9話
頬に冷たくて硬い感触。
…ル……シェル……。
頭が痛くて目も開けられない。
昔の夢を見ていたような気がするけど、何も思い出せない。
「アシェル!」
誰かの声で起こされて、慌てて立ち上がろうとするも体に力が入らなかった。
床に倒れたまま、ゆっくりと視線を動かす。僕は確か――。
「フェル、無事だったの?」
「なんとかな」
フェルは僕のすぐ近く、木箱の陰に伏せていた。
息が荒い、どこか怪我をしているみたいだ。
「アイツらは?」
「先に止血しろ。使えるって言ってただろ」
言われて思い出す。そうだ、お腹を刺されたんだった。
服越しに刺された場所を触ると、手にぬるりとした液体が付着した。こんなに血が出るのなんて初めてだ。
頭がふらつくのは出血のせいだろうか。幸い死ぬほどの量ではなかったらしい。
「お前が起きてよかった。ヤツらが揉めてるうちに作戦を考えるぞ」
アミュレットに刻まれた術式に魔力を流し、お腹を抑えて傷口を塞ぐ。止血の魔術は生存のために最低限必要なものだといって院長に持たされたものだ。
集中できないほどの痛みじゃなくて良かった。怪我が大きすぎると痛みは案外感じなくなるものなのかもしれない。
「今更何怖気づいてんだ。俺たちは貴族に喧嘩売ってんだぞ!!」
ヤツらの言い争う……というよりは、一人が一方的に怒っている声が聞こえる。口ぶりからして、後から倉庫に戻ってきた三人目の男だろう。
「き、貴族に喧嘩を売ったのはお前だろ。オレたちはただ……お前に付き合えば楽に稼げるからって誘われただけで」
「はぁ? 共犯に決まってんだろうがバカが。あのガキには顔見られてんだぞ。殺す以外ないだろうが!」
どうやら、僕たちの始末をどうするかで揉めているらしい。
倉庫で見張りをしていた男たちは、多分人殺しまでするつもりはなかったのだろう。猫を攫って金をせしめて、逃げおおせておしまいのつもりだった。けど、三人目はそうじゃない。
「ヤツらの主導権はあの男が握ってる。このままだとオレもお前も殺される」
フェルに言われて体に力を込めてみる。かなりふらつくけれど、どうにか立てそうだ。
けど、こんな有様じゃヤツら――特にあの三人目の男には勝てないだろう。
「フェルだけなら、逃げられる?」
「バカかお前は。片方だけ逃げるならお前だろ」
呆れがちに溜息をつかれてしまった。
「僕は……走ったりは難しいかもしれない。立ち上がるくらいはなんとかできそうだけど」
「こっちも似たようなもんだ。多分どっか折れて……いや、ヒビか?」
痛そうに顔をしかめ、自分の前脚をゆっくりと舐める。
余計に痛くなったりしないんだろうか?
「いいか、この状況から二人共逃げ切るのは不可能だ」
僕は頷いた。アイツらは僕たちに顔を見られたことを気にしている。まず逃がしちゃくれないだろう。
殺しに抵抗を持っている人もいるみたいだけど、それで見逃されることには期待できない。
「だから、主人とのリンクを再接続する」
「リンク?」
「使い魔には主人との間に繋がりがある。それを通して、主人は使い魔と感覚を共有したり、手練れの魔術師なら使い魔を通して魔術を行使することもできる」
つまり、フェルは主人から連れ戻されないためにリンクを切って単独で動いていて、そのために捜索依頼が出されていたってことか。予想は当たっていたようだけど、使い魔を通して魔術を行使できるというのは初めて聞く話だった。
「そのリンクを繋ぎ直せばなんとかなるの?」
「多分な。というか、既にやってる。ただ距離が離れてるからもうしばらく時間がかかる」
――つまり。
僕は脇に積まれていた木箱を支えにゆっくりと立ち上がる。こちらを見上げてくるフェルの視線をじっと見つめ返し、次の言葉を待った。
「もう一度だけお前の手を借りる必要がある。手伝ってもらえるか」
「もちろん」
頷いて、フェルに向けて拳を突き出した。
フェルはその拳に額をぶつけることで返してくれる。柔らかい毛並みが指に触れてくすぐったかった。




