第6話「新しい同室者、ミリアと母への想い」前編
目を開けた瞬間、見慣れない天井が視界に飛び込んできた。
薄いクリーム色の漆喰に、きちんと整えられた木の梁。窓の向こうから射し込む朝日が、花模様のカーテンを透かして床にやさしい影を落としてる。
静かで、どこか甘い香りが漂ってた。
(あー……知らない天井だ)
胸の奥がふわっとくすぐったくなる。前世では、こんな風に目覚めて胸が弾むことなんて一度もなかったのに。
ベッドの端に腰を下ろすと、足の裏にひんやりした床の感触。スピカ寮の部屋は屋敷よりずっと質素だけど、なんか落ち着く。
花とハーブを混ぜたような清らかな香りが、朝の空気に溶けて鼻先をくすぐってた。
「お姉様っ、おはようございますっ!」
ぱたぱたって小さな足音と一緒に、扉を勢いよく開けて黒髪の小柄な少女がぱぁっと笑顔を咲かせる。
「……お、おはようございますわ、ミリア」
ミリア・ノエル。私より一学年下の同室の子で、昨日からなぜか私を「お姉様」って呼んでくれる。
(これって完全に妹キャラのフラグじゃん! 可愛すぎですわ)
「ふふっ、よく眠れましたか? あ、リボンが少し曲がってますよ〜」
ミリアは嬉しそうに私の髪をそっと整えてくれる。鏡に映る自分は、まるで本当に妹に世話を焼かれてるお姉さんみたいで――思わず頬が緩んじゃった。
(うわあ……妹に甘えられるって、こんなにあったかいものなんだ)
朝食を終えて、教科書を抱えて寮の玄関を出る。外の空気は少し冷たいけど清々しくて、朝露に濡れた花壇の花々からかすかな香りが立ち上ってる。
「エレナ」
振り向くと、リュシアちゃんが玄関前に立ってた。銀青色の髪が朝日に透けて、マジで目を奪われるほど美しい。
(うおー! ヒロインの登場シーンって感じですわ!)
「おはようございますわ、リュシア様」
「……一緒に行く?」
少しだけ迷った後、私は頷く。
「ええ、ぜひご一緒させていただきますわ」
石畳を並んで歩く。初めての登校路なのに、隣にリュシアちゃんがいるだけで心強い感じ。
「昨日は急に来て驚いたわ。でも……寮の暮らし、慣れそう?」
「ええ、まだ少し寂しいですけれど……こうしてまたご一緒できて、安心しましたわ」
リュシアちゃんは一瞬だけ驚いたように目を瞬かせて、それからほんのり目を細めた。その表情は、氷の姫君って呼ばれてた頃の彼女とは思えないほど、優しかった。
(おお! これは明らかに好感度上がってるパターンだ!)
◆
午前の授業は香料学の基礎。瓶の中の花や樹脂の香りを嗅ぎ分けて、名前を答える――私にとっては得意科目。
同じ教室の男子たち、ガイル、ユリウス、テオ、ノアも、いつも通りの個性を見せてた。
「ガイルくん、香りより鼻で砕く方が得意そう……」
「へっ、細けぇことはいいんだよ!」
ユリウスはおずおずと小瓶を手に取って、ラベンダーの香りに目を細める。テオは静かに計算式を書いてて、ノアは無邪気に手を振ってくる。
(この子たちも、ゲームで見てた通りだなあ……でも実際に接してると、本当に生きてる感じがする)
そんな彼らの様子を眺めながら、心がほんのりあったかくなった。
昼休み、中庭のベンチに座ってサンドイッチを頬張る。太陽に照らされた芝生と花壇から、緑の香りがふわりと漂ってきた。
「ここ、座ってもいい?」
顔を上げると、リュシアちゃんが立ってる。私は少し胸が高鳴るのを感じながら、隣の席を示した。
「もちろんですわ」
花壇の白い小花に目を向けながら、彼女はぽつりと言う。
「……あなた、前よりずっと穏やかな顔をするようになったわね」
思わず頬が熱くなった。
(やばい……これマジで百合フラグきてませんの?)
◆
授業を終えて、スピカ寮に戻る頃には空がゆっくりと茜色に染まりつつあった。白い壁に差す夕日がやさしく反射して、廊下全体がほんのりあったかく見える。
鼻をくすぐるのは、窓から入り込む庭の花の香りと、どこか懐かしい家具の木の匂い。
(うー……新しい生活、思ってたより疲れるなあ)
階段を上がる足を少し休めるように、私は寮のラウンジへ向かった。そこは花柄のカーペットとソファが置かれた、静かで落ち着いた空間。
窓辺のソファに、銀青色の髪が光って見えた。リュシアちゃんが厚みのある本を膝に置いて、静かにページをめくってる。淡藤色の瞳に夕日の色が重なって、彼女の横顔はマジで絵画みたい。
(うわー……完全にヒロインの美少女ポーズじゃん)
「リュシア様、お疲れさまですわ」
声をかけると、彼女はゆるやかに視線を上げて小さく頷いた。
「……エレナも、おかえりなさい」
ほんの少しだけ、声が柔らかくなった気がして、胸の奥があったかくなる。
その隣に、ミリアが座ってて、彼女もにこにこと笑った。
「お姉様、今日は大丈夫でしたか?」
「ええ、楽しかったですわ。授業も、少しは慣れてきましたの」
そんな何気ない会話が、夕暮れのラウンジにゆっくりと溶けていく。外では鳥が一声鳴いて、廊下の向こうからは食堂の準備の匂いが漂い始めてた。
そのとき、何気なく、私は口にしてしまった。
「……こうして寮で過ごすのも素敵ですけれど……お母様も、こんな夕暮れを楽しんでいらしたのかしら?」
その瞬間――空気が変わった。
リュシアちゃんの手が、ぴたりと止まる。淡藤色の瞳が、ゆっくりと私に向けられた。夕日の光を帯びたその視線は、さっきまでの柔らかさを完全に失ってる。
「……その話は、しないで」
静かで、でも氷みたいに冷たい声だった。ラウンジの空気が一瞬で凍りつくのがわかる。
(あ……やっちゃった……地雷踏んでしまいましたわ……!)
胸の奥がぎゅっと縮んで、呼吸が浅くなる。言い訳の言葉を探そうとしても、喉の奥で凍りついて出てこなかった。