14話
事件は魔術戦闘の授業中に起きた。
先生がいればあんなことにはならなかっただろうけど、その日に限ってリーヴェン先生は急用で席を外し、生徒たちは事前に決められた組み合わせで試合を行うことになっていた。
その日の私の相手は、例の図書塔で騒ぎを起こしたリディアの取り巻きの一人――エレノアだ。
セラやリディアほどではなくとも優秀で、もちろん私と違って基礎魔術の併用も当たり前にこなすことができる。
先生に教わった通り、まずはお互いに一礼し、術を発動する準備のために腕を向け合った。
使用できる魔術は〈盾〉と〈魔力の矢〉のみ。試合用に威力を落とした術式になっているため、当たっても致命傷にはならない。
先生が言うには、基礎を十分に身に着けている者同士であれば、魔力切れでしか決着はつかないらしい。理由は単純で〈盾〉を維持できていれば〈魔力の矢〉で破ることはできないからだ。
とは言ったものの、それはあくまでも十分に身に着けていればの話で、実際に生徒同士でやるとはっきりと優劣がつくことのほうが多い。
合図と共に、お互い即座に〈盾〉を展開する。ほぼ同時に、エレノアの放った〈魔力の矢〉が私の〈盾〉にぶつかって弾けた。
〈盾〉が揺れる。続けざまに二度三度と衝撃が伝わり、冷静さを失わないために意識して息を吐いた。
〈盾〉の術式はいくつかの種類がある。私たちが使っているのは腕を向けている方向に薄い透明な膜のようなものを展開し、その膜が相手の攻撃から身を守ってくれるというものだ。
それを維持し続けるには術式に魔力を流し続ける必要があり、例えば焦り、恐怖、痛みから維持に失敗することもある。
それに〈盾〉は魔力を流し続ければ修復されるものの、防戦一方になってしまうと消耗のほうが勝って破壊されてしまう。
私は〈魔力の矢〉の切れ目を狙って〈盾〉を解除し、距離を保ちつつ大きく弧を描くように駆けだした。
当然、エレノアはこちらに対して腕を向け直す。次の〈魔力の矢〉が飛んでくるのを見て、咄嗟に跳んで着弾点から身体を逃がすと、背後で続けざまに軽い衝撃音が響く。
〈盾〉と〈魔力の矢〉の併用ができない私が勝つには、相手に合わせてどちらを使用するか切り替え、可能な限り〈盾〉を使わずに攻撃を凌ぐ必要がある。
相手の魔術を先読みして避けたり、〈魔力の矢〉で〈魔力の矢〉を撃ち落としたり。かなり神経を使うし、こんな手はセラやリディアには通じない。
着地と同時に地面を滑りながら向き直り、空中で準備しておいた〈魔力の矢〉を放つ。放った三発はすべてエレノアの〈盾〉に命中し、動揺からか、視線が揺れたのを私は見逃さなかった。
咄嗟に撃ち返してくるものの、あの軌道では私に当たらない。いつものエレノアなら、多少動揺することはあっても、ここまで外すだろうか?
そんな思考が頭をよぎったけれど、気にしている余裕はない。こちらからも遠慮なくぶつけて〈盾〉を削っていく。すぐ足元に〈魔力の矢〉が着弾し、一発頬を掠めそうになったけど構わない。
このままやれば削り切れる。自分に当たりそうな一発にだけ矢をぶつけて撃ち落とし、残りをすべて〈盾〉に叩き込んだ。
軽い破砕音と共に〈盾〉が砕け散り、防御をすり抜けた矢が額に命中する。
衝撃と共に大きく後ろに仰け反り、エレノアは背中から地面に倒れた。
「そこまで。勝者ミレナ」
審判役が真っ直ぐに手を挙げ、試合の終了を宣言する。
本来ならお互いに一礼して終わりになるのだが、エレノアはなかなか立ち上がらなかった。腕で顔を覆っているし、もしかしたら泣いているのかもしれない。
審判役に目配せされ、私は仕方なく相手を待たずに一礼した。
自分の待機場所に戻り、アーシャの隣に立って振り返ると、エレノアはリディアたちに助け起こされているところだった。
やはり泣いていたらしい。涙はもう拭いたようだったが、目尻が微かに赤い。
「ズルじゃんあんなの……。真正面から正々堂々やりなさいよ!」
実はそんなことを言われたのは一回目じゃない。私も直接攻撃を避けるのが許されるのかどうか最初は自信が持てなかったし。けど、リーヴェン先生から禁止されていないから問題ないとお墨付きを貰ったのだ。
それ以来、同じことを言われることはなくなったけれど、他に真似をしようという生徒はいなかった。
今日また言われた理由はわかっている。あの子は図書塔で問題を起こし、最近色々と上手く行かなくて荒れ気味の子。クラス内で聞こえてきた噂によれば、あの子の実家は敬虔なシェラトゥ信徒の家系で、実家からそうとう叱られたそうだ。
そして、今日はリーヴェン先生がいない。これが決定的だった。
私はあの子に対して何の反応もしないことに決めた。疲れていたし、私から何か言っても神経を逆なでするだけだと思ったから。リディアが慰めているし、任せておけばいいだろう。実際にズルなのかどうか、最終的に決めるのは先生なんだから。
「授業でも、家庭教師も、あんな戦い方なんて教えてない!
