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第8話「寮生活と小さな日常」前編

第8話「寮生活と小さな日常」前編


 朝の光が、白いカーテンの隙間からそっと差し込んでた。


 ここは学園寮スピカ。昨日までのわたくし――いえ、白石香澄としての理性は、まだこれを乙女ゲームの世界だと認識してる。


 ……でも、花と朝露の香りは、どうしようもなく"現実"の匂いだった。


「お姉様、朝ですわよ」


 ミリアの声が、すぐ傍から聞こえる。黒髪セミロングの彼女は、わたくしの枕元に腰掛けて微笑んでた。大きなスミレ色の瞳が朝陽を受けてきらきらと揺れる。


 乙女ゲームの攻略対象ではないけれど、こうして目の前で微笑まれると……何だか胸が温かくなる。


「……おはようございますわ、ミリア。昨日は少し、慣れないベッドで寝返りばかり打ってしまいましたの」


 上体を起こすと、ミリアがさっと髪を整えてくれる。蜂蜜色の縦巻き髪――自分の髪ではあるけれど、鏡に映るとまだ他人みたいで落ち着かない。


 クラリスが不在の寮生活は心細いけれど、この子がそばにいると不思議と安心する。


「今日の授業は香りの実習ですわね? お姉様、絶対に大丈夫ですわ」


「……ええ、わたくしにお任せくださいまし。ここは"イベント"のはずですもの」


 思わず心の中でそう呟いて、苦笑する。


 まだ完全には信じられないけれど、こうしてミリアに髪を撫でられてると、現実感が少しだけ増していく。


 窓を開けると、花壇からふわりと甘い香りが漂った。湿った土と若葉の匂い、そして微かに混じる香水の残り香。


 ――ああ、香りって、こんなにも生きているものでしたのね。



 朝の授業が始まると、寮生活の不安は少しずつ和らいでた。


 ――もっとも、これはゲームで言えば「平和な日常パート」。油断は禁物ですわね。


 午前の香り実習では、花や薬草を使った基礎調合を行う。わたくしは手袋を整えて、蜂蜜色の縦巻き髪を揺らしながら作業台に向かった。


 教室には、ふわりと甘い香りと薬草の青い香りが混じって、思わず深呼吸したくなる。


「あ、ガイル……そんなに雑に扱ったら薬草が台無しになっちゃいますよ」


「うっせー! お前だって震えすぎて葉っぱ落としてんだろうが!」


 振り返ると、日焼けした腕のガイルと、猫背気味のユリウスがわちゃわちゃと言い合ってる。そこに白衣姿のノアが慌てて割って入った。


「あの、二人とも落ち着いてください……でもガイル、ユリウスもちょっと緊張しすぎかもしれません」


「ご、ごめん……つい緊張しちゃって」


 その様子を見てたテオが、計算用のペンを手に振り返る。


「……まずい。リュシアの視線がこっちを向いている」


 男子四人が一斉に振り返ると、教室の前方でリュシアちゃんが淡藤色の瞳でじっとこちらを見てた。銀青色のボブカットを揺らして、明らかに「うるさい」って顔をしてる。


「あー……やべぇ、委員長モードだ」


「リュシア怖いよ……どうしよう」


「……対処法が見つからない」


「あわ、どうしましょう」


 男子たちがひそひそと囁く中、わたくしは思わずクスッと笑っちゃった。


(この子たち、本当に仲良しなのね。でもリュシアちゃんには完全に頭が上がらない感じ……)


「エレナ……これ、ちょっと持ってもらえるか?」


 振り向けば、ガイルが両手いっぱいに薬草の束を抱えて、少し困った顔をしてた。粗雑な制服姿だけど、なんだか遠慮がちな様子。


「ええ、もちろんですわ」


 そう言って受け取ると、ガイルは「あー、サンキュ」とだけ言って、すぐに作業に戻る。


(まだちょっと距離があるのね……まあ、奇行姫だったわたくしですもの)


「あの……エレナさん、この計算式に誤りがある。確認してもらえるか」


 テオが無表情で計算用紙を差し出してくる。でも、なんだか義務的な感じで、特別親しげではない。


「ええ、もちろんですわ」


 のぞき込むと、複雑な魔導計算がびっしりと書かれてた。わたくしには全然分からないけど、テオは淡々と待ってる。


「えーっと……申し訳ございませんが、わたくしには少し難しすぎますわ」


「……そう。では他の人に頼む」


 素っ気なく計算用紙を引っ込めるテオ。うーん、まだ壁がありますわね。


 ユリウスとノアも、必要な時だけ声をかけてくれるけど、どこか遠慮がちで、完全に心を開いてる感じではない。


(やっぱり奇行姫の印象って、そう簡単には消えないのね……)


 でも、教室の向こうからの視線を感じて振り返ると――


 リュシアちゃんがじっとこちらを見てた。淡藤色の瞳には、わずかに不機嫌そうな光が宿ってる。


「……エレナ、あまり騒がしくしない方がいいんじゃない?」


 低く、でも確実に届く声。男子たちがびくっと身を竦める。


「あー……リュシア、怒ってるね」


「やばい、また委員長モード……」


「……逃走を推奨する」


「……逃げた方がいいかもしれません」


 男子たちがひそひそと囁く中、わたくしは勇気を出して声をかけた。


「リュシア様……何か、困ってることでも?」


 その瞬間、教室の空気が止まった。


 男子四人が、目を丸くしてわたくしを見る。


「え……今、リュシアって……」


「普通に話しかけたよ……意外だな」


「エレナって、変わったよな……前とは全然違う」


「……興味深い現象だ。あの孤高のリュシアと、普通に会話している」


 ひそひそ声が聞こえる中、リュシアちゃんは小さく首を振った。


「別に。ただ……あまり無理は、しないで」


 それだけ言って、彼女は自分の作業に戻る。でも、その横顔がほんの少しだけ柔らかくなった気がした。


「リュシア、エレナの前だと別人みたいだね……」


「本当だよ。でもエレナも変わったよな、前はもっと変だったのに」


「……興味深い現象だ」


「氷雪の女王と奇行の姫君か……意外にいい組み合わせかもな」


 ガイルの呟きが聞こえた瞬間、わたくしの動きが止まった。


「え……えっ!? あのあだ名、まだ定着してるんですの!?」


 思わず声に出しちゃって、男子たちがきょとんとする。


「あー……エレナ、やっぱり気にしてたんだね」


「でも最近のエレナ、そんなに奇行じゃないよ。普通になったというか」


「まあ、たまに変だけど」


「……そう。だがリュシアと仲良くなれる時点で、既に普通ではない」


 男子たちのフォローに、わたくしは顔を赤くして俯いた。


(うわああ! 奇行姫って呼ばれてたの忘れてました! 黒歴史すぎる!)


 でも、リュシアちゃんがちらっとこちらを見て、小さく微笑んだ気がして――


 胸の奥で、ふわりと甘い香りが混ざったような気がした。


(この世界、やっぱり……ゲームのはずなのに、ちょっとだけ心臓が忙しいですわ)

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