18話
扉の先に足を踏み入れると、すぐに肌を締め付けるような圧力に足が止まる。まるで……そう、まるで何かに鷲掴みにされているような感覚。
レンガは寸分の狂いもなく敷き詰められ、継ぎ目がほとんど見えないせいでレンガであることに気付かないほどだった。灰一色の壁かと錯覚し、それもミレナの不安を加速させた。
狭い通路にも関わらず足音が全く反響しない。何もかもが異質で、初めての空間だった。これが、禁書庫?
立ち止まるな。唇を強く結び、脚に力を込め灰色の通路を進んでいく。アーシャはこの先だろうか。早く止めないと……。
通路を抜けると、広い空間に出た。
ここまでと同じく継ぎ目の目立たないレンガ造りの、真四角の空間。今入ってきた通路の他にもいくつかの通路に繋がっており、アーシャはちょうどそこに入ろうとしていたところだった。
「アーシャ!」
声を張り上げて呼び止める。アーシャの肩が跳ね、すぐにこちらを振り返った。
「ミレナ?」
「よかった、すぐに追いついた」
ほっと胸を撫でおろす。困惑している様子のアーシャに駆け寄り、二の腕を掴んだ。
抵抗はない。振りほどいて逃げられるようなことはなさそうだという事実に僅かに気が緩む。
「ここは立ち入り禁止だって知ってるでしょ。寮に戻ろう」
「ミレナこそ、どうしてこんなところについてきたの?」
「それは……」
術式を読んで、もしかしてここを破るんじゃないかって思ったから。
とは言えず、どう説明したものかと迷う。
私が口ごもっていると、アーシャは言葉を続けた。
「先生の許可を貰ってるから大丈夫だよ」
「え、先生の?」
先生の許可?
たしかに、アーシャが一人でやるとは考えづらい。そして、誰かに指示されたとすれば、先生くらいしかないだろう。
しかし、先生の許可を得ているとしてもおかしな話だ。だって、ここに入れるのはシェラトゥ教団の中でもごく一部の人間で、それも独断で入れるわけじゃないって聞いたことがある。
正式に許可を得ているのであればこんな夜中にこっそりと侵入する必要なんてない。
つまり、これは……。
「ご苦労だったね、ルクシアさん」
背後からの声に振り返る。授業でよく聞いた、通りの良い優しい声色。
「エルネス……先生?」
「こんばんは。君がここにいるのは予定外だね、グレイフォードさん」
さわやかな笑顔で、たまたま廊下ですれ違ったかのようないつも通りの挨拶。それが不気味で、自分の顔が引き攣るのを自覚する。
エルネス先生が、アーシャに禁書庫の封印を破らせた?
ここの封印を破れる可能性のある人間は限られている。エルネスが以前言っていた基幹術式を知る人間――当然、エルネス自身もその一人だ。そして、アーシャとの接点。
咄嗟にエルネスに向けて腕を構え、いつでも〈盾〉が発動できるよう備える。けれど、エルネスのほうは全く構える様子がない。ただいつも通り、自然体でそこに立っていた。
それが、空間の異質さと不釣り合いで余計に気味が悪い。
「そう警戒しないでくれ。キミたちをどうこうするつもりなんてないよ」
エルネスは肩を竦め、腕を広げてみせる。敵意がないことを示しているつもりだろうか。
アーシャがミレナの名を呼び、不安そうに肩を掴んだ。一度アーシャに頷いてみせ、それからエルネスに向き直る。
「エルネス先生。あなたがアーシャを唆したんですか。基幹術式を教え、禁書庫の封印を破り、ここへの侵入を手引きさせるために」
「その通りだよ。加えて言うなら、封印を破るための術式も僕のお手製だ」
よく出来ましたと言うように軽く拍手してみせる。
「どうしてアーシャにやらせたんです?」
「理由はいくつかあるけれど、無属性の魔術適性が高かったからというのが大きいかな。術式の理論だけは完璧だったけど、僕では適性が足りずに扱えなかったんだ」
他の理由。ルシス族で孤立していて、常識に疎く、先生の言うことを聞いてくれそうな生徒だったから?
