5話
魔術を学ぶ学校とはいえ、どこでも好き勝手に魔術を使えるわけではない。日常生活で使うような些細な魔術であれば問題ないが、攻撃魔術など危険性の高い魔術を使用するのには場所を選ぶことが求められる。
そのため、ミレナは学校が用意した練習場に向かっていた。ちょうど校舎を挟んだ反対側にあるため、自然と校舎横を通ることになる。
気分が沈み、ついつい孤児院のことを思い出していた。だから、最初に見た時はそのせいで見間違えたのだと思った。普段なら学校にいないはずの人間。
「院長……?」
校舎の窓越しに、院長の姿を見た。どうしてこんなところにいるんだろう?
用事があって学校に来たのであれば、私が会いに行っても邪魔になるかもしれない。もしかしたら、私の成績について学校から何か言われるのかもしれない。良くない想像も働くけれど、それらの感情よりも会いたいという気持ちの方が勝ってしまった。
何か、例えば相談するとか、愚痴を聞いてもらうとか、そういう具体的なことを考えていたわけじゃなかった。ただ会って安心したかった。いつも通りに話をして、私の弱った心をほんの少しだけでもあの孤児院に連れ帰って欲しかった。
院長を追うように、昇降口から回り込んで校舎内へ入る。あちらは職員室の方向だ。院長が用事があるとしたらそこだろう。
今日は休日だから、学校の中はほとんど人の気配がない。人の気配がしない学校というのは、なんとなく不安な気持ちにさせるものがある。どこか遠くから、誰かの笑い声が聞こえるくらいで、それ以外は本当に静かだった。だからだろうか、職員室に少し近づいただけでその言葉は嫌にはっきりと聞き取れてしまった。
「どうですか、ミレナの様子は」
院長の声だった。誰かに、私のことを尋ねている。相手は、
「はっきり言って、才能の持ち腐れだ」
……時間が止まった気がした。
リーヴェン先生の声だ。はっきりとした、力強く通りの良い声。あの声で否定されると自分のすべてを否定されたような気分にさせられる。
気付いたら耳を塞いでしゃがみ込んでいた。続きを聞くのが怖い。先生は他に何を言うんだろう。院長は、それになんて返すんだろう。
院長が私のことを悪く言うなんて、私に失望するなんてないと信じてる。けど、だからこそ聞くのが怖かった。もしも、院長にまで否定されたら私は本当におしまいだ。
大人には大人たちの世界がある。私が抱いている大人たちのイメージなんて、その世界ではきっと何の保証にもならない。院長だって例外ではないかもしれない。そんな思考が止まらなくなる自分も嫌になり、逃げるようにその場から去った。
* * *
それから、どう歩いてきたのか思い出せない。
人目を避けて、いつの間にか校舎裏まで来ていた。このあたりには本当に何もなくて、滅多に人が通りかかることはない。だから、私以外にも人がいたのには驚いたし、彼らにも人目を避ける理由があるのは自然なことだった。
「偉そうにしてんなよ、晶魔」
ああ、聞いてしまったと思った。この学校にもそんな人間がいるなんてあまり信じたくなかったけれど、その言葉は確かに聞こえた。
晶魔。それは、ルシス族の蔑称だった。結晶の魔物だから、晶魔。
つまり、彼らのことを人間だと扱わない人間の呼び方。私が呼ばれた獣よりもきっと酷い意味が込められた、心無い悪意の塊。
校舎の角を曲がったところ、僅かに顔を覗かせて様子を伺ってみると、そこには三人の人間がいた。
二人はヒューム。角も耳もない、この都市では最も数の多い人たち。男子生徒で、胸元の徽章の色を見るに上級生だとすぐにわかった。見覚えは全くない。
そして一人はルシス。宝石のような角を持つ、私のクラスメイトだった。
「アーシャ…?」
灰色の角を持つそのルシスは、二人のヒュームによって壁に追い詰められていた。経緯はわからない。三人が知り合いなのかすらわからないけれど、少なくともアーシャは困っている様子だった。
正直に言うと、なんで今なんだとうんざりした気持ちになった。なんで今、こんな人たちの相手をしなければならないのだろう。けれど、アーシャを見捨てることはできなかった。私も種族を理由に心ない言葉を投げかけられる気持ちはよくわかる。
ルシスを差別するような人間なのだから、ヴィータである私のことも好意的にみられることはないだろうとはわかっていた。そういう人たちは大抵、私たちのことをキメラと呼ぶ。そう呼ばれるのが嫌で自分たちでヴィータという新しい名前を考えたのに、それをあざ笑うみたいに。
溜息をつき、一歩踏み出した。努めて平静に見えるように意識して顔を上げる。真っ直ぐに先輩たちの目を見つめ、震えないように気を付けながら言葉を絞り出す。
「こんなところで何してるんですか?」
言えた。震えてない。わたし、偉い。
私が唐突に現れたことで、先輩たちの視線はアーシャから私へ移る。かすかな苛立ちと、侮蔑の込められた視線。
「なんだお前?」
「いきなり何?」
この人たちは、私と話すのに何の勇気も必要としないんだろうな。
卑怯で不公平だと思った。そして、そんなものに負けたくはない。
アーシャは驚いた様子でこちらを見ていた。どうやら、怪我をさせられたような様子はない。少し安心した。
「その子に何の用ですか?」
先輩たちが噴き出すように笑う。へらへらと、こちらを馬鹿にしていることを隠しもしない。
「別に、礼儀を知らないみたいだったから、晶魔の立場ってのを教えてやってたんだよ」
「その呼び方、やめてください」
「はぁ。なんでお前に指図されんだよ」
段々と苛立ってきたらしい。かすかな魔力の高まりを感じる。まさか、こんなところで魔術を使うつもりだろうか?
どうしよう。もしも荒事になってしまったら、きっと勝ち目はない。入学したばかりで戦闘の基礎すら身につかない私では、きっと相手にもならないだろう。
けれど、先輩たちがそれ以上何かをすることはなかった。
「そんなところで何やってるの?」
柔らかな雰囲気の、優しい声だった。授業で何度も聞いている、馴染みのある安心する声。
その場にいる全員がそちらに視線を向けた。背が高くて整った顔立ちをしている、女子生徒に特に人気の男性教師。リーヴェン先生とは真逆の、真っ白な髪が印象的だった。
彼はエルネス先生。担当科目は封印学。
「なかなか来ないから探したよ。こんなところで、何かあったの?」
この状況と空気を見て、状況を察していないはずはないだろうけど、先生はそこについては触れなかった。ただ優しげに、アーシャのことを心配して声をかける。
先輩二人がたじろいだ。先生はそちらに視線を移し、言葉を続ける。
「この子に用事だったかな。私も用があるから、後にしてもらってもいいかい?」
先輩たちは無言のまま二、三歩後退り、顔を見合わせる。
「いえ、俺たちの用事は終わったんで」
「なぁ」
それだけ言って、そそくさと立ち去ってしまった。
先生は怒っている様子も、悲しんでいる様子もなく、ただただ呆れたように肩を竦めてみせた。それから、私たちに向き直る。
「グレイフォードさんと、ルクシアさんだね。大丈夫だった?」
それからいつもの調子で人の良い穏やかな笑みを浮かべる。この人ならなんでも許してくれるんじゃないかと錯覚しそうになるような、多くの女子生徒を虜にしてきた笑顔。




