさないように顔を覗き込んでくる。


「義理の妹に汗だくのパジャマ脱がせてもらって、首も拭いてもらって、新しい服まで着せてもらったんだよね? 看病してもらう立場なのに、まだ偉そうにしてる可哀想な人、だーれだ?」

「……ありがとう……」

「ん。よく出来ました。じゃあ、良い子にはご褒美をあげないとね」


 義妹は満足げに頷くと、今度はゼリー飲料を持ち上げた。


「次、これ飲みなよ」

「……自分で……」

「飲めるの?」


 手を伸ばそうとして、指先が震えた。

 義妹はそれをじっと見ていた。


「ほら。今の見た? パウチ一個持つだけで手が震えてる。なのに『自分で』って言ったんだ。みっともなぁい♡ 見栄っ張りのざこざこお兄ちゃんは、まだ自分が元気なつもりなんだ?」

「……」

「違うよ。今のお兄ちゃんは、私に支えてもらって、着替えさせてもらって、ゼリーも赤ちゃんみたいに飲ませてあげないとダメな病人さんなの。分かった?」


 分かりたくなかった。

 けれど、分かってしまっていた。

 義妹は俺の背中を支え直し、パウチの先を唇へ近づける。


「ほら、お口あーんして」

「……」

「開けないなら飲めないよ。薬飲んだんでしょ。胃に何か入れないと気持ち悪くなるよ? ほら、あーん」


 正論だった。

 俺は少しだけ口を開ける。

 冷たいゼリーが喉へ流れ込んだ。


「……ん」

「うん、ちゃんと飲めたね♡」


 義妹の声が柔らかくなる。

 けれど、すぐにまた意地悪な響きが戻った。


「さっきまで『自分で飲める』って言ってたのに、今は口開けて待ってるだけ。妹にゼリー飲ませてもらって、ごくごくして、ちょっと楽になってる。そういうところ、ほんと赤ちゃんみたい。ざーこ♡」

「……やめろ……」

「やめてほしいの?」


 俺は目を閉じた。

 悔しい。でも、体は楽になっている。

 熱で重かった頭も、冷たいゼリーが喉を通るたび、少しだけ戻ってくる。


「ほら、ちゃんと言いなよ。言え」


「……もう少し、飲ませてください……」


 義妹が息を呑む気配がした。

 それから、ひどく嬉しそうに笑う。


「うん……いいよ」


 パウチの先がまた唇へ触れた。

 今度は、俺も逆らわなかった。


 背中を支えられたまま口を開けて、ゆっくりと飲み込む。ゼリーの冷たさ。義妹の手の温度。少し開いた窓から入る空気が混ざって、体の境目が曖昧になっていく。


「えらいねぇ、お兄ちゃん」

「……子供扱いするな……」

「だって今は、子供より手がかかるもん。汗かいても着替えない。喉乾いても水飲まない。しんどいのに『大丈夫』って嘘つく。そんな面倒くさいお兄ちゃん、私が見てないと駄目じゃん」


 その言葉に何も返せなかった。

 義妹の指が汗で湿った髪をゆっくり梳く。


「でも、今日だけは許してあげる」

「……なにを……」

「駄目になるの」


 その声は、さっきまでの煽りよりずっと静かだった。


「テスト勉強はあとでやる。今はお兄ちゃんがちゃんと水分取って、着替えて、寝るところまで見る。だから今日はもう変に偉そうにしないで、私の言うこと聞いて。ほら、返事は?」

「……はい……」


 義妹は小さく笑って、耳元で囁く。


「よくできました」


 その言葉に合わせるように義妹の指が頬を、そして髪をゆっくり撫でた。


 汗で湿った前髪を指先で梳かれ、熱を持った額へ冷たい掌が触れる。たったそれだけなのに、張り詰めていた何かがじわじわ緩んでいく感覚があった。


 熱のせいだ。

 きっとそうだ。


 普段ならこんなふうに世話を焼かれて、大人しく従って、褒められている状況に耐えられるわけがない。

 なのに今は、背中を支えられている安心感から抜け出せなかった。


「……お兄ちゃん、なんかすごい静かになった」

「……喋る元気、ないだけ……」

「へぇ……」


 義妹は笑う。

 分かってるくせに。

 その上で、わざと見下ろすみたいに言葉を落としてくる。


「でもさっきまで、『自分で飲める』とか『あとで着替える』とか、結構偉そうだったよね。それが今は私に支えられて、飲ませてもらって、『もう少し飲ませてください』ってお願いまでしてるんだ?」