あまり考えたくなかった。だとしたら酷い裏切りだ。自分を慕っているのをいいことに、犯罪の片棒を担がせるなんて。
「何のためにこんなことを?」
「質問が多いね」
わざとらしく溜息をついて見せる。そう言いながらも、意外なことに説明は続ける。
「グレイフォードさんは僕がシェラトゥ教団を裏切ったとでも考えているかもしれないけれど、それは大きな誤解だよ。これは教団の上層部から、正式に依頼された仕事なんだ」
「そんなの嘘に決まってる」
「残念ながら、嘘じゃない。本当のことさ」
その言葉を聞いて、アーシャがミレナの肩を揺する。釣られてエルネスから視線を外してしまうものの、エルネスは何もしなかった。
「あの、どうしたのミレナ。先生が良いって言ってるんだから、大丈夫なんじゃないの?」
「……ううん、違うの。これが本当に許可を得ているなら、こんな風にこそこそと侵入する必要なんてないでしょ。エルネス先生は、もしかしたら本当に上層部の依頼でやっているのかもしれないけれど、それは教団が許可をしたって意味じゃない」
おそらく、教団の上層部のごく一部の人が、何らかの目的でエルネス先生にやらせたことだろう。
そして、先生はそれを引き受け、単独では無理だったためアーシャを使った。
「君は本当に賢いね」
こちらがその推測に行き当たったことを察したのだろう。エルネスは目を細め、ミレナを品定めするように視線を注いだ。
「それで、君たち二人はどうするんだい?」
力づくとなれば生徒の力では全く歯が立たないだろう。それでも、すぐに実力行使に出ないのは、まだ交渉の余地があるからなのか。
わからなかったが、そこに賭けてみるしかなかった。
「私たちは寮に戻ります。何も見なかったことにするので、そこを通してください」
外に出ることさえできれば、あとはなるべく大勢にこのことを通報すればいい。例え教団の上層部が依頼したことだろうと、揉み消せないだろう。
「残念だけど、君を行かせるわけにはいかないんだよ、グレイフォードさん」
アーシャの手を掴んで歩き出そうとしたところを止められる。恐れや焦りを悟られないよう、毅然と睨み返すが、エルネスの態度は変わらない。
「なぜですか?」
「ルクシアさんだけなら良かったんだ。いくらでも丸め込めただろうし、黙っているよう頼めば黙っていてくれただろうしね。けどね、君はダメなんだ。君は七神の敬虔な信徒で、こんなことを放っておける人間じゃないだろう」
話しながら、エルネスは懐から何かを取り出し、同じく懐から取り出した頑丈そうなワイヤーと繋いでいく。そうして、ワイヤーの半ばを掴んで円を描くように振り回して見せた。
ワイヤーの先端に繋いだのは、金属製の杭のようだ。どんな特性のものかはわからないけれど、あれが武器であることは説明されなくてもわかる。
「……アーシャは下がってて」
肩を掴むアーシャの指を解く。安心させるために笑顔を浮かべてみせたけど、上手く出来たかはわからない。頭がのぼせたように熱く、震えが止まらなかった。
「抵抗しなければ、アーシャは大丈夫だと思うから。黙ってそこで見ていて。
もしもエルネス先生につくなら、後ろから撃たれても私は文句は言わない」
手を離してエルネスに向き直る。今まで試合でしか戦ったことがないミレナにとって、奇跡が起きても勝ち目のない相手。戦いを教える先生ではないけれど、だからといって戦いが不得手なんてことはないだろう。あんな武器を持ち歩いていることからも、それは明らかだ。
しかし、勝ち目がないことは不正を……神への冒涜を見過ごす理由にはならない。
エルネスに腕を向け〈盾〉を構えた。
音の反響しない部屋で、ワイヤーが空気を裂く音だけが響いている。




