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すれ違う視線: 凱旋の光と届かぬ想い

王都を包む歓声は、熱狂の渦だった。戦役の終結を祝う凱旋パレード。エルドリアスは、きらびやかな装飾が施された馬に乗り、沿道を埋め尽くす民衆の喝采を浴びていた。頭上を舞う色とりどりの花びらが、彼の清廉な甲冑に降り注ぎ、太陽の光を反射して眩い。彼の鼻腔をくすぐるのは、芳醇な葡萄酒の匂いと、民衆の熱気、そして勝利の甘い香りだ。兵士たちの間からは、「団長、最高だぜ!」「英雄だ!」と、誇らしげな声が上がる。

しかし、エルドリアスの五感は、その華やかな光景の中に、どこか不協和音を見出していた。耳には、彼を称える叫び声の裏で、虚しさが微かに響く。視界の端で捉える民衆の笑顔は、彼が本当に見たいと願う、ある一人の顔ではなかった。掌に伝わる手綱の冷たい感触が、彼の心の温度とは裏腹に、どこか冷めきった現実を突きつけてくる。

「(リアーナは、どこに……)」

彼は無意識のうちに、群衆の中、白い治療着の影を探していた。だが、見つかるはずもない。この祝宴は、貴族や功績のあった軍幹部のためのものだ。平民であるリアーナが、易々と足を踏み入れられる場所ではないことを、彼は痛いほど理解していた。その現実は、戦場で彼女の命を預け、互いに「光」と呼び合った日々との間に、あまりにも巨大な溝を刻んでいた。


同じ頃、リアーナは王都の大通りから少し離れた裏路地で、人目を避けるようにパレードの喧騒を聞いていた。彼女の身を包むのは、いつもの質素な私服だ。肌を撫でる初夏の風は、王都の祝祭の熱気を運んでくるが、その風には、どこか寂しさが混じっているように感じられた。彼女の耳には、遠くから聞こえるエルドリアスの名を呼ぶ歓声が、まるで自分とは隔絶された別の世界からの音のように届く。その音は、彼がどれほどの「高み」にいるのかを、彼女に容赦なく突きつけてきた。

「…少将……」

リアーナは、かすれた声で彼の名を呟いた。彼女の視界に広がるのは、パレードの熱狂とは無縁の、薄暗い路地の風景だ。石畳の冷たい感触が、足の裏からじわじわと伝わり、彼女の心の寂しさを一層募らせる。彼女の鼻腔には、王都特有の埃っぽい匂いが混じり、戦場の血と硝煙、そして彼と分かち合った特別な時間の匂いは、もうそこにはなかった。

「リアーナ様、パレードをご覧にならないのですか?」 隣にいた野戦病院時代の同僚が、心配そうに尋ねた。

「ええ……少し、人混みが苦手で……」 リアーナは、乾いた笑みを浮かべた。人混みが苦手なわけではない。ただ、あの場所に、自分は足を踏み入れるべきではないと、本能が告げていた。戦場で、互いに「生きる意味」を見出した二人の関係は、この平和な世界では、「身分違いの幻想」に過ぎないのではないか。その思いが、彼女の胸を締め付けた。


夜。王城の広間は、豪華絢爛な祝宴の熱気に包まれていた。甘美な香水と料理の匂いが混じり合い、優雅な弦楽器の音色が響き渡る。

エルドリアスは、王族や大貴族たちに囲まれ、賛辞の言葉の波に揉まれていた。彼の掌には、上質な絹の手袋越しに、冷たいワイングラスの感触がある。貴族たちの仰々しい笑い声や、計算されたお世辞の言葉が、彼の耳にはひどく空虚に響いた。彼が本当に聞きたいのは、戦場でリアーナが耳元で囁いた、あの切羽詰まった声や、励ましの言葉だった。

「エルドリアス少将、貴殿の功績は、この王国史に永遠に刻まれるでしょう!」 「我が娘も、ぜひ少将のような立派な御方とご縁を、と申しておりまして……」

次々と向けられる言葉と、社交辞令。エルドリアスは、うわべだけの笑みを貼り付け、適当な返事を返す。彼の視界に映るのは、豪華なドレスに身を包んだ貴婦人たちや、着飾った貴族の男たち。誰もが彼を「英雄」として祭り上げ、その地位と名声を利用しようとしているかのようだった。彼の喉の奥には、戦場で飲んだ鉄臭い血の味とは違う、得体のしれない苦みが広がっていた。

「(ここに、リアーナがいてくれたら……)」

ふと、彼の脳裏に、戦場で傷を癒すリアーナの真剣な横顔がよぎった。あの時、彼女は身分など関係なく、ただ目の前の命を救うことに没頭していた。彼の体に触れる彼女の指先の温かさ、疲労困憊の彼の瞳を真っ直ぐ見つめた、あの揺るぎない覚悟。それこそが、彼が心の底から求めていた「真実」だった。だが、この場には、その真実は存在しない。彼を囲む貴族たちの視線は、彼を「英雄」と崇める一方で、一歩でも踏み外せば容赦なく切り捨てるかのような、冷酷な光を帯びているように感じられた。

その頃、リアーナは、王城の通用門近くの宿舎で、与えられた簡素な夕食を摂っていた。塩気の効いたスープの味も、硬いパンの食感も、彼女の心には何の感動も与えない。彼女の耳には、遠く、王城から漏れ聞こえる祝宴の賑やかな音楽が届いていた。それは、彼女がどれほど努力しても、決して足を踏み入れることのできない世界からの音だ。

「リアーナも、あの場にいてもおかしくないのにねぇ。少将殿の命の恩人なんだから」 同じく野戦病院から戻った同僚が、ため息混じりに言った。

「いいえ。私はただ、自分の職務を果たしたまでです」 リアーナは、静かに答えた。彼女の心は、重い鉛のように沈んでいた。彼女の指先が、空っぽになったスープ皿の縁をなぞる。戦場で、エルドリアスの体に触れ、彼の熱い血と汗、そして鼓動を感じたあの感覚が、あまりにも現実離れした夢のように思えた。彼の傍らで、命のやり取りをしながら互いを支え合った時間は、まるで幻想だったのか。

彼の視界には貴族の娘たち。彼女の視界には簡素な宿舎の天井。 彼が身に纏うは最高の栄誉。彼女が抱えるは手の届かぬ彼の面影。 戦役は終結したが、二人の心には、身分という見えない壁が、新たな戦いを突きつけていた。それは、互いの存在を唯一無二と知ってしまったがゆえに、あまりにも苦しく、もどかしい「すれ違い」だった。


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