「……」

「ふふ。分からされちゃったねぇ」


 悔しい。

 悔しいのに、反論しようとすると喉が詰まる。

 その沈黙を肯定と受け取ったのか、義妹はさらに体を近づけてきた。


「ほら、もう一回口開けなよ」


 またパウチが唇へ触れる。

 今度は、自分から少しだけ口を開いてしまった。

 冷たいゼリーが喉を通る。

 ごく、と飲み込んだ瞬間、義妹の肩が小さく揺れた。


「わ、とうとう自分から飲みにきた」

「……っ」

「すごっ。もうこれ完全に介護される側じゃん」


 そのまま、義妹の指が俺の喉元へ触れる。


「ふふっ、ちゃんと飲み込めてるか確認してあげるね」

「……やめろ……」

「なんで? だってお兄ちゃん、熱でぼーっとしてるし。ちゃんと見てないと危ないもん」


 言い訳みたいに言いながら、義妹の指先はゆっくり喉仏をなぞった。

 飲み込むたび、そこが上下するのを面白がるみたいに。


「……っ」


 体が、びく、と震えた。


「あっ」


 義妹が目を丸くする。


「なに今の。ちょっと触っただけなのに、そんなに反応しちゃったの?」

「……ちが……」

「違わないよね? 喉触られただけでビクン、ってなった」


 義妹は少しだけ黙る。

 それからひどく楽しそうに笑った。


「へぇー……」


 その声に嫌な予感しかしなかった。

 案の定、義妹は逃がさないみたいに俺の背中を支え直す。


「お兄ちゃんってさ。熱出すと、ほんと弱くなるんだね」

「……うるさい……」

「だってそうじゃん。普段なら絶対こんな顔しないもん」


 指先が、また喉を撫でる。


「汗だくで、ふらふらで、私に着替えさせられて、飲み物まで飲ませてもらって。その上、ちょっと触られただけでビクビクってしてる」

「……っ」

「ざーこ♡」


 その言葉と一緒に、喉を軽く撫でられる。

 また体が跳ねた。

 義妹は完全に面白がっていた。


「うわ、また」

「……やめ……」

「なんで? 別に変なことしてないよ? 飲み込めてるか確認しただけ」


 そう言いながら、義妹の指はやめない。

 喉から首筋へ、ゆっくり熱を確かめるみたいに撫でていく。


 冷たい指先。

 熱を持った皮膚。

 その温度差が、ぼんやりした頭へじわじわ染み込んでくる。


「お兄ちゃん、今すごい従順」

「……っ」

「さっきまで偉そうだったのにね。『やめろ』って言いながら、ちゃんと口開けるし、飲ませたら大人しく飲むし、触られても逃げない」


 逃げられなかった。

 熱で力が入らない。

 それに義妹へ寄りかかっているこの体勢が、思った以上に楽だった。


 気がつくと俺は、妹の制服の肩に頭を預けていた。

 ショートカットの髪が頬をふわりとくすぐる。

 こんな状況で、妹にお世話されて安心している自分が酷く情けなかった。


「ごめんな……」


 妹は一瞬だけ黙った。

 それから、少しだけ嬉しそうに笑う。


「今日はそれでいいんだよ」


 また髪を撫でられる。


「だって、今のお兄ちゃん一人じゃ何もできないもん。だから辛い時は無理せず、私を頼ってくれていいんだよ?」


 そう言った後、妹はふいに少しだけ体を震わせた。

 そして気付いたように、声を顰める。


「あれ? お兄ちゃん……ここも辛そうだよ? ……ねえ、お兄ちゃん。他にも何か私にして欲しいこと、あるんじゃない?」


 心臓の音が鳴った。違う。これはきっと熱のせいだ。

 やめろ、近づくな。聞かないでくれ。

 そう思っているのに、言葉が出ない。


 妹は俺の手を包むように握ると、少しだけ首を傾げた。


「そんなに我慢しなくていいのに」


 そう困ったように笑ってから、耳元で囁いた。


「ほら……お願いしなよ」




 お、俺は……






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