あの子以外誰もやってないじゃない。馬鹿みたいに飛び跳ねて、基礎も出来ないくせにあんなやり方で勝ちにくるなんて!」
言いながら声が震え、また涙が流れる。いつだって皴一つないリディアの制服が、強く掴まれて大きなしわを作るが、彼女はそれを気にかけずに高そうなハンカチを差し出した。
「落ち着きなさい。涙を拭いて、戻りますわよ」
けれど、エレノアはその手を取らなかった。
声は止まらず、激しさを増していく。堰を切ったように溢れ出すエレノアの叫びは、今日この場で起きたことだけに向けられているわけではないだろう。
ただ、自分との試合がきっかけになっただけだ。そう理解できても居心地は悪くなる一方で、そして冷静にそんなことを考えられる自分のことも、なんだか嫌になってくる。
「リディアも言ってたじゃない、あんな戦い方みっともないって!
セラとの初めての試合の時。セラも同じこと思ったでしょ!」
不満は同意を求め、次々に他人を巻き込む。けれど、リディアからも、セラからも望む言葉は出てこなかった。
代わりに降ってくるのは、あまりにも容赦のない一言だった。
「言い訳に巻き込まないで。あんたが弱いから負けたんでしょ」
リディアもエレノアも信じられないものを見るような目でセラを見た。いや、二人だけじゃない。他のクラスメイトたちの大半と、もしかしたら私も同じ目をしていたかもしれない。
当人は言うだけ言ったら興味を失ったらしく、エレノアたちに背を向けてそれきり黙ってしまった。
エレノアは一瞬放心したものの、次の瞬間にはこちらに鋭い視線を向けてきた。
ただ駄々をこねているだけだとわかっているけど、それでも心臓を鷲掴みにされたような緊張が走る。態度に出ないよう、身体に力を込めてなんとか平静を保った。
「ふざけないでよ。なんであんなキメラに味方するの!
みんな言ってたじゃない。みっともない戦い方だって、さすが獣だって!」
何人かが目を背ける。本当は耳を塞ぎたかったのかもしれない。
「取り消してください!」
その声は私のすぐ隣から発せられた。いつもなら絶対に聞かないような声量で。
アーシャがこんなに大声を出しているのは初めて聞いた。私は場違いにもそんな感想を抱いた。
「黙りなさいよ晶魔!
あなたも同類でしょ。貴族でもないくせに、場違いなのよあなたたちは!」
今でも、あんな行動に出たのが自分で意外だった。
エレノアがアーシャを罵倒した直後、耳鳴りがうるさく一瞬だけ音を失った私は、彼女に対して一歩踏み出していたらしい。彼女の瞳が震え、顔が恐怖に歪んで初めてそのことを自覚した。
そして、その瞬間にはもう、エレノアは〈魔力の矢〉を放っていた。
私に当たる寸前、アーシャの精霊が展開した灰色のカーテンのような壁がそれをかき消した。直後に展開されたリディアの〈盾〉が何かを弾いて大きく揺れる。
アーシャも〈魔力の矢〉を放ったのだと、私は遅れて理解した。




